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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:「敵がいる!」←火縄銃ですぐ撃つ?)

敵がいる!? 戦中の火縄銃での戦い方を調査

k16399638の回答

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  • k16399638
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回答No.9

自分の陣営が数人の敵兵侵入によって危なくなっているような戦況では、逃げるを選択するべきです。発砲により自分の位置を敵に暴露するのは、懸命とは言えません。 また、陣営には指揮官がいるはずですが、指揮官の許可なく弾をこめることは御法度です。それ以前に、火縄の火口に点火する命令がでていないといけません。 この火口の維持が当時は大変で、鉄砲は天候に左右される兵器でした。なので、物見が火口が点火され、弾丸が込められた鉄砲を手にしている、という条件が整っていないと、発砲そのものが成立しません。 とっさに発砲しても、命中するのは一人です。残りの敵兵がこっちに来ます。弾を込めるのには熟練者でも15秒かかります。当然敵兵は、発射された鉄砲の再装填に時間がかかることを知っています。 当時あったかといえば、ありました。断言しましょう。 火縄銃が日の本に世界一存在した時代です。そして戦はそこら中でやっているわけですから、ないほうがおかしいです。 列をくんで指揮官の号令で発砲というのもありますし、スナイパーもいました。ただし、刀や槍とちがって準備が必要なので、とっさに発砲は極めてレアなケースだと言えます。 当時の鉄砲が威力ないというのはまちがいです。これは断言します。発射手段の進化はありましたが、織田信長の使った鉄砲と、ナポレオン・ボナパルトの軍隊が使った鉄砲、さらにリンカーンの北軍が使った鉄砲の、発射された弾丸の威力・性能は基本的に同じです。 当時の弾丸は今と違って鉛そのままだったので、命中すると変形するので、殺傷力が非常に高いものです。今日でも変形する弾丸はありますが、アメリカですら一般には販売していません。 というか、ここで50メートル先の南蛮甲冑を本当に撃っているので見てください。 http://www.xn--u9j370humdba539qcybpym.jp/archives/82 私は個人的にここ知っていましたが、知らないなら検索位してから回答するべきであると思います。

iwan2no
質問者

お礼

とっさに発砲、は当時の日本における戦での火縄銃普及の状況から考えると無くは無い、だが非常に稀なケースであり、やはり指揮官の指示なくしては発砲はご法度だろう、ということですね。 そうなのだろうなあとは思いつつ、大坂夏の陣は特に混乱を極めた戦とありまして、敵味方が非常に混戦しただけでなく、味方軍だけで込み合ってしまい前に進めなくなるほどだったそうなので、そんな時にきちんと整列して攻撃できたのだろうか?と不安になっておりました。 少し自信を頂きました^^ 当時の火縄銃の威力が実はけっこう殺傷能力があったというのは伺い聞いておりましたが、命中すると変形とは…イタそうですね、恐ろしい…; ご回答ありがとうございました。

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