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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:仏教は、どのように学べばよいのですか。)

仏教の学び方と宗派の違いについて

NemurinekoNyaの回答

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回答No.4

こんばんはです。 bragelonneさんへの、わたしの回答を読んでしまったのですか~。 質問者さんの仏教に対するイメージは、「仏教とは欲望否定の教え」でしょうから、理趣経(りしゅきょう)の百字の偈(げ)を見ると、混乱するでしょう。まったく、正反対なことをいっているわけですから。わたしも最初は大いに混乱しました。この文章をどのように読み解いたらいいのか、悩みました。そして、最近になって、ようやく、その意味が少しだけ頭で理解できるようになりました。 《清浄》とは《空》のことです。《空》の積極的な表現です。 と書き出しものの、どこから、どう説明をはじめたらいいのか。。。 弱ったな~。 《清浄》はサンスクリット語で、《visuddhi・ヴィシュディ》です。日本語に訳すと、《清浄》や《浄化》。 なのですが、藤田正浩は原始仏教でのこの語の用法を調べた結果、 ───────── √sudh───vi-suddhiの語幹です───系の語はウパニシャッドの思想を継承しており、すべて意味内容がほぼ共通している。悟りの境地を象徴することが多いとはいえ、人、物、事全般を形容し、不用物、汚れたものなどマイナス価値をもつものの欠如態を意味する ───────── と言っています。 つまり、《清浄》とはマイナス価値(煩悩や強い自我執着)などが欠如した状態をいいます。 で、《汚れ》や《垢》は何かといえば、《煩悩》や《強い自我執着意識》などなど。 こうした、マイナス価値は、確かに、いまのわれわれの《欲》には付着している。しかし、こうしたマイナス価値は本来的なものではない。それは、ヨソからやって来たお客さん・《客塵煩悩》(かくじんぼんのう)だ。けっして、欲には、自性としてマイナス価値があるわけではない───つまり、《空》───。そのマイナス価値を失くせば、本来の輝きを発揮するのだ。 《○○清浄》というのは、まあ、このようなイメージです。 で、われわれの生命の根源から発生する《欲》も空である。つまり、欲清浄!! 清浄だから、本質的に何ら否定されるものではない。 否定されるのは、《欲》に付着している汚れや垢である。 それを取り去れば、自己にだけ利益をもたらすと思われている《欲》も本来の活動性を発揮し、人々に利益をもたらすのだ。 こんなイメージです。 要するに、《客塵煩悩・自性清浄心》という、古くからある仏教の考え方を押し広げた考え方です。 より宗教的に言えば、 人間に内在する《内なるホトケ》や《内なるカミ》のハタラキ、活動性が顕在化する、と言ってもいいと思います。 まあ、こんな感じの思想です。 ちなみに、《空・sunya》とは、本来、「○○に△△はない」というのが、原義です。 念のため言っておきますが、 今ある現勢態の自分本位の欲(望)をそのまま肯定しているワケではありませんよ。その欲を今の自分ができるの範囲内で世のためヒトのために使え、と言っているんです。それが菩薩の道だ、と理趣経の百字の偈は言っています。 なので、そう無茶なオシエではないと思いますよ、わたし。 ☆☆☆☆☆☆ ~~~~~~ 垢って何ぞや? ~~~~~~ 仏教でいう煩悩というヤツです。 ~~~~~~ 欲とは? ~~~~~~ 今ある、あなたやわたしの《欲》です。 ~~~~~~ (難解過ぎない)お勧めの仏教本がありましたら、教えてください。 ~~~~~~ お坊さんの説教臭いない入門書でしたら、 ○仏教入門 岩本宏 中公新書 あたりが最適かと。ただ、既成の仏教観を揺るがすような、かなり衝撃的な内容を含んでいます。 より高度な仏教思想を知りたいのでしたら、 ○仏教思想へのいざない 横山紘一 大宝輪閣 あたりです。 この本一冊で、原始仏教、アビダルマ、中観、唯識思想を勉強できます。ただ、内容はかなり高度なものを含みます。わたしは、辞書がわりにこの本を使っています。 日本仏教全般───禅宗、浄土(真)宗、日蓮系は含んでいませんが───について知りたいのなら、 ○八宗綱要 仏教を真によく知るための本 凝然大徳 鎌田茂雄訳註 講談社学術文庫 が最適です。この本を超える本は、おそらく、ありません。

noname#180507
質問者

お礼

回答、ありがとうございます。 》bragelonneさんへの、わたしの回答を読んでしまったのですか~ はい。 ねこさんの回答に、思わず、立ち止まってしまいました。 この意味なんだろ~直接、お聞きしたかったので、回答いただけて嬉しいです。 (勝手に、ねこさんの回答を質問文に引用することには躊躇したのですが・・) 》《清浄》とは《空》のことです。《空》の積極的な表現です。 》と書き出しものの、どこから、どう説明をはじめたらいいのか。。。 》弱ったな~。 質問で、どの程度の知識か書いておけばよかったですね。 お手数かけて、ごめんなさい。 「般若心経入門(松原泰道著)」と、ビジネスホテルの机のひきだしにある「仏教法典(聖書みたいな本)の一部」ぐらいしか読んだことないのです。あと、子供の頃、「おしゃかさま(伝記)」の本は読んだような気がします(^_^;; あの文字は「理趣経」なんですね。 「欲」を肯定しているところに強い印象がありました。 仏教は、欲に囚われないと思ってましたので・・ 》「《清浄》とはマイナス価値(煩悩や強い自我執着)などが欠如した状態」 》「《汚れ》や《垢》は何かといえば、《煩悩》や《強い自我執着意識》など」 》「われわれの生命の根源から発生する《欲》も空である」 「欲」と「煩悩」を混同していたことに、気づかされました。 「欲」は、生命の根源なんですね。草木が生える大地のような力強さを覚えました。 仏教の教えは、天上界ではなく、大地に在るのでしょうかね。 《客塵煩悩・自性清浄心》の言葉に集約されるのですね。 》欲を今の自分ができるの範囲内で世のためヒトのために使え、と言っているんです。 》それが菩薩の道・・ 確かに、知識を得たら、実践することが大切であると思います。 日々の実践のほうが、大変だと思いますが、まずは、自分のできるところからですね。 良書のご紹介も、ありがとうございます。 初歩から、ゆっくりと学んでいきたいと思います。

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