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過去に苦しめられて、自信が持てないでいます。

21歳です。 中学時代に受けたいじめに未だに苦しめられています。 当時入っていた部活で酷く陰湿ないじめをされました。いじめてきた人達の数名は、私が挑戦しようとする度酷く陰湿な行為をして、私の可能性等を全て潰そうとしてきたり、「お前には無理」「お前なんかがするな」等の罵倒を延々してきてました。 もちろん始めの間はこんな奴らに負けてたまるかという気持ちでやっていたのですが、何度も練習の成果を出そうとする度にひどく陰湿な行為をされ、何一つとして結果を出すことが出来きない日々を過ごした結果、性格まで変わり消極的で周りの目を気にする人間になってしまいました。 それ以来、私は何かに挑戦する度当時の人間達の事が脳裏に浮かび、「あいつらがいたらまた何か言ってくるのかな・・・」「あいつらがいたらまた馬鹿にするのかな」という考えが浮かんできます。 今21歳で、その部活からもう7年以上経っていますが、未だにその部活が原因で自分に自信が持てないでいます。 部活というよりも、その様な罵倒を繰り返して来た人間数名に「脳内で」苦しめられています。 「あいつらは今の自分をまた嘲け笑うのだろうか・・・」 「何かやろうとしている事を仮にそいつらがそばいたら、お前なんかがやめろ、お前がそんな事するな等の事を言わないかな・・・」 「また俺の顔を見たら馬鹿にするんだろうか・・・」 「あいつらだったら・・・あいつらだったら・・・」 こんな事を未だに何度も何度も考えてしまいます。 もうそんなやつら、部活の3年間だけで十分だったのに、未だに私の脳内で生き続け苦しめ続けていて、 結果、私は何も成長出来ない(趣味でさえもできない)日々を過ごしています。 正直、毎日生き地獄で、もう死んだ方がいいのかなとも思っています。 こんな過去の人間に苦しめられる自分はどうすればいいですか? そして「仮に」当時の奴らに馬鹿にされたとしたら、私はどういう思考回路をたどればよいですか? 以上の2点について回答お待ちしております。

noname#188712
noname#188712

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • itarist
  • ベストアンサー率100% (1/1)
回答No.1

質問拝見しました。 思春期における苦痛は確かに後々響くものですね。 答えを長々と書くつもりはありません。 部活というものは学校という小さな組織の中の更に細分化された集団でしかありません。 そんなところでせっかくの自分の可能性を潰してはいけません。 あなたはこれから大きな視野に立ち、自分を本当に必要とする人たちを探すことがトラウマを克服する最大の方法だと私は確信します。 周りによってダメにされたのであれば、今度はあなたの必要性を認めてくれる仲間が必ずや救ってくれるでしよう。 とにかく自分自身を信用してあげなさい。 報われなかった数年間を必ずや取り戻す時が来ます。

その他の回答 (2)

  • kanakyu-
  • ベストアンサー率30% (1916/6194)
回答No.3

私も、子供のころに集団イジメをうけた経験があり、とても辛かったです。 大人になり、いろいろな過程をへて、自分の心の中で彼らと和解するに至りました。 まず、いじめっこ達は、もうあのときの同じいじめっこではありません。 普通なら、大人になって、性格や考え方は変わっていくものです。 今あったとしても、全然違う人にさえ見えるのではないかと思います。 いじめた人の中には、 大人になってから後悔し始めている人、 あなたに心の中で謝っている人もいるかもしれません。 大人になっても、誰かをいじめている人もあるかもしれないし、 反省もいじめもしないまま、過去を忘れて生きている人もいると思います。 反省したり謝ったりできるかどうかは、本人の器の問題です。 大人になり人間として成長していく過程のどこかで、反省の時期は遅かれ早かれおとずれるものです。 大人になって再会してからも、同じ扱いを受けることは、まずないと思いますよ。 相手がよっぽど幼稚で、成長のない人でない限り・・・ せいぜいが、避けられる程度ではないでしょうか。 わたしは、元いじめっ子だった人の話を数人から聞かせてもらいました。 彼らの当時の家庭環境や、精神状態、劣等感、 いじめた相手のことを思うといまでも胸がいたむことなどを聞きました。 わたしはそんな人の話をきくと、しだいに自分をいじめた人へも憐れみの気持ちがおきました。 彼らも、もしかしたら私を通していじめた相手に少しでも謝りたい思いもあったのかもしれません。

