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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:日本史って難解だと思われませんか)

日本史の難解さと面白さについて

TANUHACHIの回答

  • TANUHACHI
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回答No.16

 追記並びに補足 >曖昧さが満載なところが魅力? それが文系と理系が違う大きなところですかね。僕は理系です。理系に曖昧さは余りないですよね。    これは決定的な誤りです。理系領域に「カオス理論」と呼ばれる考え方があることもご存知でしょう。定式化された条件の一部をほんの少しいじくるだけで結論は全く変わってしまうとの「アレ」です。  文系の学域に携わる僕がなぜこの様な話を持ち出すかといえば、それは高校段階で区分される文系・理系といった分類にさほどの意味はないとのことを一言お話ししたいからです。  理系分野も突き詰めれば「哲学」領域の「認識論」に含まれてしまうか隣接することで多大な恩恵を受けているともいえます。元より中学や高校で扱う数学の領域も数学の本質からすれば、入り口に辿り着く前にストレッチを始める以前の練習用のユニフォームに着替えている段階と同じです。  そして「白虎隊や忠臣蔵」を引用し、そこに安藤昌益を加味しての暴論を展開されている方に一言。 貴方がなさっていることが、歴史物語と歴史学の違いについて知ることから始めるとの「大学で学ぶ歴史学及び歴史教育」に携わる僕らにとっては最も有害な発言であることをおわかりでしょうか。  白虎隊も忠臣蔵も叙述としての物語りである以上、何らかの解釈と意図が入っていることを前提としてお話しすべきでしょう。そうでなければ、あれらの「物語」を全て真実であるなどと誤解してしまう可能性が非常に高い確率で表れもします。  安藤昌益の発言に似ているからと言って、それが何なの?と言われてしまえば、それでお終いなのですよ。そうした現象を引き起こす可能性があるから、物語としての歴史と「学としての叙述に裏付けられた歴史」の違いをはっきりと説明する必要もあります。  それが歴史学に携わる者の責任ではありませんか?

noname#245555
質問者

お礼

 何度も御回答くださり、誠に有難う御座います。  僕もカオスは知っています。僕の言いたかった事は国語や社会などの、言葉でどのようにも発展する文系の教科に比べて、数理などのある法則を軸にしていれば、そこからあまり遠くへ行く事無く、範囲も決まっている。そこから曖昧さはあまりないと言ったのです。カオスの事は、数系の一部のある特殊な場合であり、しかもカオスという理論の中に収まっています。これでさえカオス理論という軸があります。そう遠くへ行けません。それに対して国語や社会は、扱っているのが人間自体です。人間は普段生活で日常会話をします。ご飯も食べます。炊事洗たく掃除もします。仕事もします。そういったあらゆる人生生活を丸ごとまとめて扱うのですから、範囲は一番の様に広く、軸となるものもそういった色んな事をする人間ですからぶれる。そういう意味で文系と理系では理系は文系に比べてあまり曖昧さは少ないと言ったのです。  後の文は突っ込み所がありません。僕以外の人が2人で歴史学についての攻防をやっているからです。別にそんな事が行われたとしてもなんら僕は構いません。ただ読んでみるだけです。  そういう事で、御回答有難う御座いました。

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