江戸時代の武士と農民の違いとは?

このQ&Aのポイント
  • 江戸時代の武士と農民は、社会的地位や役割において大きな差がありました。
  • 武士は武器を持ち、戦闘や統治に従事する一方、農民は農業に従事し税金を納めていました。
  • 武士と農民の身分は秀吉の兵農分離によって定められ、土地の所有や支配関係が身分の基準となりました。
回答を見る
  • ベストアンサー

武士と農民の違い(江戸時代)

歴史の授業で疑問に思ったことを質問します。 江戸時代の武士と農民の違いは何なんでしょうか。 武士は武器を持っていて、農民は持っていない。 農民は農業を営み、年貢を納め、武士は年貢を納められる側。 このぐらいしか分かりません。(↑も合っているか不安です・・・。) それから、この二つの身分はどこでわかれたのでしょうか。 秀吉のときの兵農分離でですか。 それでは兵農分離のとき、その前に定められた制度(名前は忘れましたが、確か自分の耕している土地は自分の物になる、というようなものだったような気がします。)によって、土地を持っていた人が農民(百姓)で、その前に支配していた人が武士なのでしょうか。 長々とすみませんでした。

  • 歴史
  • 回答数2
  • ありがとう数12

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • phj
  • ベストアンサー率52% (2344/4489)
回答No.2

明確に武士と農民が別れたのは、兵農分離のときでしょう。でなければそもそも木下藤吉郎が豊臣秀吉まで出世できるわけがありません。 他の方の回答にあるように、農民(自作農民)が出来たのは墾田永年私財法の効果です。これにより農民が自作耕地を守る為に武装化していき、武士が発生します。 つまり当初は農民=武士だったわけです。 それが鎌倉・室町に公的権威(守護・地頭など)になることによって、支配階級化してきたのです。 ですのでこの時代には皆同じ農民出身だけど、納税者と収税者に別れてきていたのです。しかしまだ非常に不安定な状態だったといえます。 これがはっきり分離するのが戦国時代の後の太閤時代で、そう考えると各地に興った武士階級の天下取りへの参戦は、室町まで残っていた公家の権威がまったくなくなったので、空いた席に座れば日本一、という戦乱だったといえ、だから日本各地に無数の木下藤吉郎がいたといえるでしょうし、織田信長が平定するまでは「加賀は百姓のもちたる国」と言って、地域運営に農民の力が非常に強く出た土地であったようです。 しかし太閤時代・江戸時代になっても完全に兵農分離したとはいえません。実際、もともとの出自はみんな農民で「自分は本家筋で農家を継いだけど、3代前の次男坊は殿様について戦功を上げたから、うちの分家は武士だ」などというのがたくさんあり、じゃあ本家の三男坊は勉強も良くできて持ったいないから、「うち(分家で武士)に子供がいないから養子に来てもらって後を継いでもらうか」などという例もたくさんあります。 そうなると農民の本家が代替わりすると「うちの弟は、養子行って武士だ」となり、もともと同じ血筋ですので、武士と農民が分離している印象がありません。 これが江戸のような都会になるとお金で御家人株を買うということいつながっていくのです。 つまり当時の日本人の意識では、たまたま殿様について戦って居残ったら武士、農地を守ったら農民、という程度の意識しかなかったのだと思います。 それが証拠に、明治になって四民平等になったらあっという間に身分制度がなくなってしまいました。 これは西洋の民主化(いまでも上流階級だけのサロンは残っている)やインドなどの平等化(法律上は平等だがカースト制度が色濃く残る社会)に比べれば、実にあっさりと身分制度が崩壊したように見えます。 しかし事実は、身分制度が崩壊したのではなく、元々強固な身分制度など無いに等しかった、のが正解なのだと思います。

その他の回答 (1)

  • TRJ
  • ベストアンサー率27% (8/29)
回答No.1

自分で耕した土地が自分の物になるのは墾田永年私財法です。武士の誕生はその後の時代です。武士と農民の身分の違いは武士が登場した時点で既に発生していたのでは?つまり、支配するのが武士で支配されるのが農民。秀吉の兵農分離は農民や商人が武士になったり、武士が農民や商人になるのを禁止することで身分を固定化して武士とそれ以外をはっきりと区別して武士の支配下に置くというものです。そんなに難しく考える必要はないのでは?江戸時代の身分制度だって厳格なものじゃなくて、御家人株を購入するといった手段で町人身分が武士になったりしたんですから。新撰組だってほとんどが武士じゃない人たちでした。

関連するQ&A

  • なぜ秀吉は兵農分離政策を確定して農民と武士を分ける必要があったのでしょ

    なぜ秀吉は兵農分離政策を確定して農民と武士を分ける必要があったのでしょうか? なにか利があったんですか?? 理由を教えてください!

  • 江戸時代の人はどうやって寒さをしのいだ?