  • O-Gon
  • ベストアンサー率22% (1024/4610)
回答No.2

とりあえず、いじめた人たちを許してあげましょう。 といっても特に何をするわけではないですけどね。 その人たちと関わり合いを持つ必要はありませんが、許してあげるとあなたが精神的に楽になりますよ。 ただ、一番の問題はあなたが部活を3年間やめなかったことですね。 なんで辞めずに、ずるずると3年間惰性で部活を続けたのか知りませんが、これが現在に至る一番の原因ですね。 結果を出せなかったのをいじめてた人たちのせいにしているのも良くないです。 いじめという悪い環境に自ら身を置いていれば、結果が出なくて当然ですよ。 自分に良い環境を作るのも実力のうちです。

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    現在21歳の者です。 時折、昔(中学)いじめられていた時の記憶がフラッシュバックの様に蘇ります。 当時いじめられていた部活で、人の努力や頑張りをひがみ、成長を妨げる様な行為をしてくる人間がいました。 普段から平気でいじめの様な行為をしてくるその人間が、私が向上心もって積極的になっているのをみたら絶対にいじめをエスカレートさせると思ったので、その人間がいる部活では全く積極的になることが出来ず、ただただいじめによるストレスを抱えたまま日々を過ごしていました。 その人間は部活では好き放題していたので、気に食わない奴がいるといじめをするその人間をただただ怯える事しか出来ず、私は部活では自分の能力を向上させる事は出来ませんでした。 当時は本当に辛かったのですが、現在たまにその当時の事がフラッシュバックし、また当時の出来事を脳内で再体験してしまいます。 結果、チームでするスポーツや単独でする勉強においても、「頑張って向上心もって取り組む事によって、また当時の様な奴が現在にも現れ自分の成長を阻害するのではないか」と思いもの凄く怖くなるのです。 自分の頑張り、成長を僻む奴が陰湿ないじめをしてきて、結果私は当時の様に人の顔色ばかりを伺う行動を取らざるを得なくなるのではないか、という考えが浮かんできてしまうのです。 チームのスポーツや皆でする仕事ならこのような考えが浮かんで来てしまうのも仕方ないとして、単独でする勉強にまでもこのような考えが浮かんでくるとなるともう辛くて何も出来なくなります。 そもそも「成長を妨げる」という行為が間違っている行為だから、私は自分を追い込まず、人が大勢いる場所でも、自分単独で活動する場所でもどんどん向上心をもって自分の能力の向上を計りたいと思っているのですが、なかなかフラッシュバックすると負のスパイラルから抜けられなくなります。 こんな時私はどうすればいいでしょうか? 私は「自分は悪く無かった。 人の成長を認められず、陰湿ないじめをした当時の人間達が悪いから、大丈夫。 もう今後当時の様な事が起きたらどうしようという心配をする必要はないから。周りは大人だから」 と自分に言い聞かす事で少しだけですが気を和らげる事が出来ますが、効果は芳しくありません。 何かアドバイスはありませんでしょうか? 回答お待ちしております。

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    23歳、男です。 自分は昔、中学時代に団体球技系の部活に所属していました。 しかしながら、当時は陰湿なイジメに遭ってしまい、 積極的に挑戦しようとする度、罵詈雑言を浴びせられたり、 時にはボールをぶつけられたりしたこともありました。 そういう行為が何度も何度も続けられる内に、徐々に積極的にプレー出来なくなってしまい、 「挑戦することは駄目なことなんだ・・・」という考えが、頭に根付いてしまったんです。 以来、もう8年以上経つのですが、 何か新しいことに、積極的な気持ちで前向きに挑戦しようとする度に、 「今こうやって積極的に挑戦すると、当時の奴らみたいなのがまた陰湿なイジメの行為をしてくるのだろうか・・・」 こんなことを考えてしまい、すごく気持ちが萎縮してしまうのです。 つまり、「過去の一時の出来事」を過度に一般化してしまって、 被害妄想をして苦しんでしまうんです。 もうこんなことをして、自分の可能性を閉ざしたくない。。。 本来ならばできること、やりたいことを、 当時のことを思い出してできないでいるのは、あまりにも辛い。 そこで皆さんにお聞きしたいのですが、 僕は一体どういう考え方をすれば、過去の記憶に縛られて苦しむことはなくなるでしょうか? この現状を打破するような思考法などを教えて頂けたら、本当に助かります。 以前にカウンセリングに行ったこともあったのですが、改善は見込めませんでした。 ですので、第三者の多くの方からアドバイスを聞いた方が、 より良い方向に行ける考え、今回こちらで質問させて頂きました。 また回答お待ちしております。

