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竪穴式住居はなぜ地面を掘り窪めた?

木と石の道具しかない時代、住居となる部分を掘り窪めた理由は何ですか。 家のまわりを土で囲うために掘りだしたのですか。 それとも、冬の寒さを凌ぐためですか。 また、地表から床面に傾斜(斜面)をつけて掘る方が楽だと思いますが、なぜか、たいていの竪穴住居では地表から床面にほとんど傾斜なし(垂直)に掘っているようです。 そして当然ですが、掘った面が崩れないように固めています。 垂直に近い形にしたのはなぜですか。 よろしくお願いします。

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回答No.1

●住居となる部分を掘り窪めた理由は何ですか。 ○諸説ありますが、屋根が作りやすかったのではないかと最近言われるようになっています。  かつては「夏涼しく、冬暖かい」とされていましたが、復元した竪穴住居に住んでみると夏場は涼しいのですが湿気が多く、冬場は底冷えがすごいそうです。 ●傾斜(斜面)をつけて掘る方が楽だと思いますが ○斜めに掘ればそれだけ面積が大きくなり土量が増えてしまいますし、壁を作りにくくなります。  また斜めになった部分は何も使えないので無駄なスペースをわざわざ作る意味はないでしょう。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 土の温度は四季を通してほぼ一定なので「夏涼しく、冬暖かい」のだ、と聞いて疑問に思っていました。 「屋根が作りやすい」という理由は私の知識ではちょっと分かりませんが、ネットで調べてみます。 斜面については、一人で想像して考えているとへ理屈ばかり思いつきましたが、なるほど仰るとおりだと思います。 出来立ての頃は少し傾斜があっても、崩れないようにそして広くなるように徐々に固めていけばよいわけですから。 これで孫に話ができます。

その他の回答 (5)

  • Pinhole-09
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回答No.6

No.5 です。 「お礼」を今読みましたので返辞が遅れました。 横穴式住居と書いたのは、人工的なものでなく、 石器時代の穴居(洞窟)のことです。 風雨を凌ぐ山麓の岩や土の洞窟住まいでは、 壁に安定感を得ていたものと思います。 他方天井では、落石や土崩れがあり、入り口では 崩落や落石で埋まるなど心配は多いでしょう。 (杞憂もこの辺の感覚でしょう) 平原に出て住居を造らねばならなくなると、洞窟の ように穴を考え、竪穴になります。 壁は木、竹、草で作りますが安定感に乏しい。 そこで座って見える範囲(高さ 7~80cm)は土壁 にして安心を得たのではないでしょうか。 天井(屋根)は草で葺き心配感はなくなりました。

kouki-koureisya
質問者

お礼

再度のご回答ありがとうございます。 丈夫な壁を作る技術のない時代、手っとり早く安定感を得るには“穴”を掘るのが一番、というわけですね。 穴の深さの分だけ屋根を低くできるわけで、屋根も安定するということですね。 なるほど! 分かりました。

  • Pinhole-09
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回答No.5

土を掘り窪めたのは前時代の横穴式住居の名残で 土壁に安定感を得たものと思います。 従い垂直に近い掘り方になり、壁を固めます。 竪穴式の欠陥である雨水の流れ込みを、堀った土で 回りに土手を築き防ぎました。 70cm位の深さでも屋根を覆うのが楽になる、波及効果 もありました。 一説には獣の捕獲に使った落とし穴に、落ちた人が 住居によいと考えたとの話もありますが、ヒント位には なりますが主因ではないでしょう。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 「前時代の横穴式住居の名残で土壁に安定感を得たもの」の意味が分かりません。 人工で作り出した横穴式住居が日本にあるのかないのか知りませんが、横穴式住居とは、自然の洞窟や岩陰を利用したものと思っていました。 掘り易くかつ地崩れしない地質の山や丘に横穴式住居を作って住んでいた人たちが、なんらかの理由で平地や台地に竪穴式住居を作るようになったが、そこで横穴式住居の経験を活かしたという意味ですか。

