ヒトラーの選出は民主的だったのか?

このQ&Aのポイント
  • ヒトラーは民主的に首相に選ばれたのか?大統領選では負けており、ナチ党が第一党になったのも反発からではないか疑問がある。
  • ヒトラーの首相任命はヒンデンブルク大統領によるもので、合法的にレッドパージを行い全権委任法が可決された。
  • ワイマール憲法も大統領が権限を濫発し、民主的な体制が崩壊していた可能性がある。
回答を見る
  • ベストアンサー

ヒトラーは民主的に首相に選ばれたのですか?

麻生さんの発言で気になったのですが、そもそもヒトラーは民主的に首相に選ばれたのですか?  大統領選でヒトラーはヒンデンブルクに負けています。その後の二度の選挙はナチ党が第一党になってますが、これはブリューニング内閣やパーペン内閣への反発、ひいては大統領内閣への反発という構図ではないのでしょうか? しかし、ヒトラーを首相に任命したのはヒンデンブルク大統領で、ヒトラー新首相の要請でワイマール憲法を停止したのもヒンデンブルク大統領ですが、それにより合法的にレッドパージを行ない、その最中の選挙の結果によって、問題の「全権委任法」が可決されたようにみえてしまいます。 また、社会権の部分で評価されるワイマール憲法も、制定当時のエーベルト初代大統領からして憲法48条の大権を濫発していたようですし、ヒンデンデルク大統領もこれを多様することで、既に議院内閣制による民主的な体制が崩壊していたように思えます。 稚拙な質問で恐縮ですが、至らぬ理解を助けて頂ければ幸いです。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • cherry77_
  • ベストアンサー率23% (291/1261)
回答No.6

一応決められた手順のとおり選出されたというべきでしょう。 ただし今のイメージではとても民主的とは言えません。 当時はまだ民主主義という概念が未熟でしたし ドイツ人自身も新しい体制に不慣れでしたから 選挙というと暴力がまかり通っていました。 対抗勢力(特にナチスと共産主義)はお互いに相手の 選挙運動を暴力で妨害しあっていたんです。 ナチスの突撃隊という暴力組織は有名ですが それも選挙での実力行使のために設立されたものです。 ですからとても民主的な選挙とは言えませんが 一応選挙によってナチスは第一党になりました。 「全権委任法」についてですが、 議会が小党乱立で機能を発揮できず、独裁的権限を使わなければ 政治が動かなくなっていました。役に立たない議会に期待できないから 強い独裁的政権が必要だといった空気が支配的だったようです。 あの時共産党が政権を取っていたら逆にドイツは 共産党による独裁政権になっていたでしょうね。

LunaHawke
質問者

お礼

お返事ありがとうございます おっしゃる通り終始に渡り「合法的」な選挙だったと思います。 ですが、総選挙の前に憲法の停止によって言論の自由をはじめ、国民の基本的人権が停止されて粛正活動が行なわれる状態は、まず民主主義の条件を失っていると判断できますし、この状態で行なわれた総選挙の結果を「民主的」であるとはまず考えにくいのです。少なくとも現代人が振り返るとき「ヒトラーは民主的に選ばれた」という判断に至ることには疑問を感じます。 国民的な要請で独裁が生まれたのかはわかりませんが、ヒンデンブルク大統領が憲法48条の大権で独裁的権限を行使することにより解決を図っていたところを、ヒトラーがとって代わったとは映ります。

その他の回答 (8)

