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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:日本史って難解だと思われませんか)

日本史の難解さと面白さについて

staratrasの回答

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  • staratras
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回答No.14

No.8です。詳しい「お礼」ありがとうございます。 ご質問について「なかなか鋭く示唆に富む」と申し上げたのは、「日本の歴史って国語の授業よりも難しい漢字がいっぱい出て来て振り仮名も振ってない。その漢字の意味も難しい文字で書かれている。困ると思いませんか?」などと正直に書かれていた点と、武士について述べられていることから安藤昌益を連想したからです。 以前親戚の中学生に「最近、テレビの忠臣蔵と新選組と白虎隊のお話の違いがわかるようになった」と言われて驚いたことがありました。「時代や場所が全然違うじゃないか」と聞いても「制服みたいな同じ着物を着たサムライのグループが力を合わせて刀で戦うところは同じ」とすました顔です。 そこで私ははっと気がつきました。確かに日本人に人気のあるこの3つの江戸時代の集団には多くの共通点があります。もちろん歴史に詳しい人から見れば新選組の隊士がすべて「サムライ(士分)」とは限らないなど細かな違いを挙げればきりがありませんが、この中学生のような大づかみな理解が、かえって結果的に物事の本質に迫っている場合もあるのではないかということに気がついたのです。 日本史についてご質問に述べられていること(例えば武士について)は、試験問題の答案だとしたら正解とはされないと思いますが、江戸時代中期の思想家で東北地方の医者だった安藤昌益は「統道真伝」という著作の中で、「四民は士農工商なり。是れ聖人の大罪・大失なり。士は武士なり。君の下に武士を立てて衆人直耕の穀産を貪り、若し強気にして異輩に及ぶ者之れ有る則(とき)は、此の武士の大勢を以って捕り拉(ひしが)んが為に之を制す。亦聖人の令命に背き党を為し、敵と為る者には、此の武士を以って之を責め伐たんが為に兼ね用うるなり。是れ自然の転下(=天下:引用者注)を盗む故、他の責め有ることを恐るるなり。…」と述べています。(引用は岩波文庫版「上」44ページ) これは直接は古代中国の歴史について述べている部分ですが、士農工商を聖人の大罪・大失だと主張していることからもわかるように、昌益は支配者がいっさい存在せず万人が農耕を行って自給自足の生活を行うこと(衆人直耕)を理想の世の中(自然世)だと考えていたので、当時(江戸時代)の武士の存在についても批判的であったことは明白です。 何を言いたいかというと、質問者様が「武士が百姓からただで米を奪っているだけじゃないですか。武士が百姓から米を泥棒しているだけじゃないですか。武士はそれでいて威張り腐って生きています。そうやって武士がのうのうと生きてる所が嫌いなんです。」と述べているのと大きく言えば同じことを、江戸時代にすでに考えていた安藤昌益という特異な思想家が確かに存在したこと、そして埋もれてしまっていたその思想を当人が書き残した文章(史料)から、没後百数十年たって世の中に明らかにした狩野享吉という思想家がいたということです。 これだけでも「日本史って面白い」と私は思うのですが、いかがでしょうか。

noname#245555
質問者

お礼

 ご返事が遅れて大変申し訳ありません。  再びの御回答有難う御座います。  僕はベストアンサーであってもそうでなくても、No.1 から順にお返事を書かせて貰うようにしています。  しかし、日本人には歴史好きの人も多いと思わされました。僕が以前に質問したものに対する御回答の数々の中でこの質問にかえってきた回答が一番多かったでした。どうしてこんなに古い事に興味があるのか不思議です。  ざっと読ませて頂きました。序盤のご回答は、僕と同じ考え方の安藤昌益(あんどうしょうえき)が出て来た事が良かったです。少しも働かない武士が、働く百姓や町人から年貢や金を搾り取って暮らしている。ここを連想でも何でもして下さった事が嬉しいです。安藤昌益が出て来る様なご回答は初めてです。  他にはこちらから敢えて突っ込む所はありませんでしたが、ふむふむなるほどと思いました。 >日本史についてご質問に述べられていること(例えば武士について)は、・・・・・・・・・他の責め有ることを恐るるなり。…」と述べています。(引用は岩波文庫版「上」44ページ)   という所は難しくて少しもわかりませんでした。 >これは直接は古代中国の歴史について述べている部分ですが、士農工商を聖人の大罪・大失だと主張していることからもわかるように、昌益は支配者がいっさい存在せず万人が農耕を行って自給自足の生活を行うこと(衆人直耕)を理想の世の中(自然世)だと考えていたので、当時(江戸時代)の武士の存在についても批判的であったことは明白です。   この部分は分かりました。共感します。 >何を言いたいかというと、質問者様が「武士が百姓からただで米を奪っているだけじゃないですか。武士が百姓から米を泥棒しているだけじゃないですか。武士はそれでいて威張り腐って生きています。そうやって武士がのうのうと生きてる所が嫌いなんです。」と述べているのと大きく言えば同じことを、江戸時代にすでに考えていた安藤昌益という特異な思想家が確かに存在したこと、そして埋もれてしまっていたその思想を当人が書き残した文章(史料)から、没後百数十年たって世の中に明らかにした狩野享吉という思想家がいたということです。 >これだけでも「日本史って面白い」と私は思うのですが、いかがでしょうか。   確かにこの部分は面白いと思います。ですが一般的にこの部分以外では面白い部分と面白くない部分があると思います。歴史一般的にです。面白くない部分を読むときが退屈してしまうのです。本当に面白い部分もあるのですが。安藤昌益は面白いですね。  いかがでしょうかと言われれば面白いと思いますね。  僕の、本質的な所では普通一般に歴史に限らず古い物は好きではありません。僕はいつもいつも進化しよう発展しようと考えています。一般に温故知新と言われますがそんな事をあまり考えずに生きて来ました。前に進む事だけを考えて生きて来た様なものです。亡くなった父親も生前「もう過ぎた事はどうにもならないんだからこれから先前に向かって進む事だけを考えて生きていったらいいんだ」と僕に何度も言っていました。そういう所も潜在的に意識していたのかも知れませんね。  御回答有難う御座いました。

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