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ガ格の起源

大野晋氏によると格助詞・ガは 体言+ガ+体言という形で用いられるのが基本と言います。連体格《の》の意であると。:たとえば 我ガ国。 うしろの体言のところに用言が来ても それは連体形が使われていて 体言に準ずると考えられる。 :我ガ思フ妹は 思フが連体形で ガは うしろの体言の妹にかかる :君ガ去ナバは 去ナ‐ム(連体形)‐ハから成り やはりガは 広義の体言に連絡している。 そこで ひとつだけ 疑問が残っています。古事記歌謡2番の中で 次の例は ガが已然形にかかっていると思うのです。 ・《八千矛の神の命は・・・板戸を押そぶらひ 我が立たせれば(和何多多勢礼婆) 引こづらひ 我が立たせれば(前例と同じ漢字表記)・・・》 この例は 例外なのか それとも 基本の用法で説明できるのか 是非おしえていただければと思います。

noname#80116
noname#80116

みんなの回答

  • kimosabe
  • ベストアンサー率59% (137/230)
回答No.5

直接の回答はいたしません。というより、このような場では意を尽くした回答はできません。ただのアドバイスです。 失礼ですが、大野晋に振り回されていらっしゃるようです。もう少しオーソドックスでわかりやすいところから出発なさればよかったと思います。たとえば此島正年(このしままさとし)の「国語助詞の研究ー助詞史素描ー」(桜楓社[現おうふう])は他の研究者の業績も視野に入れつつ、助詞の歴史的変遷をきちんと跡付けてくれます。派手さもありませんが、はったりもない良書です。

noname#80116
質問者

お礼

kimosabeさん アドヴァイスありがとうございます。 振り回されるの内容を考えてみました。ガ格の問題としてか それとも たとえば已然形の活用の起源を含めた日本語の構文全体の問題であるのか・・・。 日本語の文の構造一般の問題について振り回されているのだと考えます。その過程で大野理論が先達であるということ。 此島氏の研究成果について勉強します。愛知県立図書館にて《助詞》で検索しても 一冊もなかったような状態でした。予めながら 感謝申し上げます。

noname#80116
質問者

補足

・此島氏の研究書 図書館にありました。 ・《が・の》の項を読みました。 (1)《助詞の歴史的変遷が跡付けられて》いて この本は 文庫本に入ればいいと思いました。 (2)《娘の尼君》(A)ハ《上達部の北の方にてありける》(B)ガ《その人亡くなり給ひて後娘ただ一人をいみじくかしづきて》(C)(p.203) このように 《AハBガC(ナリ/スル)》という基本構文を想定します。 (3) Aなる第一中心主題を ハ格が提示し Bなる関係第二主題を ガ格が指定し Cなる論述主題で 話者の判断を述べます。 (4)中心主題Aに関係する第二主題Bを承けるガ格は 此島氏の指摘するように《強示的意義》を持つと同時に 大野晋氏のいうように《うち・そと》で分ければ《内》として捉える主題を 初めは扱った。 (5)関係第二主題格のガは 古代において 潜在的であった。ノ格は 終始 属格であるが はじめ同じ属格でもあったガ格は 時代とともにこの潜在的性質を現わすようになった。 (6)とは言っても 用言の論述格は 終止形という名の連体形が 依然として 居座っている。これは 話者格が 文に対して 係り結びか それとも 体言相当の語かのいづれかで 明示的な形態としても 統括しているということであろうか。 乱雑かと思いますが 簡単に以上のように捉えました。吟味・検討に入ります。それ以上に教示いただければ幸いです。

noname#14748
noname#14748
回答No.4

わたしの手元にある「岩波古語辞典」は1975年12月15日刊という古いものですが、大野氏自身が「大船の思ひたのみし君が去なば吾は恋ひなむただに逢ふまでに」(万五五〇)「長き夜を独りや寝むと君がいへば過ぎにし人の思ほゆらくに」(万四六三)  という例が挙げてあります。後者は明らかに「已然形+ば」ですよね。ということは筆者はこういう例も念頭にあったのではないでしょうか。しかし、「未然形+ば」にしか言及されていませんね。