回答No.9

すみませ~ん、ちょっと仲間にいれてね 民主的と云えると思います。  ドイツと云うのはヨーロッパの多くの民族が行き来する場所でもあり、ヒットラーはその環境に思いが有ったのでしょう。   子供の頃からしっかりした帝国を意識していたのでしょうね。  1932年にドイツの国籍を得て、大統領になることに全力を尽くした。その後、僅か一年で大統領に選ばれたのですね。ヒンデンブルクに敬意を表しての選挙を目論んだ、彼の狡賢い頭脳的な判断は素晴らしいとも云える。 学生時代、既にハイルヒットラーの忠誠を尽くす作法も実質行動に表していた。生まれながらの運命的なものを持っていたかもしれませんね。 そんなこと言ったら非難を浴びるでしょうけど。  そう云った国の環境で、能力の高いユダヤ人を敵対意識に抱いていたのでしょう。  その意識が大帝国として成立たせることを使命の如くに訴えたものが、多くのドイツ人に共感を覚えさせた。  現在の自民党に少しは似ているかもしれませんね、麻生首相が考えているのも、大帝国かな。 韓国に毎日責められて、多くの政治家が臆病になっているようですね。  第二次世界大戦に及んだ、アメリカへの恨み事が、韓国への恨み事と同様にならなければよいですが。  麻生首相の発言は裏付けられると云えるかもしれませんね。    すみませ~ん、冗談ともなんとも

LunaHawke
質問者

お礼

お答えありがとうございます。 ヒトラーという人物に魅力的な素養が備わっていたのか、大衆の目にそのように映る演出のできる、気のまわる人物であったことは窺えます。 大統領選において多くの票数を獲得している事実は、その証左として十分なのかもしれませんね。

回答No.8

すでに回答が出ていますが別の視点から 旧約聖書には昔、ユダヤ民族には王がいなかったのです ユダヤ民族が自ら王を欲しがり、神がそれで良いのかと尋ねても、それで良いと答えた結論として ユダヤ民族も王をもつ事になりました 詳しい事は旧約聖書を読んで欲しいのですが、人は独裁を望む事もあるという教訓でした

LunaHawke
質問者

お礼

新たな視点からのお返事ありがとうございます。 アブラハムの三宗教には疎いですが、現代に至る人類の歴史や体制を紐解く際に、これ以上なく重要な見識だと感じます。 ぜひ機会を設けて触れてみたいと思います。

  • Microstar
  • ベストアンサー率21% (289/1367)
回答No.7

ヒトラーは民主的な方法で首相に選ばれたのは確かですが、選ばれるまでの過程、その時代背景を見ていただければ、いかにもきたないやり方だったとわかると思います。 1 ヒトラーの率いるナチス党が政権を取るため、国会議事堂放火事件が起きて、それを利用して共産党議員のやったことだと罪をなすりつけて逮捕して、自分の都合のいいように進めた。 犯人は元共産党員の単独放火であることにも関わらずにである。 2 当時の時代は第一次世界大戦で敗戦したため、賠償問題、経済不況のため、ドイツ国民が苦しんでいたため、経済を回復するるような嘘っぽい言い方をしてドイツ国民を喜ばせたのだが、実際は金持ちの多かったユダヤ人から金を取っていた。それをやりやすくするため、非人道のホロコーストを考えだして進めた。 そういった意味から、真の意味での民主的な方法で選ばれたのではないとわかると思います。 今のドイツではその反省から、ナチスの考えを受継いだ政治集団を法律で禁止したり(ナチスに賛同するような発言は禁止されているようです)、選挙で票を5%以上確保できない党は一切議員になれないとか、いろいろと制限しているようです。

LunaHawke
質問者

お礼

お答えありがとうございます。 やはり、基本的人権を定める憲法が停止された恐怖政治の中での総選挙が、民主主義に基づいていると認めることには疑問があり、いま振り返って民主的に選ばれたと盛んに叫ばれていることが不思議に感じてしまいます。 当時の半大統領制なワイマール憲法とは異なり、現代のドイツ憲法は大統領の行政権限を制限し、歴とした議院内閣制の民主的な国家として機能してると思います。そのせいかドイツの大統領は遠く日本においては耳慣れない人物で、大統領が存在していたことにすら驚いてしまうくらい影が薄い気がするのは私だけでしょうか。

