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全知全能の神について

ズバリ皆さんに聞きたいのですが、全知全能の神(全知全能の神が居るという事を大前提に考えています。ただ、全知全能の存在物ならなんでも良い。要するに、「全知全能」という事に注目してほしいのです。)は、その名の通り、何でも知ってて何でもできるのでしょうか?単刀直入な質問で悪いのですが、質問に答えてもらえたら幸いです。

みんなの回答

noname#97062
noname#97062
回答No.12

貴方は、宗教と、哲学を、ゴッチャにされています 哲学はある程度人間の知恵を使いますが、宗教は人間を超えています > 全知全能の神について これは哲学ではなく、宗教です 答えはありません、貴方は不毛な思考を彷徨っているだけです 無益な時間の浪費は止めて、人生を謳歌されることをお勧めします 念の為に、神を除いて「全知全能」だけでも既にそれは神です

noname#101110
noname#101110
回答No.11

>全知全能の神は、その名の通り、何でも知ってて何でもできるのでしょうか? その通りです。しかし、全知全能 ということを想像するのは人間でしかないので、その定義は人間の想像の範囲を超えることはないということでしょう。しかし、人間は神にそれ以上の役割を望んでいます(いました)。無限大のかなたにあって常に人間の先をゆき、手招いている超人というイメージでしょう。それは単なる願望(つうか妄想)でしかないのですが、その矛盾がずっと最先端の人間の自由意志をゆがめてきました。 今の多数の考えに神はなく、人間が自分の意思と直感で神(のようなもの、全知全能)へ近づいていかねばならないという、結構しんどいことになっているようです。 ご参考まで。

noname#94938
noname#94938
回答No.10

全知全能の神は存在すると思います。 けれども人間を創造した時に、人間に「自由意志」「知恵」を与えていますので、ロボットのように人間を操るような存在ではないと思います。 ですからこの世に起きる、たとえば飢餓問題にしても、人間の努力で解決することを望まれるのではないでしょうか。 ただのロボットなら、人間を造る必要はなかった。ロボットを作ればいいですから。 だから全知全能の神は、全知全能でなんでも出来ますが、なんでも神が自分ですべて解決してしまうのではなく、人間の知恵と努力と自由意志を尊重していると思います。

回答No.9

「全知全能のなにかが存在する」(前提) ならば、「全知全能=何でも知ってて何でもできる」なにかは存在します。 この質問はいわゆる「同義反復(トートロジー)」です。 さて、すこし問いをずらして考えたらどうなるでしょう。 「全知全能であるとはどういうことか?」 「全知全能」ではあり得ない人間がこの問いに関して思考するにはどうしたらよいのでしょうか? ひとまず全知全能であるための条件を、「時間と空間」という人間的制約に即して数え上げてみるほかありません。 1「全知全能」の存在は、すべての「時間」に遍在している。   =すべてのことがらに対して同時に存在している。 2「全知全能」の存在は、すべての「空間」に遍在している。   =すべてのことがらに対して同位置に存在している。 「全知全能の存在は、すべての時、すべての場所で生起するすべてのことがらと同時・同位置に存在する」、つまり、「全知全能の存在とは、この世界の存在そのものである。」ということになりそうです。 逆に言うと、 「全知全能の存在」の条件として、「あり得ないことがら」については「知る」ことも「なす」ことも必要ないことになると思います。 ちょっとわかりにくいかもしれません。 「あり得ないことを想像する」といった種類のことは「あり得ること」の一例にすぎないのであって、われわれが「あり得ないこと」を想像しているその時その場所で、「全知全能の存在」は(同じように?)働いているのです。 そういうわけで、 「全知全能の存在は、知り得ないことは知らないし、なし得ないことはなさないものである。」 というのがもうひとつの結論です。 まとまめると、 「全知全能の存在とは、この世界そのものであり、それ以上でもそれ以下でもない。」 ということです。 敷衍すると、 「この世界には、正しいことも間違ったことも、成功も失敗もあるが、そのすべては全知全能の存在が行ったことである。」 とも言えます。