noname#80116
質問者

お礼

jun102さん ご指摘ありがとうございます。 おっしゃるとおりでした。《岩波古語辞典》の1990年補訂版も 同じ内容でした。 《君がいへば》の例が挙げられていて これは已然形であるのに 説明がないという状況です。見過ごしていたのですねえ。 大野氏も 体言+ガ+已然形の事例をむろん知っているけれど 説明は控えているという状態なのでしょうか。 《國文學 解釈と教材の研究》第29巻8号(1984・6月臨時増刊)で助詞などの用法をまとめているのを見ると 体言+ガ+体言の用法のほかに 次の類型を挙げています。 〔1〕従属文(1)や条件文(2)など前提文における主語を示したりする。 (1) わが夫(せこ)が植ゑし秋萩花咲きにけり(万葉・2119):〈私の夫が植えた秋萩〉 (2) 吾妹子(わぎもこ)にわが恋ひ行けば羨(とも)しくも並び居るかも(万葉・1210)〈私の妻に私が恋いつつ行くとうらやましいことにも並んでいることだ〉 〔2〕連体形で終わる文(3)の主語を示したりする。 (3) 風吹けば沖つ白波立田山夜半にや君が独り越ゆらん(古今・994)〈夜中にあなたが一人で越えているでしょうか〉 (1)と(3)は大きくは 体言+ガ+体言の形式におさまる。 (2)は +ガ+已然形のいまの問題です。 言いかえると (2)の例は 条件文なる前提文の中におさまるという形では ガ格の基本用法に入ると言うのかもしれないけれど 二つの体言(準体言)の間に置かれて 所有・所属を表わすというには 無理があると思われます。その意味で 上の雑誌の《まとめ》が 別項目として《主語を示したりする》と言っているのは 一歩踏み出していると考えられます。 皆さまの教えをさらに乞いたいと思います。

noname#80116
質問者

補足

(1)その後 已然形(《いへ‐ば》)も 四段活用の動詞(《言ふ・言ひ》)では たとえば 《いへ iFe(e=a Umlaut)<iFa-i いは(未然形)‐い(事の意の形式名詞)》という成り立ちで 基本用法の《体言+ガ+体言》の形を保っていると考えました。 ほかの活用の場合は それに準ずるというのかも知れません。 (2)記歌謡・88番(もしくは万葉集・85)で 《君が往き(岐美賀由岐)け長くなりぬ》 とありますが この場合は 《往き》が 連用形で体言相当という形でしょうか。 (3)同じく記歌謡で11番は 《みつみつし 久米の子が 頭椎(くぶつつい) 石椎(いしつつい)持ち 撃ちてし止まむ みつみつし 久米の子らが 頭椎 石椎もち 今撃たば 良らし》 とあるとき 後のガがかかる《撃たば》は 《撃た‐む(連体形)-は》という成り立ちの未然形であり まえの場合は 《撃ちて(連用形)・・・止ま‐む(連体形)》ということでしょうか。 ただ ここまでの主‐述の格関係が明確である表現が現われているのなら 《久米の子ら‐ガ》と言い出したとき 最後には体言相当の語で締めくくるという意識はあるでしょうが それよりも強く 《久米の子ら》を主格で承けたという感覚が明らかになって来ているのではないでしょうか。述格として承けるための用言を 頭の中では 探しているのではないでしょうか。  (4)こうして考えて来て 疑問のありかは 次のようになっています。 ある種の基本として 日本文には 主格や対格の助詞は 必要ではなかった。と同時に ちょうど主題を提示するには ハ格を用いる用意があるというごとく 主格や対格を 表わす必要が生じたときには やはりその用意があったはずです。対格はヲ格で決まっているとしたら 主格は何であったかという形の疑問です。 大野氏の研究に学んで考えてきたつもりでしたが わからないところが生じてきました。よろしくお願いします。

noname#19923
noname#19923
回答No.3

No2 です。上代語については全くの無知ですので,回答と言うよりも逆に質問となってしまうことをお許しください。 ここでの「立たす」ですが,「立つ」+尊敬の「す」ととってよいでしょうか? もしそうだとすると,「わたし」が主語ではおかしなことになるのではないかと思うのですが。 まさかとは思いますが,もし使役の「す」なのであれば,「我が○○」が目的語なのかもしれません。 ちょっと無知をさらけ出してしまったようで,申し訳ございませんでした。

noname#80116
質問者

補足

《立た‐す》は 尊敬のスと採ってよろしいと思います。 この同じ歌の中で 主語である《八千矛の神の命は》  賢し女をありと聞かシて(お聞きになって) さよばひに(求婚に)ありたたシ(お出かけになり) よばひに あり通はセ(已然形)(続けてお通いになると) と三人称で述べて来て 相手のひめが応じてくれないとなると  そこでは 板戸を押して《私が お立ちになっていると》と一人称で語るかたちが現われます。 この解釈でよいと思うのですが。 西宮一民:《新潮日本古典集成27 古事記》(p.66)では 《人称の転換は古代歌謡にしばしば見られる特徴の一つで 演技を主とした語りに多い。語り手が気分の高潮に伴ない自己のこととして語るためである》とあります。 

noname#19923
noname#19923
回答No.2

横から素人が失礼します。 ここの「が」はその後の体言が省略されたものとは解釈できないのでしょうか? 三島江の玉江の菰を標めしより おのが [己我] とぞ思ふいまだ刈らねど (万葉・7・1348)

noname#80116
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 いま少しご趣旨を消化しきれていないのですが 1348番の歌では はっきりと《己が〔もの〕とそ思ふ》という意味だと思います。体言を二つ結ぶガの用法です。 記歌謡・2でも 《我ガ〔もの・こと〕立たせれば》といった意味と用法だということでしょうか。一方 歌の意味は すでに現実に訪れて来ていて 《家の板戸を押し揺さぶって 私が立っていると》と述べていると思うのですが。したがって 仮定の話として 《立つとするなら》ということでもないと考えるのですが。 もし已然形にガが連絡しているとすれば――古事記の文章が どの時代のものかについても 議論があるのかも知れませんが―― 例外と見るには 大きすぎる異端であるように思われます。いかがでしょうか。

