• ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:死の恐怖を克服すること)

死の恐怖を克服する方法とは?

yuko0401の回答

  • ベストアンサー
  • yuko0401
  • ベストアンサー率45% (240/530)
回答No.9

30代後半の女性です。 物心ついた時から「死にたい」とずっと思ってきています。 ひと言でいうと「問題児」、小中高ずっといじめられました。学校の先生にも「社会的に生きていけないだろう」と言われ続け(幼~高校の歴代の担任に、です)。 両親のケンカが絶えず、母も仕事(元美容師です)が絶頂の時に妊娠してやむなく結婚した、という話を聞かされて育ちました。 初めての自殺企図は10歳。電気コードで首を絞めました。 とあることがきっかけで、26歳の時に精神科に通い出しました。 ですが歴代の担当医は「なんて病名をつけていいかわからない」。 バイト先や人間関係、いろいろな理由で、過服薬自殺を図ったのが28歳の時。 当時SSRIなど強い薬を処方されていましたので「早く発見されなければ」 望み通り死ねるはずでした。 意識を取り戻して、ある程度人の言葉がわかるくらい回復してから聞かされた話ですが、 10日間意識を失っていて、家族には良くて身体の後遺症、悪くて死を覚悟して下さいと宣告してたそうです。 前書きが長くなりました。 私は質問者さまとは正反対で、「ずっと死にたい」と思っており、実際「死にかけた経験がある」者です。 当時ひとり暮らしでした。発見が早かったというのは、私は意識のないまま実家に電話を入れており、と同時に、家族も私に対して何か胸騒ぎがする…のでアパートに向かったそうなんです。 意識がなかった時は…眠っていたんでしょうね。普通の眠りとは違う意味で。 ちなこにその後の経過ですが、意識が戻ってからは病院が「ええっ?」と相当驚いたほどの回復力で、3週間で「完治して退院」しました。 それから約10年後、やっと正確な症状名が出ました。アスペルガー症候群といい、ざっくり言っちゃうとIQの低くない発達障害です。生まれつきだったんです。 年齢的にも、結婚は諦めた方が良いと言われました(過度のストレスになるため)。 それで自分の生き先をどうしようと考えました。 父が先日、70歳で定年退職しました(60代は高齢者雇用の企業にいました)。母も68歳、どちらもいつどうなるかわかりません。 母は奄美諸島の出身です。母もうつ病(今は不眠症だけが強く残ってるだけですが)で同じく自殺未遂経験者です。 母は、今は亡き祖父母や曽祖母を信仰しています。この時も「まだおまえは来るなって声が聞こえたの」と言ってましたし、65歳で体調を崩し仕事を辞めた時も「もう休め」と聞こえたといいます あくまで本人が主張してるだけですが、話を聞いていて「ああ…私もそうしたいな」と思いました。 「生まれつきの問題児」で迷惑をかけたし、今も養えてあげられないから、色々差し引いても両親には感謝しなくてはいけません。 今東京郊外のベッドタウンに住んでるので、もし親が他界したら、できれば近郊の霊園で(原付と車の免許別々に取れました)、質素な代わりに私でも清掃できるようなお墓が良いな…と思ったり (母もむしろそうしてと言ってます、末男・末女同士なので、本家の墓には入れないし遠すぎます)。 もっとも、兄がいるので要相談ですが。 質問主さまの存在、魂は、こういう形で「生き続ける」ことができるのではないでしょうか。 私はー…きっと、良くて生活保護、悪くてホームレスの老後が待ってるでしょうね、質問者さまのお年頃には。やはりまだ死にたいと思うと思います。命に関わる病気になったら「ラッキー!」と思うかも。 でも質問者さまには私のようになる心配はないだろうし、時間とお金の許す限り、やりたいことをやって「我が一生悔いなし」と飽きるようになれば少しは怖くなくなるかも…? 「問題児」を克服したくて、とある通信制短大を先月卒業したばかりですが、60代半ばで通われてた方いましたよ。 これで最後にしますね。 質問者さまは私なんかより文章のうまい方だなと思いました。 ご自身の生きた証、思考、人生などを文章にされるのはどうでしょうか? もちろんちゃんと印刷して冊子にするのです。電子データとしても残して。 一度死にかけた身でも、死んだらどうなるかわかりませんでしたから。 形に残しておけばご家族や友人知人が、質問者さまの「生きた証」に触れられますから。 長文駄文ですみません。 深く考えすぎて、恐怖症にならないことを祈ります。

