• ベストアンサー

日本語における第一人称と第二人称の表現

【適当ではないかも知れませんが、思いつく例です】  1.手前、お手前などの例   『手前どもは、・・・』と『てめぇ、なにしやがるんでぇ』  2.おのれ(とは、己ですね。時に二人称を指示することもありますね)   『おのれ、このままでは、すまさぬぞ。覚えとおけ・・・』  日本語に限るのか、時として第一人称で第二人称の表現をしている場合があります。  (1)このような混同的使用の仕方は言語的にはどのような経緯をたどってきているのでしょうか?  (2)そしてどのような効果を狙って使われるようになったのでしょうか?   

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • marisuka
  • ベストアンサー率38% (638/1650)
回答No.2

「自分」「おのれ」「手前」「われ」など、元は全部自分自身をさすのですが、「あなたから見た自分」という意味で、相手をさす言葉になっていったものと推測します。 日本では、その場のいちばん年下の人物目線で人を呼ぶ、という習慣があるらしいです。 一家三世代そろったときに、自分の母親に向かって「おばあちゃん」と言うでしょう? 自分の子、つまり三世代の中での孫から見た「おばあちゃん」なんですね。 また小さい子に向かって「ぼく、どうしたの?」と聞くこともありますね。その場での一番年下からの目線で、その人物から見ての「ぼく」ということです。同様の例と言えるのではないでしょうか。 また、その場での年下の者、という使い方から、相手を年下、目下と見ている感じがあります。だから、この使い方は年下の者や、相手をののしるとき、そんなに尊重しないでよいときなどに限られるのではないでしょうか。 「自分、前からそんなんやった?」 「われ、いてまうど」 「おのれのやったことやないか」 あまりきれいな言葉に聞こえないのは、そんなわけでしょう。

krya1998
質問者

お礼

なるほど、そういうことでしたか。 確かにきれいなことばではないですね。 そしてどちらかというと、喧嘩ことばや罵りあいのときに多く使われていますね。 有り難う御座いました。

krya1998
質問者

補足

bildaさんは大阪の人でしょうかね。 言葉少なの中で、示唆的なお話でした。 迷いましたが、起承転結の感じられたmarisukaさんを選ばせてもらいました。 有り難う御座いました。

その他の回答 (2)

回答No.3

   人称転倒 ~ 大阪弁には書き言葉がない ~    ラテン語で、話し言葉が衰退し、書き言葉が残ったのは、教育の格差 が原因だそうです。その逆に、話し言葉だけが発達し、書き言葉として の文法が定着しなかったのが、大阪弁を筆頭とする、日本語の方言です。    大阪弁しか話せない人々には、共通語・標準語に対する、いわれなき コンプレックスから、過剰な自己主張が感じられます。たとえば「私は 君の夫だよ。君は、私の妻ではないか」を、つぎのように発言します。   ── わいは、自分の連れあいやで。自分は、わいのヨメちゃうんか! http://q.hatena.ne.jp/1243635431#a923081  なにわ人称考 ~ 自称=わい、対称=自分、他称=あれら ~   ── 攻撃的態度で呼ぶ場合に使われ、語感は荒い(日本語俗語辞書)。 http://q.hatena.ne.jp/1332052990#a1137881  瀕死の関西弁 ~ 格下の相手を「自分」と呼ぶ ~   ── 大阪発のニュース原稿は、しばしば関西弁が挿入されるという。 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20030415 ── 森 富美《踊る!さんま御殿! 200. 日本テレビ》の発言から  

krya1998
質問者

お礼

言語は書き言葉にならないものが、本当のすがたですね。 ですから、日本言語の標準語は、何か東京の山の手あたりのことばであったらしいですが、これは言語としては無性格で存在の力や色、形がないですね。 山の手あたりの方言としてあれば、この標準語の方言も多分存在性があったのでしょうが。 言語は生き物、そしてその個人とは切り離せないもの、人それ自身ですね。 すごい思想家や雄弁家の言語はまさに言霊というか、力ですね。これは真似もできないし、翻訳もできない。 翻訳は新たな創造とでもいえますね。受け取りもそうですね、自己の中に作り上げていますね。 方言は大事にしたい。 私は昭和二桁になったばかりの二二六の頃、浅草生まれ育ちで、戦災で隅田川を、そして荒川を越えて河川敷の河童になった小僧です。 お江戸の職人や四十八組の方がやはりここらに戦災後、家を持ちました。 お江戸の訛りは文字に出せない。 しかしこの訛り言葉が心性であり、その人であり、歴史であり、思想と生き方、許せねぇことや義理がすたれりゃ闇。 義理と人情(のばしちゃぁいけねぇ)とやせ我慢しねぇ奴は男じゃねぇですね。 ありがとうございました。方言しして文字化しない言語には生命があり、そこは一人二人の人称の入れあいがありますね。

