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目には目を

いささか人権を無視した残忍な意見ではありますが、目には目の考え方が一概には間違ってるとは言えないかもしれません。 そして、その延長線上に死刑があると思うんですが、みなさんはどう思いますか?

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  • Ganymede
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回答No.4

おっしゃる通り、「目には目の考え方」は、「一概には間違ってるとは言えないかもしれ」ない程度のものでしかありません。応報刑がその程度のものでしかないからこそ、現代の世界では「目的刑」の考え方が主流になってきたのです。目的刑の一種が「教育刑」です。教育刑については既にご存知と思います。 先進国では、日本と米国(の35州)を除き、死刑が廃止されています。米国の死刑存続州でも、実際にはほとんど執行していない州があります。今時どんどん死刑執行するような先進国は、ほぼありません(例外はテキサス州ぐらいか)。 応報刑は目的刑に劣る。その例を三つ挙げて、回答としたい。 (1) 後藤田正晴は東大法学部出のキャリア組の警察官僚だった。頭脳明晰で「カミソリ」と評された。彼は、連合赤軍が浅間山荘事件(1972年)を起こした時、機動隊に「殺すな。生け捕りにせよ」と命令した。当時、一般庶民は「撃ち殺してしまえ!」と興奮していたけれども。 後藤田には、「殺したら殉教者を作り出すことになる」という冷徹な現実認識があった。警察は、命令通り生け捕りに成功した。後藤田はのちに官界から政界へ転身し、すぐに政権の中枢入りを果たした。 長い裁判の結果、連合赤軍最高幹部の永田洋子らは死刑判決が確定した(1993年だそうだ)。しかし、永田には結局死刑が執行されなかった。脳腫瘍の激痛に苦しみ、廃人のようになった挙句、2011年に獄中(医療刑務所?)で病死した。 執行を約二十年も延期し続けた理由は、「共犯者の一部が逃亡しているので、事件の全貌が明らかになってないかも知れず、死刑執行には慎重を期す」という、法務省の意向だった(後藤田は「生け捕りにせよ」と言ったのであって、「死刑にするな」とは言っていない)。 しかし、国家権力には、どす黒い本音があったのではないだろうか? 「国家権力の手で死刑にしたら、殉教になってしまう。それよりも、生き恥をさらし続けろ」と。同様のことは、例えば麻原彰晃にも適用されるかもしれない。死刑判決確定済みだが、今後何十年も執行されない可能性がある。 早く死なせれば、それだけ早く仏になってしまう。例えば、三菱銀行人質事件(1979年)の梅川昭美は、やむをえず警察が射殺したが、遺骨は母親の手で故郷へ帰った。頼み込まれた寺の住職は、「どんな悪人も、死ねば仏弟子である」といい、お経をあげて供養してやった。「善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」(『歎異抄』)。 死刑囚をさっさと死刑にすることは、むろん「判決の執行」であるが、他方、「悪人に往生を遂げさせ、国家権力の手から離して、仏様の手に委ねる」ことでもある。仏の慈悲は広大無辺で、悪人をも包み込む。であるならば、極悪人は死刑が確定しても、何十年も執行しないままにおくという考え方も出てくるだろう。実際、死刑囚の精神状態を診た精神科医によれば、長期にわたって執行されない場合、絶え間ない恐怖で精神がボロボロになるそうだ。 1960年代末や70年代初めに極左のテロ事件で恥をかかされた国家権力は、ある意味、何十年もかけて復讐を完成したのである。国家権力は弱腰なのではなく、逆に底知れぬ悪意を秘めている。 (2) 今年、『半沢直樹』というTBSのドラマが大流行した。その主役の決め台詞が「倍返しだ!」である。倍返しは人間の自然な感情だろう。個人感情だけでなく、国民感情のレベルでも、洋の東西を問わない。例えば、中国の国際法違反に対する、日本の「暴支膺懲」世論。日帝36年に対する、今日まで続く韓国の反日感情。911同時多発テロに対する米国のアフガン開戦、イラク開戦。……。 一方、世界史で習ったハンムラビ法典は「等倍返し」である。「目には目で、歯には歯で」。 しかし、たとえば強姦の等倍返しは何なのか。的確なものがありそうにない。おそらく、「等倍返し」の法典は真正の報復というよりも、むしろ社会秩序重視の要素があった。倍返しのエスカレーションを防ぐということである。 おそらく、倍返しこそが本当の報復であって、等倍返しはいわば「ニセの報復」だろう。どうせニセの報復になるくらいなら、教育刑に変えたほうが上等なんじゃないか? (3) 私の体験談など、誰も聞きたくないかもしれないが、かなり前に殺されかけた経験がある。犯人はすぐ捕まり、実は数百メートルしか離れてない所に住んでいたが、全く知らない人だった。その人は前科がなかったが、懲役の実刑が確定し、服役した。