    今夜合気道の稽古に行きました。 寒かったです。 すると、稽古の後にある人がこう言いました。 「昔の人はどうやって寒い冬を過ごしたんだろうね」 私「ダウンとかないですよね。藁をかぶって寝てたんでしょうか」 「じゃあ戦のときはどうやって寝たんだろう」 私「うーん。野宿は無理でしょ」 「でも農繁期には戦はしないだろ」 私「いや、秀吉のころには兵農分離していたし、やったのでは? 昼間は広いところで戦っても、夜は農民の家や納屋で寝たのでは?」 「そんなに都合よく寝るところが見つかるかな。テント張ったのでは?」 私「無理です。大将は天幕張ったかもしれないけど、雑兵は無理でしょ」 「寒いけど我慢したのかな」 「我慢できるとは思えません。寒すぎますって」 すると別の人が言いました。 「江戸時代とか、かけ布団はなかったらしいよ」 私「そりゃ死にますよ。服を何枚も重ねたのですかね」 さて、実際の農民や戦場の武士はどうやって寒さをしのいで 寝ていたのでしょう?

  • 江戸時代:武士、農民、町人の所得

    無謀にも、江戸期の武士、農民、町人の所得を比較したいと考えています。統計的な比較は困難であろうと思いますが、下級武士の実質所得、農業雇用の賃金、奉公人の賃金など、断片的な数字を拾って、比較できないでしょうか? また、たとえば米の消費量とか、旅行に出た回数とか、銭湯に行った回数とか(?)、葬儀や結婚式の費用とか、何か間接的な比較できるものがないでしょうか? すぐにもご回答が欲しいのですが、気長に待ちますのでよろしくお願いします。

  • 江戸時代の農民は本当に貧しかったの?

    江戸時代の農民の年貢は、よく言われるので五公五民。また、農民の割合は人口全体の約9割といわれています。お米で考えると、国に収めたお米の8割は、何らかの手段で、農民が回収していたと考えています。 生活するためには、米だけでは生きていけないので、何らかの現金収入か、交換できるだけの物を生産していたことになると思います。    そこで思うんですが、普通にお米を作るより副職の方が割が良かったら、割の良い副職が中心になりそうなんですが、そうでもない。  すると、米の生産量をごまかすなり、相応のうまみがあったように思えます。もしかすると収入が決まっている下級武士よりよほど裕福だったのでは?疑問に思っています。  詳しい方、誰か教えてください。前提条件がおかしければ指摘ください。

  • 戦国時代の奉行(大名?)

    歴史の本や歴史小説を読んでいると、徳川江戸幕府ができる前、波乱万丈の戦国時代の真っ只中でも、奉行(大名)が登場してきます。(城を持たない人) 彼らは自分のオヤカタ(信長、秀吉、家康など)に仕え、手柄をあげて土地を増やしてきました。 彼らはその与えられた土地、つまりそこにいる農民や収穫物など支配できる反面、土地を治めなければならないのですが、 (1)その支配下の土地で農民同士がいざござを起こした場合、農民は誰にどういう手順で訴えるのか? (2)江戸時代とは違い、その中で、彼らは年貢を自由に決められたのか? (3)戦国時代のまっただ中で一揆などのようなものはなかったのか? あったら誰が鎮圧していたのか。 を教えてください。

  • 江戸時代の結婚について

    江戸時代の(特に後期・幕末)結婚についてですが、身分制度で結婚できる・できないがあったと思うんですけど、どういう人同士が結婚できたんでしょうか。例えば、武士と農民は結婚できないとか、男が農民で女が武士なら結婚できるとか(これはあくまでも例です)。教えてください!!

  • 江戸時代と身分

    江戸時代の日本は、農民が土地に縛り付けられて、身分の固定によって浮上する機会もなく、現代のような「個人」は観念されない社会だったということですが、農民が過酷な年貢に苦しみ一揆・逃散・駕籠訴をすることはあっても、三圃農法によって中世からの脱却がはかられた欧州と違って江戸期の日本では革命的な動きや身分闘争というものは全く起こらなかったのでしょうか? 農民は親も自分も子も孫も、農民の子はずっと農民という身分に疑問をいだいたり、そこからの脱却を考えたりはしなかったのでしょうか。 吉田松陰は天皇の下にみんな平等という思想を持っていたようですが、江戸時代にこういった(擬似)平等的な考えをもっていた人物は他にもいたのでしょうか。 ご意見を賜れれば幸いです。

  • 江戸時代の町人,百姓の支配について

    町人の支配は江戸などの町では町奉行,百姓の支配は幕領であれば郡代や代官だと理解しています。そこで町人・百姓の支配について2点質問があります。 (1)幕領以外の諸藩に住んでいる町人や百姓はの支配体制はどのようになっているのでしょうか?藩独自に江戸幕府に習った役職などを設置していたのでしょうか? (2)藩内の百姓から集められた年貢は領主である大名に納めるだけで,その後さらに幕府へ納めるということはなかったのでしょうか?

  • 武士

    武士が身分を剥奪されて農民や賎民に落とされた事はあったのでしょうか?特に江戸時代はどうだったのでしょうか。

  • 豊臣秀吉は収かく高や土地の良し悪しを記録することで、、有力な農民を武士

    豊臣秀吉は収かく高や土地の良し悪しを記録することで、、有力な農民を武士にしようとしたのでしょうか?