  • cliomaxi
  • ベストアンサー率33% (2921/8736)
回答No.8

>「ほぼ」ではなく、「完全」でなければ駄目です。 他の方の回答に有るようにそれでは矛盾が生じてしまいます。 この辺りは言葉遊び的なものになってしまいます。 >それは「失敗」したのではなく、「あえて」そのようなもの(人間)を造ったのではないでしょうか? いいえ。 一般的に知られている「アダムとイブ(エバ)」でも解るように、元々彼らは不老不死でした。 しかし神との約束を破ったため楽園を追い出されました。(寿命というものの出来てしまった) この時神は「怒ったから」追い出したのです。 あえてそのようなものを造ったのなら予定通りですから怒る必要は有りません。 ノアの方舟の話もそうです。 失敗作だからすべてをチャラにしようとしたのです。

youthdish
質問者

補足

いや、そういうことを聞きたいのではなく、「全知全能」という言葉の本質に関して聞きたいのです。なので、聖書の話とか他宗教の話とかを持ち出されても困るのです。

  • owlsjp
  • ベストアンサー率18% (23/127)
回答No.7

 それから、「完全調和の世界」云々で、例えば、社会のゆがみを現す何処かの誰かの無差別殺人は、調和を保とうとする反動の顕れであり、それは、負荷のかかったプレートの反動により起こる地震のようなものであり、それさえも調和の一部ですね。  まあ、現実逃避し、戻る人は戻るんでしょう。でも、戻れなかったらその時はどのように言い訳するのでしょうか、興味のあるところです。あと3年ですね。

  • owlsjp
  • ベストアンサー率18% (23/127)
回答No.6

何でもできると言うことの中には、自分の願い事が叶わなくすることも出来ると言うことは、含まれるかもしれませんが、自分の願い事がかなわない人間が全知全能であるかどうかということとは、また別の話ですね。  全知全能の神様が、そのまま全知全能であることを選択する事もあるだろうし、もちろん普通の人間に成ることもあるだろうけど、普通の人間が過去、全知全能の神様であった かどうかは、また別の話ですね。  少なくとも、思考能力の著しく劣る何処かの誰かさんの母親が、元神であるということは、100%ないでしょう。  つまり >なぜなら、全知全能でなくなっては困るからです。  が、正しいと思われます。

noname#100496
noname#100496
回答No.5

神は、完全調和の世界ですから、全知全能といっても、不調和は苦手です。不調和は、脳の担当です。宇宙の大元は、完全調和の世界です。しかしこの世界は、違います。不調和世界の脳と、調和世界の神が、出会うために作られた、仮の世界です。この世界は不調和と調和が、混じり合う世界なので、全知全能の神でも、不調和な事は、不調和世界の代表である、脳にまかせてあります。

回答No.4

 こんにちは。  神は 人間の理性のほうから説明すると 《絶対・無限》を想定するところから起こります。  《絶対》を 擬人化して《絶対者》としても想定し これを 《神》と言いかえたというわけです。  で 《絶対》なのですから その想定の限りで たとえば  ★ 全知全能  ☆ という自己紹介を もし人間の言葉で表わそうとすれば 神はするのでしょうね。ほかにも  ○ 善・至高の善 義 摂理 審判者 愛  ☆ といったようにその性格を数え上げるかも知れません。  それで問題は   ★ 全知全能の神は、その名の通り、何でも知ってて何でもできるのでしょうか?  ☆ ですが こう問い返すことが出来るのではないでしょうか。  ○ もしこの神ないしその《全知全能》の中身を 人間がことごとく知り得たとすれば どうなるでしょう?  ☆ 人間が全知全能であり 神であるということになりはしませんか?    ですから youthdish さんのこの質問に もし人間が答えることが出来たら その人は 全知全能であることになります。いますかね そういう人が? どうでしょう?  全知全能は 神の側からの自己紹介です。それを受けてわたしたちは人間は へぇーっ!とか ほんとうかなぁ!?とか うそだろう?とか反応するのみです。  人間が疑おうが粗探しをしようがどうしようが 神は変わりません。絶対なのですから。そしてその中身は――つまり全知全能は―― 人間にとって なぞです。つねに なぞです。《絶対》の想定から始まっているのですから 当たり前のことです。  youthdish さんは どう受け取りますか?

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.3

>それは「失敗」したのではなく、「あえて」そのようなもの(人間)を造ったのではないでしょうか? 敢えてしなくてはそれが出来ないならば、それは全能の定義に反しておりますね。それとも、質問者さんは定義に反したり、矛盾したりすることすら出来る存在を全能というのですか。もしそうなら、神を俟たなくても人間は全能ですね。 私は子供の頃、もし神様が願い事を叶えてくれるなら、何でもできるようにして下さいという願い事を頼むことに決めました。何でもできると言うことは、自分の願い事が叶わなくすることも出来ると言うことも含まれます。ですから、自分を全知全能でなくすることも出来ると言うことです。その願いが叶って、私は今全知全能では在りません。 私より優れた神様がもし全知全能だったら、子供の私でも気が付くようなことはとっくに気が付いていて、私よりずっと先にその全知全能を使って、自分の存在を全知全能ではなくしているはずだと思います。もしそうでないなら、神様は自分の行動に制限を加え、自分の能力を使え切れないことになって仕舞いますから。だから、もはや神様は普通の人間になっていると思います。もしかしたら、貴方のお母さんが元神だったかもしれませね。

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