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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:憲法と君が代)

憲法と君が代についての疑問

このQ&Aのポイント
  • 憲法は無理矢理な翻訳ゆえに醜悪な日本語であると感じている人々は、君が代が雅楽の律旋法に西洋の機能和声を無理矢理当てはめている音楽的ちぐはぐさについて、どのように考えられているのでしょうか。
  • 日本国の歌をないがしろにする公務員(学校の教師など)は非難されるのに、日本国の最高法規をないがしろにする公務員(右派の政治家など)はあまり非難されないどころかむしろ歓迎されているように見えるのはなぜでしょうか。
  • 憲法改正を叫ぶ人々は「日本固有の伝統文化尊重」といった主義主張と親和性が高いように思うのですが、そのわりには国歌改正(せめて和声を雅楽の旋法に基づいて作り替える)にまったく興味がなさそうに見えるのはなぜでしょうか。

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  • key00001
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回答No.3

(1) 憲法は無理矢理な翻訳ゆえに・・ 醜悪とは思いませんが、曖昧・難解であり、その結果、拡大解釈される憲法であることは確か。 但しコレは「法学」問題であり、「邦楽」問題ではないので、法学者や立法府の領域では無いです。 従い、君が代に対する考え方も様々でしょう。 政治家や法律家の、音楽感性を訊ねたいのでしょうか? 余り意味は無いと思いますが・・。 (2) 日本国の歌をないがしろにする公務員(学校の教師など)は非難されるのに・・ 総理の靖国公式参拝は、違憲ですが罰則はありません。 教師の国家斉唱における不起立などは、合憲である可能性はありますが、罰則のある条例等に違反し、その条例などを決めるのは政治家です。 政治家は、罰則条例の無い都市で歩行喫煙している様な感じで、不起立教師などは、罰則条例のある都市で、歩行喫煙している様な感じかと。 いずれも非難は出来ますが、罰則の適用は出来ません。 (3) 憲法改正を叫ぶ人々は「日本固有の伝統文化尊重」といった主義主張と親和性・・ 基本(1)と同じかと。 尚、国益主義的右翼の私の感性では、君が代は、近代国家として西洋音楽の技法で作られた中に、雅楽的な要素も感じられ、むしろ親和性に富む名曲と感じます。 実際にも君が代に反対しているのは、左翼勢力であって、その理由は主には歌詞ですが、その要素としてはメロディーも皆無では無いかも知れません。 そもそも音楽は個々の感性に支配されるモノであって、君が代に対し「日本的」と感じる感性もあれば、「非日本的」と感じる感性も存在し、それは右翼思想家の中でも同様です。 国旗(日の丸)に対する美的感覚や歴史感覚などでも、同じことかと思います。 自国民にしか理解されない様な国歌では、国際的な近代国家とは言えませんが、一方で、それが欧米への迎合であってはいけません。 その中で、西洋の管楽器で演奏しても、荘厳なリズムと独特なピッチで雅楽的な旋律を想到させる君が代は、我が国の国家として、最高の答えの一つであるとは思います。 右翼思想家は、国家を雅楽的に改定すべきと考えているであろうと言う推測は、短絡に過ぎないでしょう。 我が国で生み出された音楽は、全て「邦楽」であり、如何なる楽曲であっても、国歌と命名された楽曲に対し、個人的・音楽的な好悪は別として、誇りを持つことも可能です。

ysk26
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 明快なご回答,大変参考になりました。 (2)については,不起立教師にはすぐ「そんなに嫌なら日本から出ていけば?」という反応があるのに,憲法否定政治家には同じ言葉が向けられないことがずっと謎でした。 (3)について,私も君が代の詩と旋律は大変気に入っているのですが,あの珍妙な伴奏(和声)だけはどうも納得いきません。 憲法をアメリカ製という理由で拒否するなら,あの伴奏を,典雅な詩と旋律をグロテスクにゆがめるドイツ製という理由で拒否してもよさそうなものだが(ちょっと極端ですが)…とかねがね思っていたわけです。

その他の回答 (6)