初犯なのに執行猶予が付かなかったという事実からも、重大な犯罪だったことが分かるだろう。「殺されかけた」というのはオーバーな表現ではなかった。 出所後は、近所の目をはばかるように、一家で遠方へ引っ越したようだ。 この体験で、死刑について考えるようになった。私は命拾いして今も生きているわけだが、もしあのとき殺されてしまっていたらと。 思うに、犯人を死刑にしてもらっても、しょうがないなあ。「犯人は命を以て償った。これにて一件落着」と言われてもなあ。 それよりも、死刑にせずに、服役中も出所後も働きづめに働いて、私の遺族にお金を渡せ。この世に残された私の家族が、楽に生活できることこそ、現実問題として一番大事じゃないか。 これはきれいごとでなく、現実問題である。人は食べていかなくちゃならない。あの世から、「私はもう食べなくてよくなった。お前たちが腹いっぱい食べて」と家族に告げたい。 殺人犯を殺して、誰が儲かるの? 儲かる、儲からないの話じゃないと言うのか。 私は、西洋の伝説の、三途の川の渡し守のカロンのことを思い出すのである。死者がカロンに払う船賃を持ってないと、三途の川を渡れず成仏できないという。だから、ご遺体を棺桶に納めるときは、口の中に小銭を入れてやるそうだ。 世知辛いこの世におさらばしたのに、あの世へ旅立つのにもお金が要るという、深い話である。死んでからまで、お金の心配は尽きない。 この論に対しては、「お金のために殺人犯を生かすのか」という反駁が予想される。また、「生かしてやっても、どうせ殺人犯はお金を払わないのでは」という声もあろう。また、「死刑にしたうえで、被害者遺族には国がお金を出せばいい」という案も。 しかし、私が言いたいのは、 「死刑廃止派は観念的、死刑存置派は現実的と思われがちだが、実は存置派こそ観念的なのではないか。存置論こそ建前論なのではないか」 ということである。 犯人を生かしておけば、犯人または犯人の家族からお金を取りうる。しかし、処刑すると家族からしか取れなくなり、可能性が減る。犯人の家族に支払い義務を課すことは、民法の考え方からいって難しい。 実際、犯人が死刑になったうえで、犯人の遺族から被害者遺族が十分な賠償金を取ったという例は、あまりないようだ。「死刑になったことで償いを果たしたと、ご寛恕ください」と言われたら、請求しづらい。 犯罪被害者支援の制度は一応存在するものの、「国や自治体が必ず保障する」とまでは完備していない。

myrtille54
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 少し難しいけど、たいへん参考になりました。

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その他の回答 (3)

  • rokutaro36
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回答No.3

目には目を…… 復讐法と言います。 ですが、現実には、世の中、そんなに単純ではないのです。 例えば、 計画的に人を殺した人と、 歩行者が飛び出してきて交通事故で人を殺してしまった場合を どのように分けるのでしょうか? 復讐法では、これを分けないのですよ。

myrtille54
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >復讐法では、これを分けないのですよ。 遺族にしてみれば、愛する人を失った悲しみに変わりはないものでして。

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  • hideka0404
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回答No.2

有名なハンムラビ法典ですね。 四十二章経の天に唾するにも通じます。 仏教語では因果応報とも言います。 大凡「刑法」とはそういうものです。 http://www.youtube.com/watch?v=gUSg9npORZQ

myrtille54
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

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  • sutorama
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回答No.1

損害賠償・慰謝料がなくなると困ると思います

myrtille54
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 でも、日本人って 私も含めて情緒的で計算高くないので、損害賠償・慰謝料を蹴ってでも 死刑と叫ぶ人が多いでしょうね。

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