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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:心から人を信じられません・・・)

人を信じることが怖い理由と脱出方法

このQ&Aのポイント
  • 私は人を信じることが怖いです。家族も、友人も信じていますが、自分から相談したり頼ることができません。小学生時代のいじめや性的ないたずらが原因だと思います。この臆病さから脱出する方法や、人を信じられる強さを身に着ける方法を教えてください。
  • 私は人を信じることができません。家族や友人には信頼されていますが、自分が依存することが怖く、相手に去られるのではないかと思っています。子供の頃のいじめや性的ないたずらが原因だと思います。この臆病さを克服し、人を信じられるようになる方法を教えてください。
  • 私は人を信じることが怖いです。家族や友人には信頼されていますが、自分が依存することが怖く、また、失われるのではないかと思っています。この臆病さを克服し、人を信じる力を身につける方法を教えてください。

質問者が選んだベストアンサー

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noname#185012
noname#185012
回答No.8

>人を信じられる強さを身に着ける方法 自分を認めることです。 あなたは人に丁寧に接してきたから、家族に愛され友人に恵まれ、交際を申し込んでくれた男性も現れたのです。 その自分を信じないで、何が確かな支えになってくれるというのでしょう? 人に去られるのが嫌で、自分の弱さを隠すために強く装ってきたとのことですが、それはいじめやいたずらに傷付いた自分、可哀想な自分を見捨ててきた、とも言えます。 子どもの頃はそうせざるを得なかったのかもしれませんが、結果的に自分の素直な感情(恐怖や苦痛)を封印し、自分に嘘をついてきたということです。 自分で自分を騙していた人は、人も信じられないと知って下さい。 今からでも遅くないので、子どもの頃の自分と今の自分に「もう強がらなくてもいいんだよ」「辛かったら人に頼っていいんだよ」と語りかけ、心の重荷を解いてあげて下さい。 そうやって安心できて初めて、人を信じられる余裕が生まれてくると思います。 人を失うことを恐れて、自分を演出してきたとのことですが、人を基準にして自分を作ってきたわけですから、自分というものが未成熟だと想像します。 自我がしっかりしていないために、不安で自分も人も信じられないのでしょう。 それを改めるには自己肯定することです。 人に頼られる自分も臆病な自分も、長所も短所も含めて自分なんだ、と認識することです。 そしてそれは、夫婦がお互いの好きな面も嫌いな面も受け入れる構図と似ています。 あなたが自分を受け入れられるようになれば、おのずと愛する人を受け入れられるようになることでしょう。

maholova
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 書いていただいた一文一文が、まるで私のこれまでをすべてご存知かのようで・・・ そうですね、ずっと、自分も周囲も騙してきました。 特に親には、全てオープンにしているように見せて肝心なところや葛藤は隠し続けてきた、罪悪感のようなものが未だあります。 自己肯定・・・そうですよね。 今まで気づいていませんでしたが、確かに私は自分を否定する方向で様々な理由付けをしてきました。 いじめやいたずらのターゲットになったのも自分側に何か理由があるのだろう、 周囲が助けてくれないのも自分に問題があるからだろう。 人を信じられないなら本来なら信じてもらう権利などないのに、と。 ・・・困りました、正直、自己肯定の仕方がわかりません^^; ちょっと考えてみます。 >自分で自分を騙していた人は、人も信じられないと知って下さい。 そうですね。 まずは、自分を騙さないことから始めます。 とても勉強になりました、ありがとうございました。

その他の回答 (9)

noname#196137
noname#196137
回答No.10

人を信じることの怖さと、信じられないことの怖さ。 この違いは、紙一重のような気がします。 私はmaholovaさんとは逆でね。 裏切られても裏切られても、信じてきました。 夫だけは。 でも、これは強さとはちょっと違う。 裏切られることより、信じられる人がいなくなることのほうが、怖かったからでしょう。 多分。 裏切られることで受ける、自分の傷に対する強さ。 これは自分に対する強さです。 身に着けたいのは、こちらの方ではないでしょうか?

