若い時の苦労は買ってでもしろ

このQ&Aのポイント
  • 若い時の苦労は買ってでもしろとは、若いうちに苦労を経験し、それを乗り越えることが重要であるという言葉です。
  • 大学院生である私は、毎日大学で研究に取り組み、指導教官からのプレッシャーや成果を求められる状況に苦しんでいます。
  • 今苦労をしておけば、社会に出たときに役立つのか、また自分を追い込んだほうがいいのかについてアドバイスを求めています。
回答を見る
  • ベストアンサー

若い時の苦労は買ってでもしろ という言葉について

大学院生の男です. 私は毎日,朝から夜中まで大学で研究しており,正直今かなりきついです. また,指導教官からのプレッシャーもすごいもので,非常に成果を求められるため, 毎日のように怒鳴られたり,成果が出せないと相手すらしてもらえません.これが かなりつらいです.心身ともに折れそうになってきました. 「若い時の苦労は買ってでもしろ」とよく言いますが,今苦労をしておけば, 社会に出たときに役に立つでしょうか? 来年から私も社会人として働きますが,現在,あるいは来年以降も自分を追い込んだほうが いいでしょうか? 正直,今が少し辛くてこのような現実逃避のような甘えた質問をしております. お許しください. 人生の先輩方,「若い時の苦労は買ってでもしろ」という言葉について アドバイスをよろしくお願いします.

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
noname#246720
noname#246720
回答No.13

まだ学生さんですから、今経験しているのは社会人としての苦労とはまた違う部分もあります。 逆に言えば、院生になったことのない私からはわからない苦労とも言えます。 今苦労をすれば将来にも役に立つ、というのは正解です。100%と言ってもいいくらいです。 でも今から「来年からも自分を追い込んだ方が・・・」というのは、あんまり考えなくても良いと思います。 将来に向けて備えをするのはある程度必要なことですが、しかし将来のことは誰にもわかりません。 今から「来年もこんな苦労をして、毎日をこうして・・・」なんてシュミレーションをしてもその通りにはなりませんし、新入社員は別に自分で自分を追い込まなくても、周りが勝手に苦労させてくれると思います。その上自分でも「追い込まなきゃ・・・」なんて思っているとすぐに折れてしまうかも。 来年の苦労は来年すればいいんですよ。 必要なものがあるとすれば 「この先どんな苦労が待ち受けていても、自分はそれには負けない!」と思っておくことではないでしょうか。 未来の苦労の種類は、予測はできても完璧にはわかりませんから。

m9011056
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました.今は今,来年は来年と割り切って努力します.

その他の回答 (14)

  • hanseiki
  • ベストアンサー率11% (9/77)
回答No.15

この言葉の中には、歳をとったら買ってまで苦労はしたくない、が 含まれているかと。 おっしゃった方は、苦労をするなら、今が買い時、な、あなた様のお姿を毎日みていらっしゃるのかもしれなくってよ。 そして、学校で習ったものと、将来社会に出て見る現実とは、 願うものが願わなかったり、違うものでしてよ。 そばにいるものが気がついてさしあげたらいいのにな、と思う事、世の中にはいっぱいあります。

m9011056
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました.私の姿を誰かが見てくれていることを願います.

