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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:「敵がいる!」←火縄銃ですぐ撃つ?)

敵がいる!? 戦中の火縄銃での戦い方を調査

eroero1919の回答

  • eroero1919
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回答No.8

戦っている最中、ということですから他の方が想定しているように休憩中のようなシチュエーションではないということですよね。 ちょっと意地悪な書き方ですが、当時そんなことがあったかどうかについては見た人は誰もいないので「絶対にない」とはいえません。そういう状況のことがあったかもしれません。 ただし、当時の戦闘というのは集団戦です。集団と集団がぶつかる戦い方です。「ふと見ると敵兵が何人か・・・」という状況そのものがそんなにあるわけではなかったと思われます。 兵士それぞれがある程度の距離を取り合って広がる戦い方を散兵戦といいます。今の戦争は兵隊さん同士は真横にいないである程度距離をとって展開しています。人類がそんな戦い方をするようになったのはここ150年くらいです。ナポレオンより後の話です。戦国時代は、ナポレオンよりずっと昔です。 ではなぜ兵士が散開するようになったのかというと、大砲が発達してぶどう弾が発明されたからです。ショットガンみたいに細かい弾がぶわーっと撃たれるのです。集団に向けてこれを撃つと効果抜群なのは想像できますよね。これで、「みんなが固まっていると危ない」という時代になりました。でも、ナポレオン時代もぶどう弾はあったのにみんな集団で固まって戦っていました。なぜかというと、散開するのってものすごく勇気がいるからです。みんな集団で固まっているとなんとなく安心ですよね。つまり集団戦というのは士気と練度が低い軍隊でも戦うことができるのですが、散開戦をしようとすると兵士ひとりひとりが士気が高くかつ練度が高くないといけないのです。ナポレオンの時代以降に革命によって人々に「国民」「愛国」という思想が広まって「国のために戦う」という人たちがでてきました。でも、それ以前の人々にとって兵士として戦うということは「他に仕事がないから」あるいは「なかば無理やり連れてこられたから」だったのです。 ぶどう弾の後、砲弾が爆発する炸裂弾が発明され、さらに機関銃が発明されるに至って兵士が集団で戦うことは自殺行為になっていきます。 ところで、こういうときの例にふさわしくないかもしれませんが、サバイバルゲームというエアガンで撃ち合う戦争ごっこがあります。今のエアガンは機関銃になっているのでみんなが固まっていると危ないのですが、初心者や士気の低い人(つまり怖がりな人)って固まるのですよ。みんなで身を寄せ合っていると人間心理として安心するんですね。本当は固まっていると見つかりやすい上に一気にやられちゃうかもしれないからかえって危ないんですけどね。 これは戦国時代の足軽も同じです。武士はまだ「自分の(家の)生活(と名誉)のため」というのがありますが、農民出身の足軽にとっては「ギャラがもらえるから戦う」にすぎません。負け戦になるとギャラはもらえませんし、ましてや自分が死んだら一文にもなりません。だから「負けそうだ」となったら「カネにならん上に死んだら元も子もない」となるので「早く逃げよう」となるのです。 金で雇われた足軽が中心だった織田軍が弱兵と呼ばれたのはそういうわけです。しょせんみんなアルバイトですからね。 だらだらと関係なさそうなことを書いてきましたが、つまり、足軽はアルバイトにすぎず鉄砲というのは足軽の武器です。使い方さえ覚えれば誰でも簡単に扱えるので鉄砲は足軽の武器にもってこいなのです。ついでに敵に近づく必要もないので士気が低い足軽向きなんですね。織田軍が積極的に鉄砲を採用したのはこういう事情もあったわけです。 さて、現代でもアルバイトが自分で考えてスタンドプレーをするかというと、ほとんどの企業ではアルバイトはいわれた以上の仕事はしないですし、勝手に仕事を進めれば仮にそれがよかれと思ってやったことでも誰がお前にそこまでやれといったと怒られるでしょう。足軽を指揮する武士の腰には刀があるんですからね。いうことを聞かずに勝手に戦争する奴は黙らせておかないとみんなが勝手に戦争をし始めたら秩序っつーものが保てません。 ところで、戦国時代当時は、足軽よりもちょっとやる気のある「フリーの武士」という人たちがいて、「この槍一本で出世してやるぜ」と思いながら合戦に参加していました。宮本武蔵がそうでした。彼らはそういう意味では士気が高いので集団でひとまとめにする必要がないというか、そもそもが「俺の立身出世」にだけしか興味がないので、スタンドプレーの塊なわけです。スタンドプレーでも活躍すればそれで報奨金がもらえたりどこかの家で採用されるかもしれません。 だから、合戦の最中でそういうスタンドプレーに走った敵方のフリー武士が単独で侵入してくるということはあったでしょうが、彼らの目的は「敵方の名のある武士を打ち取ること」ですから鉄砲足軽なんかに興味はありません。そんなの何人斬ってもギャラになんないですからね。 んで、そういう奴の相手は名のある武士が正々堂々戦って返り討ちにしてもいいし、あるいはこっち側のフリー武士が相手してみんなの見ている前で返り討ちにすればその武士が目立てます。というわけで、そういう奴はそれ用の方々に相手してもらえばいいわけです、鉄砲足軽からすればね。どうせ放っておいてもこっちが襲われるわけではないですから。 ここから先はあくまで私個人の意見ですが、一般的に戦争をすると戦死者の2倍から3倍の負傷兵が出ます。当時は医療技術が発達していませんでしたから、ちょっとした戦傷から破傷風などにかかって死んでしまうことはよくあったと思います。つまり負傷者の戦死率はとても高かったと思うのです。足や腕をケガして後遺症になり戦えなくなった人も多かったと思います。 戦国時代の人口は、1000万人くらいではなかったかといわれています。現代の1/10以下です。全国で1000万人くらいしかいないのに毎日合戦して真面目に殺しあっていたらあっという間に人がいなくなってしまうと思います。だから、私は当時の合戦というのは思ったほど戦死者は出なかったのではないかと思っています。

iwan2no
質問者

お礼

おお、まるで当時の様子が目に浮かぶようなご説明、ありがたいです。 例としてふさわしくないとご自身が仰られているサバイバルゲームですが、実はまさにこれが自分が想定した状況でして、質問も本当は「サバイバルゲームみたいに、あ!敵が陣地内に走りこんできた!ズドン!なんて状況は当時あったのでしょうか」と書きたかったくらいです。 仰られるとおり、戦国時代ではちょっとやる気のある「フリーの武士」がいて、ただそういう武士達であってもご回答にあるように基本集団戦で指揮官の支持の元動いてたんだろうなあと思います。 特に大坂の陣では豊臣方の牢人達はやる気のあるというか、自ら進んで戦に赴き家康ほか重要人物の首を狙う、という意思の強い武士が圧倒的に多かっただろうと思い(逆に幕府方の大名の軍にはそういう武士は少なかったのか、「この戦はつきあいで参加するのだからあまり意気込みすぎて兵を無駄に損なうな」という武士がいたり、「あまり戦わずに済みますように」と祈願してる大名が何人かいたそうですね)、そうなると集団戦に参加しつつちょっとチャンスが訪れると少し外れてターゲットを狙う、なんてことがあったのではと思い、質問させて頂いた次第でした。 スタンドプレーは無くはなかっただろうけど功名を狙っての稀な場合であり、やはり当時は集団戦で、お互い距離をとりながら戦っていただろうということですね。 ご回答ありがとうございました。

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