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1919年朝鮮における三一運動について
日本統治時代の朝鮮半島で、1919年三一運動が起きました。 この運動の指導者の民族代表33人の内、16人は基督教の指導者でした。 当時朝鮮での基督教宣教は主に米国人と英国人の宣教師によって行われたでしょう。 そこで私が疑問に思ったのは、その当時朝鮮半島で基督教徒は現在と違いあまり多くなかったにも関わらず。基督教会が三一運動の主要な原動力になったことの背景には、米国による基督教会を利用した朝鮮民族対日離間工作があったのではないかということです。つまり三一運動とは米国が朝鮮半島で意図的に反日運動を作り出し、日本の勢力を抑制し、米国の東アジア進出を容易にしようとの謀略だったのではないかというこです。 以上のような三一運動と英米政府及び軍部の関与に詳しいかたご教授ください。 またこのような意見は韓国では出てないですか?
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- DieMeute
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No.4です。補足にあった部分について幾つか・・・ >西洋人が日本政府に対しそこまで神経質になっていたかは疑問です。 回答・・・朝鮮における教会の政府への配慮は日本がまだ朝鮮を保護国化する前の大韓時代から行われています。1901年に朝鮮の長老派では長老派公会議が開かれ、そこで五カ条が決められ教会に通知されました。簡単にそれを書くと・・・ (1)宣教師は政府、官権に対して一切干渉しない。 (2)教会は国の事を話し合う場でも国の事に干渉する場でもない。 (3)官権には服従し国の法をすべて遵守する。 (4)教会員が国の事に関わり、そのため過ちを犯しても教会が責任を持つ事も救済する事もない。 (5)教会施設で国の事で話し合うために集まる事はできないし、宣教師の部屋で話し合う事もできない。 監理教(メソジスト)も政治に干渉する気はありませんでした。1905年に朝鮮が日本に保護国化された時、教会青年部が反日運動組織になってしまいました。その時には、教会の目的を変質させ政治集団になったとして宣教師が解散させています。 他にも救世軍ではその機関紙に、何であろうと政治に干渉はできないし、政府の政治に混乱を起こす事はできないとあります。 つまり長老派や監理教などは布教においては政教分離の方針で臨み、現地政権を尊重しながら布教するという方針だったのです。 問題が起きた場合、確かに米国など列強の力で圧力をかけ事態の改善を図る事はできます。しかし、その問題が解決するまでに出る犠牲者の事も考えねばなりません。 朝鮮では1866年にキリスト教徒の大弾圧があり2万3000人いたキリスト教徒のうち、8000人の信者とフランス人司祭9人が犠牲になりました。キリスト教も禁止となります。その結果、20年以上経った1890年でもキリスト教徒は約1万7000人しかいないという事態に陥りました。 せっかく布教し信者を増やしても現地政権と対立すれば、その成果の多くを失い貴重な生命が失われる場合もあります。それよりは現地政権と手を結んだ方が、問題も犠牲も少なく信仰を広める事ができます。 なお、3.1運動の時には、圧力という意味ではあまり米国政府は宣教師の力となったとは言えない部分もあるようです。 3.1運動の時、オーストラリア人宣教師2人が逮捕されたり、英国人宣教師が憲兵隊に暴行を受け連行されたり、米国人宣教師が逮捕されたり、教会施設に憲兵隊が立ち入るなどしたため、駐ソウル米国領事館の領事に、宣教師達が官憲の取り締まりに対処してほしいとか、なぜ米国政府は動いてくれないのかと苦情を申し述べています。 それへの返答は「目下考慮中」でした。