回答No.5

議会でヒトラーが首相に指名され、ヒンデンブルク大統領が任命しました。 世界の議会制民主主義の典型的な形式です。 その後、レッドパージが行われて全権委任法が成立したのです。 首相の直接選挙をやってる国は存在しません。 一例だけ、イスラエルが実施しましたが、弊害が大きすぎて数年で廃止でした。 > ブリューニング内閣やパーペン内閣への反発、ひいては大統領内閣への反発 反発が理由だろうが選挙でナチスが第一党になったのは事実です。クーデターで国会を占領したわけではありません。 さて、懲罰動議がどうなるかは存じませんが… 憲法改正反対派2名(あと1名も社民党系と思われますが) 彼らの議員資格を一時停止にすると自民・公明・みんな・維新で議席の2/3以上なんですよね…

LunaHawke
質問者

お礼

お答えありがとうございます。 当時のドイツは比例代表制で多数派が形成できず安定した首相候補をだせないことで、ブリューニング首相もパーペン首相もシュライヒャー首相も議会の指名からではなく、憲法53条の大統領の首相任免権の強調と、憲法48条の緊急令で議会に拘束されない国会軽視の大統領内閣に至っていたので、幾分よそとは事情が異なるかと思います。 また、当時のナチ党が第一党になっていたのは事実ですが、ヒトラーの首相任命も議会の指名ではなく、ヒンデンブルク大統領が決定したものかと思います。 ヒトラー新首相の要請で大統領が解散権を行使し、ワイマール憲法を停止した時点で、その後の総選挙が立憲主義の下で民主的な要件を満たしていない気がしたもので、このような質問となりました。

  • rokutaro36
  • ベストアンサー率55% (5458/9820)
回答No.4

経緯については、他の回答者にお任せするとして、 どうして、ナチスが第一党になれたのか? どうして、独裁への突き進んでしまったのか? という理由を考えると、現状と似ているのですよ。 ナチスが第一党になったのは、経済政策に支持が集まったからです。 第一次世界大戦で、敗戦国は巨額の賠償金を要求されて、 その支払いに国内経済は疲弊していました。 もちろん、賠償金だけでなく、世界恐慌など他の要素もありますが、 ナチスが台頭した大きな理由が、「経済」であることは、 注目すべきです。 結局、経済を推進力にして、気がついたら、すべてを握っていた ということになったのです。 今回の選挙も、経済一色で、原発問題、改憲問題は枝葉の問題に なってしまった。 麻生氏は、色々と問題発言が多い方ですが、経済には強いと 言われている方でもあります。 なので、経済問題で勝った選挙を見たとき、ナチスのことが ふと、頭に浮かんだのではないでしょうか。 それを口にしてしまうことが問題なのですが…… つまり、このまま経済を推進力にして、支持を集め続ければ、 改憲などの問題も自然に思い通りになる、という思惑が 働いたのでしょう。

LunaHawke
質問者

お礼

お答えありがとうございます。 確かに当時のテーマは全て「経済」だったように思います。 国民の前に示された狭すぎる選択肢がすべて八方ふさがりで裏切られる中のナチ党は、いったいどのように映っていたのか、考えさせられます。

  • blackhill
  • ベストアンサー率35% (585/1658)
回答No.3

 1933年3月5日、ドイツでは総選挙が行われました。2か月前に首相に就任したばかりのヒトラーが率いるナチスは、この選挙で288議席を獲得しましたが、単独過半数(全647議席)に達しなかったので、連立政権を樹立し、全権委任法を提案しました。  しかし、実質的に憲法改正になるので、国会の議決には2/3の出席が必要でした。そこで共産党を非合法化し、その81議席を抹消して通過を計ったわけです。  同年7月にはナチ以外の政党を非合法化し、1党独裁体制が確立しました。議会の議決を経ないでも法案が成立する全権委任法の威力です。  したがって首相どころか、独裁者になったのも形式的には所定の手続きを踏んだといえることになりますが、それが民主的な手続きと評価できるかどうかは疑問でしょう。