  • key00001
  • ベストアンサー率34% (2878/8340)
回答No.14

身体(体力,筋力)を鍛えると言うのは、身体を虐めることですよね? 精神力を鍛えるのも同じですよ。 ただ、普通は自分で自分を精神的にいじめるのは難しいので、主には他人からいじめられるコトによって鍛えられることになります。 問題は、自分で自分に程度な負荷をかけるワケでは無いと言うことでしょう。 強靭な精神力の持ち主であれば、誰からどんないじめを受けても、それを乗り越え、更に逞しくなれるだろうけど、精神力が弱い人が、いきなり強い抑圧状態などになれば、精神は崩壊してしまいます。 私自身は、「買ってでも」などとは思いません。 よほどの人格では無い限り、自分の精神力を鍛えれれる様な苦労(負荷)を、自ら選ぶことは難しいですから。 自分で進んで買える程度の苦労など、買う必要は無いですよ。 そんなヒマがあったら、自分を高めりゃ良いと思います。 知識でも経済力でも人間的魅力でも、何でも良いから。 そうすりゃ自分が好きになり、自分が自分でかけがえの無いモノになっていきます。 自分が大切になればなるほど、他人からの攻撃などに対しても、自分を守らねばなりませんので、自分が強くなりますよ。 それがいじめなどに耐える精神力・忍耐力でしょう。 更に、自分を高める過程で、自分以外で、自分にとってかけがえの無いモノも手に入ります。 それらを守るための力も、精神力です。

m9011056
質問者

お礼

回答ありがとうございます.社会に出るまでに自分を高めたいと思います.

  • saltmax
  • ベストアンサー率39% (2997/7598)
回答No.12

>「若い時の苦労は買ってでもしろ」とよく言いますが,今苦労をしておけば, 社会に出たときに役に立つでしょうか? 私は、 選択できる状況であれば、 大変そうな方、困難な方を選べと言う意味だと解釈しています。 貴方の状況は 研究すると言う意味では当たり前のことだと思いますので 院を選んだということがそれに当たるのではないでしょうか。 先例がないこと、 開発や研究ではすんなり行かない事の方が普通でしょう。 困難に正面からぶつかり 問題解決する能力を養うということは大切ですし、 人の限界なんて 自分が限界だと思った瞬間から壁になるのであって 通過点だと思っていれば、壁でも限界でもないでしょう。 限界だと思っているところから更にやらないと 限界は伸びません。 杉山愛さんが言ってましたけど プロになった当時世界のトップ10に入りたいと 目標にして人にも言っていたが いざそうなった時にトップに立つ意欲がなくなったと。 達成を確認できる身近な目標と最終的な目標は分けて考えていないと 目標の先にあることを考えられなくなるのではないでしょうか。 大学院なんて 中間地点で通過点に過ぎないのではないですか。 目標はその先にあるんでしょう。

m9011056
質問者

お礼

回答ありがとうございます.確かに自分の意思で進学しました.限界を決めずにがむしゃらにやってみます.

noname#205122
noname#205122
回答No.11

 あなたのおっしゃるとおり、確かに、甘えた「質問」ですね。それに、「大学院」でしょ。普通の人は望んでもいけるところではありません。もっとも就職に失敗して、とりあえず「大学院生」というのであれば別ですけど。  大学院に行った目的は何でしょうか?あなたにその目的意識があり、今の苦労が目的に合致したものであれば、「苦労」とは思わないのではないでしょうか?ただ大学院に行くことが目的ですか?大学院で何をしたかったのでしょうか?そのことがはっきり自覚されていれば、「若いときの苦労は買ってでもしろ」なんて古くさい「諺」を持ち出す必要はないし、おそらく苦労と思わないと考えますが。苦労なんてしないで人生渡っていけるのであれば、それに越したことはないのですから。  「来年から私も社会人として働きます」とのこと、今の研究が、「社会に出てから役に立つ」というのであれば、どんどん自分を追い込めば良いのではないですか?あなたが、どんな研究をし、どんな職場に就くのか分からないので何とも言えませんが、あまり期待しないで、むしろ人間性を養った方が良いと思いますが。教授の成果にしかならない研究で苦労するよりも。

m9011056
質問者

お礼

回答ありがとうございました.自分はやるべき研究があるため進学しました.目的を達成するべくこれから努力します.

