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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:「です・ます体」と「である体」の説明に誤りが…)

「です・ます体」と「である体」の誤解について

hakobuluの回答

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.28

#27です。 >ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないからということを理由として述べているのですが、 この「ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーン」というのが、まったくつかみどころのない抽象的なものであるということです。 : ありがとうございます。よくわかりました。 「です・ます体」というのは丁寧体(敬体)とも呼ばれています。 「です・ます」が敬語のひとつに区分される丁寧語であることはご存知だろうと思います。 「である体」は普通体(常体)と呼ばれます。 ここで、お手数ですが、下記の2つの駄文を比較しつつお読みになってみてください。 わたしは北海道在住です。 (A)ー丁寧体(敬体) もう3月も半ばですが、北海道ではまだ雪が頻繁に降ります。 量こそ少なくなったものの、ちょっと油断していますと、すぐにドカ雪が降りますし、一時間以上かけて雪かきをしなければならない日もまだあるのです。 しかし、ウォーキングの途中で、葉の落ちた梢の間を軽快に飛び交う鳥たちの様子が、日ごとに活気づいてきていることに気づいたり、待ち遠しく春を呼ぶかのような騒がしいほどの囀りを耳にするとき、やはり春は間近いのだと実感することができます。 気温も若干、上昇傾向にあるのですが、水分を含んで雪が重くなるので、雪かき必須のこの時期にとっては、ありがたさ半分といったところでしょう。   (B)ー普通体(常体) もう3月も半ばだが、北海道ではまだ雪が頻繁に降る。 量こそ少なくなったものの、ちょっと油断していると、すぐにドカ雪が降るし、一時間以上かけて雪かきをしなければならない日もまだあるのだ。 しかし、ウォーキングの途中で、葉の落ちた梢の間を軽快に飛び交う鳥たちの様子が、日ごとに活気づいてきていることに気づいたり、待ち遠しく春を呼ぶかのような騒がしいほどの囀りを耳にするとき、やはり春は間近いのだと実感することができる。 気温も若干、上昇傾向にあるのだが、水分を含んで雪が重くなるので、雪かき必須のこの時期にとっては、ありがたさ半分といったところだろう。 この二つをご覧になって、『甘く感傷的に自分本位になりがちなトーン』を必ず選ばなければならないとした場合、(A)と(B)のどちらを選びますか? わたしとしては(A)だと思います。 丁寧語というのは、話す相手に対して丁寧に表現するためのものなので、必然的に【柔らかい表現】にならざるを得ません。 その柔らかさが、甘さであったり、感傷的な雰囲気を表現するのには適しているわけです。 言ってみれば自己陶酔型の表現に適している、ということです。 「おお!なんと美しい花だ」と言うより、「おお!なんと美しい花でしょう」のほうが自己陶酔を感じられることと思います。 丁寧体は、(普通体に比較した場合)感情や感覚を表わすのに適している、と言うこともできるでしょう。 「むかしむかし、大変美しいお姫様が森に住んでいた」よりも、 「むかしむかし、大変美しいお姫様が森に住んでいました」のほうが、『甘く感傷的に自分本位になりがちなトーン』を出すことができますよね。 「自分本位」というより「自己陶酔」と表現するほうが適切かな、という気はしますが。 いずれにせよ、『甘く感傷的なトーン』を出すには適した文体である、と言ってよいのではないでしょうか。 たしかに抽象的ですし、漠然としていますが、ご自分の感覚の奥を探っていただくと、納得いただけるような気がします。 エッセイというのは自分の身辺のことや、自分の感想・考えなどを自分の感覚を基調としながら書くものだと思います。 学術論文は論理性が重要ですが、それとは趣が異なります。 つまり、一般的なエッセイというのは、本質的に感情的・感覚的、そして自己主張的な文にならざるを得ません。 「【ただでさえ】甘く感傷的に自分本位になりがち」と筆者が言うのは、このことを指しています。 元々そういう性質の文なのだから、それに加えて、文体までも丁寧体という柔らかい表現を使うと、ますます「甘く感傷的に自分本位になりがちなトーン」が増幅されてしまい、鼻持ちなら無い文になってしまう。 「増幅されるのは好ましくない」ということ。 だから、「である体」をエッセイに使うことでバランスの取れた、つまり、必要以上に感情に押し流されることのない、冷静な文にすることができる。 と筆者は言っているわけです。 「もうすぐ春です」よりも、「もうすぐ春だ」のほうが、若干、固いですが、すっきりしてますよね。 エッセイというものの本質は、元々やわらかいので、文体としては、このように多少、固いもののほうが必要以上に柔らかくなりすぎなくて好ましい。 という主張なんです。 それが正しいかどうかは、むろん、別の話です。   

muimusaku
質問者

お礼

非常に懇切丁寧な回答を頂き恐縮しています。 回答ありがとうございました。

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