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「ものか」の文法的説明は?

いつもお世話になっておりますが、また外国人から質問されて返事に困ってしまいました。 「本人はどうしたものかと困っている」という例文があります。ここで使われている「ものか」は、文法的にはどのような役割を果たしているのでしょうか。 大辞林と大辞泉で調べてみましたが、直前の「どうした」が活用語の連体形でないことは明白ですので、決して終助詞ではありません。 連語《形式名詞「もの」+係助詞「か」》の「ものか」であるとしても、使われている場所が文末ではありませんし、意味的にも次のいずれにも該当しないように思われます。 1 意外なことに感動したり、驚いたりする意を表す。 2 反語の意を表す。 辞書には載っていませんが「ものだろうか」の省略形だと理解してもいいのでしょうか。 この表現に詳しい方のご説明をお願いします。

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「どうしたものか」 疑問の連体詞「どうした」{どう(疑問の副詞)+し(動詞「する」の連用形)+た(現在の事態についての確認、また未来の完了を表す助動詞「た」の連体形)}+もの(包括・抽象的な事態を表す名詞)+か(自問自答での納得を求める終助詞)の形で、「どうしようか」「どうしたら良いのか」「いかがすべきか」「どのようにした方が好ましいのか」といった意味合いを成しています。 「どうしたものだろうか」 「どうしたものか」という自問的な事態の表現に、さらに事態に対する態度(対事柄ムード)の助動詞「だろう」が挿入された「だろうか」の形として、自問にしては重言的で諄(くど)い印象も出るが、その分だけ相手へとすり寄った方向での、いわばこの事態を自問の形式で相手に働きかける聞き手への態度(対相手ムード)としての度合いを高めた婉曲用法とみなせます。 あくまでも対相手ムードの強化であって、決して省略形などではありません。

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質問者からのお礼

詳しいご回答、ありがとうございました。 省略形ではないとのご説明はこれまで全く眼中になかった発想ですが、説得力があります。それを加えた形で補足説明するのが良さそうですね。

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  • 回答No.14

 とても興味のある問題が提起されましたのでお話しします。 >これ、それ、あれ、どれ・こう、そう、ああ、どう(する)、やっぱり名詞ですか?。  ここに示されている「こ・そ・あ・ど」は「指示語」と呼ばれる概念です。「指示詞」と呼ばれる場合もありますが、他の品詞を分けた分類基準(学校文法)と、「こそあど」を一括りにする基準とは基本的な考え方も異なり、交差分類となってしまうことから、文法上は「指示語」と呼んでいます。  この指示語「こ・そ・あ・ど」が事物・場所・方向に付加された時には「これ(此れ)・それ(其れ)・あれ(彼れ)・どれ(何れ)」「ここ(此所)・そこ(其処)・あそこ(彼処)・どこ(何処)」「こちら(此方)・そちら(其方)・あちら(彼方)・どちら(何方)」となり、それぞれ「(代)名詞」になります。  一方、特定するある事物に付加された時には「この・その・あの・どの」として、指示を示す「連体詞」になり、事物の「形状や性状」を示す「こんな・そんな・あんな・どんな」となる時にも「連体詞」となります。  更に「状況や様子」を示す「こう・そう・ああ・どう」が付属した時には「副詞」となります。  したがって、それぞれの指示語に「何が付属したか」によって判断する必要があり、挙げられている事例を一律に論ずるには無理がある、とのことになります。

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質問者からのお礼

ご説明、ありがとうございました。

  • 回答No.13

これ、それ、あれ、どれ・こう、そう、ああ、どう(する)、やっぱり名詞ですか?。 した=動詞。 もの=名詞 か=助詞?(違いますかの「か」と同じ) 素人が無理にこじつけた?。

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質問者からのお礼

ご回答、ありがとうございました。 日本語には、わけがわからない言葉が多いものですね。

  • 回答No.12
  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)

#11です。 >そういえば、これに類する議論は昔から国学者間で無数に戦わされていたようですね。 : そうなんですか。 見解の相違はあれ、お互いの主張をある程度互いに検証し合うというのは気持ちのよいものですね。 おかげさまで良い頭の運動になります。 これに懲りずに、今後もよろしくお願いいたします。   

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質問者からのお礼

度重なるご回答、ありがとうございました。 こちらの方こそ、今後ともよろしくお願いいたします。

  • 回答No.11
  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)