  • 409409409
  • ベストアンサー率26% (194/730)
回答No.10

24時間365日、そのような状況に置く必要はないかと。。。 ただ自らが「苦労する場」とは、「成長出来る場」であることは間違いありません。 能力が劣るから、苦労するのです。 そこで能力を上げるのです。温水では、成長は望めません。 捌けるのであれば、苦労はしません。 捌けたら、そこはあなたの成長の場ではなくなります。 より成長を望むなら、「苦労する場」を求めることになります。 その苦労を求めて、大学院に進学したはずですが… ただ力量と要求に著しく差がある場合は、成長は難しい。 そこはあなたが見極めましょう。

m9011056
質問者

お礼

回答ありがとうございます.自分の成長は日々感じます.これからもがんばります.

  • troml
  • ベストアンサー率17% (561/3167)
回答No.9

私はもうすぐ50歳になりますが、これまでの人生を振り返って思うのは、苦労して困難を乗り越えて、やっとの思いで成し遂げた事って、心が震えるほどの喜びや感動や快楽があって、手にできるものもとても大きいですよね。 楽して簡単なことをしていたって、そんな経験はできません。 あなたもきっと、ひとつ難しいことをやり遂げて、苦しいことから逃げてしまう人には絶対に味わえない喜びを経験すれば、苦労を厭わず難しいことにチャレンジしたくなるはず。 若い時の苦労は買ってでもしろというのは、将来に無限の可能性があり、知識をどんどん吸収できて、発想も柔軟で、失敗してもやり直す時間があって、健康で体力もあって、無理もできる若い時期に、苦労して難しいことをやり遂げる喜びを経験しておけば、年をとってもチャレンジ精神をなくすことなく、喜びや感動に溢れた生き方ができるからです。 年をとれば、いろいろと衰えてきますから、若い頃のような無理はできなくなりますが、いくつもの困難を乗り越えてきた経験があれば知恵もつくし、経済的な余裕もできるし、人脈もできているので、無理をしなくても、まだまだできるんですね。 人生は、長い階段を上っていくようなもので、若い頃は目の前に立ちはだかる険しい階段しか見えないんだけど、苦しくても逃げないでそれを登っていくと、どこかでパッと視界が開けて、美しい景色が見えてきて、気持ちいい風が吹いてきて、その上の階段を楽しく登っていくことができるようになるんです。 何段か上がって、辛いからといってすぐ降りてしまったら、いつまで経っても一番下の、苦しいだけのところでうろちょろすることになってしまうし、何が楽しくて生きているのかわからないってことになっちゃいますよね。 ひとつアドバイスするとしたら、苦しい時に、目の前の苦しいことを見るんじゃなくて、苦しいことの先にある、光り輝く喜びや感動や快楽を目指すことです。人は苦しいことのためにはあんまり頑張れないけれど、快楽のためなら、自分でも驚くほど頑張れてしまうものなので。

m9011056
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます.おっしゃる通り,苦労して行った実験が上手くいったときは感動します.これからも成功を信じて努力致します.

noname#188107
noname#188107
回答No.8

>社会に出たときに役に立つでしょうか? はい >現在,あるいは来年以降も自分を追い込んだほうがいいでしょうか? そうです。 社会人になれば、今のしんどさが当たり前になります。 で、若い時は指導もしてもらえれば、きつくもあたってもらえますが、 そこで実力をつけておかないと、 年をとったら、誰も教えてくれませんし、注意もしてくれません。 ただ、相手にしてもらえないだけで、 会社ならとっとと首になるってことです。 叱られているうちが花という言葉もあります。 買ってでも。。。というのは、そういう苦労をしておかないと、 困難にぶち当たった時に逃げ癖がついていると困るし、 今の困難から逃げ出すな。というような意味でもあります。 年を取ればとるほど困難は増えてくるので、 若いうちに実力をつけろという意味もあります。

m9011056
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます.やはり社会はしんどいのですね.叱られているうちが花というのもおっしゃる通りです.

