• ベストアンサー

どなたの漢詩でしょうか?

liar_adanの回答

  • ベストアンサー
  • liar_adan
  • ベストアンサー率48% (730/1515)
回答No.1

「都で戦が絶えない」の部分がないのですが、 「鼓腹撃壌」という言葉の元となったエピソードに出てくる、 無名の老人の歌が近いのではないかと思います。 (Googleで「鼓腹撃壌」で検索するといくつか出てきます) あらすじは、古代の優れた帝王堯(ぎょう)が、 自分の政治がうまく行ってるか、お忍びで出かけたところ、 のんきに「帝王なんか関係ない」という歌を歌っていた 老人がいたので安心した…ということです。

参考URL:
http://members.jcom.home.ne.jp/diereichsflotte/18CsAH/KOFUKUGEKIJO.html
yamaton10
質問者

お礼

 御教授ありがとうございます。「君主」が「帝王」だったのと、歌を詠んだ人が、その老人を見かけた状況が、少しだけ記憶と違っていましたが、この歌で間違いないと思います。  でも、「人生感」を歌ったものではないようなので、どうして、当時の先生が「このような人生を・・」と言われたのか、或いは、単に私の記憶違いなのか、新たな悩みができてしまいました。  これからも、よろしくお願いします。

関連するQ&A

  • 漢詩のタイトルを教えてください

    大学受験の時にある漢詩(確か漢詩だったと思います)に出会い10年たった今でもその内容をよく思い出し勇気付けられます。 内容は戦に勝つための必勝方法で、相手の力を知り、自分の力を知っていれば負けることは決してない、といった内容でした。 これだけでは情報が少ないですが、ご存知の方がいましたら、タイトルと著者の名前を教えて頂けますでしょうか。

  • 漱石の漢詩で。

    漱石の漢詩で、「日は傾きかけているが、道ははるか遠い」といった感じの漢詩があるのですが、 どなたか、この詩の題目と内容を教えていただけないでしょうか。 これだけの情報ですと、かなりきついとは思いますが、これくらいしか記憶になくて。 ご存知の方がいらしたら幸いです。大学受験の準備をしていた1975年ごろ、漢文のラジオ講座のテキストに出ていた詩です。何十年も前の話ですが、いつも頭の中にこの詩がありました。知ることができたらほんと、うれしいです。

  • 古文漢文の授業が必修科目である理由はなぜ?

    古文、漢文の授業内容がその後の人生の場、生活の場で役にたったことがある人はいますでしょうか。 または 古文、漢文の授業内容をすっかり忘れたためにその後の人生の場で損したーと感じることがあった人は いますでしょうか。 現在も理科系の高校3年生が(現在も必修)古文漢文の授業が邪魔で恨んでいる状況です。 古文漢文の有用性をこの理科系高校3年生が受け入れられる様な回答をお待ちしています。 元々は なぜ古文、漢文が高校生の場で必修科目として存在するのでしょうか、と 以前に個別のカテゴリーで問いにしたのですがどうにも求める回答が無いのでこの場で問いにさせて頂きました。 http://okwave.jp/qa4367896.html

  • 漢文・古文のテスト対策!

    家庭教師で国語を教えているのですが、少しツマリ気味です。 漢文は「漢詩」、古文は「徒然草」の中から出るのですが、 有効な教え方が少なくて苦しんでいます。 漢詩は押韻・再読文字・返り点、送り仮名・作者名等。 古文は話の大体の内容や、古語の意味等。 …を押さえていっているのですが、古文では 【動詞・形容詞・形容動詞】を出すらしいとのこと。 しかし、習ってから数年経つと細かい所が怪しくなってきて、 どのように説明したらそれぞれの区別がつき易いか、 といった基本的なことが判らなくなっていました。 もうこれは覚えてもらうしかない、とも思うのですが…。 特に古文の上記の各詞群の教え方・覚え方について、 何か有効な方法をご存知の方、ぜひご教授下さい!!

  • 100年前は漢文で漢字文化圏(日本・韓国・中国・ベトナム)の人達と意思疎通できたの?

