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人が亡くなったあと、生きている人のすること

 日本語を勉強中の中国人です。死後49日の法事は何のためにするのでしょうか。亡くなった人は自分の写真の前に供えられた食べ物を食べにくるわけがないでしょう。たんに生きている人間は臆病者で故人の死に直面することができなく自分を慰めたいのですることでしょうか。葬式が終わったらすべては平常に戻ってあとは年に一回亡くなった日に記念したり、墓参りをしたりするというやりかたはおかしいのでしょうか。線香もろうそくも立てることも余計なものだと考えております。大気汚染になってしまうだけです。  また、質問文に不自然な表現がございましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • a_hona
  • ベストアンサー率21% (95/444)
回答No.2

四十九日に限らず、故人を偲ぶ時間が取れるのは平穏なことですね。自分を振り返ったり、思い出を少し味わったりするために、そういう儀式をきっかけにしているだけです。最近では、位牌ではなく写真だけを飾ったりすることも多いですね。線香もろうそくも大気汚染にはならないですが、なくてもいいものですね。でも、あっても、それはそれでいいのです。合図、サインのようなものです。ちゃんと意味を伴った行為なのです。 故人を偲ぶ気持ちは、国の違いを超えていますね。風習が少し異なるという程度でしょう。 人が死ぬのは寂しいことですね。自分を慰めるのも大切なことです。 質問文自体は不自然ではありませんが、少し意固地になっているような印象を受けました。もっと素直になって、人の死について観想してみてはいかがでしょうか。

sobatya_cn
質問者

お礼

ご親切に教えていただきありがとうございます。中国でも49日の法事をする習慣を持っております。いろいろ参考になりました。アドバイス、どうもありがとうございました。

その他の回答 (5)

noname#194996
noname#194996
回答No.6

死者をどう扱うかということは民族により、地方により、宗教により異なっているようですが、ひとつの文化として生活習慣の中では一番長く伝わるもののようです。土葬が火葬になった(今上天皇も今度からそうされるようですが)のも非常に大きな習慣の変化だったと思われます。ただ金がかかるからとか、現代の考え方に合わないからとかいってすぐ変わるようなものではないようです。供養の基本は死への畏れ、死者への敬意、尊敬、仏(全能者)となった死者をいかにコントロールして自分たちへの守護者にするかということではないかと思われます。 香(線香)は死のにおいを消し浄土を再現するものですし、ろうそくは人間の精神の象徴です。基本的にオリンピックの聖火と通じる汎世界的な人間らしい美しいしきたりだと私は思います。

sobatya_cn
質問者

お礼

ご丁寧に教えていただきありがとうございます。いろいろ参考になりました。お言葉は美しいですね。

回答No.5

人は、自分の知では及ばない部分を、神に依存して 納得し、安心して生きます。 自分の力では及ばない事を、それでも何とかしたくて 祈ります。 死んでしまった人に尽くせなかった後悔や、もうすぐ 自分も死んでしまう不安を、死者を篤く弔う事で慰める のです。

sobatya_cn
質問者

お礼

早速のご回答ありがとうございます。とても参考になりました。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7194/21844)
回答No.4

”死後49日の法事は何のためにするのでしょうか”     ↑ 仏教に基づくしきたりです。 産まれて50日ぐらいは意識がはっきりしないから 死んだ時も50日ぐらいははっきりしないで、 あちこちさまよっているだろう、50日になったら 冥界に行く、ということで、坊主が金儲けのために 造った物語です。 ”亡くなった人は自分の写真の前に供えられた食べ物を食べにくるわけがないでしょう”     ↑ 勿論です。だからこれは死んだ人の為の儀式 ではありません。 遺族など残された人の心を少しでも癒やそうと する技術です。 ”たんに生きている人間は臆病者で故人の死に直面することができなく  自分を慰めたいのですることでしょうか。”      ↑ 簡単にいえばその通りです。 そうやって徐々に記憶を薄くして痛みを緩和しようと する人間の知恵です。 大切な家族の死は、それほど強烈だということです。 ”葬式が終わったらすべては平常に戻ってあとは年に一回亡くなった日に記念したり、  墓参りをしたりするというやりかたはおかしいのでしょうか”。      ↑ 私もそれで良いと思います。 ひとそれぞれです。 ただ、田舎などは、世間体がありますので 中々難しいですね。 ”線香もろうそくも立てることも余計なものだと考えております。  大気汚染になってしまうだけです”       ↑ 大気汚染はよかったですね。 日本人には無い発想です。 こういうのが異文化の面白さです。 こうやって先祖を弔うのは、結局は社会秩序を 維持するためなのです。 ご先祖様が見ている、ご先祖様に恥ずかしくない ように生きようという訳です。 欧米では、ご先祖様が神様に代わる訳です。 ある中国人の社会学者が次のような指摘をしています。 「我々は靖国を批判するのではなく見習うべきだ。  日本人の団結力はああいうところから築かれるのだ」

sobatya_cn
質問者

お礼

ご親切に回答していただきありがとうございます。大変参考になりました。

回答No.3

日本の仏教は釈迦の教えとは異なりますが、それなりに長く続いた伝統であり、この日本の文化の一部をなす大事な要素の一つです。 表面的な日本の文化をなぞっているだけではその意味するところは理解できないでしょう。もちろん、そうした相互理解は常に不完全であり、分かり合えない部分もあるかと思いますが、無分別に批判すべき性格のものではないと思います。 例えば、某国では、偉大とされる指導者が死ぬとプラスティックに浸してガラスケースに入れて展示したりしますが、日本人から見ればほぼ間違いなく悪趣味だと思うでしょう。また、日本に対して汚染物質を季節風に乗せて垂れ流している国の人が、ささやかな線香の煙を疎ましく思うことの不自然さも簡単にあげつらうことができると思います。 もちろん、死んだら生ごみだと思うのは勝手ですが、近親の死を自国の風習に則って平穏に悼んでいる人に向かって、「お前の母親は死んだのだからお供え物は意味が無い」という権利はどこにもありません。もちろん、日本人が毛沢東の死体展示にケチをつける権利もありませんが。 日本語を学ぶつもりがあるのなら、こうした心遣いも一緒に学ぶようにするとずっと上達が早くなると思いますよ。

  • nobu1717
  • ベストアンサー率17% (218/1217)
回答No.1

残念ながら葬儀にストリップまがいの女性たちを呼んで宴会をするような文化の方々には理解できないでしょう。 また、49日に霊魂が仏になるのは仏教の話ですから仏教を学べばわかるんじゃないでしょうか。 宗教に関しては人それぞれの信仰がありますから何がおかしいかはその人次第ですね。

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