krya1998
質問者

補足

コピー貼り付けで申し訳ないが、 bildaさんは大阪の人でしょうかね。 言葉少なの中で、示唆的なお話でした。 迷いましたが、起承転結の感じられたmarisukaさんを選ばせてもらいました。 有り難う御座いました。

回答No.1

回答ではないですが、「われ」、「自分」もありますね。

krya1998
質問者

お礼

はぃ、ありましたね。 有り難う御座います。 どうしてこんな言い方ができてきたのか不思議ですね。 こういうときの第二人称っていうのはどういう意識でさしているのでしょうね?

関連するQ&A

  • 外国人が日本語を話すときの一人称

    日本語には一人称がたくさんありますが外国の方が日本語を話すときに一人称をどれを使うかで戸惑ったりはしないのでしょうか? 自分は日本人ですが、いまだに「僕」「俺」「私」のいずれをつかってもしっくりきません。 英語や中国語のように一人称が一つしかない言語圏の人は日本語の一人称に対してしっくりこないなーとは思わないのでしょうか? それとも日本語のほうが一人称は表現しやすいと思ったりするんでしょうか? どなたかご存知の方がいらっしゃいましたらご回答よろしくお願いします。

  • 日本語の人称表現について

    諸外国の人称表現と比べて、日本語の人称表現が優れているところ、また逆に劣っている所を教えてください。(個人的な見解でもどんなことでも結構です。)

  • ◆1 日本語の主語の単数、複数の使い分けなどですが、私達は第一人称を主

    ◆1 日本語の主語の単数、複数の使い分けなどですが、私達は第一人称を主語にしていても、謙譲などの気持ちから単数であっても、時として複数形を用いている場面に出会います。  “私ども、・・・”とか。  無論、他の民族の言語のようには述語動詞までに拘る言語ではないので、単数なのか複数なのかは情況からの理解となります。  このようなことは、聖典などのもみうけられます。  http://okwave.jp/qa/q6242974.html  http://okwave.jp/qa/q6169428.html  日本語での単・複の混用は   1)どのくらいの時期まで遡れるのでしょう?   2)上記URLでの例と何か共通するところがあるのでしょうか? ◆2 更に日本語では第一人称の指示代名詞“われ”という語で、第二人称を指示することが見受けられます。   “われ、おのれに聞いてみぃ”とか。   3)ここの“われ”も“おのれ”も本来は第一人称の指示代名詞であって、それを第二人称の指示に宛てているという取り方は間違いでしょうか?   4)本来、第一人称の指示代名詞を第二人称の指示に宛てることは心理的にはどういうことなのでしょう?  国語のことは決して専門ではないのですが上記の既出質問で疑問に思いましたので、お伺いいたします。  どうかよろしくお願い申しあげます。

  • 一人称単数形が複数ある言語は日本語だけ?

    一人称単数形が複数ある言語は日本語だけなのでしょうか。 小説や漫画でいろいろな一人称や二人称が使い分けられ、そのキャラの人格まで表しますが他の言語はどうなのでしょう。 ドイツ語や中国語の二人称は2つあり、英語でも神様などに呼びかける言い方は知っていますが、他には思いつきません。 日本語に多い理由もご存じでしたら教えてください。

