「山へ/を/に登る」と「場所に/へ行く」の使い分け

このQ&Aのポイント
  • 外国人に日本語を教えている私が、違和感を感じた使い分けについて質問します。
  • 「山へ/を/に登る」と「場所に/へ行く」の意味の違いを教えてもらったので、皆さんの意見を聞きたいです。
  • 特に「場所に/へ行く」の使い方について、辞書の説明と関連性を教えていただけるとありがたいです。
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「山へ/を/に登る」と「場所に/へ行く」の使い分け

いつもお世話になっていますが、外国人に日本語を教えています。 今般はまさしく「違和感」を感じる話を聞きましたので、ご意見をお願いします。 その人の国の大学教授が、次のように教えているそうです。 *「山へ/を/に登る」の意味の違い ・「山へ登る」は、まだ山の下にいる ・「山を登る」は、山の中にいる ・「山に登る」は、もう山の頂点にいる *「場所に/へ行く」の意味の違い ・場所に行く=到着点を示している ・場所へ行く=方向を示している 私はこれまでそのように区別して考えたことはありませんでしたが、皆様はこれらについてどうお考えでしょうか。 特に「場所に/へ行く」については手元の辞書で次のようなことを確認しましたので、これとの関連も教えていただければ幸いです。 「に」には帰着点や動作の及ぶ方向を表す用法(家にたどりつく)もある。 「へ」には動作・作用の帰着点を示す用法(山頂へたどりつく)もある。

質問者が選んだベストアンサー

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  • kine-ore
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回答No.3

移動動詞に係わる格助詞は、目標となる名詞についた形で、動詞文を成しますが、これには歴史差や地域差が前提にあります。 俗に言われる「京へ筑紫に坂東さ」といった室町時代のことわざです。 一方、1980年頃に、「東の方へ(行け)」という言い方に関しての、全国907か所で65歳以上の人を対象とした「方言文法全国地図」での全国分布については、 1)京都を中心に広く「へ」、 2)九州北部・東部は「に」、 3)関東北部から東北地方では「さ」、となっています。 かれこれ600年経た期間での「移動を表す格助詞」の変化といえば、 1)江戸期での関東一円の「へ」への移行、 2)明治期での九州勢の東上での「に」の一般化、ていどとされています。 このような日本国内での地域差を前提にした上で、一般的には、 1)「に」は目標(帰着点)そのものと、その限りでの指向性を、 2)「へ」は目標(帰着点)もさりながら、そこへ向かう経路や方向性に焦点が、という違いがあるとされています。 膨大な資料ではありますが、次のURLに細かな差異や、何より用例が載っています。 日本語情報資料館 http://www6.ninjal.ac.jp/d_report/05/ そのNo.3 現代語の助詞・助動詞 ―用法と実例―〔1951〕 http://libgw.ninjal.ac.jp/mylimedio/search/book.do?target=local&bibid=89791 なお、私の手元では次のものを参考にしています。 「みんなの日本語事典 言葉の疑問・不思議に答える」明治書院 http://www.ksskbg.com/sonota/shin204.htm 「日本語使い方考え方辞典」岩波書店 http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/0802060/top.html 「岩波国語辞典」 http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/0800470/top3.html

Mister0413
質問者

お礼

なるほど、言葉とは時代によっても変化するものですが、地域によっても左右されるものでしたね。おかげさまで私はこれまで地域差については、ほとんど眼中になかったことに気がつきました。 そのことも含めて貴重で明快なるご回答、ありがとうございました。

その他の回答 (2)

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.2

1. *「山へ/を/に登る」の意味の違い (ア)「山へ登る」は、まだ山の下にいる (イ)「山を登る」は、山の中にいる (ウ)「山に登る」は、もう山の頂点にいる : 「山へ登る」は、山頂へ向かって進むという【行為の方向性(ベクトル)】に意識の重点を置いた表現になると思います。 その意味で、(ア)はわかりやすい説明と言えるかもしれません。 「山に登る」は、登るという【行為の場所】に重点を置いた表現。 登る前であっても「行為の場所」を前提とした(つまり重点を置いた)表現はあり得ますから、(ウ)の説明には若干疑問符がつきます。 「山に登るのは気持ちがいいね」という登頂後の会話などを想定した説明なのかもしれませんが、「山に登るためには十分な準備が必要だ」という文もできますから、「に」の用法説明としては限定的すぎます。 「山を登る」に関しては、【行為の対象】に重点を置いていることになるでしょう。 方向性は意図されていませんし、また「登るという行為の場所としての山」というより、「(行為の対象としての)山というもの」といったニュアンスで使われるように思います。 (イ)の「山の中にいる」という説明は、山を、登る対象としてすでに取り込んでいるシチュエーションを想定しているのだと思われます。 たとえば、「この歳になると3千メートル級の山を登るのは至難のわざだ」など。 意図は大体理解できますが、もう少し煮詰めると「山の中にいる状況を前提としている用法」とでもなるでしょうか。 2. *「場所に/へ行く」の意味の違い (ア)場所に行く=到着点を示している (イ)場所へ行く=方向を示している : 「行く」という動作に関しては、基本的にこの解釈で良いのではないかと思います。 >「に」には帰着点や動作の及ぶ方向を表す用法(家にたどりつく)もある。 「へ」には動作・作用の帰着点を示す用法(山頂へたどりつく)もある。 : 動詞、あるいは文脈次第でどちらの用法、解釈も可能になる、ということではないかと思います。 たとえば、「家に(辿り)着く」「東に向かう」の場合、前者は帰着点、後者は方向性ということになるでしょう。 また、「東に行く」の場合は、「東にある地」という到着点が想定された表現になると思います。 同様に「道路へゴミを捨てないこと」「北へ向かう」の場合、前者は帰着点、後者は方向性。 また、「山頂へたどりつく」は帰着点ですが、「山頂へ行く」は方向性になると思います。 以上、例によって一素人の私見です。   

Mister0413
質問者

お礼

ご回答、ありがとうございました。

  • 2181
  • ベストアンサー率24% (652/2692)
回答No.1

山へ登る 山に登る 山を登る …これ全てアリではないかな 私的には全て“これから登ろうとしている姿”が浮かびます(^^ゞ しかし場所の方は 例えば 友達の家へ行く 友達の家に行く 友達の家を行く では『へ/に』がしっくりきますね 説明が論理的でなくてすみません

Mister0413
質問者

お礼

ご回答、ありがとうございました。参考にさせていただきます。

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