    昨日、BSで「世界から見たニッポン」というのがあって思ったのですが、 その中で、当時の清、今の中国の留学生や 当時仏領植民地だったベトナムの人が漢文で 日本人と意思疎通しているところがありましたが、 本当に100年前、漢字文化圏(日本・韓国・中国・ベトナム)では、 漢文で意思疎通が出来たのですか? それに、まだこの頃は、ベトナムでも漢文を使っていたのですか? それともう一つ、いつ頃まで漢文で細かい内容でも 筆談可能だったのでしょうか? ふとテレビを見ながら細かいところまで筆談したとあったので、 100年前は出来たのか・・・と、感動してしまいました。 ということで、これに関する回答をお待ちしています。

  • この漢文、知りませんか? (人間、蝶、どちらが本当の自分?)

    小生はとっくに学校など卒業して縁がありませんが、 国語教師、その他ご存知の方、お願い致します。 昔、中学で国語の授業中、こんな内容の漢文が登場しました。 「私は、ある時は人間。ある時は蝶。  蝶になった夢を見ている人間、  人間になった夢を見ている蝶、  どちらが本当の自分かわからない。」 当時は何とも思っていなかったので記憶が曖昧ですが、 ある出来事がきっかけで強烈な印象を伴って、 この漢文を思い出しました。 この漢文の詳細情報が、どうしても欲しいです。 できれば作者、原文、口語訳の3点を、 ご教示いただけると幸いです。よろしくお願い致します。

  • loud voiceの意味

    小学校時代の英語の授業での話です。 英語の授業といっても、中学からの英語のように本格的に文法を学ぶのではなく、定型文を教わってそれを皆で発音する、とかそのような簡単な内容でした。(基本的に外国人の先生が教え、担任がサポートするというかたちをとっていました) 授業では、英語の歌を教わって歌うことがよくあったのですが、生徒の声が小さくなってくると、担任がよく、「ラウドボイス!!」と言っていました。 当時は全く意味が分かっていませんでしたが、今考えてみると状況から察するに「loud voice」だと思います。 でもloudってどちらかというと、「やかましい、騒々しい」などの否定的な意味で使われる単語ですよね? 歌を歌っているときに、大きな声で歌うように言うなら、「big voice!!」と言った方が良いのではないかと思うのですが、どうなんでしょうか? それとも、歌とかの場合だとloud voiceには違った意味合いが出てくるのでしょうか?

  • 「土佐日記」とかな文字の普及

    下記の文章は、「大学の日本史」という本の「漢文学の隆盛」という項の1節です。 かな文学の始まりとして名高い紀貫之の『土佐日記』は、土佐国(高知県)の国司であった紀貫之が任期を終えて九三四(承平四)年から翌年にかけて都の平安京に帰る旅路の出来事を、女性が「かな」で日記につづったかのように書いた作品である。当時もその後も男性貴族は漢文で日記を書いていたが、漢字文化をふまえたうえで、かなによって日本語を自然に表現する方向が見出されていったのであった。 お考えを教えていただきたいのは3点です。どれか一つでも構いません。 1 紀貫之は、なぜ「かな」を使おうという気になったと思いますか???私も高校時代、「漢文」は大の苦手でしたが、紀貫之も「漢文」が苦手だったのでしょうか???笑「かな」を混ぜたほうが分かりやすくて、便利が良かったということでしょうか??? 2 現在、私たちは、漢字と仮名を併用して文章を作りますが、「土佐日記」は、現在の日本語を形成する重要な転機になった「作品」だと理解しても良いのでしょうか??? 3 「当時もその後も男性貴族は漢文で日記を書いていた」とあるのですが、朝廷や幕府で、男性も「かな」交じり文を使いだしたのはいつごろからでしょうか???

  • 10年前、小学校の音楽の授業で習ったあの曲の歌詞が知りたい!!

    今から10年程前、小学校の音楽の授業で  わたしから、あなたへ  この歌を届けよう というような歌詞の曲を教えてもらいました。 (かなりうろ覚えです) 当時、私はこの曲が大好きで、たしか全部で4番まであったと思うんですが、 誰の曲か、童謡なのか、全く記憶がありません。 どなたか、ご存知の方おられましたら、宜しくお願いします。

  • カエルのような着ぐるみを着て踊っていた女性2人組み

    1~2年ぐらい前にビデオクリップでカエル(?)の着ぐるみを着てラップ調の歌を歌いながらだるい踊り披露していた女性2人組みの名前をド忘れしてしまい、気になってしまってしょうがありません。 当時良くTVのCMでも流れていたので覚えている方、宜しくお願いします!