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英語俳句のどこに感動するのか?

下のリンクに小林一茶の俳句の英語版が掲載されています。 http://haikuguy.com/issa/search.php?keywords=frog&year= 勿論俳句の5、7、5はなくなっているし、一体この英語を読んでどこに感動しているのだろうかと頭をひねってしまいます。 描写されている、蛙の様子や月や古池の情景を想起して、しみじみとした気持ちになっているのでしょうか? 英語圏の人で俳句が好きだという人たちは、この翻訳された英語を、どのように楽しみ、何に感動しているのでしょうか? さっぱり分かりません。 少しでも、その答えを知るヒントでもあれば教えて下さい。

質問者が選んだベストアンサー

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  • Him-hymn
  • ベストアンサー率66% (3489/5257)
回答No.2

俳句は英語圏でもかなり普及しています。そして、上手い下手があります。また、日本語の俳句をそのまま訳しても、上手い俳句ができるものではありません。私は英語の俳句を少々作りますが、よい作品というのは、感動があります。あなたの紹介のホームページの俳句は、残念ながら日本語の直訳調で上手くはありません。これにはあまり感動などできません。 even in the well bucket croaking all night... a frog などは及第点があげられますが。 1.英語の俳句にも上手い下手はあるので、上手いものでなければ感動など難しい。 2.バイリンガルでもない日本人が英語の俳句や詩などを味わおうとしても限界がある。なかなか意味の深みに到達できない。表面上のさりげない意味合いなども難しい。文化的背景もない。たとえば、同じcatでも想像する世界が違っている。 3.日本語の5・7調を英語に当てはめると、ことば数が多くなります。というのも、英語は子音を使う度合いが日本語より多く、また、前置詞以外の助詞が英語にはないので、その文英語は短時間に多くのことを言える言語ということになります。strengthという単語も1音節。6つも子音がついています。これを5・7・5の1つに数えてしまうと、英語の方がはるかにいろいろなことを言えてしまい、結果、俳句の短く表現して余情をたのしむことがむずかしくなります。私は4・5・4あるいは3・4・3ぐらいが(モノによっても違いますが)ちょうど俳句と同じぐらいだろうと思っています。 以上のような点で日本人に英語Haikuがわかりにくくなっていると思います。 俳句とhaikuは別物と考えてもいいかもしれません。しかし、私は俳句的なhaikuがあると思っています。 最後にこんなhaiku感動しませんか?(英語のネイティブスピーカーが作ったものです) Among twenty snowy mountains, The only moving thing Was the eye of the blackbird. The summer chair rocking by itself In the blizzard A bitter morning: Sparrows sitting together Without any necks. 日本語の俳句同様、景がよく見えますね。上手いと思います。 以上、ご参考になればと思います。

0123gokudo
質問者

お礼

回答ありがろうございます。 大体のところが見えて来ました。 七五調のリズムが、英語では楽しめなくなっていることが残念ですね。でも、それに代わるリズムがあるようですが、英語圏の人は、日本人が七五調のリズムを楽しむほどに楽しんでいるのでしょうか? 英米人も結構”花鳥風月”を愛するんですね。これがないと俳句も楽しむことは出来ないと思います。例えばいくら英語圏でも花鳥風月にそれほど関心のない熱帯の英語圏の人には俳句は猫に小判だろうと想像します。

その他の回答 (3)

  • ybnormal
  • ベストアンサー率50% (220/437)
回答No.4

別言語に訳された時点で作者の文ではなくなるわけですから、俳句に限ったことではないと思いますけどね。たとえば、バイロンの詩を日本語で読んだ場合、どれだけ訳者ががんばってバイロンの意図をくみ取って訳していても、翻訳である以上それはバイロンの文ではないわけです。それをよんで感動する人は、文そのものではなく、詩が映し出す情景に感動しているわけで、心を動かされるかどうかは、読み手の想像力に依存します。俳句の日本語から英語への訳も同じことで、誰もがそれに感動するわけではないが、それを読んで感動する感受性のいい人や他の人よりも想像力の豊かな人もいるというだけのことだと思います。 率直に言って、私は芭蕉や一茶の俳句を日本語で読んでも全く感動もしないし、俳句を読んで感動する人の気持ちもわかりません。正直、大多数の現代日本人にとって俳句なんてそのくらいのものではないかと思っています。ただ、中には、感動する人もいるし、同様に英訳された俳句でも感動する人はいる、それだけのことでしょう。 人によって解釈が異なるような芸術とか文学のようなものに、「なぜ」とか「どのように」を持ち込むことはナンセンスだと思います。

0123gokudo
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 私は貴方のような「~の人もいれば、そうでない人もいる。人それぞれさ」で結論してしまう考え方が大嫌いなんですね。思考停止、それ以上は一歩も進みません。何でもこういう風に直ぐに結論を出して、思考停止してしまう、相手にもさせようとする人は、他人の考える権利を奪っている、奪おうとしていると思います。 感動する人もいれば感動しない人もいる。自分はなぜ感動しないのか?自分の感動アンテナをフルに張って、彼らの感動アンテナを検証する作業が必要だと思います。

  • mitomito
  • ベストアンサー率40% (165/406)
回答No.3

私は、外国語学部でも文学部出身でも無いので、詳細は分かりませんが、どの言語にも「詩」があるそうです。その「詩」の世界を通じて、その国の「文化」を学ぶことは、外国語学習において、欠かせないことの一つなのだそうです。(NHKの番組で、同じような趣旨を、大杉正明先生や斎藤兆史先生が、お話しされていた記憶が、うっすらとあります。) 英語圏の学習者にとって、日本における「詩」が、「和歌」「俳句」(時には、「狂歌」「川柳」)が該当するので、それで「英訳された俳句(詩)」を読んでいると思います。 >何に感動しているのでしょうか? と質問文に書かれていますが、「感動している」のでは無くて、「日本人が”季語”という言葉を大事に」していることを「確認・研究されている」のでは無いでしょうか。 少しでも、ヒントになれば幸いです。 蛇足: もうすでにご存知か、読まれているかもしれませんが。 現在の英語俳句は、下記のリンクのようなルールの下で、行われています。 http://www.excite.co.jp/News/bit/E1338544050809.html

0123gokudo
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 リンク先を読み、色々分かりました。ありがとうございました。

noname#197435
noname#197435
回答No.1

自然の言葉描写が多い日本の俳句に興味があるから楽しんでいるのでしょう それをなぜ?と思うのはご自身が俳句に興味がないからでしょう 好きだから楽しむそれだけです。

0123gokudo
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 日本の俳句には興味はあって感動しますよ。

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