LunaHawke
質問者

お礼

お答えありがとうございます。 2月1日に解散してから3月5日の総選挙までのあいだに、ヒンデンブルク大統領はワイマール憲法の国民の社会権や基本的人権にかかる部分を二度に渡って停止して、そのあいだに共産党員など4000人あまりを収容所へ送るなどの活動をしましたが、その状況下での総選挙が、停止している憲法に基づいて民主的な手続きで成されたとは考えにくいので、合法ではありますが質問させて頂きました。 もしドイツ人の立場からみて、民主的に選んだだろ?と言われたらどう思うだろうかと考えてしまいます。

  • rikukoro2
  • ベストアンサー率21% (1316/6196)
回答No.2

そもそも軍事的クーデターなどで政権を奪取したわけではないですからね  ヒトラー自身選挙で選任されてますしね  日本でも第一党ではない社会党の村山が第一党である自民党の協力を得て、首相になりましたよね。  そのような論法が通じるなら村山首相は民主的に選ばれていない、日本は民主国家ではない。そのような結果になります  無論質問者が直接民主制しか民主政治ではないと思うのならそうかもしれませんが  間接民主制なら普通の事のように思います  

LunaHawke
質問者

お礼

的確な例えでのお答えありがどうございます。 ヒンデンブルク大統領がワイマール憲法を停止してる中で行なわれた国民投票は、立憲主義に基づく民主的な要件を満たしていないように感じての質問でした。 直接民主制は国民が代表者に委ねずに政治決定を行なう制度と理解しています。

回答No.1

そうです ヒトラーはドイツ国民によって独裁者として信任されたのです

LunaHawke
質問者

お礼

お答えありがとうございます。 首相への任命は大統領の意志で行なわれたと記憶しています。

関連するQ&A

  • ワイマール共和国末期

    ドイツ近代政治史に詳しい方、教えてください。 1932年12月、長引く不況によりナチスと共産党に侵食され続け議会運営機能不全に陥ったワイマール末期の首相パーペンは、大統領ヒンデンブルクに呼ばれ国防相シュライヒャーとともに三者会談に臨み、憲法改正と国家改造案をもって国難を切り抜けることを提案します。 この時はシュライヒャーの反対により実現しませんでしたが、もしこの3人が結束してナチスに当たっていたら、はたしてヒトラーを権力近づけることを阻止できたでしょうか? 当時、ナチスを抑えることができた唯一無二の組織は国防軍でした。 その国防軍の実力者はシュライヒャー。 また、ヒンデンブルクはドイツでヒトラーより人気のある唯一の人物でした。(先の大統領選でヒトラーを破っている)

  • 民主国家にもヒトラーのような政治家はいるか?

    日本では首相の権限を強化して危機管理能力を高めようとか、某国では大統領権限を大幅に強化しようとかいう話が多く出ています。民主国家は、行政,軍,元首の暴走を議会が防止しようとして多くの仕組みを作ってきました。この仕組みが効率や決定の迅速化の足かせにはなっていますし、それが民主主義の原理です。しかし、それらの暴走防止機構を最近は、「改革」とか「危機管理」というキーワードのもとで、簡単に消滅させる例が増えています。このままでは、多くの民主国家から危機管理の名のもとに、ヒトラーのような政治家が輩出されるようになるでしょう。ヒトラーも民主国家ドイツから生まれました。 現在の民主国家の中でヒトラーのような政治家が生まれ要としている国はどこでしょうか? そして、各国で、誰がヒトラーの再来と思われるでしょうか?

  • 麻生さんのナチ発言の何が悪いの?