  • lions-123
  • ベストアンサー率41% (4360/10497)
回答No.7

>「若い時の苦労は買ってでもしろ」とよく言いますが,今苦労をしておけば, 社会に出たときに役に立つでしょうか? 先人知恵・訓えであり、経験則だと思います。 また、そう思って取り組む事で、勇気がわき目標に向かうモチベーションが高まるのかもしれません。 「先憂後楽」とも言います、「苦あれば楽あり」も同じであり、苦労した先にはその苦労が身に付く知識やノウハウ・技術は自らを助ける体験やスキルにも成ります。 さらに、若くして体力・気力・柔軟な思考、何よりも再トライや遣り直しのきく年代の苦労や失敗は→人生のスパイス、貴方のキャパシティを大きく豊かにすると思います。 振り返ってみれば、勉強・クラブ活動・ケンカさえもが良き経験や教えや戒めに成り、同じ過ちや後悔を繰り返さない審美眼や判断力や行動基準に成っている事柄って多くないですか&思い起こしてみてください。 そのような原体験を述懐して、後世に子孫に伝えてくれる教訓・知恵が「若い時の苦労は買ってでもしろ 」だと思います。 あくまでも、その言葉・訓えを信じる信じない、活かすも殺すも、勝手な押し付け言い分だと無視するもor有りがたいアドバイスと捉えるか、それは自己責任・自己判断・自分の感性&価値観であり、自由だとは思いますが・・・ >来年から私も社会人として働きますが,現在,あるいは来年以降も自分を追い込んだほうが いいでしょうか? 社会と学生では、求められるものも評価基準も異なる場合が多いですし、企業や職種でも異なります。 ただ、新入社員として形の上では同じスタートラインに立つわけですが、その後にどのようなレーンを走るのかゴールは何処にあるのか・・・それは個人の価値観や運命、目標、努力によっても違ってきます。 「生涯学習」「ライフワーク」と言う意味で、一つの道を探究するのも人生、色んな事にチャレンジするのも、また人生です。 「人生いろいろ」我が道を行くのに追い込むも追い込まないも、それは貴方が決める事であり、何を目標実現へのエンジンに糧とするかだと思います。 好奇心・栄誉・尊敬・スキルや成果etc 夢を目標に変え、実現させるのに努力と精進が必要なら、その仕方やスピード感も、日々の積み重ね&長い道のりであり、アクセルとブレーキ、さらにクラッチが的確に円滑に臨機応変に操れ判断出来る事が導いてくれるのでは・・・ そんな人生の道のり、ドライブは→自己・自分の人生設計の確立と実現へのモチベーションの維持向上とP(プラン)D(実行)C(チェック)サイクルの確実な前進・ステップアップの日々実践実行だと思います。

m9011056
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました.ステップアップのため,めげずにがんばります.

  • toshipee
  • ベストアンサー率10% (725/7148)
回答No.6

 苦労のないヒトは、ホント逃げます。というか、キャパを越えたんだなとわかるので、逃げたとは思いませんでしたね。「無理だコイツには」と、年上でも思いました。  しんどいときどう考えればいいか、わかってくるんですよね。「なるようにいくしかない」。いろいろなことを越えているヒトは、突然のことに対して、真っ向から対処せず、自分が壊れないように受け流します。  そうでない落日の一族の長は死にました。車で激突死。もちろん保険も下りたんでしょうが、葬式もひっそりと身内なの知らせずに済ませてましたね。真実は自殺だからでしょう。「周りのため」という態度を見せたかったんでしょうが、その周りを見るととんでもない。悪しきお手本でしたね。「若い時の苦労は買ってでもしろ」苦労せずひとつ学びました。  ただひとついい加えておきますが、苦労は追い込むのではない。与えられたモノをすべて自然に受け入れればいいだけです。ヒトの苦労を背負い込む必要はありません。「買う」んですから、あくまでも自分へのモノです。

  • ShowMeHow
  • ベストアンサー率28% (1424/5027)
回答No.5

役に立つかといえば、たたないよ。 途中で逃げ出したら、今までの努力が無駄になるだけ。 大体、院なんてそういうことやりたいから行くもんじゃないの? 今日も、1日がんばろう。 どうせ、後半年だよ。 すぐ終わる。

m9011056
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました.修士2年なので文字通りあと半年で終わります.がんばります.早く今年度が終わってほしいです.

