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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:日本史って難解だと思われませんか)

日本史の難解さと面白さについて

staratrasの回答

  • staratras
  • ベストアンサー率41% (1457/3552)
回答No.8

「日本の歴史って面白くありません」と言いながら、なかなか鋭く示唆に富むご質問だと思いました。 私は学生時代日本史を学ぶ学科に在籍していましたので、平均よりは「歴史好き」だと思いますが、現在の(私が学んだ40年くらい昔でも)中学の社会科や高校の歴史(日本史)の授業で多くの生徒が日本の歴史に興味を持つようになるかといえば大いに疑問です。 今からちょうど60年前、日本民俗学の父といわれる柳田國男が『歴史教育について』という文章を発表しました。ご質問の趣旨に呼応する内容がかなり見られます。ご質問のようなことを優れた学者は昔から考えていました。(以下引用文は新かな使い常用漢字に改めました:定本柳田國男集第24巻) 固有名詞や年月日の類は、教師でも時折まちがえることがある。僅か三四種の人名地名の索引、地図とか年表とかの備付さえあれば、入用の時にはいつでも引ける。いわゆる大事件などはもっと面白く、読ませる本が次々に出ようとしている、それをわざわざ試験までして、暗記させる必要がどこにあろう。何の為に歴史は覚えなければならぬのか、是を少年が質問したときに、はっきりと又わかり易く、答えられる準備は学校のみか、政治家たちの方にもあってほしいと思う。 私は終戦の次の年の正月、或新聞に一文を寄せて、是からは近世史殊に最近世史の研究と教育に、うんと力を入れたいと主張した。その運動は聊(いささ)か挫折したが、それでも細々ながらなお続けて居る。今までの史籍はとかく上つ世に偏し、また伝わったる記録の暗記に力を入れ過ぎて居た。…。(引用終わり) 特にこの文章の最後の主張は現在の日本の状況を予見していたのではないかとさえ思います。 実地の事実をたしかめもしないで、ただ漠然たる断定を下そうとする情弊は、今日は既に学徒の中にも瀰漫しかかって居る。果たしてそうであるか、そう言えるかと、難詰すべき必要は特に常民の中に多い。証拠を要求する権能を彼らに認めなければ、国はデマゴーグの巣と化するかもしれない。社会科の初期の課程は、今と昔の差異、今ある事物の原因は必ず以前に在り、それも大部分は人間の選択で、そうはならずにすむ場合もたしかにあったのだということを、次々と自分で心づかせて、それを将来の政治行動、殊に年々の選挙の判断に役立たせるようにしたいものである。国の失敗は大も小もすべて取り返しのつかぬ過去の事だとは言いながら、それを再びせぬ用心の為のみならず、逆にこの経験を活用して、偉大なる再建を成し遂げる場合も必ず有り得る。 どうか無邪気な者の疑問を抑圧せず、又は小ざかしい口さきだけの解答を誘導せずに、努めて多数者の一致した知識欲に応じようとするならば、我々の学問は次第に成長して行くであろう。又成長しなくてはならぬのである。人は長幼を通じてまだまだ莫大な無知を持って居る。 各自の生活からにじみ出た自然の疑惑こそは、学問の最も大いなる刺激である。是を些些たる要項の暗記によって、一通りは習得した如く自得させるなどは、一言で評すれば文化の恥である。(引用終わり) >どうすれば日本史に興味を持てて面白いなと感じる事が出来るのでしょうか。 学校の勉強は別として、日本の歴史について日ごろ疑問に感じていることや身近なことについて「なぜこうなっているのかその起源を知りたい」と思っていることはありませんか。ただ一つでも二つでもそれがあれば、そこから縦(歴史的・経時的なつながり)・横(空間的・同時代的なひろがり)に拡大して行くのが歴史を学ぶということです。そうした疑問がまったくないのであれば、無理に興味をもったり面白く感じたりする必要はないと思います。柳田が「各自の生活からにじみ出た自然の疑惑こそは、学問の最も大いなる刺激である。」と述べている通りです。