    何が悪いか、共同通信記者の国語力が悪いか、尻馬にのる朝日新聞が悪いのか。 【麻生さんのナチ発言】 『護憲と叫んでいれば平和が来ると思っているのは大間違いだし、改憲できても、世の中すべて円満にと、全然違う。改憲は、単なる手段だ。目的は国家の安全と、安寧と、国土、我々の生命、財産の保全、国家の誇り。狂騒、狂乱の中で、決めてほしくない。落ち着いて、我々を取り巻く環境は何なのか、この状況をよく見て下さい、という世論の上に、憲法改正は成し遂げるべきだ。そうしないと、間違ったものになりかねない。  ヒトラーは民主主義によって、議会で多数を握って出てきた。いかにも軍事力で政権を取ったように思われる。全然違う。ヒトラーは、選挙で選ばれた。ドイツ国民は、ヒトラーを選んだ。ワイマール憲法という、当時、欧州でもっとも進んだ憲法下に、ヒトラーが出てきた。常に、憲法はよくても、そういうことはありうる。  今回の憲法の話も、狂騒の中でやってほしくない。  靖国神社も静かに参拝すべきだ。お国のために命を投げ出してくれた人に、敬意と感謝の念を払わない方がおかしい。いつからか、騒ぎになった。騒がれたら、中国も騒がざるをえない。韓国も騒ぎますよ。だから、静かにやろうやと。憲法はある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。誰も気づかないで変わった。あの手口に学んだらどうかね。わーわー騒がないで。本当にみんな、いい憲法と、みんな納得して、あの憲法変わっているからね。僕は民主主義を否定するつもりはまったくありませんが、私どもは重ねて言いますが、喧噪(けんそう)の中で決めてほしくない』 (2013年7月30日07時32分 読売新聞)の報道  麻生副総理は29日、都内で開かれた講演会で憲法改正について、「狂騒、狂乱の中で決めてほしくない。落ち着いた世論の上に成し遂げるべきものだ」と述べた。  その上で、ドイツでかつて、最も民主的と言われたワイマール憲法下でヒトラー政権が誕生したことを挙げ、「ワイマール憲法もいつの間にかナチス憲法に変わっていた。あの手口を学んだらどうか。(国民が)騒がないで、納得して変わっている。喧騒けんそうの中で決めないでほしい」と語った。

  • 日本国憲法を改正せずに大統領制への移行は可能か

    日本で憲法改正をせずに大統領制に移行することは、制度上、可能なのでしょうか?大統領制のメリット、デメリットはさておき、私の考えでは以下のようにすれば、制度上は可能ではないかと思うのです。 内閣総理大臣は、参議院からのみ選出される 参議院は、国務大臣のみで構成される(憲法第六十八条第一項「内閣総理大臣は、国務大臣を任命する。但し、その過半数は、国会議員の中から選ばれなければならない」を満たすため)。 内閣総理大臣は、選挙前に閣僚の候補を公示する。 内閣総理大臣のみを直接選挙して、そのほかの閣僚(兼参議院議員)を内閣総理大臣が任命すると、憲法第四十三条第一項の「両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する」という条件を満たせないから、国民は議員一人ひとりに対してではなく、内閣全体に対して投票する。 衆議院は、当選した内閣の長を形式的に内閣総理大臣に指名する。指名を受け、天皇から任命された内閣総理大臣は、閣僚の候補をそのまま任命する。 衆議院に大きな委員会を2つ作れば、実質的な二院制を維持できます(もちろん、一院制にするもよし)。 内閣と衆議院とがそれぞれ持つ権力の抑制と均衡は次のように働くのではないでしょうか? 法案拒否権(=参議院の否決)→←法案拒否権を覆す権利(衆議院の3分の2の多数による再議決) 衆議院の解散権→←内閣不信任(≒大統領弾劾)

  • 代表民主制と直接民主制

    代表民主制と直接民主制の違いって 国民が直接政治に関与するかしないかということですよね? 国民が選挙で国会議員を選ぶ今の日本の制度は代表民主制だとわかるんですが、アメリカが採用している大統領制(首相公選制)は、どちらに分類されるのですか? 私は、首相公選制も国民が首相(代表者)を選出するのであるから、代表民主制だと考えているのですが、どちらなんでしょう?

