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古文漢文の授業が必修科目である理由はなぜ?

古文、漢文の授業内容がその後の人生の場、生活の場で役にたったことがある人はいますでしょうか。 または 古文、漢文の授業内容をすっかり忘れたためにその後の人生の場で損したーと感じることがあった人は いますでしょうか。 現在も理科系の高校3年生が(現在も必修)古文漢文の授業が邪魔で恨んでいる状況です。 古文漢文の有用性をこの理科系高校3年生が受け入れられる様な回答をお待ちしています。 元々は なぜ古文、漢文が高校生の場で必修科目として存在するのでしょうか、と 以前に個別のカテゴリーで問いにしたのですがどうにも求める回答が無いのでこの場で問いにさせて頂きました。 http://okwave.jp/qa4367896.html

みんなの回答

  • x9e
  • ベストアンサー率10% (11/104)
回答No.15

義務教育ではない高等学校過程ないでの、義務の話 かあ。。 んじゃ、 イミフな義務をかせられて、 主目的にむかう障害となることを、 強制されられる中で、 あくまで主目的達成が求められる  ・・・ビジネス社会の 理不尽さを乗り越える    精神的耐性 を身につける必要のため だね  専門バカ化への落とし穴回避訓練 。 

ROMIO_KUN
質問者

お礼

いろいろな意見を頂きました。 どうれもマトを外した書き込みばかりで現役高校生が受け入れられる回答が無いのが残念です。 また時期を変えてしつもんするかも知れませんがよろしくお願いします。 たった1つ、世に出て何の場で古文漢文が役に立ったか、役に立つ場面があったかを書いて頂ければよかったのですが。 また、役に立つ場面を推測していただくのでも構わないのですがそれすらなかったもので一度閉じることにします。

noname#76229
noname#76229
回答No.14

こんばんは。 >古文漢文の授業が必修科目である理由はなぜ? 恐らく古文、漢文の「原文の持つ独特の世界」を味わうには適した時期だからではないでしょうかね。 松尾芭蕉の『奥の細道』とドナルド・キーン氏による英訳を比較するとかなりその「差」が如実に表れるかと思われます。 「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして、旅を栖とす。」 「The months and days are the travellers of eternity. The years that come and go are also voyagers. Those who float away their lives on ships or who grow old leading horses are forever journeying, and their homes are wherever their travels take them.」 また源氏物語の原文「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひ給ひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めき給ふありけり」と現代語訳を以下比較してみます。 与謝野晶子訳 「どの天皇様の御代であったか、女御とか更衣とかいわれる後宮がおおぜいいた中に、最上の貴族出身ではないが深い御寵愛を得ている人があった。」 谷崎潤一郎訳 「いつ頃の御代のことであったか、女御や更衣が大勢祇候してをられる中に、非常に高貴な家柄の出と云ふのではないが、すぐれて御寵愛を蒙っていらっしゃるお方があった。」 谷崎潤一郎新訳 「何という帝の御代のことでしたか、女御や更衣が大勢伺候していました中に、たいして重い身分ではなくて、誰よりも時めいている方がありました。」 円地文子訳 「いつの御代のことであったか、女御更衣たちが数多く御所にあがっていられる中に、さして高貴な身分というではなくて、帝の御寵愛を一身に鐘(あつ)めているひとがあった。」 瀬戸内寂聴訳 「いつの御代のことでしたか、女御や更衣が賑々しくお仕えしておりました帝の後宮に、それほど高貴な家柄の御出身ではないのに、帝に誰よりも愛されて、はなばなしく優遇されていらっしゃる更衣がありました。」  『奥の細道』の英語訳⇔日本語原文の「越えられない壁」は次元が違い過ぎる隔たりとしても、『源氏物語』原文と諸々の現代語訳とを比較しても、どこか微妙な感覚のズレを感じずにはいられないと思います。 やはり文学というものは原文ないし原語に勝るものはないのです。 いかにセンス良くわかりやすい名訳を心がけ手がけたとしても、所詮は他人を介したものなので「主観」も必ず交じりますし、原文でなければ伝わらない部分にこそこだわってみる、或いは嗅ぎ取ってみる等など、多感な若い心ならではの感じ取ってほしい「感覚」がある、という意図が必修科目足るゆえんではないでしょうか。 そしてそれは詩や俳句、短歌など凝縮されるものであればあるほど、より一層原文と訳との乖離が生じ、全くの別物に変質しかねないものにも思えるのです。 上述の「差異」の存在を意識し理解した上で、原文を丁寧に読み解いていくということの別の意義として。 現在高校生の大学への進学率は100%ではありません。 進学を選択しない生徒にとってはこれが当たり前の如く自然に学び古典に触れることの出来る最後のチャンスなのです。 それに古典文学というのは現代にまで脈々と受け継がれて後世に影響を与えてきたという「本物」であるとも言えるのです。 晴れて進学なさってから、ふと読み始めた現代小説が、意外にも古典からインスピレーションを得ていた、なんていうことがあるかもしれませんよ。 受験勉強には不必要なケースも多々あり、質問者様のご不満なお気持ちは私にも十分理解出来ますが、本来の高校課程におけるカリキュラムと大学受験勉強とは必ずしも合致しない部分がある以上はどこかで達観なさった方がご自身のためかもしれませんね。 そして世間で実際に使う場面が何ら無くとも。 古文漢文を必修で勉強する良き機会を得られたがために、理系・文系の分け隔てなく、進学後或いは社会人になった暁に文学により一層慣れ親しみ好奇心のシナプスを発達させる経験である、と思ってみてはいかがでしょうか。 これからいよいよ受験シーズンですね。 どうか早寝早起きで体調を万全に整えて下さいね。 幸運をお祈り致しております。