#10です。 >いずれの場合でも「いいたろうか」は「いいだろう」+終助詞の「か」でいいのではないでしょうか。 : わたしも(根拠はないと明言している手前、)殊更に反論するつもりはないのですが、ひとつだけ確認させていただければ幸いです。 副助詞の用法として、「なんのこと―さっぱりわからない」という例文が辞書に挙がっていますよね。 http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%81%8B&dtype=0&dname=0ss&stype=1&pagenum=21&index=102905600000 この場合も、「さて、なんのことか」で終わる文というものは想定可能でしょうが、同様に、「なんのことか」は「なんのこと」+終助詞の「か」で良い、とお考えになりますか。 わたしとしては、あくまで「なんのことかさっぱりわからない」の省略形としての「なんのことか」なので、「か」で終わる表現であっても副助詞である、と捉えたいのですが。 一方、意味のわからない言葉を聞かされて「それはなんのことか」などと相手に尋ねるような場合に限っては終助詞だろうと思うわけです。 いずれにせよ、あまりしつこくなってもいけませんので、特に必要のない限り、今回はこのへんにさせていただくつもりです。     

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質問者からのお礼

真摯にお考えいただきまして、ありがとうございました。 私もあまりしつこくしたくないので、最後に私の見解を述べて終わりにさせていただくつもりです(もちろん、ことさらに異議がありましたらお受けします)。 私としては「なんのこと―さっぱりわからない」と「さて、なんのことか」で終わる文とは別種のものであり、前者は副助詞、後者はやはり終助詞とするべきではないかと思います。 自問の意味に限定して考えるのであれば、 「なんのことかさっぱりわからない」の省略形としての「なんのことか」なので、「か」で終わる表現であっても副助詞である←この発想には無理がありそうだと思います。むしろ「なんのことだろうか」の省略形とするべきではないでしょうか。 そういえば、これに類する議論は昔から国学者間で無数に戦わされていたようですね。私も何が何だかわからなくなってきました。

  • 回答No.10
  • hakobulu
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#8です。 今、お礼を拝見しましたのでお答えいたします。 >「どうしたものか(迷っている / 困っている)」などのような文の省略形と捉えるのであれば、その完結した文の文末に位置する「か」なのだから終助詞であるという解釈も成立するのではないでしょうか。 : 表記の仕方が悪かったと思いますが、 「どうしたものか迷っている( / 困っている)」などのような文の省略形、という意味です。 「どうしたものか」という自問の場合、文として完結していない、という考え方です。 「どうしたら良いでしょうか」と言う場合は、「彼は何時に来ますか」と同じ問いかけですし、完結しており終助詞ですが、こうした用法とは違うのではないか、という気がします。 「どうするのが良いのか?」「何時なのか?」という疑問であり質問であるわけですが、「どうしたものか」の場合「どうしたもの」という内容は疑問や質問の内容ではなく、迷う、あるいは困るといった動詞の単なる対象になっているだけではないか、ということです。 >そのように考えるならば「なんのことかさっぱりわからない」の「なんのことか」は文の一部にすぎないので副助詞であり、「どうしたものか」とは別種のものであるという考え方にも無理はないように思えます。 : 「どうしたものかさっぱりわからない」という文も成立すると思うので、同種と考えて良いのではないかと思います。 いずれにせよ、 「どうしたものか」と「何時ですか」が同じ用法とは思えないですね。 こちらの辞書では、 3 (「かもしれない」「かもわからない」の形で、または「かも」の形で終助詞のように用いて)不確かな断定を表す。 という副助詞の用法説明があります。 終助詞のように使う副助詞もあるということだと思います。 http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%81%8B&dtype=0&dname=0na&stype=1&pagenum=21&index=02709200 「どうしたらよいものか」→「こうしたらよいかも」と対応しているような気もしてきますが、どうでしょう。 自信も根拠もないのですが、素人の感覚としては、この辺が限界かもしれませんね。   

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質問者からのお礼

さらなるご回答、ありがとうございました。 ことさらに反論するつもりではありませんが、自問でも文として完結しているのではないでしょうか。 「さて、どうしたらいいだろうか」で終わっている文もありますよね。その直後に「そうだ、こうすればいい」と解決策が書いてある場合もありますが、「そこへ彼が訪れた」「折あしく、その日は大雪だった」などのように全く悩み事に関係のない文が書いてある場合もあります。いずれの場合でも「いいたろうか」は「いいだろう」+終助詞の「か」でいいのではないでしょうか。 私が予期していた以上に問題が複雑になってしまって、自分でも何を言っているのかわからなくなってきましたが、とりあえずお礼を申し上げます。