noname#245555
質問者

お礼

 御回答有難う御座います。 >「日本の歴史って面白くありません」と言いながら、なかなか鋭く示唆に富むご質問だと思いました。  お誉めに預かり光栄で御座います。どういうところが鋭く示唆に富む質問だと思われたのでしょうか。大いに気に掛かります。ここは一つこちらからお願いでございます。その理由をご面倒ですがもう一度この場をお借りしてメールでお聞かせくださいませんでしょうか。非常に気になります。是非ともお聞かせ下さい。お願い申し上げます。  さて、 >今からちょうど60年前、日本民俗学の父といわれる柳田國男が『歴史教育について』という文章を・・・・・・ ・・・・・・力を入れ過ぎて居た。…。(引用終わり) の中の、「何の為に歴史は覚えなければならぬのか、是を少年が質問したときに、はっきりと又わかり易く、答えられる準備は学校のみか、政治家たちの方にもあってほしいと思う。」には共感しました。  その後の文は、読めない文字や意味の分からない言葉が出て来て、ちょっと解りませんでした。 その中で分かったものは >社会科の初期の課程は、今と昔の差異、今ある事物の原因は必ず以前に在り、それも大部分は人間の選択で、そうはならずにすむ場合もたしかにあったのだということを、次々と自分で心づかせて、それを将来の政治行動、殊に年々の選挙の判断に役立たせるようにしたいものである。国の失敗は大も小もすべて取り返しのつかぬ過去の事だとは言いながら、それを再びせぬ用心の為のみならず、逆にこの経験を活用して、偉大なる再建を成し遂げる場合も必ず有り得る。 という所です。ここは分かりました。そして次の文、 >どうか無邪気な者の疑問を抑圧せず、又は小ざかしい口さきだけの解答を誘導せずに、努めて多数者の一致した知識欲に応じようとするならば、我々の学問は次第に成長して行くであろう。又成長しなくてはならぬのである。人は長幼を通じてまだまだ莫大な無知を持って居る。 ここも分かりました。感化したと言う感じでしょうか。感化と言っても心は変えられず、元々あったものを再認識したと言う部分もあります。 >>どうすれば日本史に興味を持てて面白いなと感じる事が出来るのでしょうか。 >学校の勉強は別として、日本の歴史について日ごろ疑問に感じていることや身近なことについて「なぜこうなっているのかその起源を知りたい」と思っていることはありませんか。ただ一つでも二つでもそれがあれば、そこから縦(歴史的・経時的なつながり)・横(空間的・同時代的なひろがり)に拡大して行くのが歴史を学ぶということです。そうした疑問がまったくないのであれば、無理に興味をもったり面白く感じたりする必要はないと思います。柳田が「各自の生活からにじみ出た自然の疑惑こそは、学問の最も大いなる刺激である。」と述べている通りです。 この点については一方的にどっちだとは言えません。文中に書いてある[ただ一つでも二つでも」の様に有ったり無かったりです。 >そうした疑問がまったくないのであれば、無理に興味をもったり面白く感じたりする必要はないと思います。 そうですね、あまりそういう疑問は無いですね。でも皆無ではありません。時々歴史の中に、これは何故?と思う事がたまに出て来ます。歴史以外なら大いに、これはと思う事はとても数多くいろんな分野から学問も含めて学問以外にも出て来るのですが。余談になるのですがNHKの大河ドラマは面白くなく、今は全く観ておりません。それでいてNHK日曜夜11:00からの韓国や中国のドラマ、今はトンイ、イ・サン、北京バイオリン、春のワルツ、冬のソナタ、宮廷女官チャングムの誓いなどなどは必ず観ていました。とても面白いです。江戸時代の武士はなぜちょんまげをするのでしょうか。地肌が出ていてとてもかっこ悪いと思います。韓国のトンイなどの時代にやっている王朝の帽子の様な被り物、あれはとてもかっこいいと思います。そんな感じです。  尚最後にもう一度お願いします。なかなか鋭く示唆に富むとはどこの事でしょうか。この質問は締め切りにせずしばらく開けておきますのでどうか返事を寄こしてください。お願い致します。  御回答有難う御座いました。

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