maholova
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 その通りです。 私は云わば「信じない」という鎧で自分を守っているのでしょうが、本当に必要なのは、それを脱いだ時に受ける傷に対する治癒力ですよね。 裏切られても裏切られても信じる、それはやはりchibipochi様の気持ちの強さだと思います。 私のように逃げるのではなく向かっていく姿勢は、自分がまた起き上れるという確信あってこそ持てるもの。 少しばかり、chibipochi様や皆様の意見を聞いて、傷つく勇気、傷を認める勇気が出てきました。 ありがとうございました。

noname#183245
noname#183245
回答No.9

心から信じられる人なんて、一生にひとりいれば、 十分でしょ。 別に人間不信でいいんじゃないですか。 そのおかげで他人に依存しないし、期待しません。 つまり、すがることもなければ、裏切りなんて概念も存在しない。 自立するのに、最適な性格だと思いますけどね。 しかも、あなたは頼られる側になってて、 すごいじゃないですか。

maholova
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 確かに、おっしゃっていただいた通り、人に期待をしないから人に失望することも怒りを感じることもありません。 それもあって温厚だと信頼され、このまま飄々と一人生きていくのなら、自分も楽な生き方ではあります。 それでも、今のままではphoenixevil様のおっしゃる「ひとり」すら信じることができずに生きていくことになるのではないかと、漠然と感じ始めています。 自立して、自分の足で立ちながら、隣に同じように立っている人と信頼しあいながら生きていける、本当の意味で強い人間を目指したいと思います。

  • sakura-333
  • ベストアンサー率10% (952/8905)
回答No.7

私も人を信じるって事は#6さんの仰る通りなんだと思うんですよね。 心のどこかで相手の受け入れられない何かを見抜いてるなんて事もありそうな気が・・ だから相談する人が欲しいのだと思います。 誰かに相談するのもいいですが、最終的には自分で決める問題ではないでしょうか。

maholova
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 そうですね、今回の交際については、本当に私個人的なことですので、誠意をもって自分でしっかり決めます。 これまで人との関わり方について、家族も含めて常に一歩引いて付き合ってきた、これをを変えるのに、客観的な意見をいただければと思って投稿しました。 結果、本当に様々なアドバイスをいただけて感謝しています。

  • mojitto
  • ベストアンサー率21% (945/4353)
回答No.6

まず結論からですが、人を信じる必要も、頼る必要もありません。 質問者さまは自立した、ひとりの大人です。 いい大人が誰かを信じなくちゃダメ、頼らなくちゃダメっておかしいでしょ。 どうも信じることが美しい、頼ることがいいことだという風潮がありますが、それを言っている人や、それに共感している人を見てみてください。 “一人前の大人”はいますか? 信じるなんてのは疑い尽して、裏切られるよりも疑うことの方が不利益が多いときにするもので、その不利益を自己責任で取れる大人の行為です。 ですが見てください。 ロクに責任の取れないガキんちょどもの“信じる”というのは、事前に相手を吟味もすることもなく、一方的に信じ(もはや妄信)、かつ自分の望んだ結果が得られないと“裏切られた”といい、勝手に信じたにもかかわらず相手を責め、自分では責任を取りません。 頼るのも一緒です。 そんなもの義務でも強制でもなく、相手がちょっと手が空いており、それをする能力が十分にあり、仮に相手が失敗しても自分でカバーできる人が、人を頼るのです。 しかし自分が力量もないのに、「頼る」という建前で相手に仕事を強制し、失敗したら責めるような人もいます。 大人は基本的に頼らずに生きていくことができます。 でないと、家庭を持つことなんてできないでしょ? 質問者さまが描いているのは単なる共依存です。 そんなものがなくても、お付き合いや結婚は十二分に可能です。 むしろ適度に疑える、頼らない人の方が長続きしているように思えます。

maholova
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 おっしゃる通りですね。 そしてまだ、私も精神的に未熟だから、そしてきっとどこかに「人に頼りたい」という意識があるからこそ、このような質問をすることになったのでしょう。 >信じるなんてのは疑い尽して、裏切られるよりも疑うことの方が不利益が多いときにするもので、その不利益を自己責任で取れる大人の行為です。 このご意見、本当にそうだと思いました。 やはり、全ての自分の行動に「自己責任」で収拾を付けられてこそ一人前の成人であり、そうしてはじめて、「自分に責任を持っている」と言えるのでしょうね。 体の年齢だけは立派に大人になってなお、誰にも心開かずに生き続けていく自分に寂しさを感じて、こちらで意見をいただこうと思いましたが、そもそもそれが大きな甘えですね。 まずは自立すること、それが必要なのかも知れないと気づかされました。ありがとうございます。