  • 回答No.9
  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)

#8です。 申し訳ありません。訂正があります。 × 自問・相手への問いかけ、どちらにも適用可能でしょう。 ○ 相手への問いかけを含む場合は、疑問・質問の意味の終助詞でしょうが、自問の場合はどちらも副助詞と考えます。

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質問者からのお礼

ご訂正、ありがとうございました。 回答とお礼との時間差の問題だと思いますが、#8のお礼で問いかけたことに対しては異存などはありませんでしょうか。

  • 回答No.8
  • hakobulu
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#4です。 ネット辞書で確認してみましたが、確かに、 〔補説〕 「か」は古くは係助詞であった。その文中における用法は中世前期以後、次第に係りとしての性格を失っていき、中世後期以降副助詞としての用法が一般となる。また文末における用法は、係助詞「や」の衰退に伴い、終助詞としての用法が広く行われるようになった。 という記述がありますね。 http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%81%8B&dtype=0&dname=0ss&stype=1&pagenum=21&index=102905600000 これを受けまして、係助詞という前言は撤回させていただきます。 ただ、係助詞が変化した副助詞と捉えて良いのではないかと考えます。 言い訳がましくなるかもしれませんが、基本的な解釈は間違っていないように思うわけです。 少なくとも終助詞という説には同意できません。 終助詞というからには、上記辞書の例のように、 ・なぜ人間は死ぬのでしょうか。 ・あなたはどなたですか。 のように文として完結していなければならないでしょう。 しかし、「どうしたものか」は厳密には文として完結していないように思います。 12ほど挙がっている終助詞としてのどの意味にも該当しないはずで、「どうしたものか(迷っている / 困っている)」などのような文の省略形と捉える必要があるのではないでしょうか。 つまり、「迷っている / 困っている」などに係る形ではじめて「か」が存在できるわけです。 ・なんのことかさっぱりわからない。 ・なんだかおかしいぞ。 などの例が挙がっている副助詞の「不確かな気持ちを表す」用法と解釈すべきだと思いますがいかがでしょうか。 「本人はなんのことか(と)困惑している」といった文も成立するはずですが、終助詞と解釈すると間違いになる(と思うのですが)のと同じ構図です。 「なんのことかさっぱりわからない」だけが副助詞で、「なんのことか」が終助詞ということはないように思う、ということです。 これとて、係助詞の用法とほとんど変わらないと思うのですが、辞書的な区分に立ち入るつもりはないので、とりあえず妥協しておきます。 また、「むこうの山が南アルプスか」は「むこうの山が南アルプスだろうか」の婉曲用法部分を省略したものであり、後者は「不確かさ」の度合いが強調されているだけにすぎません。自問・相手への問いかけ、どちらにも適用可能でしょう。 以上、例によって一素人の独断に基づく見解であることを改めてお断りした上での投稿となります。    

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質問者からのお礼

補足説明いただきまして、ありがとうございました。 反発するつもりではありませんが「どうしたものか(迷っている / 困っている)」などのような文の省略形と捉えるのであれば、その完結した文の文末に位置する「か」なのだから終助詞であるという解釈も成立するのではないでしょうか。そのように考えるならば「なんのことかさっぱりわからない」の「なんのことか」は文の一部にすぎないので副助詞であり、「どうしたものか」とは別種のものであるという考え方にも無理はないように思えます。 とはいえ、そもそも「係助詞」という分類さえも副助詞の一部であるとする説もあるくらいですから、専門家の目で見ればこのような議論は不毛なものなのかもしれません。その点も含めて、さらなるご意見がありましたら歓迎してお待ちしております。

