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認知症の武士
戦国時代や江戸時代、90歳位の武士で認知症になっていたら、刀や槍を振り回して危険でした。どういう対応をしてましたか?
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そもそもそんなに長生きできませんでした。武田信玄は53歳でおそらくガンで亡くなっています。上杉謙信は厠で倒れるという脳疾患の典型を起こしてそのまま帰らぬ人となりましたが、48歳でした。その信玄、謙信と並び称される北条氏康は57歳で亡くなっています。 豊臣秀吉は晩年はアルツハイマー型認知症ではなかったかという説もありますが、なんと享年は62歳です。しかも豊臣政権の屋台骨だった弟の豊臣秀長は52歳で亡くなっています。加藤清正も49歳で亡くなっています。 戦国時代は他より栄養が良いものを食べていたはずの戦国武将レベルでも、50代で亡くなるのが普通。やっぱり60歳になると還暦で「長生きを祝う」ってのはそうおかしなことじゃなかったんですよ。 戦国武将でも80歳過ぎまで長生きした人はたまーにいましたが、要するに彼らは長生きするだけあって、頭も体もすこぶる元気だったのです。現代のように頭もボケてるのに医療技術で生かせるってことができない時代でしたからね。 日本はつい百年前の大正時代まで、平均寿命は40代でした。一番の原因は乳幼児死亡率が高かったせいですが、でも大正時代頃って若い年代で亡くなってる人が沢山います。 宮沢賢治は37歳で亡くなっています。元々病弱な人でした。石川啄木は26歳、中原中也は30歳、滝廉太郎は23歳、正岡子規は34歳、樋口一葉は24歳で亡くなっています。みーんな、結核です。つい百年前まで、結核にかかったら20代で亡くなるのも珍しいことではありませんでした。 認知症に悩むほど日本人が長生きするようになったのは、1980年代あたりになってからです。この頃から、認知症(当時の言葉では痴呆症)が社会問題になり始めましたね。
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- oska2
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>戦国時代や江戸時代、90歳位の武士で認知症になっていたら 90歳まで生きた武将は、確か記録にないと思いますが・・・。 秀吉の晩年が、認知症だった様です。 朝令暮改は当たり前で、「すぐ切れる関白」で有名でした。 明国制服も、老人性〇〇で現実と妄想の区別が出来なかった。 >刀や槍を振り回して危険でした。どういう対応をしてましたか? 若年性認知症になった殿様の例では、「押し込み」が行われていました。 「殿。ご乱心」というヤツです。 座敷牢に押し込めて、正式に次期藩主が決まるまで飼い殺しです。
- kon555
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認知症でなくとも、刀や槍を振り回して暴れる人間が普通に存在する社会ですから、取り押さえる側も相応の装備と技術で応戦したでしょう。 例えば投石、要は石を投げるだけなのですが、古くは「印字打ち」と言われる戦闘技術でした。そんな人間が複数集まれば「刀や槍を振り回して暴れる人間」を鎮圧する(殺傷含めて)のは難しくなかったのです。 江戸時代まで来ると、刺股(さすまた)をはじめとした捕縛道具や扱う技術も発達しましたが、これも基本は複数名で1名を抑え込むように使用したそうです。 要は「多数で囲んで棒で殴る」ですね。今も昔も結局はそこに行きつくという事でしょう。