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「神」について。

からあげ ミームン(@marc2bolanti)の回答

回答No.13

神さまは、山です、白い頂き。これを観想contemplatioします。  あの白を頭の中に導き入れる、涼やかな寺院を導入するのです。 一番好きなのはアンナプルナさんIV峰かな。 あとサガルマータ(エベレス街道)手前のタムセルク。  観想は、辞書だと<仏語。ある特定の事物に心を専注して、迷情を除こうとする修行。不浄観や日想観など、。*正法眼蔵・・>。ほんとの修行だと「事物に心を専注」に留まるのではなく、意識をその山頂まで飛ばします、行けるのです(複素空間だと光速で距離0になる)。すると対象意識は無化。上手くできれば欝の時に効きます、頭涼やか。  神様は雲、滝、つまる処「水」ですね。 高山、老荘、仙人、修験道:役の小角~弘法大師:空・海、、 高野山、真言密教のマントラ、{ノーマクサバンダ、ボダノーボロン}シベーテー^ハンダラバシニ、ソワーカー}オンム、アクビラ、ウンキャーシャラクマン}、不思議です、私はフレーズの記憶が殆どできませんのに、これは中年になって一発で憶え、復唱も年に一度程度なのに忘れない。どーして?本当のサンスクリットかパーリ語とも一寸違うのに、語呂が良いからだけとは思えない。 諳んじる事は出来るのに、今書こうとして文字画面見ながらだとフレーズ続けて出て来ない! 私が特殊ですか? <神は言葉=Logosなり。>このロゴスは音声ですね。モーゼも聞いた神の声の現前。父なる父性中心の形而上学。 声は強い、導く、カオスに秩序を齎す。でも人を金縛る!その二律、両義性。 音声ロゴスlogocentrisme中心主義(日本大百科全書)、これを単に否定するのではなく、脱構築を試みたのがJデリダ。 真理・神の声言葉、アルファベットも表音声文字。西欧中心主義。 に反対して。それでエクリチュール。両義的なのでその戦略も錯綜してます。 アルトーが訪れたMexicoタマユラマの山頂に、フ~リー(だったか?)神聖文字ゆらゆらと顕れます。 マントラは文字=エクリチュール、Symbolとして顕れる事も世界中に有るようですね。 その辺は私も研究不足で、若い人に期待します。 では又.

alterd1953
質問者

お礼

どうもです(笑) 「神」は「雪を頂く山」ですか。 確かに清涼で崇高な威厳を感じますね。 神の存在証明を「花」に求めた人がいましたが それも納得出来ます。 後、星雲の写真なんかを見ても 明らかに何かの存在を感じますね。 観想も分かる気がします。 釣りでは木石になれと言いますが それに近いでしょうか。 大体、人間、好きな物を観ようとするようですから 「神」を観る者は「崇高」なものが好きなのでしょうね。 音声も非常に重要ですね。 赤ん坊が母親の言葉を絶対的に覚えますからね。 何か根源的なものがあるんでしょうね。 ただ、ジャズのフレーズならいざ知らず マントラがすっと入るなんて凄いですね。 正に「言霊」が宿っているんでしょうか。 さて、デリダがプラトン以来の形而上学の構築をどうひっくり返しているのかが楽しみです。 ではまた(笑)

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