この返答に不満な宣教師達の間からは本国に直接訴えて領事を更迭してもらおうという声もあがったようです。 ただ、領事には本国から3.1運動について命令が届いていました。それは、米国が朝鮮独立運動を援助すると朝鮮人が信じるような行動はとらないこと。米国政府が朝鮮独立運動に同情していると日本政府に疑念を抱かせるような事はしない事というものです。 また4月に米国の新聞に載った国務省の記事には、朝鮮における暴動に対しては数週間前に英国が鎮圧したエジプトにおける暴動に対してと同様に臨むつもりであり、また米国政府はフィリピンにおける反乱は米国が解決する問題であり、いかなる外部からの介入も激しい憤慨を呼ぶのと同様に、朝鮮問題を日本の国内問題と捉えていると出ています。 つまり米国は朝鮮問題に対し外交的には一環して日本の国内問題として捉え口を出す気はないとう姿勢を見せていますし、それは外国の植民地に対して同様の姿勢であり、さらにはだから自国の植民地にも口は出すなという姿勢のようです。 >西洋人宣教師が三一運動を前もって知らなかったとは、なかなか私には考えにくいです。 朝鮮指導者のみで独立運動を計画し、あえて西洋人宣教師に対して秘密にする理由があるのでしょうか? 回答・・・西洋人宣教師は必ずしも朝鮮独立運動の立場に立つ者ではなく、微妙な位置にいました。 1906年に伊藤博文が初代朝鮮統監に就任していますが、当時、朝鮮と日本を管轄し監督する立場にあった監理教のハリス宣教師はこの事を歓迎しています。この人は親日家で朝鮮の日本軍慰問に来たりしています。そして、その考えは朝鮮より早く近代化した日本が朝鮮人を導くべきという認識でした。 日本による朝鮮の保護化について、ケーブル宣教師という人は報告書に「不法と不正の秩序が改善され政治的無能と腐敗が清算され、日本の力強い統制の下で新政府が組織されれば全ての人に正義ある行政と施し、平和と福祉が確立するだろう」と述べています。日本の朝鮮統治を歓迎する宣教師もいたのです。 しかも伊藤博文は宣教師を朝鮮統治に利用しようともしており、「政治は私が、朝鮮での精神的啓蒙はあなた達がうけもって下さい」と宣教師達に述べ、朝鮮統監の予算から宣教費として毎年1万円を寄付します。 布教の邪魔をしないどころか援助までしてくれる日本の朝鮮支配は宣教師にとり歓迎すべきものでした。 それに米国は乙巳保護条約を支持するなど親日的です。 しかし、それは朝鮮独立を望む朝鮮人からは不満な事でした。日本について友好意識を持つ西洋人宣教師達に朝鮮人信徒の不満は高まっていきます。前述したように長老派、監理教などの教会では政治への干渉も認められておらず、これも不満を助長させます。 この不満の高まりについて長老派や監理教では「状況は深刻」と捉えられるようにまでなっています。 つまり、朝鮮人の独立心は無視できないが、本国は日本寄りの姿勢を見せているし、日本も布教に寛容どころか寄付までしてくれており、どちらの立場にも立てない微妙な立場に宣教師達は置かれていました。 そして政教分離という方針により政治に口出しも行動もしない西洋人宣教師達に、朝鮮人信者達も一歩退いた位置にいました。だから3.1運動について積極的に宣教師に話す朝鮮人信者はいませんでした。 >実際に運動に参加した民衆の中では、どの宗教の信者がとくに多く参加したのか興味があります。 回答・・・詳しくは知りませんが、逮捕された者のうち約17%がプロテスタントだったそうです。 >加えて三一運動の指導者の中にカトリック(天主教)の指導者がいないことも、違和感を感じています。 回答・・・確実なところはわかりませんが、天主教だけでなく、英国プロテスタント系の「救世軍」などの比較的、勢力の小さい宗派の代表の名前もありません。もしかしたら首都周辺の大きな勢力だけが参加したのかもしれません。もしくは合意に至った組織だけが参加したのかもしれません。 大韓帝国皇帝の葬儀に会わせ3.1運動は計画されましたが、皇帝の死から葬儀までは限られた日数しかありません。 