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人間の合意(世界国家)は実現するか?

wiz0621の回答

  • wiz0621
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回答No.4

市民社会(個人の自由の為にお互いの自由を承認する)と 国家(参加者間の過度の自由競争を調停する)については、 ヘーゲルの指摘どおり、やはり分離して考えるべきであると思うのです。 一方で、制度としての『世界国家』については、 弊害の方が大きいのではないでしょうか。 国家が調停者として定義されるとしても、それが人間によって 運営される以上、常に善政が敷かれるとは限らないのです。 まず、おそらくメリットと誤解されている『国家間の競争による争いの消滅』 について。よくよく考えていただきたいのですが、そもそもこの種の争いは、 国家という制度に起因するものではありません。 そこに属する人間に起因するものです。 ここで国家という枠を取り払っても、結局は争いが生じる。 このとき、調停者たる『世界国家』がどのような裁定をしても、 結局は禍根を残すのです。 さらに市民に用意された対抗手段や逃避(究極的には革命や亡命)のような 方法も、世界国家という大きな政府は奪うことになります。 さらには、国家が人間性を定義してはならない、と私などは思うのです。 つまり、お互いの自由を保障する市民社会への過度の干渉は、 そもそもすべての自由を奪うことにもなりかねない。 万能の解を用意できない世界国家が、全権の力をもってねじ伏せるさまは もはやグロテスクですらあります。 ですが、『世界市民社会』の実現は充分に可能だと思います。 むしろもはや止める事もできないでしょう。 質問者さんの目指すものが相互承認であれば、 この世界市民社会の方なのかなと思うのですが、 こちらに残された障害は、宗教という人類の最大の誤謬を、 まだ先進国ですら排除しきれていない、という点のみです。 そもそも、宗教間の対立は絶対に解消しません。絶対にです。 なぜなら、宗教は自身を『我こそが真理であり、他の者はまやかしである』と 定義し、相手の誤りをこそ正そうとするのですから、 根本から市民社会の目指す相互承認とは根源的に相容れない思想なのです。 仮にどのような選択をしたとしても、それは教義から外れる行為となり、 自身の否定に他ならならず、他者の承認という選択は取られません。 (ひとつ証拠を出すと、この文章を宗教家は受け入れないでしょう。 つまり、他者の否定が根本真理である以上、宗教に先は無いのです。 さらに真理が存在しない、という普遍性を受け入れることも 教義に外れるのですから。) すべての市民が、真理などと言うものが存在していない、 求めるべきものはすでに普遍性へと変異していること。 つまり宗教がすでに終焉していることを自覚さえすれば、 簡単に相互承認へ向け、次のステップへ進むことができます。 宗教の信奉という旧世界の行為は、情報の不足によって起こるものです。 伝達技術は飛躍的に発展していますから、識字化による民主化(つまり 自発的な宗教の否定)が世界的潮流と化し、22世紀といわず、 ここ30年以内には完了するのではないでしょうか。 もちろん、形骸や過去の歴史遺物としての宗教は残るでしょうが、 市民が誤りを自覚した後であれば、承認にあたっても、 自発的に『留保』という選択をするでしょう。 ここに宗教は無害化し、世界の相互承認への最短の道が開かれるでしょう。

yuniko99
質問者

お礼

なかなか良いご意見かと思いますが 宗教がなくなるのはいいですが 宗教が果たしてきた役割をどう組み込むか 道徳や謙虚さなど 外国では宗教は在って当然と言う現状です その辺がどうなるか 興味の在るところです。 どうもありがとうございます。

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