toranekodaisuki
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 自らの壮絶な半生を綴っていただき、本当に感謝しております。ご回答者様は、魂と呼んでおりますが、私の言う意識と同じ意味だと思います。祖父母から、親、自分、そして、子供たちへと、受け継がれていく連綿とした何か。そのようなものを魂というのでしょうか。もちろん、その通りだと思うのですが。私が言っているのは、そのようなことというよりも、生から死へと、進んでいく過程の中で、私の意識が物理的にいったい、どうなっていくのか?何か意識という未だ未知の物質が人間の体のどこかに存在しており、死をきっかけに人間から離れていっているのではないのか。そのように考えている、というより、考えたい、のです。

関連するQ&A

  • 「死後の世界」に疑問を抱いています。

    ここ最近はもう結論づいているんですが、過去に死への恐怖に怯える日々を過ごしていました。主に理由は「死ぬことによる己の自我の消滅への恐怖」。諸説(天国地獄・輪廻転生etc)ありますが、一番現実的である死の消滅=無を直視すると確かに怖い。でも、私自身物事を宇宙規模で考え自分の生まれた理由を考えている内に死への恐怖より生に対する喜びに浸る事で満足しようと言う所に結論づきました。「来世があるなら来世も楽しもう」「天国が有るならそっちに行ってから考えよう」…そう思うのですが、いざ考えてみると輪廻転生と死後の世界どちらとも1つずつ分からない所があります。 まず、輪廻転生に関して。輪廻転生は俗にいう「生まれ変わり」ですよね。それはそれで良いんですが、人間は輪廻転生し続ける…即ち、永遠に→生→死→生→死→を繰り返す訳ですよね。それでは生命の存在の意味自体に疑問を抱きます。それこそ、ファンタジックに別次元・パラレルワールドに移動するならまだしも同じ世界をただ永遠に生まれては死にを繰り返すのは少し酷では無いでしょうか?それこそ、輪廻転生による魂の移動をし続けるよりは一点に留まらせ続ける方が達観出来るし、生命の神秘を紐解くには有利な気もします。 次に死後の世界に関して。死後の世界…私の知る知識では死後、人間界での罪の量によって行ける世界が変わる… そこはまだ分かりますが、その死後の世界に「死」と同等の恐怖が無いわけですよね? 己の消滅に対する恐怖が。そうなるとすると少なくとも人間界がある地球が存続できる150億年はその世界で暮らし続けなければいけないんですよね?本当に死後は永遠を彷徨わなければいけないのでしょうか?  皆さんのご意見をお聞かせ下さい。

  • ううう。死の恐怖が厳しい。

    ううう。死の恐怖が厳しい。 産んだばかりに!私が恐怖に苦しまないといけない!!産んだばかりに!!! 死の恐怖! 永遠の無!! 絶対の無!!! 恐怖!恐怖!恐怖! なぜ、罪もない人に、こんな恐怖を与える! つらい、つらい、つらい~ なぜ!なぜ!!

  • 「生まれ変わり」を信じますか?

    生まれ変わりを信じている人というのは、究極的には「死」への恐れ、 つまり、永遠に「無」になるということが耐え難いということだと思います。 今ここに存在している自分というものが永遠に残って欲しい、という 淡い期待が「生まれ変わり」という考えを生んでいるのでしょう。 前世の記憶を持っている子供というのが脚光を浴びたりしています。 しかし、そういう子供というのは希な存在であり、ほとんどの人は 自分が生まれる前のことなど、全く憶えておりません。 百歩譲って、生まれ変わりがあったとしても、生まれ変わる前の意識というのは 完全にリセットされているはずで、そのような状態で生まれ変わったとしても、 この今の私の意識というのはこの世から消え去り、無になるのは変わりは ないのでは?と思うのです。 「生まれ変わり」あなたは信じますか?