  • 日本の首相の任期の上限はきまってるんですか?

    この前、日本の内閣の平均任期はどのぐらいか計算したら1年と4ヶ月とでました(再選は2つの内閣と計算)これってかなり短いですよね。これは憲法とかで上限が決まっているんですか? また、普通の人間だったら1年ちょっとで結果を出せる政策なんて考えられないし、私だったらプロである各省庁の官僚に任せちゃうと思います。1年ちょっとで大きな改革はできるんですか? あと、他の議会民主制で首相が国のトップの国(立憲君主制の国も含めて)の首相の任期はどのくらいなのでしょうか? また、首相が選挙で選ばれる国ってあるのでしょうか?

  • ワイマール憲法、邦訳で全文記載のサイトを紹介して!

    ワイマール憲法、邦訳で全文記載のサイトを紹介して!原文のサイトは紹介されていますが、日本語訳がほしいです。よろしくお願いします。大統領の非常大権や国民の義務について、どのように書かれているか、知りたいです。

  • フランス共和国・コアビタシオンについて

    「フランスでは、大統領が首相を任命する権限を持ち、首相は内閣を組織し、内閣は議会に対して責任を負うという政治構造である。ただし、大統領が首相を任命できるといっても、議会の多数派を掌握しなければ、現実の政治は機能しません。」 「そこで、大統領は、所属政党ではなく反対政党から首相を任命せざるをえない状況が生じる。」 この政策を、コアビタシオンと(保革共存)と呼ぶと聞きました。 上の文章の、鍵カッコ一つ目の状況は理解できるのですが、 それがなぜ、鍵カッコ二つ目の状態になるのでしょうか? 例えば、左派の大統領が、左派首相を任命、左派議会を掌握、とはいかないのでしょうか? ウィキペディアによると、 「大統領の所属政党と議会の多数派勢力が異なる場合、大統領の所属勢力から首相を選任すると、議会による不信任によって内閣が瓦解する不安定な状況になる。」 と、同じように書かれています。 こちらでは、先に出しました私が聞いた説明よりは納得がいきますが、 議会議員選出方法については、残念ながらよく知りませんが、 もし、国民による直接選挙で選出であるならば、 議会の多数派勢力も、同様に直接選挙で選出される大統領と、同じ政党に成り得ませんでしょうか? なぜこのような、ねじれが生じるのか、 大統領の権限が強いフランスで、逆にそれが縮小されるような状態を、 言葉が悪いですが見過ごされているのでしょうか? もしも、極左・極右にならないための布石ならば(これが異なる場合は指摘してください)、 なぜこのような方法なのでしょうか?

  • なぜ首相公選制にならないのか

    日本は議員内閣制をとっていますが、毎年首相が代わり、大臣は年に何度も変わることが当たり前になっています。諸外国では政党の党首や大統領選のように選挙民、党員などが投票し決まっていきますが、こう毎年代わるのではなく、一定期間じっくり選ばれた人に日本を任せるためには首相公選制にした方がいいのだと思いますが、どうなのでしょうか?。

  • 1933年のヒトラーによる全権委任法と憲法48条2項ついて

    全権委任法の採決時のドイツ国議会の総議員数と、 実際に採決のときに出席した議員数と賛成票の数など、 全権委任法の採決時の詳細が書かれてる本や論文を 知っている方はいませんか。 またワイマール憲法第48条第2項・大統領緊急令の規定における 大統領の取りうる措置が事実行為なのか、法令行為なのか、 また、どのようなことが事実行為や法令行為にあたるのかを 詳しく書いた本や論文を知っている方いませんか。 本や論文でなくとも、何かヒントになるようなものが あれば教えてください。