歩きもできないのに、走るの?

このQ&Aのポイント
  • 「歩きもできないのに、走るの?」は自然な表現か
  • 「歩きもできないのに、走るの?」という表現について考えると、体言化という文法の用法が関係している。
  • 違和感を感じるのは、体言化された「歩くこと」という表現と、体言そのものである「歩き」という表現の違いによるものである。
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「歩きもできないのに、走るの?」は自然な文ですか

外国人から「歩きもできないのに、走るの?」は通じますか、と聞かれました。私は「歩くこともできないのに、走るの?」なら通じます、と返事しました。すると「歩き」という名詞ではだめですか、と聞かれて返事に困ってしまいました。 あらためて考えてみると「こと」には、他の語句をうけて、その語句の表す行為や事態を体言化する形式名詞という用法もあります。私が返事した「歩くこと」は、まさしくその用法のはずです(活用語の連体形に付いて句を体言化し、そこに述べられた事柄をきわだたせる意を表す)。だとすれば、なぜ体言それ自体を用いると違和感を覚えてしまうのでしょうか。さらによく考えると「独り歩きもできないのに~」ならば、違和感がありません。 このように考えると、実は「歩きもできないのに、走るの?」は自然な表現だったのかという気にさえもなってしまいます。私は考えすぎているのでしょうか。考えすぎでないとすれば、このあたりのことをどう説明すれば納得してもらえるでしょうか。

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  • kine-ore
  • ベストアンサー率54% (808/1481)
回答No.7

#6です。 >4.歩かけはしない これはC&Pミスでした。↓に訂正します。     ↓ 4.歩けはしない とにかく、5段活用動詞には可能動詞という簡便な言い方があたりまえであることを知ってもらうことでしょう。 >なぜ体言それ自体を用いると違和感を覚えてしまうのでしょうか。 動詞系転成名詞にもそれぞれ意味合いの違いがあります。 1)~すること自体:悩み、入れ替え 2)~する動作・作用・しかた:動き、恋、買い置き 3)~するもの、した結果のもの:妨げ、残り 4)~するために使うもの:はかり、腰掛 5)する(ための)所・時:たまり、札入れ、梅雨の入り、夏休み (参考:「岩波 国語辞典」) 「歩き」は2)に準じますが、この動作や作用はまだ動詞的な意味合いが強く、他の動詞や名詞と組み合わせて具象性を帯びた連語としての用途が主となります。買い置き、受け皿、配当落ち…など。ですから「歩き」もやはり「独り歩き」や「歩き始め」などでの名詞化用法が主となります。

Mister0413
質問者

お礼

追加のご回答、ありがとうございました。 コピペミスについてはすぐ見当がつきましたが、やはりしっかり訂正していただけると落ち着きます。 動詞系転成名詞に関して詳しく追加説明していただき、ありがとうございました。このような説明こそ、外国人に歓迎されると思います。今後新しい質問をした際にも、よろしくお願い申し上げます。

その他の回答 (9)

  • 3nk
  • ベストアンサー率28% (619/2184)
回答No.10

>「歩き」という名詞ではだめですか、と聞かれて返事に困ってしまいました。 >なぜ体言それ自体を用いると違和感を覚えてしまうのでしょうか。 >さらによく考えると「独り歩きもできないのに~」ならば、違和感がありません。 日本語で「歩きができる」という表現はしないからだと思います。(「独り歩きができる」は使いますが) 名詞を入れるなら、「歩き」ではなく「歩行」ではないでしょうか。

Mister0413
質問者

お礼

ご回答、ありがとうございました。

  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.9

 こんばんは。論点として「歩きもできないのに、走るの?」と「歩くこともできないのに、走るの?」を同義として理解出来るかとのご質問ですが、結論からみれば可能です。  用言である動詞には連用形の名詞化(転成名詞)とよばれる現象があります。これは用言の中でも動詞の連用形のみに見られます。たとえば正岡子規の『歌よみに与ふる書』は「これからの時代に和歌を詠む人への指針とする書」の意味であり、「歌よみ人」つまり「歌人」を指すことになりますが、品詞分解すれば「歌+詠み(詠むの連用形)+人」ですが動詞連用形の名詞化との理解を踏まえるならば「歌詠みという行為+それをする人」ともなります。  ですからその外国の方が「歩きもできないのに、走るの?」とした文章は強ち誤りであるとは言い切れないことになります。「出来もしないのに大風呂敷を広げる」などとの慣用表現に違和感があるでしょうか。  そしてもう一つの可能性。こちらはニュアンスの問題になります。 「歩きもできないのに、走るの?」この文章では「今現在、歩くこともままならない」との現実に対し「それでも走るというのならばそれは無謀な行為だ」あるいは「もしそれが出来たとすれば奇跡だ」との二つの可能性があります。それは「結果がどうなるか」は誰にもわからないとの前提があります。これに対し「独り歩きもできないのに~」はその対象の多くが「赤子や未熟な者」であるから、「必ず独り歩きする日が来る」との前提に基づいているために「結果」が見えている。だから「違和感がない」と感じるのかもしれません。  尚、まことに恐縮ですが「(活用語の連体形に付いて句を体言化し、そこに述べられた事柄をきわだたせる意を表す)。だとすれば、なぜ体言それ自体を用いると違和感を覚えてしまうのでしょうか」この一文は「(活用語に付いて句を体言化し、そこに述べられた事柄を際立たせる意を表す)。だとすれば、なぜ連用形それ自体を用いると違和感を覚えてしまうのでしょうか」との誤記と考えられますが如何でしょうか?。  

