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法華経について

abc2008の回答

  • abc2008
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回答No.5

結局、仏教の成り立ちから知りさえすれば、何が重要で何が無用かは大体、解るかと思われますが、先ず、釈迦は仏、つまり、ブッダと呼ばれますが、これは元々サンスクリット語で、その意味するところは『目覚めた者』ということで、では一体、何に目覚めたかというと、釈迦は自身の内奥に秘められていた、すばらしい能力特性に目覚めたのです。いわゆる、文字通りの先覚者だったのです。ところが世間の人々においては、その存在に気付くこともなく、当然、その卓越した能力を使うこともなく、不幸や苦悩に打ちひしがれ、いわゆる宝の持ち腐れ状態のままで人生を終えてしまっていたのです。これは実にもったいない話であり、ちょうど油田や金鉱脈を持っているのに、そのことに気付かず、それを開発しないままに亡くなって行くようなもので、それで人々にその価値ある自身の宝とも言える存在を教え、それをいかに発揮させるかを説き、それによって人々のあらゆる所願は満足し、あるいは、いかなる困難をも克服していくことが出来るようになる、ということを教え広めはじめたのです。早い話が、我々万民に内在する『鬼に金棒』たるものを教えようとしたものなのです。 それで、その存在とその開発方途を人々に説くのに、いきなりその真意を説いても約2800年前のまだ仏教のぶの字もない当時の人々にとっては到底理解し難いものであったので、少しづつ基本的ともいえる導入説話を多用し、聞く者たちの理解力向上を図って、その真意を受け入れやすい方向へと導いていったのです。分かりやすく言えば、小学生にいきなり大学講義をしても無理なので、やはり基本的な『いろは』から教えていかねばならないようなものかと思われます。それで真意を説くまでに約40年近くも費やして仏教の何たるかを人々に浸透させていったのです。それで、その期間に様々な教経が説かれましたが、よく見聞きするものとして華厳経や阿弥陀経、大日経、般若心経等があり、また、それらの教経内に出てくる阿弥陀如来や大日如来、観音菩薩や薬王菩薩、普賢菩薩等は我々の秘められた能力の特性部分を擬人化して解き明かしたもので、つまり、能力の特性を単に説明するよりは、方便としてそれぞれを様々な如来や菩薩という架空の存在に置き換えて種々説明した方が受け入れ易く、また印象深く人々の心に残るからであり、それが証拠に様々な仏像が現存することとなったのですが。 それで、最終的にはその真意である『法華経』を説くに至ったのですが、この法華経にこそ、その能力の核心とその開発方途を説き教えているのであり、法華経に至るまでの教説は、結局、秘められた特性がどのようなもので、どの位価値があるのか等の説明のためのものであり、それぞれが特性の部分部分を巧みな比喩や方便等で事細かに解説したものということです。それで最後に法華経によって、その価値ある特性の開発のやり方を示唆したということです。その開発のためのキーワードが『南無妙法蓮華経』であり、つまり、自身の宝蔵(釈迦はその特性を宝の蔵に例えて)を開くための唯一の鍵が『南無妙法蓮華経』であり、これを用いれば、その特性を欲しいままに使っていくことができ、まさに大変価値ある人生を送ることができるというものなのです。 ちなみに法華経という題号は『妙法蓮華経』を略したものですが、今でこそ、仏教というと何か堅苦しく儀式めいた存在になってしまっていますが、本来、釈迦の当時においては、釈迦の講義による、いわゆる自己啓発のためのセミナーみたいなもので、今のような煩雑なものではなかったのです。結局は後世の者たちが、方便として仮に説かれた部分部分の解説に過ぎないものを、これこそが真実とか、これこそが本意とか手前勝手に決め付けては開宗したり、仏教の教義や法理をもてあそぶと言うか、いろいろとこねくり回してはわざわざ難解なものへと変質させたりして、現状のような宗派乱立になってしまったのですが、いわゆる『木を見て森を見ず』ということでしょうか。 以上のような基本的なことが判れば、仏教の概要が大方、解るかと思われますが、結局、『南無妙法蓮華経』という鍵を使うのに、どこそこの宗派に属さなければならないものではなく、本来、誰でもその鍵を使って自身の宝蔵を開き、その価値あるものを自由に使っていく権利があり、後世に出現した寺院や僧侶等に縛られることはないのです。 ただ残念ながら現状は、この仏教の原点を顧みることなく坊主や宗教家が、それを食い扶持にしたいがために、その信者や聞法者たちに仏教の大綱の話はせず、到底民衆には理解しがたいものであるとの印象を与えて自分たちの存在感を強めるようにしているのですが、確かに、万民に内在する大変価値ある存在に気付かせ、それを発揮させる手立てを教えてしまえば、それによって後は自らどんどん幸福境涯へと突き進んで行けるようになり、坊主や宗教家の存在意義が喪失してしまうことになるから、できればその法理法門を理解しがたく難解のままにしてはおきたいのでしょう。 ともかく本来、仏教とは、自らが持つすばらしい宝の存在を覚知して、それを発揮させてその人生に自在に活用して幸福を満喫するためにあるのであって、決して単なる精神修養とか気休め、あるいは盆や正月、葬式等の儀式のためのものではないのです。どこかの宗教家や僧侶の難解な仏教解釈等で混沌としている人々も、この一点さえハッキリと認識できれば、今まで暗中模索のような漠然としていたものがスッキリと晴れて、仏教やその信仰等に対しての明瞭な視点を持つことができるかと思われます。 いずれにしましても、「何かに幸せにしてもらう」のではなく「自力で幸せになる」ことができる能力を誰もが持っていることを教える、つまり、自身の真の価値に目覚めさせることこそが仏教本来の目的で、その真髄が法華経であり、もし、当時の人々の機根(理解度、受け入れる能力)が優れていれば、いきなり法華経を説くだけに終わり、仏教といえば、ただ法華経のみとなっていて、昨今のような宗派乱立、法門論争とはならなかったかとは思われます。

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