  • Streseman
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回答No.7

>(1) 憲法は無理矢理な翻訳ゆえに醜悪な日本語であると感じている人々は、君が代が雅楽の律旋法に西洋の機能和声を無理矢理当てはめている音楽的ちぐはぐさについて、どのように考えているのでしょうか。 該当しないので回答できない ただし、前文の邦訳については、問題はあると思う それ以外は、妥当だろうし、修正されたものが議決されたと思う >(2) 日本国の歌をないがしろにする公務員(学校の教師など)は非難されるのに、日本国の最高法規をないがしろにする公務員(右派の政治家など)はあまり非難されないどころかむしろ歓迎されているように見えるのはなぜでしょうか。 ご都合主義であるから 憲法についての基本的知識がないから・・という部分もある 例えば、憲法は権力を統制する主眼があるわけだが、自民党憲法草案では、一般人まで憲法に拘束されるような条文がある これは、一般的な憲法論・憲法学では、異端であるが、それが堂々と憲法草案として提示されているのだから、不思議な話である >(3) 憲法改正を叫ぶ人々は「日本固有の伝統文化尊重」といった主義主張と親和性が高いように思うのですが、そのわりには国歌改正(せめて和声を雅楽の旋法に基づいて作り替える)にまったく興味がなさそうに見えるのはなぜでしょうか。 分からない そもそも、憲法改正を吠える人ほど、箸が持てないなどの傾向を感じるのが不思議ではある 伝統文化などと吹聴するのは良いが、明治維新の文明開化によって、政治的に淘汰された日本文化などの矛盾もある 例えば、文明開化で全面的に政治的に否定された”漢方”などは現在は名誉回復されている 仮に、維新政府が漢方医学を否定しなければ、15年戦争における「脚気を主因にした戦死者」(10万人以上)は戦死せずに済んだ可能性も高いのである

ysk26
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 私も,伝統文化尊重と叫ぶ人たちが一体何をさして「伝統文化」と言っているのか,ときどき理解に苦しむことがあります。

回答No.6

国歌というのは海外の軍隊も演奏できなければなりません。 和旋律に拘わり、海外での公式演奏ができなくなるのはいかがなものかと思います。 長野五輪の時、雅楽器で君が代を演奏してましたが、それなりに聞けましたよ できれば本来の速度45秒で演奏してもらいたいものです ま、某国みたいに国歌がそもそも海外の祝典曲よりはましです > 日本国の最高法規をないがしろにする 意味が分かりません。日本国憲法改正論議のことでしょうか?日本国憲法は大日本帝国憲法とは違い改正手続きの方法が憲法に規定されております。戦後50年経てから改正手続きに関する法律(国民投票法)ができた方が問題です。天皇制の否定・改正の否定は憲法のないがしろなんですよ。何れも憲法に書かれています。 先にも述べましたが、国歌とは日本だけで運用されるものではありません。現在はブラスバンドで演奏できる事が重要です。国歌には幾つかのバージョンがあり、王室讃歌系・建国理念を歌う系・革命讃歌系などがあります。日本は王室讃歌系です。米国は建国理念、フランスは革命讃歌です。歌詞が秀逸かどうかは別ですが… 星条旗よ永遠なれの元ネタですが、アーミステッド少佐の大国旗が翌朝も要塞に翻っていたという戦争逸話を歌ったものです。その少佐の甥は南北戦争で南軍に従事して星条旗を攻撃しました。

ysk26
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 他の方のお礼にも書きましたが、西洋楽器による雅楽演奏については、音色はともかく技術的にはなんとか再現くらいはできるかもしれません。 「ないがしろ」については、他の方からも指摘されたとおり少し不適切な言葉でした。 もちろん改正は憲法自身も認めているのですが、某前都知事の「破棄」論や「醜悪」発言、それに99条の尊重・擁護義務に違反しているのでは? という疑いが私の頭の中にあったので、「ないがしろ」という表現になった次第です。