インターネットどころか電話も無い時代であり、現代のように交通機関も発達していません。朝鮮全土の宗教・宗派代表を集め、合意に至るというのはかなり厳しいものがあると思います。 ちなみに天主教は1866年の大弾圧以降、迫害から逃れるため地方に行った者も多いそうでソウルより南の地域に多かったそうです。また、フランスはアフリカに植民地を求めたり、中国に利権を求めたりするのに忙しく、ロシアや日本が朝鮮に進出して来た時にはあまり朝鮮に力を入れていませんでした。3.1運動の時、朝鮮にいたフランス人は商人も含め81人だったそうです。 >私が推測するかぎり欧米列強が謀略を日本に知られるのを恐れるとは思えません。 謀略が明らかになって国家間の対立が決定的になっても、それはそうなったら戦争で解決すればよいと開き直るのではないでしょうか? 回答・・・優先順位とタイミングの問題だと思います。 当時は第一次世界大戦が終わったばかりで、西欧の各国は疲弊していました。 例えば英国では72万人が戦死しました。それに加え1918年よりスペイン風邪が流行し英国では22万人が死亡します。米国からの借り入れは40億ドル以上にもなり赤字財政です。その上、植民地では暴動がおき鎮圧しなければなりません。 敗戦国からは賠償金と植民地の割譲を得ますが、植民地には軍を派遣しなければなりません。それに、共産主義を食い止めるため対ソ干渉戦争をしています。 米国も英国ほどではありませんが10万人の戦死者とスペイン風邪で55万人が亡くなりました。経済的には余裕がありますが、対ソ干渉戦争のため軍をロシアの北と東に派遣しています。 ここで日本に陰謀を仕掛け大きく成功すれば、下手をすれば対ソ干渉戦争から脱落するのは日本という事になりかねません。それで喜ぶのはロシアの共産主義者であり、その分、不利になるのは対ソ干渉戦争で戦っている米英仏軍です。 ましてや、日本に陰謀がばれ戦争になったとして、シベリアにいる英米軍は全滅するか捕虜になるかです。その場合も共産主義者を喜ばせるだけでしょう。 ただでさえ第一次世界大戦で大きな被害を出しているに、さらに敢えて味方の軍隊を危険に曝し、共産主義者に有利な謀略を仕掛ける時期なのか、私は疑問に思います。 まずはロシアの共産主義者を叩く方が先ではないかと思います。
- nogul2n
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難しいことは知りませんが、三一運動とキリスト教といえば「2.8宣言」が思い出されました。「2.8東京宣言」とかともいいます。 1919年2月8日、東京に留学していた朝鮮からの留学生たちが東京の在日本YMCAに集まって朝鮮の独立宣言を読み上げたものです。 朝鮮から日本本国に留学に来ていた留学生たちは本土全土で極めて小規模な抗日活動を行なっていましたが、東京地域の留学生たちがキリスト教という横の繋がりを利用して集まって行なった動きです。 この2.8宣言は横の繋がりを伝わってすぐに朝鮮へ知らされ、三一独立宣言へとつながったとされています。 在日本韓国YMCAは今も、2.8宣言が3.1独立宣言の導火線になったとして2.8宣言の歴史を誇らしく思い、自慢しています。毎年2月8日には水道橋から徒歩7~8分のところにある韓国YMCAでは2.8宣言を記念する集会が開かれています。今年も開かれました。 (ちなみにこのYMCAでは現在もさまざまな集会が行なわれています。在日韓国人の人権集会、辛淑玉女史の講演会、・・・・、最近は、反原発集会などが開かれています。1度足を踏み入れてみてください。) 抗日の動きや情報がキリスト教の横のつながりを通じて素早く伝わったという事実はありそうです。
お礼
回答有難うございました。 揚げ足取りのようですが、当時日本領の朝鮮半島から来た朝鮮人 学生を「留学生」と呼ぶのは少々変ではないですか?