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    【失敗を恐れず挑戦し、とにかく初めの一歩を踏み出して転びながらでも学んでいく為に・・・】 23歳です。 僕は中学時代、バスケ部で陰湿ないじめに遭いました。 僕は初心者でバスケを始めたのですが、1ヶ月が経つ頃から僕とは別の小学校から来たバスケ経験者の同級生数名に陰湿なイジメをされ始めたんです。 いじめの理由は恐らく「なんとなく嫌だ、むかつく」こんな理由だったと思います。 僕は大学まで出ましたが、大学卒業するまでその中学の部活以来、バイト等も含めいじめの行為に遭ったことがありません。 今思い返しても、当時いじめを受けたのは、 いじめをして来た人間の性格が腐っていたからだと断言できます。 部活では、 ・バスケなので体と体がぶつかるのは仕方ないのに当たると「キモイ」「死ね」等の暴言を吐かれる ・シュートを打つと「お前が打つな」と言って、尋常じゃなくキレられる ・「下手クソはシュート打つな」といった様な罵倒をされる ・僕が出したパスをもの凄く嫌そうに取る ・ミスしたら必要以上に責めて来る ・ミスしたら馬鹿にして攻撃して来る こういったことをされました。 大人でも始めたての仕事で、罵倒やいじめを繰り返されたらさすがに心を痛めます。 そんなことを、まだ13歳14歳の思春期にされたら、ダメージは相当。 明らかにシュートチャンスでシュート打てる状態でも、外したら何を言われるか分からないし、決めても嫌な顔をされる。 自分でカットインしてシュートに持って行きたいけど、もし外れたら何言われるか分からない、酷い罵倒をされるかもしれない。 こんなことを延々と繰り返された僕は、 徐々に挑戦というものをしなくなって行きました。 まだ数ヶ月の初心者。 どれだけ意識していてもミスはあります。 でも、ミスすると罵倒される状態だったらもう怖くて挑戦できないですよね。 「思い切って挑戦する」→「失敗するかもしれない」→「失敗したらそこから何かを学んで次に繋げる」 このプロセスが、何かを上達させるには不可欠です。 しかし、僕はこの第一段階である「挑戦する」っていう行動を取れなかったんです。 もうボールを持ったらパスをして、自分では攻めない。 こういう状況に追いやられていました。 そして他にも、 「下手クソはシュート打つな」 「下手クソは○○するな」 こういった発言をされていたと述べましたが、僕は下手だから練習しようとしたんです。 下手だからシュート打って練習しますし、 下手だからドリブルとか果敢に責めたりして、上達しようとしていたんです。 でも「下手だからするな」と言われたら、一生上手くなることができません。 家でいくら1人で練習しようが、実際の練習で上述したようないじめの行為をされていたらその成果を発揮できません。 「下手だから○○するな」と言われない為には、上手くなってから始めないといけなくなります。 しかし上手くなるには、実際に部活で皆と一緒に練習しないといけない。 でもその練習にちゃんと参加できないようにさせられていたので、もう上手くなりようがない。 こんな負のサイクルに追いやられていました。 中学の部活でこの様な経験をした僕は、2つの"誤った"理論を頭に刷り込まれてしまいました。 1つめが、「思い切って何かに挑戦すると、いじめみたいな酷い目に遭う」 2つめが、「何を始めるにも"完璧になってから"始めないと、酷い目に遭う」 この2つの理論です。 何かに挑戦すると、勿論"失敗"するという可能性が出てくる。  それは誰しもそうだと思います。 普通にスポーツでもそうですし、 仕事でもそう。 趣味でもそう。 何でもそうです。 何かに挑戦するということは、成功することも勿論ありますが、失敗もつきまといます。 しかし、失敗をするともの凄く酷い目に遭わされるという状況だったら、さすがにもう行動ができない。 僕は当時そういう状態を2年以上も経験したので、 それが"真理"であるという勘違いをしてしまってるんです。 もしそれが真理なら、みんな誰も何も始めようとしないですよね。 2つめに関しても同じ。 「できるようになってからはじめる」じゃ、いつまでたっても何も始められません。 スポーツでも、仕事でも、語学でも、 「ちゃんとリフティングができるようになってから始める」 「ちゃんと仕事の内容を完璧に覚えてから始める」 「熟語を全て頭の中に叩き込んでから、英語を喋る」 こんなことやっていたら、いつまでたってもやるべきことができませんよね。 何でも「やりながら」できるようにしていくのが普通な訳です。 完璧になってから始めよう!だと、そのやりたいことを始められる日は来ないです。 よって、上の2つの理論は間違っているんです。 成功者の方達もそうですし、色んな本やメディアでも 「失敗を恐れず、挑戦する事が大事」 「初めの一歩を踏み出そう。転びながら学ぶんだ」 このような事が言われていることからも、 僕の2つの理論は誤っていると断言できます。 よって僕は、この2つの理論は、 「いじめを受けていたという、ある種の"特殊"な環境にいたからこそ生まれた誤った理屈である」 ということを認識しないといけない。。。 ここで皆さんに質問です。 こんな経験をした僕が、一体どうすれば2つの理論が誤っていると「実感を伴った形で」認識することが出来るでしょうか? 多くの回答、お待ちしております。