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憲法51条ってどう解釈すれば?
はじめまして! 「法律」のトビかも知れませんが、議員の事なので、こちらに質問投稿しました。 タイトルの通りですが、憲法の下記条文は、どのように解釈すればよいのでしょうか? 〔議員の発言表決の無答責〕 第51条 両議院の議員は、議院で行つた演説、討論又は表決について、院外で責任を問はれない。 選挙演説・今はやりのマニフェスト・各種発言等々との関連は?
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- been
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困ったものですね。それでは・・・ 独自の価値観に基いて法を解釈するのも個人の自由ですが、法には世間に通用する「決った解釈」というものが存在します。憲法以下の法令を解釈する権限と責任は裁判所、特に最高裁判所に属しており、その判例と相反する解釈は公には通用しません。議員での発言に関する国会議員の責任の範囲について比較的詳しく言及した最高裁判所の判例を紹介するので、熟読してください。
- cse_ri2
- ベストアンサー率25% (830/3286)
>自己の発言に対する何らかの歯止めも必要では? >(議員として) 議会における自由な議論は、議会制民主主義の根本とも いえる理念です。 まあ、国会審議を真剣に聞いていると、馬鹿な発言をする 議員が少なからずいることも事実ですが、馬鹿な発言を 平気でできるのは、日本において議会制民主主義がそれなり に機能している証拠であると、私は考えます。 国会での議員の言論を統制すると、戦前に「反軍演説」を して議員除名処分となった斉藤隆夫議員の事件を繰り返す 結果になりかねません。 また国会での言論の自由も保てないようでは、他の民主主義 国家から、日本は民主主義であると認めてもらうことは できないでしょう。
お礼
ご回答ありがとうございます。 皆さんのご回答は、多少の違いは有っても、大筋で同じような事を指摘されている気がします。 私の疑問・質問自体が正常ではないような感がしますが、それでも尚解決しません! 「国会での言論の自由を保つ」という事と、「無責任な発言をして、自身の発言に責任を持たなくてもよい。 そこまで規制しては、議会制民主主義が成立しない」という事とは違うと思いますが・・・
- lequeos
- ベストアンサー率54% (308/566)
歴史的経緯はおおむね#2の方のいわれるとおりですが、ここでいう「院外で」の意味は、「国会以外の場で」という意味ももちろんですが、通常、国会が行う活動において、という意味です。ですから、たとえば公聴会を国会の外で行う場合にもこの規定は適用になり、その場での発言について「責任」を問われることはありません。逆に、仮に国会の中であっても、通常国会が行う活動ではないもの、すなわち、たとえばヤジなどの不規則発言や、通常の演説の中でも単に他人を誹謗中傷するだけの内容(政治的に特定個人を批判するのとは異なります)は、国会議員の活動ではありませんので、この免責の対象とはなりません。 付け加えていうと、この規定は所属する議院が責任を追及することを妨げるものではありません。従って、不穏当な発言があった場合には、所属する議院がその責任を追及し、懲罰を与えることになります。 また「責任」とは、「民事、刑事上の責任」ということであり、政治的な責任は含まれません。たとえば採決の際に政党の決定に反する投票行動をした議員は、そのことを理由に裁判にかけられることはありませんが、所属する政党から“造反”の責任を問われることになるでしょう。それはこの規定に違反しません。 「民事、刑事上の責任を問わない」の意味するところは、そうした責任を恐れて自由な発言ができなくなることを防ぐ意味があります。たとえば、自衛隊をイラクに派遣する法律案に賛成した議員は、派遣された自衛官が死亡した場合、遺族などから損害賠償を請求されたり、警察の捜査の対象となるおそれがあるとしたら、うっかり賛成できなくなってしまいます。そこで、民事、刑事上の責任を阻却し、一部の利害関係者だけでなく、国民全体のためにふさわしい議論をさせるのがその目的なのです。 これはもちろん、無責任な発言や投票を認める意味ではなく、先に述べたように、政治的な責任は選挙などを通して追及されることになります。それが、健全な民主主義というものでしょう。
お礼
ご回答ありがとうございます。 #2のご回答者ともども同一主旨のご指摘ですので、#2のお礼と同じになってしまいますが、ご両人とも専門家に準じる人物と推測します。(自信ありなので) しかしながら、どうも引っかかってしまいます。 条文の表現が不十分なのか、いくらでも拡大解釈できるように、このような表記になっているのか解りませんが、スッキリしませんネ! (有識者は拡大解釈が得意ですから)
- been
- ベストアンサー率39% (490/1243)
法律や制度にはそれなりの歴史的背景があります。文字づらだけを見ても正しい解釈はできません。憲法51条の場合は、議会制度の歴史を理解する必要があります。 議会制度の母国イギリスでは、これが確立されるまでの間、議会と国王の激しい権力闘争が行われました。特に改革派の議員は、常に身の危険と隣り合わせで政治活動をしていました。ただ、国王といえども議場にある議員には手出しができなかったので、会期の終了後、議院での発言を理由に改革派を不敬罪や反逆罪で処罰しようとしたのです。議院外での責任とは、こういう意味なのです 議院における自由な発言の保証は議会制の前提です。憲法51条は、上記のような歴史的背景を踏まえた規定なのです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 ご指摘の点は、非常によく解るつもりです。 しかしながら、英国での議会制民主主義というものが、日本で根付いているとは思えませんし、「議院における自由な発言」についても、そこまで考えて発言しているとは思えません。 自己の発言に対する何らかの歯止めも必要では?(議員として)
- myeyesonly
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こんにちは。 議員は、議会で法律を決める為の議論をしなければいけないわけで、その議論上の発言で責任を問われては、議論に制約が生じてしまいます。 そういう事態を防ぐ為の規定です。 選挙演説、公約、マニフェストとかは、議員になる前の選挙での話ですので、この条文とは関係ありません。 公職選挙法によって規定されます。
補足
早速のご回答ありがとうございます。 どうも、ヘリクツみたいで恐縮ですが、法案審議ではない質疑応答というのが有ると思うのですが、こういう場合の発言はどうなんでしょう? また、子供ではないのですから、ましてや「先生」(?)ですし、責任をもてない発言をするというのもよく解りませんが・・・
お礼
更なるご回答ありがとうございます。 こういう回答になるだろうとは思っていました。 「全てを、よい方よい方に解釈して貰える」というのは、立案・作成・制定した当事者にとって有り難い事ですネ! 『法には世間に通用する「決った解釈」というものが存在します。』という事ですが、それは誰が決めるのでしょう! 判事も人間です。 おかしな判断をする人もいます。 数行で済む事項を、難しく長々と記せば、それなりにもっともらしく聞こえるという事はいくらでも有ります。 まあ、この辺が、日本の三権の実態ですか・・・