noname#187873
noname#187873
回答No.5

よく今までカウンセリングもせず心理療法もせず頑張ってきましたね。結婚とはお互いの弱みを見せてお互い助け合うことです。昔の嫁みたいにあなただけが頑張るわけではありません。私も性格の悪さから天然ボケからペチャパイ土偶体型から弟の酒癖の悪さから全部バレバレです。夫の親族にも筒抜けです。 しかし私も以前は虐待の後遺症で見捨てられ不安が強く、婚家には心開かず夫が飲みに行くだけで自殺念慮してました。 あなたがいきなり過去を笑って話せるのはきつい可能性が高い。だからと言って封印すると健康に悪い。 私でさえいやしに10年以上かかりまだいやされていない状態。それだけあなたはいやされる必要があるのかもしれないと想像します。

maholova
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 温かいお言葉に、思わず涙が出そうになりました・・・ Sky_and_Bird 様、きっと大変なご経験を乗り越えていらっしゃったんですね。 私はまだ、相手が他人だということが救いでした。その人に見つかりさえしなければいいんですから。 お礼から話が外れてしまいましたが、Sky_and_Bird様のおっしゃるように、弱みを見せて、助け合ってという夫婦、家族関係をいつか築けるよう、ここで頂いたアドバイスも踏んで、一歩ずつなり前進していきたいと思います。

  • hinamisan
  • ベストアンサー率31% (84/264)
回答No.4

信じるとか、信じない、とかいうと大げさなことになってしまいますが、 人に自分の内面を話すかどうか、というのは、信頼とかよりもその人の性格によるのではないですか? 誰彼かまわず、時には相手の迷惑も顧みず自分のことを話す人もいます。人を信頼してるからではなく、話すことで自分が安心でき、心のもやもやが晴れるからです。 その一方で、知人には言えず、お金を払って赤の他人のカウンセラーでないと自分の内面を話せない人もいます。カウンセラーにすら話せない人もいます。 話せない自分の性格を、過去のいじめとかに結び付けて、「人を信じられない自分」を確立して悩むのは堂々巡りに陥ってしまいます。 あなたもいうように、「じゃあどうしようもないよ」になってしまいます。 過去の嫌な出来事が性格形成に影響した部分はあると思います。が、それはもう過ぎたこと。いまさら訂正のしようがありません。 あなたが自分について話せない人であることは、あなたの今の性格なのだからそれでいいのです。 話せれば、話せる相手が現れれば、もちろんあなたは気持ちが軽くなり癒されるでしょう。 でも、今はそうではないのだから、とりあえず、今のあなたを受け入れましょう。 あなたはその性格でこれまで生きてきて、家族・友人を愛し大切にし、信頼もされています。 それでいいではないですか。 そしてそのあなたを見込んで、交際を申し込む人も現れた。 あなたはその方をどう思っているのですか?それこそが大切な点です。 長期的な視野で信頼できるか、とか、信頼しても裏切られるのでは、とか不安になるのですね。 相手の方の人間性をしっかりと見ましょう。 あなたの家族や友人にも見てもらってもいいでしょう。 でも、それ以前にあなた自身がその方を好ましく思うかどうか、が肝心ですよ。 好ましいんだけど、不安、っていうのは、いつでも誰でも抱く不安です。 結婚を決意するのに、100%の品質保証付、なんて無理ですからね。 恋愛も結婚もしてみなくちゃわからないです。ある程度まで見極めたら、目つぶってドボンと飛び込む。そういうものです。 飛び込んだら冷たいのか温かいのか、飛び込んで泳いでみなくちゃわからない。 いつまで泳ぎ続けられるかもわからない。 人間そんなに利口な生き物ではないですから、考えて、やってみて、つまづいたら、また考えて、やってみて、の繰り返しです。 つまづくこと、それが怖いのではないですか。 大丈夫、死ぬほどのつまづきは滅多にありません。 人生いつでも、どっかに逃げ道はありますから。 信じられる強さを身に着けるのではなく、怖い怖いとブルブルふるえながら足を踏み出す、飛び込んでみること。ある種、無謀さ、目をつぶる決心をするだけです。

