接続法・条件法についての根拠とは?

このQ&Aのポイント
  • 接続法や条件法とは、文法的な形態で表される未然形や連用形などの形を持つ動詞形です。
  • 接続法は未来形と仮定の意味を持ち、条件法は未然形に「む」や「は」を組み合わせて未来形と仮定の意味を表します。
  • 他の動詞も基本的には名詞であり、文や文章の構造においては意味上の主部と述部という階層が存在します。
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接続法、条件法などの続きです。

直説法・接続法=未然形=連用形=終止形=連体形=已然形=命令形の語幹(命令形マイナス あ!/A!= 連用形)=名詞形 で、条件法=未然形+む+は=未来形+仮定の意味 と考えて宜しいでしょうか。根拠としては、下記の質疑応答たちを御覧ください。: https://okwave.jp/qa/q2703463.html https://okwave.jp/qa/q3095849.html なお、わかぬ < わか+ず < わか+に(not)+す(do) = do not discern らしいです。 また、うまし くに ぞ、あきつしま。=うまき くに ・・・。でしたね。 結論として、条件法以外の動詞も皆、基本的に名辞=名詞=内包詞 で、 I see him go/young. = 行く/若き(若し)を見る。 で、意味上の主部は上位の内包=名辞、意味上の述部は下位の内包=名辞では有りませんでしょうか。意味上の主部・述部の階層が、文や文章の構造ではないでしょうか。 大体が、戦後が、先進国が、都市部が、女性が、寿命が、長かった。 大体は、戦後は、先進国は、都市部は、女性は、寿命は、長かった。 などを、御参照ください。 (ガは非・前提内項=焦点項、ハは前提内項の主格ないし主格と他の格の兼用格を示すのではないでしょうか。) 以上の議論が正しければ、「意味上の主部は、無いのが、言語の発生期態・理想態・正常態で、その逆像の外界にも主体が無いとするのが正常な世界観だ。」とする、ゲシュタルト全体論(全体=国家ないし体制にのみ意味が有り、個別の主体などないので、主体的に生きるな、とする全体主義)の「場(場所)の言語学」や、その母胎である、場の哲学=場の量子論=仏教の空観は、皆、アウトではないでしょうか。 ちなみに、量子力学の反証は、アマゾン・レビューの、市川秀志の本や、『相対論はやはり間違っていた』への、小弟、木村弘一の記述を御覧ください。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • SPS700
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回答No.1

 下記のようなご連絡をいただいて、ここへ馳せ参じました。  「あなたに回答のリクエストがありました。この質問に回答してみませんか?」  ところが、僕は全くの素人で、この件にはお役に立てません。残念ですが、ご容赦ください。

kimko_379
質問者

お礼

ともあれ、有難う御座います。

kimko_379
質問者

補足

「場所の言語学」の元締めである金谷(かなや)武洋は、その他に、「イエス・キリストは邪神で、八百万の神々が善神だ。」と言い張るために、以下のことまで唱えています。:  上から(神から)目線のゲーム感覚の、 ”God-mode” で、 Nintendo-war と言われる大量虐殺をやっている大国は、人の痛みが分かる「虫の視点(地上の視点)」を欠く God = キリスト の信者の国であるのに対し、日本の多神教の神が、そうした視点を持っている、と。しかし、そんな大国は、イルミナティ支配下の国です。また、日本も大国の政策に反対しないできました。さらに、イエスは、超越的かつ内在的でもあり、受肉と受難までされて、ヒトなどの、肉の体のある被造物の痛みを知り尽くしても居られる支配者・あがない主なので、上記の事は皆、言いがかりに過ぎません。第一、八百万の神々など実在しない偶像でしかありません。

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