  • 日本語には一人称がいくつかあります。しかし、それは英語ではIで済むのに

    日本語には一人称がいくつかあります。しかし、それは英語ではIで済むのに比べて厄介なことでもある気がします。特に若い男性の場合です。 『私』というのは公の場で使っても友達や年下に使うにはいささか不自然なことがあります。『僕』というのはこの年になると幼い感じがして使うのにためらわれます。『俺』というのは友達相手には使いやすいかもしれませんが、幼いころから『俺』を使っていない人にとっては違和感を覚える一人称です。『自分』というのも変な表現に思えます。『私』『僕』というのはある程度年季の入った男の実業家に使う特権があるのではないかと勝手に思い込んでいます。 実際私(20代男)の場合、英語でなら自分のことも積極的に話せるのですが、日本語では時にこうした一人称の壁にぶち当たって人見知りになっている気がします。使いにくい一人称は日本語の欠陥ではないのかとさえ思ってしまうほどです。同じような境遇の方はおられますか?色々お話やご意見をお聞かせください。

  • 人称のことで

    日本語は人称を使い分けて表現のニュアンスを変えることが可能です。 例えば、「おれがやります」「わたくしがやります」では相当ニュアンスが違ってきます。「あながやるべき」「おまえがやるべき」でもそうですね。 こういった人称の違いによるニュアンスの差は、英語では表現できないのでしょうか。 また、「おいどんが」がみたいな言い方も、英語ではそのニュアンスを表現することは不可能でしょうか。

  • 一人称の複数形について

    英語や、中国語には、一人称に、複数形(日本語の我々やわれらなど)がありますか、どの言語にも、一人称の複数形ってあるのでしょうか? もし、一人称に複数形のない言葉があれば、知りたいのですが、教えていただけないでしょうか。

  • 一人称の多様性について

    日本語の一人称にはいろいろなものがありますが、気になったことがあったのでいくつか質問させてください。 1.一人称の多様性について、どのあたりの時代から文献や記録などで確認が取れているのでしょうか?  2.「僕」「俺」「私」など現在ポピュラーなものはいつの時代から使われてきたのでしょうか? 3.男性のほうが女性に比べて一人称が多いような気がするのですが、これは単なる気のせいなのか、それとも何か理由があるのでしょうか? また、女性で「私(わたし、あたし)」以外で一般的に用いる一人称があれば教えて下さい 4.日本語以外で一人称が複数ある言語があったら教えて下さい。

  • 日本語では表現しにくい便利な外国語の表現

    殆どの場合は質問のタイトルとは逆のケースで、言いたいことを表現するのに ピッタリする外国語が見つからないことが普通ですが、たまには逆に、外国語では便利な表現があるのに、日本語では表しにくい言い方もあるはずです。 私が気付いたのを挙げます。1つは 英語の人称代名詞は便利ですね。自分のことを言うのにも「おれ」か「わたし」か迷うこともあるし、二人称をさす場合も「あなた」は日常会話では滑稽になる場合が多いですね。 次に、フランス語の「monsieur」があります。この言葉は非常に便利な言葉でして、ファーストネームで呼び合う以外の男性に呼びかけたりする時、広く使えます。 それ以外にも色々あると思いますので、気付いたものを教えてください。

  • 日本における一人称・二人称の種別が網羅された図書・文献をご存じありませ

    日本における一人称・二人称の種別が網羅された図書・文献をご存じありませんか? 目を留めていただきありがとうございます。 この度大学の演習科目において、人工(架空)言語と一般言語との比較を主題とした簡単な発表を行うことになりました。 故にその準備の一環として、現在各種言語の人称名詞を収集、整理しております。 然しながら日本語においては人称名詞が(特にこの二種においては)非常に豊富であるため、中々全体像を網羅した文献に出会えておりません。 (入学以来初めての発表ですので、私自身の探し方が悪いと言われればそれまでですが…) そこで質問させていただきたいのですが、 上記に述べさせていただいたように、日本語における(文献の扱う内容は日本語に限定されていなくとも構いません)人称名詞、特に一人称・二人称の種類をなるべく詳しく記載した文献をどなたかご存知無いでしょうか?和書でなくても構いません。 説明がわかりにくくて申し訳ないのですが、例えば、 [一人称]私、僕、俺、自分、小生、拙者、…といったようにまとめて表記されているものであればなお嬉しいです。 無理を言って申し訳ないですが、よろしくお願いいたします。 ※まとめられているものとして稀にWikipedia等を提示して下さる方がいらっしゃいますが、 今回は紙の文献に限って探しています。考慮いただければ幸いです。