maholova
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 いただいた叱咤と励ましの言葉に心締まる思いです。 他の方にも指摘されましたが、過去のことはただただ説明というか、そこまで不幸な環境ではない自分が「人を信じないことに決めた」原因として挙げただけで、こといじめについてはすでに周知の事実ですし(クラス単位だったので、地元ではみんな知っています^^;)、ある意味いい経験だったと思っています。 もう一つの方は、墓場まで持って行ってもいいと思っています。 ただ、いい大人になってもなお、当時のくせで人と深く関わるのを避けようとする自分が、ちょっと嫌になってここに相談させていただきました。 >大丈夫、死ぬほどのつまづきは滅多にありません。 >人生いつでも、どっかに逃げ道はありますから。 いただいたこの言葉に、そうだなぁと思いました。 死ぬくらいならできることはたくさんあると、そう思って生きていた頃を思い出しました。 ありがとうございました。一歩、踏み出してみます。

回答No.3

人を信じる勇気が、必要なんじゃないですか? 私は中学二年です。 生意気なこといってすみません。 でも、私は、小学校のとき、何回も友達に裏切られました。 それから、しばらくあまり人を信用してませんでした。 でも中学に入るとすごくきのあう友達もできたし、その子達を信用しています。今の所なにもトラブルはないし、裏切られていません。(多分) だから、今とても仲の良い人がいるならその人にも相談してみては、どうですか? あなたのことを信頼してくれている人は、あなたにも信頼してほしいとおもいますよ。 その好意をよせている人にもそのことを言ってみてはどうですか? 受け入れてくれるとおもいますよ。 長々とすみませんでした。

maholova
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 生意気だなんて、そんなことありません。 c1000remon様はお若いですが、私にはない経験もされて様々お考えになってきたのだと思いますから、ご意見ありがたいです。 >あなたのことを信頼してくれている人は、あなたにも信頼してほしいとおもいますよ。 そうですよね。そう思います。それが、一番心に閊えていることでもあります。 全幅の信頼を下さっている相手に、自分は自分を守りながら応対していることが、なんだか相手を騙しているようで。 勇気。すぐには身に着けるのが難しいと思いますが、生身の自分で交流して、傷ついてもいいと思える強さを、今からでも学んでいきたいと思いました。

  • bekky1
  • ベストアンサー率31% (2252/7257)
回答No.2

とりあえず、’ビール’というチョイスを自分に許すことです。 【この、年季の入った臆病さから脱出する方法、人を信じられる強さを身に着ける方法など、何かアドバイス頂けると幸いです。】 これが、アドバイス。 居酒屋に入ったとして、お酒を飲んで、歓談することが目的でも、最初の一歩はこれ。 そして、あなたは人を信じるということを誤解している。 あなた自身が自分の才能、能力、そして、耐久性と忍耐力を把握してないでしょう? ならばなんで自分を信じているの? できる、これができて当然・・・・と思うことが、できないこともあるし、 やりたいくない時もある。 ならば、あなたを’愛する人’が現れたとして、あなたが求めるような’愛し方’’考え方’を 常にあなたが満足できる程度をクリアできるわけないと・・・思いませんか? そして、いじめの問題をいまさら持ち出すのも、ためにするいいわけです。 自分に対しての信頼性が100%でもないのに、相手には別に信じるとか、愛するとかそういうことでなくても 100%のいわば情報の開示とその保証を求めているのと同じだから。 情報の開示を100%しないのではなく、いや、しない人もいるし、したくない人もいるのは確実だし、 あえて、隠ぺいして、嘘つく人もいます。 ただ、状態として、100%でないと、ダメだというあなたの考え方は満たされるときは絶対にないというだけのこと。 相手を知って信頼するのか、知らなくても信頼するのか。 その程度の、いわば%の問題。 あなた自身が自分を信頼するぐらいには、相手を信頼できるというグレードの問題です。 【年季の入った臆病さから】 自分を信じてないからこその裏返しです。 この程度、これぐらいのことで、自分が傷つくならば、その人を信用しないほうがいいあるいみ、 全部を否定する。 相手が信じられない人かどうかというより、歩留り? 銀行だって、1000万まで、生保なら90%とかいいます。 あなたの値踏みの1円でもかけたら許さないということなら、あなた自身はいくらと判断されたい? 自分でどう、売り込みます? 相手との齟齬があるとき、どう保証する? ま、お金のことは比喩です。 そして、とりあえずビールというのは、雰囲気に、波にのらなきゃ、その先はないというだけのこと。 そして、乗ったとして、失敗として、つまらない時間と、多少の出費というだけのこと。 そこでもし、醜態をさらすようなら、あなた自身に信頼性がないということに過ぎない。 で、お互い様という。