  • E-1077
  • ベストアンサー率25% (3258/12620)
回答No.5

 1)と2)については他の回答者と同じです。  3)について  和旋律と西洋音楽における12平均律は全くの別物です。  雅楽は和旋律で出来ているものだけではありません。  何故ならば、多くの地歌・民謡・盆踊りのお囃子・神楽舞・能樂すべてにおいて旋律はありますが、多重和音ではなく、単旋律の重なりでしかありません。  歌会で朗読(詠う)場合の伸ばしはある意味旋律に則っていますし、お経もそうです。  しかしそれを「和声」の手法にてらしあわせることは不可能です。  ショパンでさえすでに大Bachの作った「和声」には反しています。連続や到達8度は禁止されているのに使っている。後期のBeethovenもそうですけど。    君が代についてだけを述べれば、和旋律に近付けた西洋音楽です。  これを本物のysk26さんの思う旋律にするとたぶんに国民の半分以上が歌えないでしょう。  他国の理解は必要ないと思うので・・・・。  日本古来の旋律を西洋音楽のロマン派に乗せようと頑張ったのが滝廉太郎です。日本の歌詞を西洋ロマン派のメロディーに乗せるという手法です。  世界で一番短い国歌としては良い出来だと思います。    それよりも私個人が気になるのは「息継ぎ」ブレスの位置です。  「さざれ石の巌となりて」を区切って歌う人が多いからです。  千代に八千代にも、ワンフレーズですし、最後の苔の生すまでもワンフレーズです。  それが出来ていない人が多いので、詞の意味をはき違えている方が多いように見受けられるのです。  君が代のwikipediaはもうお読みでしょうから省きます。

ysk26
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 ヘテロフォニーというやつでしょうか。 ちゃんと歌うのは大変そうですが,唱和した場合,かえって微妙な揺らぎが意図せざる雅楽らしさを生むかもしれませんね。 ご回答を拝見して思い出しましたが,おっしゃるとおり区切る位置も気になります。 意味的な「句切れ」と和声の機能的な「区切れ」が一致していないので,それもちぐはぐな印象を与えるんですね。 これで正確に意味を理解しろというのも酷な気がします。 もっとも,私はきちんとした和歌の披講などを聞いた経験があまりないので,和歌の歌い方というのが本来そんなものなのかどうか,あまり自信はありませんが。

  • key00001
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回答No.4

お礼ありがとうございます。 > あの珍妙な伴奏(和声)だけはどうも納得いきません。 同感です。 だだ、和声こそが西洋的な音楽要素であって、逆に雅楽はアンサンブルを重視した和声では無いので、その伴奏の違和感こそが、君が代を雅楽的・日本的に仕上げている秘訣と言える様な気もしますよ。 あるいは外国人の耳には、そのせいで、西洋的では無く、和的・東洋的な旋律に聞こえると言いますか。

ysk26
質問者

お礼

再度のご回答,ありがとうございました。 確かに,カラヤンも君が代の音楽を絶賛したらしいですからね…

回答No.2

(1) 「無理矢理な翻訳ゆえに醜悪な日本語であると感じている」とは思いません。 馴染みの薄い法律の言い回しですので違和感はありますが、醜悪な日本語には見えません。 「君が代が雅楽の律旋法に西洋の機能和声を無理矢理当てはめている音楽的ちぐはぐさ」については、そのような杓子定規な学問で考えたことはありません。 殆んどの人は「律旋法」も「機能和声」も知らない筈であり、そうした知識なしに耳で聴いて違和感を覚えるか否かの問題です。 違和感を覚えるか否かは人がその情報に慣れているか否かの問題であり、君が代は幼い頃から聴きなれた国家であることから違和感など覚えようがありません。 「音楽的ちくはぐさ」などというのは後付けされた理論に無理やり当てはめた論理であり、耳で聴いて心地良いか否かの感性を信じられない者の論理です。 (2) 法を順守しないことが「法ないがしろにする」ということであり、法の改正を主張することは法を順守していないということにはなりませんので「法をないがしろにしている」とは言えません。 国歌斉唱時や国旗掲揚時に起立するのは (障害者でもない限り) 全員に求められている法ですので、これを「改正するべきだ」と運動することは「法をないがしろにする」ものではありませんが「起立しない」ことは「法をないがしろにしている」ことになります。 (3) 憲法改正と「日本固有の伝統文化尊重」とが親和性が高いなどとは到底思えません。 法は伝統でも文化でもなく、その時代々々の状況に応じて改正すべきものと考えます。 君が代の和声を雅楽の旋法に基づいて作り替えるべきなどと思ったこともありません。 機能和声を律旋法に統一したところで歌い易く、聴き易いものになるとは思えませんし、そもそも 57577 の和歌なのですから何をどうやっても現在の君が代以上のものになるとも思えません。 世界中の式典や組織に属する Brass Band や Orchesta が演奏できるものでなければ用をなさないのですから機能和声で Arrange されていて当然のものであり、律旋法でなければならないとする方が間違っていると考えます。

