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家族の死  

papanda26の回答

  • papanda26
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回答No.5

このたびはお悔み申し上げます。 私は、2年前に母親代わりだった祖母を亡くしました。 私も葬儀までは慌ただしく過ぎ、納骨までの間、色々と考えたり泣いたり… けれど、納骨が済んだ時に、少しほっとした自分もいました。やっと祖母が落ち着いた所へ行けたのかなと感じたのかもしれません。 >普段の生活の中で故人の声 姿 を思いかえしては もういないんだと思うと 言いようのない悲しさが襲ってくるのです  とくに普段一緒にきていて、身近に感じている買い物をしていた場所とか まるでいるようで 一番悲しさがこみ上げてきます 私もしばらくは、独り言を言っても祖母の返事が聞こえてくるほどでした。 けれど、ふと、それを感じられることは淋しいことではなく、嬉しいことなのだと気づきました。 なぜなら、それは、祖母という存在、祖母の思い(魂というのでしょうか)が私の中に確かにある、生き続けているという証拠だと感じたからです。 祖母の生き方、思いは、私を育ててくれた中で、私に確実に受け継がれていて、だからこそ、こうして祖母の声が聞こえたり、祖母ならこうするだろうとありありとイメージする事ができるのだと。 体はなくなっても、確かに「ここにいる」と思いました。 ただ、やはり、触れられない、見れないのは淋しく、泣いてしまう事も沢山ありましたが。。 私は1周忌までは、時々思い出しながら泣いていました。 悲しむ遺族がいると心配して成仏できないと言う人もいましたが、近しい家族が亡くなったのに悲しむことを我慢して無理に前向きになろうとするよりも、思い切り悲しみ切ってしまった方が自分のためだし、故人にとっても悲しんでくれることは有難いことだろうと考えました。 もちろん、1周忌を過ぎてもクヨクヨしてばかりはやめようとは思っていましたが。 もし、私が心配でそばに残っているなら…と、息子たちにも「ひいばあも一緒に見てるかもね!」なんて話していました。 悲しい時は、悲しい!淋しい!と泣いてしまったのでいいと思います。 心の中で語りかけたり(独り言が許される時間があるなら声に出してもOK)日記のようなものに書いたりするのも気が紛れます。 まだ納骨も済まないうちですから、乗り越えることを急がずとも時間が解決してくれることもあります。 今は流れに身を任せているのでいいかもしれません。 あまりアドバイスになっていないかもしれませんが、あまり無理をなさらないで、時には仕事や家事を少し休んでも自分の心を休めてあげてください。

mag7
質問者

お礼

共感の経験から教えていただき気持ちが穏やかになりました 今一番辛く感じるふとした思い 悲しいことではなく 嬉しいことと感じる きっと私も思えるようになります 父がいたらという行動や言動が想像でき悲しいのですが 心に確実に生き続けていると思えます  いつまでも私という心と体の中に残る父の魂いの思いと遺伝子が消えることないのですからいつでも会話して思い続けられるのですよね そう教えていただき前向きになりました 泣くことも自分自身に大事かもしれませんが、同時に悲しい気持ちで思いをはせるのではなく、私の中で生きてるよ!!!と伝えていきますね 力になっていただき感謝いたします ありがとうございました  

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