回答No.4

木と石の道具しかない時代でも、現実に洞窟を掘ったり、木を切ったり、削って色々の道具を造ったりしているし、現実に深く2メートルも掘り下げた竪穴式住居を作っているのですから、掘ること自体には疑問をもってもしょうがないと思います。 今なら電動工具やクレーン、トラックもないのに、ピラミッド、大仏、大きな建造物を作ったり、灌漑施設をどうやって作ったと思ってしまいますが、昔のヒトにとっては、それほど大変だとは思わないで、「家を作るから掘ろう」と当然のこととして思ったのではないでしょうか。   地面を掘る場合、畑のようにボロボロと崩れやすい地質のところではなくて、それなりにしっかりした土質のところに作ったと考えるのが普通でしょう。屋根組を支えるにしてもそうした土地であることが大事でしょう。垂直に掘り下げてもほとんど壁面は崩れないというのは、遺跡発掘でも多いようです。 このリンク先の画像の中の穴の中の上の部分にみえる白いものは人間です。右上にも別の竪穴式住居跡がありますが、壁は狭いところで崩れたりしません。 http://yahoo.jp/box/OvNw6c わざわざ斜めに掘ることはせずに、最初からかなり急傾斜で掘ったのではないでしょうか。 床面積と居住性を考えれば、斜めにした側壁よりは、垂直に近い側壁の方がいいでしょう。イヌイット・エスキモーも側壁は木板や雪で垂直にします(竪穴式です) 竪穴式住居で木の板がない頃は、ツタや枝と篠、菅、藁などを使って土の側壁の内装壁を作っていたでしょう。   竪穴式住居は、場所にもよりますが、平安時代までは一般的です。有名なのは縄文時代なのでしょうが、擦文時代(7世紀から10世紀頃)に北海道や青森県地方を中心とする北緯40度以北では竪穴式が普通でした。この頃は鉄器を日常使用していたようです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%93%A6%E6%96%87%E6%99%82%E4%BB%A3 鉄器で板を作れると側壁を板囲いした竪穴式住居も作られたことがあるようです。その方が直接土であるよりもイイと考えられたのでしょう。現地に行った感じでは湿気が多そうな場所でした。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%93%A6%E6%96%87%E6%99%82%E4%BB%A3   縄文時代は今よりも気温が高く、海ももっと高い所まできていたようです。平安時代も今よりも気温が高かったようです。 北海道や東北地方の気候も今とは違っていると考えるのが適当でしょう。 http://blog.goo.ne.jp/ayaka-r0301/e/bb0444e624b3574aa8c79742215705ea http://www.bioweather.net/column/essay3/gw14.htm この竪穴式住居がつくられていた頃のその地方の夏や雨期がどうなっていたのかは、わかりません。もしかしたら、それほど蒸し暑くはなかったのかもしれません。現在でも冬は湿気が多く、夏は比較的湿気が少ない地域は少なくないです。 http://www.hrr.mlit.go.jp/shinano/367/suiryou/kikou/kousui_niigata.html もしも、夏はさほど問題ではなくて、冬の寒さや積雪の重みに対する対策が大事なら、竪穴にして屋根組は地面に支えさせることにすると、寒さ対策だけでなく、積雪重量対策にもなるのかもしれません。   なお、「家を作ったら四季、晴雨に関わらず家の中で生活し寐る」とは限らないと思います。野生動物に襲われないし、雨も降らないのであれば、昼は木陰、夜も樹木のソバで生活かもしれません。竪穴式住居とは関係ないですが、シルクロードのウイグルの民衆はしっかりした家を持っているのに、「夏場は屋外で過ごすことが多いので、建物の中の部屋は冬場しか使わない」のだそうです。 http://blog.goo.ne.jp/new-beatle1978/e/c0f353c01b6985490d9b6a6c232c5a0d http://www.geocities.jp/kitanojoumonclub/html/o_html/ohuhukug.html http://www.city.hakodate.hokkaido.jp/minamikayabe/i_oohune_c2.html http://web.joumon.jp.net/blog/2007/09/000315.html http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/aomori/feature/aomori1356967759459_02/news/20130106-OYT8T01003.htm