ysk26
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 (1)については,「醜悪」云々は某前都知事の表現を拝借しました。憲法の日本語についての評価は私も回答者様と同感です。 音楽的感性については,おっしゃるような側面は確かにあると思いますが,私自身,音楽理論など知らない子供の頃から,君が代の最初と最後だけ伴奏がないことと,特に「八千代に」の部分の無理矢理感には落ち着かなさを感じていました。その違和感の理由が論理的にわかったのは大人になってからです。 私の周りを見ても,「暗い」「なんか変な歌」というレベルまで含めて,理由はわからないが君が代の音楽に本能的な違和感を感じている人は少なくないのではないかと思い質問しました。 慣れというのはあるでしょうが,私は初めて雅楽演奏による君が代を聴いた時に,何の違和感もなく「なんだ,これでいいじゃん」という感慨を味わいました。 (2)については,なるほどと納得しました。 ただ,起立・斉唱を定める条例の類をないがしろにする公務員が,その根拠を根本法規である憲法との矛盾にあると主張したらそれは一理あると思うし,また,憲法否定を公言する公務員は99条の尊重・擁護義務をないがしろにしているのでは,という点も気になるところです。 (3)について。憲法改正と伝統文化尊重の親和性については,右派政治家などの言動から帰納的に感じた個人的推論ですので,おっしゃるとおり,私の思い過ごしかもしれません。 個人的に国歌を作り替えるべきだと強く思っているというよりは,真に伝統文化を愛し尊重する方々からまったくそのような意見が出てこないのを不思議に思っていた次第です。 グローバル・スタンダード楽器による演奏の技術的制約については詳しくありませんが,西洋音楽においても伝統的な調性はとっくに崩壊しているし,現代音楽では半音の1/4のような微妙な音程のコントロールをごく普通に求められるようなので,さほど問題はなさそうに思えます。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.1

(1)あの憲法は占領下において、米国人がわずか三日で  作成し、それを翻訳したものが基本になっています。  いわば、銃を突きつけられて、無理矢理制定させられた  憲法で、国民主権に違反しています。  これに対して、君が代を国歌と認定したのは、そのような  状況にありません。  あくまでも、国民の意思に基づいた決定です。  憲法のちぐはぐさと、君が代のちぐはずさとは質的に  意味がことなります。 (2)あの憲法は石原慎太郎氏がいうように無効だと考えている  からです。  君が代は、日本人の手になり日本人が決めたものですから  無効と考える必要はありません。 (3)日本文化は、外国から多くのものを取り入れ、日本流に  変容して構築されたものです。  儒教も、仏教も、日本流に変容されてきています。  それが日本文化の特徴です。  君が代が欧米文化の影響を受けたものであると言って、  それで何の問題があるのでしょうか。  日本語ですら、中国から受け入れた漢字が基になって  いるのですよ。  質問者さんは、日本語を廃止するのが日本文化だ、と  言っているように聞こえます。

ysk26
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 (3)については、おっしゃるとおりかと思います。 雅楽だって元々は大陸文化の影響を強く受けているみたいですからね。 しかし、歴史の長さの違いのせいか、感覚的にどうしても違和感を拭えない部分があるのです。 いっそのこと雅楽の旋律でなければ何の違和感もないのだと思いますが、なんというか、乱暴なたとえをすると、 ♪千代に八千代に の部分を ♪千代にendlessに と歌うような無理矢理感というのか… これが日本文化の特徴と言われればそうなのかもしれませんが。

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