補足
>東京地域の留学生たちがキリスト教という横の繋がりを >利用して集まって行なった動きです。 私はあなたの「2.8宣言」の経緯を読んで日本本土で英米人が朝鮮人学生を扇動してたのではないか?という疑惑が生じてきました。
- mekuriya
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>当時の朝鮮半島で基督教会は全国的な組織と言えるほどの 勢力があったのでしようか? 「全国的な」というのは「地方の」「ローカルな」の反対語としての意味しかありません。勢力の大きさとは全く関係ない。単に物理的な空間の大きさを表現しているだけです。当時の朝鮮半島に全国的な組織があったとすれば、それは教会以外にはないといっただけです。もし外国が朝鮮民族対日離間工作を行うとすれば、それは組織づくりしかありません。そもそも工作の対象となる組織がないのではどうしようもない。例えば、日本共産党はソ連の資金援助で設立された党です。工作とはそういうものなのです。としても三一運動は、個人的に関与した外国人がいたとしても、それが組織だった外国の工作だったとは私は考えていません。
お礼
回答ありがとうございました。
補足
>当時の朝鮮半島に全国的な組織があったとすれば、それは >教会以外にはないといっただけです。 当時の朝鮮民族が民族主義運動を起こすのなら、私は基督教会よりも仏教寺院の方が適している気がします。 >例えば、日本共産党はソ連の資金援助で設立された党です。 >工作とはそういうものなのです。としても三一運動は、個人的 >に関与した外国人がいたとしても、それが組織だった外国の >工作だったとは私は考えていません。 日本や朝鮮の基督教会の多くは米国の資金援助で建てられました。秘密裏に対日工作をするには基督教会は適した組織だと私には思えます。
- DieMeute
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>謀略だったのではないかというこです。 回答・・・その可能性は低いと思います。それは以下の理由から・・・ (1)当初、日本も3.1運動の裏には米国人宣教師がいるのではないかと疑っており、何人かの宣教師も逮捕されています。 しかし、朝鮮総督府の調査では、そのような形跡はなく、外国人宣教師が暴動の発生について事前に知っていたり、指示を与えていた証拠は無いとの調査結果が出ています。 (2)3.1運動を主導したとされる民族代表33人には流血を伴う暴動を起こす気は無かったそうです。暴動が起きれば、より過酷な弾圧を招きかねず、列強各国の反応もマイナス方向に動くかもしれず、そのため集会を開いて独立宣言書を読み上げ、それを日本やアメリカに送り平和的に集会を終了させるという意向だったようですが、意図に反して実際には大きな暴動に発展してしまったという事のようです。 (3)朝鮮の人々はウィルソン大統領の「民族自決」の提唱に刺激を受け、アメリカに朝鮮独立の働きかけをしていますが、アメリカはこれを認めませんでしたし、秘密交渉で、内々に独立を支持するというような取引きもしていません。日本の勢力を抑制しようとするのなら、朝鮮の独立運動を刺激するのが一番だと思いますが、外交的にはそのような姿勢は見られません。 (4)駐ソウル米国領事館から米国宣教師に朝鮮の政治問題に介入しないよう注意が出ています。 なお、この駐ソウル米国領事館から本国へ「外国人宣教師は独立運動を好意的に見ておらず、日本の保護国化以前の状態に朝鮮が戻るのは無益だと考えている」という報告が出ています。 また当時、朝鮮で唯一の英字新聞「ソウル・プレス」には、朝鮮総督府の下で朝鮮人の生活は向上しており、米国人宣教師は朝鮮独立を支持するほど愚かではないという記事が出ましたが、これについても駐ソウル米国領事館は本国に「概ね正しい」と報告しています。 (5)宣教師側も朝鮮の政治問題に介入する気はありませんでした。 当時の朝鮮の人口は約1726万人であり、キリスト教徒はそのうち30万人でしかありませんでした。 政治問題に介入して日本政府と対立し、これまでの布教の成果を失う事や、以後の布教活動に支障が出る事を恐れていたからです。 (6)3.1運動の主導者達は殆どの外国人宣教師達に3.1の計画を秘密にしていました。 唯一の例外がカナダ出身で医師でもあるスコーフィルード氏です。知人の朝鮮人学生の一人が数日前に独立宣言書を渡し、米国に送って欲しいと依頼しています。 また、民族代表33人の一人でありスコーフィールド医師の勤める病院の事務員でもある李甲成が3.1当日の朝に、スコーフィールド氏の許を訪れ、自分達はカメラを持っていないので、撮影をして欲しいと依頼しています。 (7)民族代表33人の中にキリスト教の指導者が多数いた事は事実ですが、3.1運動における各界の代表の集結案は天道教から出されたものであり、天道教の指導者達が積極的にキリスト教指導者や仏教指導者に接触しました。 ちなみに当時の天道教の信者数はキリスト教信者の10倍の300万人であり、3.1運動において印刷された独立宣言書2万枚以上も天道教の印刷所で印刷されたものです。 こうした事情を鑑みると3.1運動は必ずしもキリスト教指導者が主導したと言えるかどうか、疑問符がつきます。 (8)当時は日本とアメリカとイギリスは共同でシベリア出兵中です。このシベリア出兵についても日米で対立があったのは事実ですが、アメリカ軍、イギリス軍がシベリアにおり、しかも日本軍が圧倒的多数の兵力を派遣している状況で危険な謀略を駆使するものかどうか・・・下手をして謀略が日本にバレ国家間の関係が悪化した場合、下手をすれば米国軍、英国軍はシベリアで孤立するという事にもなりかねません。そのような危険を敢えて犯してまで謀略をするようなタイミングでしょうか。 こうした事から謀略の可能性は低いと考えます。
お礼
大変詳しく、多くの情報をありがとうございました。 また幅広い考察力に脱帽致します。
補足
>(1)当初、日本も3.1運動の裏には米国人宣教師がいるのは >ないかと疑っており、何人かの宣教師も逮捕されています。 >しかし、朝鮮総督府の調査では、そのような形跡はなく、外国 >人宣教師が暴動の発生について事前に知っていたり、指を >与えていた証拠は無いとの調査結果が出ています。 朝鮮総督府が米国人宣教師の三一運動に対する関与を疑っていたとは初耳です。 >(2)3.1運動を主導したとされる民族代表33人には流血を伴う >暴動を起こす気は無かったそうです。暴動が起きれば、より過 >酷な弾圧を招きかねず、列強各国の反応もマイナス方向に動 >くかもしれず、そのため集会を開いて独立宣言書を読み上 >げ、それを日本やアメリカに送り平和的に集会を終了させると >いう意向だったようですが、意図に反して実際には大きな暴動 >に発展してしまったという事のようです。 独立宣言書の内容自体は日本に対してそれほど攻撃的でなかったようですね。 >(3)朝鮮の人々はウィルソン大統領の「民族自決」の提唱に刺 >激を受け、アメリカに朝鮮独立の働きかけをしていますが、ア >メリカはこれを認めませんでしたし、秘密交渉で、内々に独立 >を支持するというような取引きもしていません。日本の勢力を >抑制しようとするのなら、朝鮮の独立運動を刺激するのが一 >番だと思いますが、外交的にはそのような姿勢は見られませ >ん。 表面上は米国の三一運動に対する干渉はないですが、隠された干渉はなかったのかと私は疑問を持っています。 >(4)駐ソウル米国領事館から米国宣教師に朝鮮の政治問題に >介入しないよう注意が出ています。 >なお、この駐ソウル米国領事館から本国へ「外国人宣教師は >独立運動を好意的に見ておらず、日本の保護国化以前の状 >態に朝鮮が戻るのは無益だと考えている」という報告が出て >います。 >また当時、朝鮮で唯一の英字新聞「ソウル・プレス」には、朝 >鮮総督府の下で朝鮮人の生活は向上しており、米国人宣教 >師は朝鮮独立を支持するほど愚かではないという記事が出ま >したが、これについても駐ソウル米国領事館は本国に「概ね >正しい」と報告しています。 米国領事館の米国人宣教師に対する注意が出ていたというのは興味深いです。 米国政府が朝鮮の独立運動とは距離を置いていたと言える根拠になりますね。 >(5)宣教師側も朝鮮の政治問題に介入する気はありませんで >した。 >当時の朝鮮の人口は約1726万人であり、キリスト教徒はその >うち30万人でしかありませんでした。 >政治問題に介入して日本政府と対立し、これまでの布教の成 >果を失う事や、以後の布教活動に支障が出る事を恐れていた >からです。 西洋人が日本政府に対しそこまで神経質になっていたかは疑問です。 仮に西洋人宣教師と日本政府が対立しても、西洋人が本国政府を後ろ盾にして日本政府に圧力をかけることは可能でしょう。 >(6)3.1運動の主導者達は殆どの外国人宣教師達に3.1の計画 >を秘密にしていました。 >唯一の例外がカナダ出身で医師でもあるスコーフィルード氏で >す。知人の朝鮮人学生の一人が数日前に独立宣言書を渡 >し、米国に送って欲しいと依頼しています。 >また、民族代表33人の一人でありスコーフィールド医師の勤 >める病院の事務員でもある李甲成が3.1当日の朝に、スコー >フィールド氏の許を訪れ、自分達はカメラを持っていないの >で、撮影をして欲しいと依頼しています。 西洋人宣教師が三一運動を前もって知らなかったとは、なかなか私には考えにくいです。 朝鮮指導者のみで独立運動を計画し、あえて西洋人宣教師に対して秘密にする理由があるのでしょうか? 三一運動自体が米国大統領ウィルソンの影響を受けた運動であるがゆえに、米国人と比較的接触の多い朝鮮人基督教徒は 積極的に米国人の協力を期待したと考える方が自然でしょう。 >(7)民族代表33人の中にキリスト教の指導者が多数いた事は >事実ですが、3.1運動における各界の代表の集結案は天道教 >から出されたものであり、天道教の指導者達が積極的にキリ >スト教指導者や仏教指導者に接触しました。 >ちなみに当時の天道教の信者数はキリスト教信者の10倍の >300万人であり、3.1運動において印刷された独立宣言書2万 >枚以上も天道教の印刷所で印刷されたものです。 >こうした事情を鑑みると3.1運動は必ずしもキリスト教指導者が >主導したと言えるかどうか、疑問符がつきます。 実際に運動に参加した民衆の中では、どの宗教の信者がとくに多く参加したのか興味があります。 加えて三一運動の指導者の中にカトリック(天主教)の指導者がいないことも、違和感を感じています。 日本でも韓国でもカトリックの布教にはフランスが大きく寄与しており、それに対してプロテスタント教会は米英によって布教されました。 キリスト教の宗派の中で米英色の強いプロテスタント教会のみが三一運動の代表者に名を連ねていることが、 背後に政治的な影響があったのではと私に疑念を抱かせました。 >(8)当時は日本とアメリカとイギリスは共同でシベリア出兵中で >す。このシベリア出兵についても日米で対立があったのは事 >実ですが、アメリカ軍、イギリス軍がシベリアにおり、しかも日 >本軍が圧倒的多数の兵力を派遣している状況で危険な謀略 >を駆使するものかどうか・・・下手をして謀略が日本にバレ国 >家間の関係が悪化した場合、下手をすれば米国軍、英国軍 >はシベリアで孤立するという事にもなりかねません。そのよう >な危険を敢えて犯してまで謀略をするようなタイミングでしょう >か。 私が推測するかぎり欧米列強が謀略を日本に知られるのを恐れるとは思えません。 謀略が明らかになって国家間の対立が決定的になっても、それはそうなったら戦争で解決すればよいと開き直るのではないでしょうか?