  • 死が怖いです

    人はいずれ死にます。それはどうしようもない事だと思います。 ですが、その事を考えると異常に怖くなります。 僕は特に宗教などは信じていませんので、 人は死んだら無になると思っています。 ていう事はこの無が永遠に続くわけですよね。 永遠にもう意識が手に入らないわけです。 それを考えると恐ろしくてたまりません。 なのでなるべく死については怖いので考えないようにしてるのですが、 時々ふと考えてしまうと異様な恐怖に襲われます。 どうしたらこの恐怖がなくなるでしょうか。 ちなみに21歳の男です。幼稚な質問でしたら申し訳ありません。

  • 死の恐怖の克服は

    私は20代ですが、身近な者が急死して以来、「自分もいつか死ぬんだ、それも突然かも知れない・・・」という恐怖が大きくなってきて困っています。 基本的には、健康な人間であれば、誰しも死ぬのは嫌だと思いますが・・・。 その身近な者の死後しばらくは精神科にかかっていました。通常の生活に戻るにつれ、忙しくてそんなことを考えていられなくなったのですが、根本的な恐怖はもちろん解決せず、ふとした時に恐怖に駆られます。 私は、死というのを、生まれる前の状態に戻る事と思っており、この認識をかえるのはかなり難しいと思います。その上で、自分という意識が消え去る(永遠に続くのもまた怖いですが)、宇宙もいつか消滅するなどと考えてすごく恐ろしくなってしまうのです。 これは、年齢を重ねて「生きている内やることはやったぞ」という充実感を得たり、「生きるってそんな良いものじゃないな」というような目にあったりして、自然になくなって行く恐怖なんでしょうか。 満足して亡くなった方のお話など聞けば落ち着くんでしょうか?

  • 死の恐怖について

    「自分が死ぬ」 ことの恐怖を覚える人は多いと思います。 ・「自分の死」の何をおそれますか? ・一般的には何を持って「死の恐怖」と言われていると思いますか?  心理学的にいわれていることもお願いします。(専門の方がいらした ら)                  私が感じる恐怖は、肉体的な痛みや苦痛です。 ですので一番おそれる死に方は、火に巻かれた末とか、拷問の末とか、長い苦痛を伴う闘病の末などです。私にとって「死の恐怖」とは「痛い死に方」のことです。 この世に自分がいなくなることには恐怖は感じません。 できれば、立つ鳥水を濁さずが望ましいですが、死んじゃえば関係ないか・・・とも思います。 わざわざ「死」を扱って、話す方や本を書かれる方などは「人は自己の消滅」に恐れを抱く・・・ことを一般論のように語られている方が多い気がします。ホントにそうなのでしょうか?一般論なのですか? その辺の豪快なおばちゃんたちは「死んだらな~んにもないんだから楽しく生きればいい」「子供の世話になっては死にたくないね~」こっちの方が一般的だと思うのですが。 やり残したことへの未練ならばわかります。でも手を付けているところまでです。今の企画書、とかあさって孫が生まれるから見たい、とか。 ご意見お願いしますm(__)m

  • 前世と来世

    前世や来世というものがあるんだと信じたいんです。 それって逃げですか? 生まれ変わりがあると思うと、現世が気楽に思えてきます。 この人生を手抜きするというわけではありません。 次に繋がると思うと、死んで終わりと思うより、自分には意欲が湧きます。 それでも宗教に依存した人間には好感を持てません。 スピリチュアル・魂は信じたい。でも、宗教観はありません。 おかしいですか? 自分が聞きたい事は、魂・輪廻転生があるかどうかです。 前世・来世・輪廻転生があると信じている方、お願いします。 説得力のある仮説をお聞かせ下さい。