Mister0413
質問者

お礼

ご回答、ありがとうございました。言葉とは、理詰めで考えると難しいものですね。 (活用語の連体形に付いて句を体言化し、そこに述べられた事柄をきわだたせる意を表す)については、辞書の記述をコピペしたものです。あらためて確認しましたが、間違いありませんでした。

noname#190877
noname#190877
回答No.8

動詞が体言として認識されているか。 その通りでしょう。 経験的に、そう認識しづらい言い回しになってるが故の違和感でしょう。 文法としては、間違いではないが、一般的には使わない表現方法ということなのでしょう。

Mister0413
質問者

お礼

ご回答、ありがとうございました。

  • kine-ore
  • ベストアンサー率54% (808/1481)
回答No.6

「歩くこともできない」という表現は一般に次のようになります。 1.歩かれない (動詞「歩く」の未然形+可能の助動詞「れる」の連用形+打消しの形容詞「ない」の終止形) 2.歩けない (可能動詞「歩ける」の連用形+打消しの形容詞「ない」の終止形) 3.歩かれはしない (動詞「歩く」の未然形+可能の助動詞「れる」の連用形+係助詞「は」+動詞「する」の未然形+打消しの形容詞「ない」の終止形) 4.歩かけはしない (可能動詞「歩ける」の連用形+係助詞「は」+動詞「する」の未然形+打消しの形容詞「ない」の終止形) 以上のように、動詞や可能動詞での、また助詞を立ててそれらの連用形を名詞化して統語的に表現するのが一般的です。 いいかえれば、「歩き」という転成名詞は、一般には「独り歩き」「伝い歩き」といった連語関係を主とする用法なので、このような言い方での単独使用では不自然というか、いかにも稚拙な印象が否めません。

Mister0413
質問者

お礼

ご回答、ありがとうございました。 なるほどそのように言われてみると、納得できそうですね。大いに参考になりました。

  • purunu
  • ベストアンサー率42% (518/1214)
回答No.5

可能ですが、自然というならば、両者の言い方をそろえて、次のどちらかでしょう。 「歩くこともできないのに、走るの?」 「歩きもできないのに、走りはするの?」

Mister0413
質問者

お礼

ご回答、ありがとうございました。 確かにそのような形にすると、感じ方が違いますね。このご回答も参考に加えさせていただきます。

  • marisuka
  • ベストアンサー率38% (638/1650)
回答No.4

 さっそくのお礼、ありがとうございます。  「身動き」「まるわかり」という例を出しておいでですが、それらは「身動く」「まるわかる」という動詞ではなかったので、本件とはまた別問題、複合名詞の話です。  「身動き」は「身」という名詞+「動き」という名詞。  「まるわかり」も同様です。ということは、複合名詞を作る際に限っては「動き」も「わかり」も名詞として認識されている、ということなのでしょう。まあ「動き」は「この機械は最近、動きが悪い」なんて使えますね。  おっしゃるように、単独の動詞の連体形に限って考える方が、すっきりすると思います。

Mister0413
質問者

お礼

さらなるご回答、ありがとうございました。 言われてみると、確かに「身動く」「まるわかる」という動詞はありませんでしたね。 おかげさまで問題点が整理できました。

noname#190877
noname#190877
回答No.3

用法としては、間違ってはいないんでしょう。 ただ、言い回しに違和感を感じました。 個人的には、です。 歩きもできない。普通は、歩けない。だと感じました。 例えば、動けない、を動きもできない、とは表現しません。 ご自身も、独り歩きも~なら違和感がないと書かれてますよ。

Mister0413
質問者

お礼

ご回答、ありがとうございました。 「動きもできない」とは言わないでしょうが、「身動きもできない」ならよく使う表現だと思います。 このような角度から考えると問題が発散していくばかりで、解決に遠ざかるばかりのような気もしています。それを思うと、やはりNo.2が言われるように「動詞が体言として認識されているかどうか」がポイントのような気がしますが、いかがでしょうか。

  • marisuka
  • ベストアンサー率38% (638/1650)
回答No.2

 ご自分も含め周辺の人がよく使うかどうかで、違和感があるかどうかが変わってくるのでしょう。  私はその例文に違和感はありません。「まともに歩きもできないくせに…」とか言いますから。 「タクシーがつかまらないから歩きで行こうか」など、いかがでしょう。違和感がありますか?  動詞の連体形をそのまま名詞として使う例は枚挙に暇がありません。 空き 浮き 笑み 泳ぎ 教え 貸し 決まり 組 蹴り 障り 締め …  名詞としての認識度が高いか低いかが決め手だと思います。「わかる」の連体形「わかり」なんかは誰も使いませんよね。

Mister0413
質問者

お礼

ご回答、ありがとうございました。なるほど「名詞としての認識度」の問題ですか。 「タクシーがつかまらないから歩きで行こうか」は、私も脳裏をよぎった表現です。質問時には頭に浮かばなかったので、質問文に盛り込むことができなかったのが残念です。 > 「わかる」の連体形「わかり」なんかは誰も使いませんよね 確かにそうですが、「まるわかり」なら使うと思います。「この番組を見れば、あなたもまるわかりですよ」などという文を、どこかで見聞きした覚えがあります。

noname#204879
noname#204879
回答No.1

》 私は考えすぎているのでしょうか そのとおりです。

Mister0413
質問者

お礼

ご回答、ありがとうございました。

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