- mekuriya
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米国人はともかく英国人の関与は考えられない。近代史においてイギリスと韓国の関わりあいは全くない。1919年時点では日英同盟も機能していたし、イギリスは日本に対して宥和的な姿勢を示していました。韓国初のハングルいよる日刊紙、東亜日報の創刊は1920年。1919年はまだロシア内戦でソ連は発足していない。 三一運動は1918年のポーランド独立に象徴される第1次世界大戦後の欧州の民族自決主義の影響が大きかったとみるべきだと思います。日本で初の全国的農民組合である日本農民組合が結成されたのは1922年ですし、当時の韓国に全国的な組織など教会ぐらいしか無かったというだけの話。 指導能力があるのは、宣教師などごく一握りの人間だけしかいなかったに違いないのです。 韓国の初代大統領にして竹島問題の原因をつくった李承晩がアメリカでロビー活動を展開していましたから、アメリカ人の関与は疑われます。としても、組織的な関与を疑う根拠もないのです。 韓国初の女子大学である梨花女子大学校は1886年米国のメソジスト派宣教師メアリー・F・スクラントンが創立した塾が母体で、1910年に大学科が設置された。 だから三一運動は、学生運動という側面もあるのです。そんなわけで三一運動は必ずしも統制がとれたものでもないし、組織化されたものでもない。たまたまいろんな要素が時期的に絡んだということではないでしょうか。
お礼
回答ありがとうございました。
補足
>米国人はともかく英国人の関与は考えられない。近代史にお >いてイギリスと韓国の関わりあいは全くない。1919年時点では >日英同盟も機能していたし、イギリスは日本に対して宥和的な >姿勢を示していました。 英国政府の日本人と朝鮮人に対する二枚舌外交もありえるでしょう。 >三一運動は1918年のポーランド独立に象徴される第1次世界 >大戦後の欧州の民族自決主義の影響が大きかったとみるべ >きだと思います。 一般的にはそう解釈されることが多いですね。 >当時の韓国に全国的な組織など教会ぐらいしか無かったとい >うだけの話。 当時の朝鮮半島で基督教会は全国的な組織と言えるほどの 勢力があったのでしようか? >韓国の初代大統領にして竹島問題の原因をつくった李承晩が >アメリカでロビー活動を展開していましたから、アメリカ人の関 >与は疑われます。としても、組織的な関与を疑う根拠もないの >です。 米国人が三一運動に関与したという根拠はありませんが、 私は何らかの米国の関与があったのではと思い質問しました。 >たまたまいろんな要素が時期的に絡んだということではないで >しょうか。 米国等の外国勢力の謀略の可能性は低いと言うことですね?