関連するQ&A

  • 『若い時に苦労する』ことについて

    21歳女です。 去年体調を崩して仕事を辞めてから、働くことをはじめ様々な疑問が浮かんできました。 そこで、どうしてもよくわからない、納得できないことがあるので教えていただきたいのです。 『若い時の苦労は買ってでもしろ』など言われますが、どうして若いうちにしなければならないのですか?その苦労は例えば30歳ごろになってぶつかったら遅いのでしょうか? 仕事を辞める前の私なら、なんの疑問も持たずに社会はこういう決まりなんだと流せたと思うのですが、こうなってしまった今はこんなことを考えてしまいました。ちなみに退職後はアルバイトをしもうすぐまた就職することが決まっています。ですのでこう考えてしまうのも今だけかと思うのですが、モヤモヤとしているので質問さていただきました。 真面目な疑問です。 上記の質問と、良ければみなさんはどのように考え仕事をされているか教えてください。お願いします。

  • 大学院での論文や学会発表について教えて下さい。

    大学院での論文や学会発表について教えて下さい。 大学院(博士前期)の学生です。論文や学会発表について教えて下さい。 自分は社会人を経て大学院に入りました。 社会人時代の仕事に関連することを研究していて、現在の指導教官に自分の研究室でその研究ができると言われ、研究室に入りました。 しかし、入ってからは話がころっと変わり、指導教官に「君の研究内容は自分の専門外だから、自分でやり方を見つけて指導教官の所属する学会(おそらく自分も入会することになると思われる)で発表したり論文を投稿し、その時に私(指導教官)の名前をセカンドで入れてくれたらいい」と言われました。 研究は自分のこれまでの素地からその道の専門家(他大学の教授とかではない)などに自分でコンタクトを取ったり、文献を調べて進めている状態です。 指導教官の選択を誤ったことを今さら嘆いても仕方がないので、とりあえず残りの期間を我慢してほぼ自力ででも卒業したいと思っています。 大学院のシステム的なことがわからないので知りたいのですが、学生の自分が発表したり書いた論文はすべて自力で書いたとしても、セカンドに指導教官の名前は載せないといけないのですか? また、もしそうならそれは共著になり、指導教官の論文の1本に数えられるのですか? 指導教官は博士前期過程の間に論文投稿3本、発表3回しようと言っています。(自分はそんなには無理だと思っていますが) 前述のように発表や投稿の予定は言いますが、指導はありません。 それなりの指導もなしに論文投稿や発表はするようにと言われているのですが、自分が書いた研究成果が指導教官の研究成果にもなるからなのですか? 研究室や指導教官の教育方針や人間性にもよると思いますが、一般的な大学院の学生はどのような指導を受けているのですか?他の研究室の同級生にも聞いてみたのですが、自分のことだけを考えているようでよくわかりません。 大学院がこんなに閉鎖的なものだとは思っていなかったため、とても残念です。

  • 大学の研究と企業の研究の仕事の違いについて質問です。

    現在、大学院生の者です。 来年から内定を頂いた会社に入社して社会人として働きます。 そこで大学の研究と企業の研究の仕事でどんな違いがあるのかを具体的に教えて頂きたいと思っております。 例えば、特許申請や情報源の収集方法、上司とのディスカッション、研修内容(研修がどれほど役に立ったかなど)、大学の研究には無かった仕事の苦労などを教えてください。

  • 就職時の大学院生に対する評価はどう決まるのか?