回答No.13

5、補足です。 >「古めかしい権利書や法令等を・・・」のあたりは古文漢文の >時代にまでさかのぼるほど昔の文献でしょうか。  江戸期以前の文献なら致し方ないにしても、明治中期の文献があまり解読できなかったのが「損した」と思った原因でした。江戸期に教育を受けた人が個人向けに文書を書くとそうなってしまうのかもしれません。  もっとも、回答者さんのいうとおり、こういう問題は一生に数度のことで、私が抱く「合理的に考えれば古文は不要なような気がするが、どうも腑に落ちない」という印象に対する答えではないかもしれません。  この「腑に落ちない」感を何とか言語化すると、『古典学習は知識としての有用性は低いが、脳の特定部位を刺激し、全く別の能力の育成に間接的に効果を発揮する。日本の古典学習や海外のラテン語学習が現代でも盛んなのは、こうした有用性に何となく気付いている人が多いため。』とかいう説明が浮かび上がってきます(思いつきで、確証があるわけではありません)。  会話で使わない言語の学習をすると、論理的思考能力が向上し、コンピュータープログラミングや数学で有用などという話が、実験・追跡調査で検証できるということなのかもしれません。  勿論、教育政策に携わっている人がこの点を直接理解しているとは考えにくいですし(彼らの考えている古典教育の意味というのを詳しく解析すると、こういう結論に行き着く可能性があるという程度?)、実際検証されたものではありませんから与太話として聞いていただければ結構ですが、こんな感じの話があるから古典が教科として生き残ったり、こういった質問のやり取りが盛り上がったりするのかな、とふと思ったりもしました。

  • cse_ri2
  • ベストアンサー率25% (830/3286)
回答No.12

No.2,3,9,10です。 もう一言だけ。 私の考えとしては、No.9にあるように、日本に明確なエリート養成大学を設立し、漢文や古文はその大学を受験する人だけやらせればいいと思っています。 質問者の方自身感じているように、普通の会社員、並の管理職、並の経営者であれば、古文も漢文もその他の教養もあまりいらないでしょう。 しかし、これから世を引っ張っていくという明確な自覚のある人には、そういう勉強をさせなくてはいけません。 司馬遼太郎の『坂の上の雲』を読んだことがありますか? ああいう話に出てくる人間にこそ、エリート教育が必要なのです。 ですが今の日本は大学も希望者はレベルを問わなければたいてい大学に入れるようになり、エリート養成機関としての役割が消失しています。 「将来XXに役立つ」という勉強は、リーダーを目指さない人にだけしてもらい、無駄知識も多いが幅広い教養はリーダーになりたいという希望のある人にだけ勉強してもらえばいいでしょう。 今は教育界に無駄な平等意識が高いため、偉くなれるかどうかもわからないのに、学生が負担を強いられているのは事実だと思います。 しかし、そういう状況を改善しようとしても、学生間の競争を減らし平等意識を高めようとする政治勢力が存在するので、まだまだ時間がかかりそうです。

  • jayoosan
  • ベストアンサー率28% (929/3259)
回答No.11

>さて現役高校生に書いて頂いた内容を読ませても役に立った場面、 >知らずにいて困った場面等全く書かれていないのでどうにも説得力がない様に感じます。 >結局「教養として知って置いたほうがよい」程度にしか書かれていないように感じます。 いいえ、あなたの質問に沿って書いてはいません。 私が感じる部分ですし、説得もしようともしていません。 だってあなたはもう自分で答えを質問欄に書いており、自分の理屈と鎧で武装し、他人に対して壁をつくり拒絶し、自分が正しいといわんばかりの姿勢いるのが見え見えですから。 しかしこの質問できる場所で、他人が何でも書き込める「場」を自ら開いたので、私はそれは違うぞと書いただけです。 誰でも自分で答えを見つけるしかないのです。そういう堅い態度もあなたの自由ですが、周囲から受け取るものも冷たいものになります。どうぞその姿勢でご自由に笑。

ROMIO_KUN
質問者

お礼

自分の理屈で書いているつもりはないのですが。 現役の理工系高校3年の受験生に答えるつもりで書いて欲しいのです。 なんでこの場になっても自分はおろか世で使う場面が無い古文漢文を必修で勉強しなければならないのかを。