- nacam
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日本支配下の朝鮮において、キリスト教が受け入れられたのは、反日本の宗教としてのためです。 日本による皇民化政策に反発してキリスト教を受け入れたのです。 当時アメリカの長老派教会が、世界中で布教活動を活発化させていた時期であったため、朝鮮半島では、長老派教会が一挙に発展することになります。 そのため、3.1運動では、キリスト教の長老派が行動の先端となります。 つまり、長老派が半日行動を扇動したのではなく、元々日本支配に反発していた人達が長老派を受け入れただけのことです。 だいたい世界史を理解していれば、3.1運動のころはまだ、日米の対立が決定的になっていない時期であることは理解できるはずです。
お礼
回答ありがとうございました。
補足
>日本支配下の朝鮮において、キリスト教が受け入れられた >のは、反日本の宗教としてのためです。 反日本を目的になぜ欧米帝国主義列強の基督教が選択されたのでしょうか? 朝鮮独自の思想や宗教の方が、朝鮮民族を一致団結させるでしょう。 >日本による皇民化政策に反発してキリスト教を受け入れたのです。 皇民化教育が本格化したのはもう少し後の時代でしょう。 >当時アメリカの長老派教会が、世界中で布教活動を活発化 >させていた時期であったため、朝鮮半島では、長老派教会が >一挙に発展することになります。 >そのため、3.1運動では、キリスト教の長老派が行動の先端と >なります。 私は英米の基督教宣教の背後に英米(特に米国)政府や軍部の何らかの影響があったのではという疑問を持っています。 >つまり、長老派が半日行動を扇動したのではなく、元々日本 >支配に反発していた人達が長老派を受け入れただけのことで >す。 日本支配に反発していた人たちが、基督教長老派を通じて英米の政治的影響力を反日運動に利用したということは考えられるでしょう。 >だいたい世界史を理解していれば、3.1運動のころはまだ、日 >米の対立が決定的になっていない時期であることは理解でき >るはずです。 日米緊張の伏線は日露戦争のころからあったと見るべきです。
- suicyo
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韓国では、人民がこぞって日帝に抵抗し、最終的に光復(独立)を勝ち取ったというファンタジーが「正しい歴史」として教え込まれています。これに反する主張をしようものなら「親日派」として糾弾され、肩書のある人なら、その地位を失いないかねません。 三一運動と英米政府及び軍部の関与について直接的に論じたものを見た記憶はありませんが、三一運動が人民がこぞって日帝に抵抗などというものではなく天主教(キリスト教)による煽動にすぎない‥のような主張は、数年前にネット嫌韓で信奉?されていた金完燮が主張していたと記憶します。 金完燮の主張は日本の極右なみに日本を美化しすぎ、キリスト教の嫌悪、歴史の事実誤認も多いので資料として参照するのには躊躇される類のものですが、韓国人による韓国ファンタジー史観への内部告発として注目すべきものです。 なお、アメリカは南北アメリカ大陸と太平洋での利権確立に手間取り、東アジア進出に出遅れたので、日本と列強に対して門戸開放?機会均等?を要求しています。その流れからすればアメリカの視野に朝鮮半島の利権が含まれていたのは間違いないでしょう。ですから、三一運動の背後にアメリカの影というのは、私も大いに可能性アリと疑念を抱いています。日本の敗戦後、太平洋の島々と南朝鮮がアメリカの占領下に入った事実は大きいですね。 日本の近代史を見ると、なんかあたかも問題児の日本が東アジアで暴れまわった‥のようなニュアンスで描かれており、軍国主義と侵略戦争のみが強調されている感があるのですが、東アジア・東南アジアにおける欧米列強vs日本の帝国主義同士の争いという視点から洗い直す必要を感じます。
お礼
回答ありがとうございました。 私は中国共産党によるウイグルやチベットでの民族間離間工作を見て、 今回の質問のような発想に至りました。 ところで韓国及び中国ではカトリックを天主教、プロテスタントを基督教とい分けているようです。
補足
>数年前にネット嫌韓で信奉?されていた金完燮が主張していたと記憶します。 金完燮「親日派への弁明」私も昔読みました。 >その流れからすればアメリカの視野に朝鮮半島の利権が含 >まれていたのは間違いないでしょう 日米の共通の目的は、中国大陸の権益とロシア(ソ連)の南下防止でしょう。 この目的のために日米は衝突しました。 目的が共通なら協力して棲み分けができればよかったのですが、日米は互いに死力を尽くした戦争までして結局大陸では毛沢東が漁夫の利を得て、第二次対戦後は日本に代わって米国が、ロシア(ソ連)のアジアでの勢力抑制に疲弊するはめになりました。
お礼
私の理解を超えた奥深い考察に恐れ入りました。
補足
もしかしたら西洋人宣教師の中でも独立派と親日派の 対立があったのかという気がしてきました。