    就職活動中の修士2年です。 大学院生ならば就職活動中の面接で 大学院の研究について当然のごとく聞かれるのですが なにを評価しているのかという点について疑問が出てきました。 なぜなら研究の進捗状況は、学生の能力や努力に関係なく 与えられた環境によって変わるからです。 学部生の頃のテーマを引き続き行っている学生が 一番深く研究が進むでしょうし、先輩のテーマを引き継いだり、 教官からテーマが与えられ、きめ細かな指示がある 場合ならば進捗状況も早いでしょう。 逆に自分でテーマを考えなければならなかったり、 テーマが与えられても教官が放置している場合、、 M1の間はずっと先輩の手伝いをさせるような場合では 進みも遅くなるでしょう。 また独立研究科や大学院大学などでは そもそも研究室配属自体がM1の10月からとか M2に進級してからといったところもあると聞きます。 なので、研究の進捗状況だけで比べるのなら まじめで優秀な学生であっても、研究室の状況次第で 学部のテーマを引き継いで研究しているふまじめな学生に劣るということも 十分あり得るわけです。 そのため就職時の研究に対する評価ってかなり 不公平な部分があると思うのですが、実際にはどういう目で 人事の方は大学院での研究について評価しているのでしょうか? 成果ではなくプロセスを見ているのでしょうか?

  • 産学連携の大学側のメリットは?

    産学連携における大学側(特に研究者の方)のメリットは何なのでしょうか? 研究シーズを,企業と連携して実用化に繋げる場合, 研究者の方の大きなメリットは何でしょうか. やはり,「研究資金が増える」,「自分の研究成果が社会の役に立てるという喜び」でしょうか. よろしくお願いします.

  • 新人のときの苦労談を教えてください。

    社会人6年目です。 教育関係なのですが、本当に仕事が楽しくて仕方がありません。 管理職からも良い評価をいただき、頼りにされています。 しかし、社会人1年目のころは非常に苦労しました。 長くなりますのでここでは省きますが、毎日やめたいと思っていたこともありますし、トイレで一人で泣いたこともありました。 みなさんの、新人だったときの苦労談を教えてください。 それが今どのように生きているか…などもあればうれしいです。

  • 大学院の研究室について (指導教官or研究内容)

    私は大学4年で、来年は同大学の修士課程へ進学しようと思っている者です。 現在、研究室に属しています。しかし、研究内容自体はすごく興味が あるのですが(研究はまだ本格的には始まっていません)、 指導教官との相性が悪く、このままこの研究室でやっていけるか不安です。 この場合、 指導教官との相性が悪くてもやりたい研究をしていくか、 指導教官を変えて研究内容(研究室)も変えるか、 どちらが良いのでしょうか? アドバイスをお願いします。

  • バイトしてるジジイって若い時苦労してこなかったの?

    「若いうちに頑張っておかないと年とってから苦労する。体力のあるうちに働いて年とってからはラクがしたい。」「今しっかりやっておかないと、後で苦労しないといけない。」 この「今苦労したら後でラクできる。」理論が大好きな日本人は多いですね。 残業しまくりで必死で働いているおっさんや子どもに受験勉強をさせるババアなどは自己洗脳やある種の願望のようにこの理論に縋りますね。 「俺はこんなに働いているんだからきっと将来会社は俺を役員にしてくれる。」「中学で慶應大学附属か最低でも青山学院附属に行ければ将来は安泰」 こういう感じで。 そういう「若い時に苦労しないとダメ」理論の信奉者から見ると、60歳越でバイトしてる人達や仕事を探している人達は完全に負け組ですよね?年とってるのにラクできていないから。 若いうちに会社に貢献していたんだったら60歳を越えても会社は雇うだろうし、若いうちにきちんと勉強していたらそのような高齢者を再雇用できる体力のある会社に入ることができます。 「若いうちに苦労したら後でラクできる理論」によればそうならないとおかしいですから。 60歳過ぎて会社を退職し年金が支給されるまでの5年間の糊口をしのぐためにハローワーク通いして仕事を探しているジジイやババア、年金が少なくてとてもそれだけでは生活できずに牛丼屋でバイトしてる65歳越えのジジイやババア。 こういう人達は「若いうちに苦労したら後でラクできる理論の信奉者」からすると完全に見下す対象ですよね。 「若い時に遊んでいたから60歳過ぎて就職活動したり、牛丼屋のワンオペみたいな劣悪な環境で働かないといけないんだ。自業自得だ苦しめ。私はそうはならないために働く。」 こんな感じで。 私は「若いうちに苦労したら後でラクできる理論」 の信奉者ですからそう思いますが。 同じように「若いうちに苦労したら後でラクできる。」と思って、今苦労しながら働いている人達に質問です (1)60歳過ぎて夜中のすき家でワンオペとかの劣悪な環境で働いてる人達は「若いうちに苦労しなかったクソ」という侮蔑の対象や「私はこうはならないようにしよう」という反面教師のような存在ですか? (2)小学校受験や中学受験をさせている子どもが劣悪な環境で働く老人を指差して「あの人達は老人なのにラクできていないのは頑張ってこなかったからか?」と聞かれたらどう答えますか? 私は60歳過ぎて苦労して働く人達は「こうはならないようにしよう」と思う反面教師ですし、子どもに聞かれたら「彼等は頑張ってこなかったからあんな年になっても惨めなことをしている」と答えます。 もちろん看護師などの専門職を長年やっていてその仕事で働くのが好きという老人や金の心配はないがボケ防止のために働いているという老人もいるでしょうが、そういう人達は除きます。 あくまで生活のためにしたくもない仕事をしてる人達をどう思うかで判断してください