  • 回答No.7

 丁寧な折り返しありがとうございます。 >「ものか」という三字の終助詞も辞書に載っていましたが、それではなさそうです  少し舌足らずでしたので、補作させていただきます。 「ものか」ではなく「もの・か」の形です。この「もの」はご指摘のように形式名詞であり、「どうしたことか」と同じです。  更にお話ししますと、こうした表現に類似する「どうしたものやら」との表記もあります。この表現は「どうしたものやら『思案のしどころ』」などとも申します。表面的には体言止めですが、文意は「どうしたものやらと『思案のしどころ』である」です。体言止めにする理由ですが、それによってニュアンスを強めるなどの意識が作用しているとも受け取ることができます。  仮に「本人はどうしたものかと困っている」の「か」を婉曲表現と見なし、話し手が聞き手に対する同意を求めるのであれば、それは「この問題に対しての自らの見解は決まっていて、それに対する同調」であることとなり、「困っている」との間に齟齬が生じるとの疑問が残ります。どうしようかと「判断すること」に困っている、のですから、「困る」との意識および動作から推測する限りでは、どうかな?と素朴な疑問が生じています。  先学の方々には非礼で無知蒙昧と思われるでしょうけれど…………。

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質問者からのお礼

わざわざ補足説明、ありがとうございました。 他の方々の回答とも合わせて、参考にさせていただきます。

  • 回答No.5

 こんばんは、夜分に失礼します。 >「本人はどうしたものかと困っている」 との文章を素直に読むならば、「本人はどうしたものだろうかと困っている」とのご理解で支障もないでしょう。  この「か」は終助詞です。疑問や詠嘆、そして反語表現の性質を持ちます。終助詞が付属する文末や語句末の意味ですが、それはセンテンスとしての終わりを示すとの意味です。 >活用語の連体形でないことは明白ですので、決して終助詞ではありません この「本人はどうしたものかと困っている」の「どうした」は「どう(どのように)・した(する)」ですので、「活用語のない連体形でないことは明白である」ことにはなりません。 少し事例は異なりますが、徒然草の一節、「花は盛りに、月は隈なきものを見るものかは」との表現もあります。

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質問者からのお礼

ご回答、ありがとうございました。 言われてからあらためて考えてみると「どうした」は連体形でしたね。私のミスでした。 「ものか」という三字の終助詞も辞書に載っていましたが、それではなさそうです。 他の方の回答にあるように、「もの」は形式名詞のようですね。形式名詞については、勉強不足でした。

  • 回答No.4
  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)

>「ものだろうか」の省略形 : というご見解に同意します。 まず確認ですが、「どうした」は、 《副詞「どう」+動詞「する」の連用形+助動詞「た」から》どのような。どういう。 という意味の連体詞でしょう。 http://dic.yahoo.co.jp/detail?p=%E3%81%A9%E3%81%86%E3%81%97%E3%81%9F&stype=0&dtype=0 「もの」は、下記辞書の、 5-(3) (「…するものだ」の形で)それが当然であるという気持ちを示す。「先輩の忠告は聞く―だ」「困ったときは助け合う―だ」 という用法に該当する形式名詞ではないか、と思います。 http://dic.yahoo.co.jp/detail?p=%E3%82%82%E3%81%AE&stype=1&dtype=0 「か」は、下記辞書の、 2-[1]疑い・問いかけの気持ちを表す。 という用法の係助詞になるのでしょう。(種々の語・語句に付いて、文末の述語を連体形で結ぶ。普通、上に疑問語がくる。) http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%81%8B&dtype=0&dname=0ss&stype=1&pagenum=21&index=102905600000 全体的には、「どのようにしたら当然(という結果をもたらすことができるの)だろうか」 といったような意味。 今回の場合、「ものか」は(当該辞書における)連語として判断なさらないほうが妥当なように思われます。   

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質問者からのお礼

今回も詳しいご回答、ありがとうございました。 外国人にはこのような説明をしなければ、なかなか納得してもらえないのが難しいところです。とりあえず「ものだろうか」の省略形だろうと言っておいたのですが、どうやら間違いではなかったらしいですね。あとでそのように補足説明しておきたいと思います。

質問者からの補足

正直申して先刻までは回答の読みが浅かったのですが、他の方の回答と見比べてやっと気がつきました。 「か」は係助詞ではなく、お示しいただいた辞書の 4-[1]疑い・問いかけの気持ちを表す。 という用法の終助詞ではないでしょうか。 詳しい事情はわかりませんが、少なくともネットで公開されている国語辞典を見る限りにおいては、古語辞典と重複・兼用している部分もあるような気がしています(勉強不足または不注意なせいか、私の学生時代にはこのようなことがなかったように記憶しています)。ご回答で示されている係助詞の用法は、古語のみに該当するものではないでしょうか。よろしければ、このあたりのことについてもご説明いただければ幸いです。

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