maholova
質問者

お礼

お礼が遅くなり申し訳ありません。 今回頂いたお言葉を、もう少し時間をかけて自分なりに理解できるよう努めてみます。 ありがとうございました。

maholova
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 補足というか、すみません、私の読解力が足りないため、せっかくいただいた喩えを理解しきれておりません・・・ 「自分を信じている」かというと・・・ある程度理解はしている、というレベルでしょうね。ある事象に対する自分の反応や対応は予測がつくし、それを意図的に変更することもできるという感じです。 勿論、どんなに親しい方でも、家族であっても、100%理解はできませんし、しようとも思えません。しなくていいと思っています。 ただこの姿勢が、逃げ腰なのかなと・・少し卑怯なのかなと思ったりするのですが、誰しもそうなのでしょうか。 私がここまで偏屈に人を信じられないといっている、その由来を説明しようと過去のことを書きましたが、逆にわかりにくくしてしまいましたでしょうか。 正直なところいじめに関しては今は全く何とも思っていません。当時のクラスのボスとも、今では普通に友達です。 子供って、素直で時として残酷なものですから、あれはあれで一つの経験だと思っています。

noname#191343
noname#191343
回答No.1

とてもよくわかります、私も小さい頃に仲間はずれなどをされた事があり それから中々人を信用できなくなりました でも本当は信じたい自分もいるんですよね、だけど裏切られると どうしようなど色々怖くて考えてしまうんですね 結局八方美人になってしまい友人がいたとしても いつも何か寂しいものを抱えて接していたと思います 私も頼られる方がすきなので中々自分から相談出来ないタイプです (自分の弱い部分を中々怖くてみせられないんですよね…) ですが最近は自分の辛い体験や、悲しい体験もいうようになってからは とても心が軽くなりましたし、より絆を深められたとおもいます (本当にそういう事を話す事ってとても勇気がいります…) でも最近思うんです、例え裏切られてもそれはそれでいいんじゃないかと 自分が裏切るような人間になるのが一番嫌だなって思うようになったんです 相手は相手で私は私で友人や家族を信じる、それでいいなと思います 自分が信じられる人間でいることがなにより大切なのかなと思ってますよ それがなんといいますか、本当の強さみたいなものなのかもしれないと まだまだ漠然とはしていますが、そう考えるようになってからはとても 明るくなれました、人も私を信じてくれている、そう思えるようにもなれました 依存したり、そういう心配もよくわかります、私もよくそう思ってましたが 今になれば、失うことからの恐れが依存に向かわせるものなんだとそう考えてからは 人に頼る時には恐れを無くすことが依存しない為にも必要だなと感じます なので、恐れる気持ちをなくして、人に言いたいこともいって 自分をもっともっと自由に表現していいのだとおもいます 交際も前向きに考えて自分の気持ちに素直になって行動されてください

maholova
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。同じようなご経験がるとのこと、心強くご意見拝見いたしました。 >失うことからの恐れが依存に向かわせるもの 本当にそうですね。 実は以前「この人になら心開ける」と感じた恋人との死別を経験しました。当時の私は完全に依存していた。そして、本当に失ってしまった、その怖さもあわせてこのような過剰な精神的自己防衛をとっているんだとおもいます。 でも、kinomimoru様がおっしゃるように、恐れるだけじゃ何も始まらなければ成長もしないですもんね。 関わる人々に対して、「私は」何をできるかを、まず考えて行動していくようにしてみます。

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