  • 学生時代に苦労したことがない…

    よくある質問内容かもしれませんが、コレ!という回答が見つけられなかったのでここで質問させていただきます。 今、就職活動のためにエントリーシートを書いているのですが、「研究以外で学生時代にがんばったことは何か、その中で苦労したことは何か、その苦労をどうやって乗り越えたか」で詰まってしまいました。 タイトル通り、勉強・友人やサークル関係・恋愛・バイト・日々の生活等……いくら考えても、学生時代に苦労したことがありません。従って、苦労を乗り越えたこともありません。 自分の能力以上のことには最初から手を出さない、苦労しそうだと分かったら事前に他人に協力を仰ぐ、など、先手先手でやっていくタイプなので…。 もちろん、研究では苦労の連続です。実験そのものも、論文を大量に読むことも…。でも、研究以外で、と書かれているので書けません。 それ以外で強いて挙げるとすれば、バイト先でお客さんに「わざわざ遠くのお店まで来たのに、商品が置いてないってどういうこと!!!」と勝手にキレられて、その対応に苦労→乗り越え方法はひたすら謝る。くらいですが…書くべき内容じゃありませんよね…。 「会社に入ってから困難・苦労に直面した時の対応・乗り越え方を知りたい」から企業側はこのような質問をするのだと思いますが、それを含めて考えても何も思い浮かびません! 「こういう場合、自分だったらこう書く」「こんな苦労をしたことはない?」など、アドバイス等よろしくお願いします!

  • 大学の研究の在り方について

    以前、 「大学の研究は、何に役に立つのかわからないものが多いが、それで良いのか?」 と別の質問投稿サイトで質問したところ、 「今は何の役に立つかわからないものでも、例えば、100年後に大いに役立つ可能性がある。実際、ニュートンの万有引力がそうだ。大学の研究で重要なのは、『新規性と独創性』だ。今、何の役に立つのかに焦点を置くのは返って危険である。」 との回答があったのですが、これは工学研究にも言える事なのでしょうか? 確かに、数学や物理学の場合は、真理を探究することが最も重要だということが納得できますが、工学の場合は、そうではなく、やはり人の役に立つ研究をすることが最も重要だと私は思うのですが、、、 wikipediaで「工学」を調べてみても、「人間の利益となるような技術を開発したり、製品・製法などを発明したりするための事柄を研究する学問」とあります。 ということは、やはり工学においては、「何の役に立つかわからない工学研究は、たとえ新規性・独創性があってもほとんど無意味である」と言えないでしょうか? 過去の工学研究において、その時に何の役に立つかわからない研究成果が、後に大変役に立ったものがあるのでしょうか。

専門家に質問してみよう