  • x9e
  • ベストアンサー率10% (11/104)
回答No.10

文化保存継承確保存続利用(A) 若い世代に それを させる のが 目的なら 本人各々が   必要だと感じて (A)する のか  必要だと感じないけど (A) する のか いずれか。。 無理無理にだまくらかしてまで、押し込むのは無理 【EOF】

  • cse_ri2
  • ベストアンサー率25% (830/3286)
回答No.9

No.2,3,9です。 もう一言言い忘れました。 大学受験で懸命になっている学生には、大学進学のことしか頭にないでしょう。 しかし、社会に出た人は少し考えが違うはずです。 いざ社会人になってみると、高等教育の過程で学んだことが100%生きることはなく、むしろ初頭段階で習ったことの重要性を日増しに感じるはずです。 (もし感じなければ、会社の仕事をまじめにしてないだけだと思います) こういった内容は、塾や学校の先生では教えにくいと思います。 むしろ、社会に出て成功した人が、それを実感しているはずです。 よって、解決策としては、学校や大手進学塾の主催で、社会人として成功した人を講師として招き、自分の成功体験や人生談を語ってもらうのがよい方法だと思います。 そういう人の話を実感すれば、今自分がしている勉強の大切さ、もしくは大切じゃなくてもとりあえず学んでおいた方がいいかもくらいは、学生でも理解できるのではないでしょうか。

ROMIO_KUN
質問者

お礼

「自分の成功体験や人生談を語ってもらうのがよい方法だと思います。」 の場があるならその中に古文漢文の有用性を説いてもらえれば良いのですが。 特に対象を受験目の前の高校生に絞って「有意義じゃ」と感じさせる内容でなければなりません。 (長々と老人の人生哲学をしゃべりまくるならそんなのは要りません。)

  • cse_ri2
  • ベストアンサー率25% (830/3286)
回答No.8

No.2,3です。 >そして現在リーダーになっている方々の何割の方が古文漢文から >得た知識が役に立っているかと考えると高校生に説明がつくとは >思いにくく感じます。 それでは、言い方を変えましょうか。 他国ではエリート養成機関があるため、極端な話をすればリーダー教育に必要な教養、つまり世界史・哲学・倫理・外国語・古文・漢文などの教育はそこで学ばせればいいと思います。 しかし、戦後の日本はエリート教育を否定する方向に、明らかに走っています。 そのため、将来リーダーになれるかどうかはともかく、リーダー的役割になる可能性は、少なくとも大学に進学する学生の多くにあるわけです。 エリート教育を否定する以上、エリート教育そのものはできませんが、将来エリートになる可能性のために、最低限の教養を高校段階で付けさせる必要があるのです。 私は現在の学校教育そのものを改革すべきだと思っていますので、上記の議論がすべて正しいとは思っていません。 しかし、明確なエリート教育を日本に導入しない限り、残念ながら古文・漢文を含む最低限の教養は、強制してでもつけさせるべきだと思います。 結論としては、ベストではなくベターの議論だということです。 質問者の方のご意見とは異なると思いますが、文句を言う若(若と書いてバカと読む)者には、年長者の権威で強制すべきです。

  • x9e
  • ベストアンサー率10% (11/104)
回答No.7

なるほど キャラクタ列:NIPPON語 正統性を 感じさせる  知性を にじませる 落ち着きと 情熱を 読み手の 心に 打ち込む 回答 の 数々 正規の 教育環境 と 社会人格形成 の ためにも。 世間ズレ どころか、 奇人変人 も 多すぎれば 弊害 になるかも。。 SF や アニメ など に バイアス や オフセット が かかりすぎれば まずすぎますね 。。。 文化・歴史・生身の人間  としての 識別性を 保つためにも。。 日本語 周辺 を 重要性を 再認識 しました。。。。 このテキスト自体が 反証 【EOF】

ROMIO_KUN
質問者

お礼

私、ウーンとうなってしまいました。 これを現役高校3年の受験生に読ませても、古文漢文の有用性を理解させるには無理がある内容と感じます。

  • Ae610
  • ベストアンサー率25% (385/1500)
回答No.6

もしもご質問者様(・・・や古文漢文の授業が必修科目となっているその後輩の方々)が、何らかの縁で和算に関する資料を目にする機会があったとする。 例えば、建部賢弘や賢明、吉田光由、関孝和、和田寧、渡辺一、佐久間讚などの和算家の文献・資料類を目にする機会が得られたとする。 「その時、(古文は有用かは分からないけれど・・・)漢文の知識があれば、或いは役に立つかも知れない。」・・・と言う事が出来ると思う。

ROMIO_KUN
質問者

お礼

冒頭の「もしも・・・」の場面が生きていく場のどの様な場面で必要になるのかが知りたいのです。 いろいろ類推してみたのですが、古文漢文の教職に就く場合、クイズ番組に出た時くらいしか思い浮かばず、なのです。

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