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 掘ること自体に疑問をもって質問しました。掘らずにすむならそれに越したことはないでしょう。 質問文が曖昧だったかもしれませんが、「家のまわりを土で囲うために掘りだしたのですか」という疑問です。「夏涼しく冬暖かいから」という理由を聞いたことがありますが、どうも信じられません。 野生動物の侵入を防ぐには、穴ぐらが最適だったのかもしれません。 しかし、立って歩ける高さを確保するには、太い柱を作る技術がない以上、穴を掘るしか仕方がなかったのではないか、と思ったりしています。 その後の事実は、平地に掘立柱建物を建て始めるわけですから。

回答No.3

●「屋根が作りやすい」という理由 ○私の文章力で伝えられるかわかりませんが・・・・。  建物は、柱を立ち上げた上に井桁に横木を組み、そこに垂木を斜めにかけて、屋根を葺くことになります。  竪穴住居(建物)であれば横木に掛けられた垂木は直接周堤に着けばよいのですが、これが平地式住居(建物)だと建物の壁を地面から上に作らなければいけなくなります。  この時点でひと手間増えますし、鉄器のない時代だと平板を作るのが困難なので平地式建物の壁は作りにくいのです。  あと「西日本に竪穴住居が少ない」というのは正確ではありません。  確かに東日本に比べると西日本は縄文時代の遺跡が少ないためそのようなイメージをもたれれるのかもしれませんが、弥生~古墳時代には西日本でも竪穴住居(建物)が一般的です。  ただ7世紀頃までには西日本では掘立柱建物が一般的になりますが、これは気候というよりも建築技術の向上が主因とされています。  ちなみに群馬県の黒井峰遺跡や中筋遺跡など、榛名山の火山灰で当時の村がそっくり火山灰に埋もれた遺跡の発掘調査によると6世紀には竪穴建物と平地式建物が併存していたことが分かっています。

kouki-koureisya
質問者

お礼

再度のご回答ありがとうございます。 “周堤”をヒントに調べると、屋根のかけ方が分かりました。 定住するにはしっかりした構造の家が必要ですから、なんといっても“屋根”が重要だと思います。 周堤を支え?にしてうまく作っていることが分かりました。 >ただ7世紀頃までには西日本では掘立柱建物が一般的になりますが、これは気候というよりも建築技術の向上が主因とされています。 これは理解できます。 やはり、建築技術が進んでいた畿内から順に拡がっていったのでしょう。 手元にある新聞の切り抜きに「姫路・飯田遺跡 竪穴住居跡 初の板壁」(2009年3月)で、3世紀ごろと推定されています。同時に網代壁も発掘されています。

noname#184049
noname#184049
回答No.2

世界の四大文明地での住居は土を積み上げた日本の竪穴式住居とは逆な形のものが多い様です。それは気候の違いからでしょうね。現在でも寒冷地は地面を掘り下げた住居に住んでいます。 隙間風や湿気を防ぐため垂直に掘り下げた住居が日本に多いのです。 竪穴式住居は西日本には少ないのでその理由が判ります。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 深さが1mを超すほどの竪穴住居跡があります。 ざっと調べたところでは、極寒の地に多いようです。 穴ぐらで炉があれば、冬の寒さは凌ぎやすいと思います。 しかし、深いほど多湿になるのではないかと思います。 「竪穴式住居は西日本には少ない」ということは知りませんでした。 平安時代になると竪穴住居をつぶして、掘立柱の家に替わっていきますので、発掘された数で西日本は少ないと言えるのでしょうか。

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