  • 哲学と死の恐怖の克服について

    私は小さなころから死が怖いです。 死について考えると、世界が何の根拠もないものに思えて、 日常生活というのは全て無意味な勘違いで、私にわかることなんて世界にひとつもなく 私に与えられる意味や価値なんてなにもなく、ただいつか消えてしまうのだと思うと恐ろしくてなりません。 そのような思いがあり、哲学は何かその恐怖を克服するヒントになるのではないかと考えて 大学では哲学をしようかと思ったのですが、一回生次の授業で教授が何をいってるのか全くわからず (ギリシャの人達は魂をどうの、というような話をしていたとおぼろげに覚えています) 諦めてしまいました。 しかし、このまま生きていって「社会人としての充実した生活」のようなものを送っても その先に死の恐怖の克服がある気が全くせず、やはり自分は何かをしなければならないとおもい、 再び哲学に関心をもっています。 そこで質問なのですが、 (1)哲学と死の恐怖はどのような関係にあるのでしょうか。 大学での授業はギリシャからはじまったのですが、ギリシャ人の思考は私が死の恐怖を克服するために役にたつのでしょうか。どのように役にたつのでしょうか。 もしそれが死の恐怖の克服に役に立つのであれば、今度はちゃんと取り組んでみたいと思います。 はじめから死の恐怖を克服するという目的をもって取り組むことは真実を探求する学問とは相いれないような気もして それなら潔く哲学ではなく宗教に取り組んだ方がいい気もしています。 (2)死の恐怖を克服した哲学者はいますか 若い時は死の恐怖で発狂しそうになったけれども晩年は安らかに死んだ そういう哲学者としてはどんな人がいますか。 (3)今死の恐怖と取り組んでいる人としてはどんな人がいますか 中島義道という人や森岡正博という人の本にははっきりと、自分は死が怖くてその克服のために哲学をしていると書いてあったように思います 他に、そういうことを言っている哲学者はいますか。 (4)最後に、こういう私にお勧めの書籍などあれば教えていただければと思います。 よろしくお願いいたします。

  • 死ぬことへの恐怖、どうにもならない時があります。

    生きている限りいつか死が訪れることは仕方ないことだとはわかっているのですが、 いつか自分がこの世から去り自分自身の記憶もいつかはなくなってしまうと思うと とてつもない恐怖に駆られどうしようもなることがあります。 スピリチュアルな本にはなくなってからも記憶はあり、魂は永遠とありますが、 では、なくなってからもものを考えたりできるのか、自分自身が自分自身であるという 認識はあるのは、それも含めて永遠なのかが分からず、心底やるせなくなることがあります。 同じようなことで悩まれた方、こう考えるようにしているという方、どんなことでもかまいません。 コメントいただけると有難いです。

  • 死について

    この掲示板でも「死について」の投稿、回答を多数拝見しましたが、私の思いを投稿し、改めて皆様の意見、考えをお聞きしたいと思います。 夜寝る前や、ふとした時に「死について」考えた時にとてつもない恐怖心に襲われます。 ・死ねば意識は無くなり完全な「無」になる ・自分もいつか必ず死ぬ。100%その時は訪れる。 自分にも必ず訪れる「無」が怖いです。 人類、何百万年の歴史と、これから過ぎて行くであろう何百万年の未来。自分が生きている100年などほんの一瞬で、それ以外は全て「無」。 まぁ、「無」になれば時間の感覚も何も無いので関係ありませんが。(笑) 答えは見えてて、「人生を楽しく悔い無く生きる」事です。 それしかありません。 何人かに話しを聞きましたが、死への恐怖心を「持っている人」と「全く持っていない人」に大きく分かれます。 「全く持っていない人」は死について考えた事が無い人が多いようです。ある意味、羨ましいです。(笑) 人生すごく幸せで、特に悩んでいる訳ではありません。 皆様の考え方、意見をお聞きしたいです。

専門家に質問してみよう