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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:死の恐怖を克服すること)

死の恐怖を克服する方法とは?

Nakay702の回答

  • Nakay702
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回答No.7

以前、随想まがいの雑文を書いたことがありました。ご質問の内容と幾分か共通する部分がありますので、半分ほどに縮小したものを下記いたします。  私は死ぬのが怖い。  人間の脳には一生に一度しか働かないところがあるという。大脳の側面にある小さな間隙「シルビウス裂」と呼ばれる部位である。で、一生に一度というのがいつかというと、それが何と人生の最後の一瞬、つまり死を迎える時なのである。完全に死んでから生き返った人はいないので定かではないが、生から死へ渡って行くその間に、人間はえも言われぬ恍惚境を体験するものらしい。死の途中まで行って生き返った人たち、つまり九死に一生を得て奇跡的に黄泉の国の戸口から戻った人たちの話を要約すると、ほぼすべてに大同小異共通することであるという。その臨死体験における恍惚境の存在が、くだんのシルビウス裂の作用によるものであると推測される、というわけである。  その次第は、例えばこうである。「暗闇の中に一筋の光明が見えるのでそれを目指して進んで行くと、急にパッと視界が開けて一面に美しい花の咲き乱れる場所に出る。花園の彼方には小川が流れており、その彼岸には先に逝った親類縁者がいてこちらを見ている。彼らの和やかな表情や周囲ののどかな雰囲気に誘われて彼岸へ向かって進みかけると、お前はまだここに来てはいけない、帰れ帰れ、と手で合図するではないか。それで仕方なく戻ってきたのだが、その時の自分としては先へ進みたかった。なぜなら、そうすることが気持ちよかったから。それはそれは快適で、のどかで、うっとりするような状況であった。云々」 (…)それでは、そのシルビウス裂とはいかなるメカニズムによって作動するのであろうか。もちろん推測の域を出ないが、これはおそらく『コンセントに差し込んだ非常灯』のように、周囲の活動が停止した時に初めて作動するような仕組みになっているのに違いない。すなわち、シルビウス裂は一番最後に死ぬか、自家発電ないし蓄電機能を備えているかのどちらかである。私は大脳生理学などに関してはまったく無知なので、ぜひその道の専門家にお尋ねしてみたいところである。 (…)しかし、うっとりするような恍惚境がある一方で、断末魔の苦しみがあるということはどう説明されるのであろうか。推測するに、断末魔の苦しみはすなわち肉体の苦痛であり、肉体の苦痛はそれを感じる主体すなわち脳が活動を継続していて初めて苦痛として感知される。要するにその段階では脳は生きている。したがって脳に死因のある場合を除いて、通常は断末魔が先で、それに恍惚境が続くと考えられる。つまり生と死の接合部は二つのスペースに分かれており、生に近い側に断末魔が、死に近い側に恍惚境がある、ということになる。  では断末魔の存在理由は何か。また推測を重ねるが、生の崩壊が始まったばかりの段階では、いろいろな程度に蘇生の可能性がありわけで、そこで神は、肉体的苦痛という形で当人に回復・蘇生を促している、と理解することができよう。肉体がさいなまれる時、人は神の心知らずでこの上なく神を憎むが、一方神は当人の闘争心を鼓舞すべく、心を鬼にして「戻れ、戻れ、戻れ!」と叫ぶのである。神が「もはやこれまで。組成の可能性なし」と見た時は彼を速やかに恍惚境へといざなう、のである。  例えば凍死の過程を見ると、始めは激しい肉体的苦痛に襲われるが、それを過ぎると今度は一転睡魔がやってくる。脳死の始まりである。例の恍惚境の体験はここでなされる。脳死の進行過程も、おそらくは肉体により近い菱脳に始まり、次いで小脳や中脳・間脳へと移っていくのではないかと推測される。そして最後に、大脳の残りの部分―例のシルビウス裂の所在部位が活動を停止する時に、生のすべてが終焉し、死が完了する。シルビウス裂は、つまるところ、魂が肉体から遊離する時のへそであり、『魂の通り道』なのである。  死期がそう遠くないと予感する私は、これで幾分か死の恐怖から開放されたような気がする。(…)しかしそれでもなお、私は死ぬのが怖い。

toranekodaisuki
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 広い見識と深い洞察。とても興味深く読ませていただきました。死の直前の強烈な痛み、苦しみ、そして、そのあとに続く、うっとりするような恍惚境。あまりにも出来すぎており、計算しつくされています。今更ながら、神の存在を信じざるを得ませんね。

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