回答No.1

 君ガ去ナバ同様、立タ-セ-ム(連体)-ハと解釈できるとも思いますが、そもそも大野氏の説は、こうした連体助詞としてのガの用法が拡大して格助詞へと変化したというものであったはずなので、その意味ではよしんば上記の歌を格助詞に解しても「例外」ということにはならないのではないでしょうか。今よく思いだせませんが、たしか万葉のころからガの格助詞的用法の萌芽があるということを、大野氏は主張していたような気もしますけれども……。

noname#80116
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 古語辞典によりますと 《吾ガ如く》(万3750)・《風の見えぬガ如く》(万3625)の例では《吾 / 見えぬ(連体形体言)》が主格のように見えるが 本来はガが 《同一を意味する形式名詞〈ごと〉》にかかっているので やはり基本の用法であるといいます。 源氏物語などで 連体形+ガ+連体形のかたちが現われる。あるいは 《風に吹かれてくだけまどふガいとあはれにて》(更級)の例では 連体形(まどふ)+ガ+体言(あはれ)であった形が ほどけるように自由になって ガは 《あはれにて》に対する主格の語を承けているかに見える。 その後 鎌倉に入って ガの下には用言の終止形がおさまる用法を生んだといいます。 ご回答を受けて ふたつお伺いしたいと思います。 ひとつに 《格助詞的用法の萌芽がある》ということと 《基本用法の中で――〈我が思ふ妹〉のように――論述の内容を分析してみると そこに主‐述の格関係を宿している》ということとは 別であると思うのですが いかがでしょう。 いまひとつに 《我ガ立た‐せ(未然形)‐れ(已然形)‐ば(は?)》は ガの基本用法であるのか否かが分かりません。推量の助動詞・ムは 未然形を承けるはずですし 已然形(‐れ‐)もしくはそれを承ける体言同様の語句とは何か ここに焦点が絞られているのだと思います。 よろしくお願いします。

noname#80116
質問者

補足

《立たせれば》の分析は 《立た(未然形)‐し(連用形)‐あれ(已然形)‐ば》から 《立た‐せ(形の上で命令形)‐れ(已然形)‐ば》というのが正解でした。訂正いたします。

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  • 接続法、条件法などの続きです。

    直説法・接続法=未然形=連用形=終止形=連体形=已然形=命令形の語幹(命令形マイナス あ!/A!= 連用形)=名詞形 で、条件法=未然形+む+は=未来形+仮定の意味 と考えて宜しいでしょうか。根拠としては、下記の質疑応答たちを御覧ください。: https://okwave.jp/qa/q2703463.html https://okwave.jp/qa/q3095849.html なお、わかぬ < わか+ず < わか+に(not)+す(do) = do not discern らしいです。 また、うまし くに ぞ、あきつしま。=うまき くに ・・・。でしたね。 結論として、条件法以外の動詞も皆、基本的に名辞=名詞=内包詞 で、 I see him go/young. = 行く/若き(若し)を見る。 で、意味上の主部は上位の内包=名辞、意味上の述部は下位の内包=名辞では有りませんでしょうか。意味上の主部・述部の階層が、文や文章の構造ではないでしょうか。 大体が、戦後が、先進国が、都市部が、女性が、寿命が、長かった。 大体は、戦後は、先進国は、都市部は、女性は、寿命は、長かった。 などを、御参照ください。 (ガは非・前提内項=焦点項、ハは前提内項の主格ないし主格と他の格の兼用格を示すのではないでしょうか。) 以上の議論が正しければ、「意味上の主部は、無いのが、言語の発生期態・理想態・正常態で、その逆像の外界にも主体が無いとするのが正常な世界観だ。」とする、ゲシュタルト全体論(全体=国家ないし体制にのみ意味が有り、個別の主体などないので、主体的に生きるな、とする全体主義)の「場(場所)の言語学」や、その母胎である、場の哲学=場の量子論=仏教の空観は、皆、アウトではないでしょうか。 ちなみに、量子力学の反証は、アマゾン・レビューの、市川秀志の本や、『相対論はやはり間違っていた』への、小弟、木村弘一の記述を御覧ください。