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吉良上野介は悪人でしたか?

TrailJoyの回答

  • TrailJoy
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回答No.10

吉良さんは領地では名君だったという説が一般的ですが、 そもそも吉良さんは大名ではないので、藩を統治していた わけじゃありません。昭和の頃の寄生地主と小作民みたいな 関係で、領地の人たちは直接領主を見る機会などほとんど なかったはずです。 善悪というもののとらえかたを現代人の感覚ですると誤った 見かたになると思います。この時代、賄賂というのは今よりも 遥かに当たり前の習慣だったはずですし、幕府で(政治的に) 影響力なんてなかった吉良さんがそれほどの賄賂にありつけたとは 思えません。むしろ旗本の吉良さんからすれば大大名の伊達さんや 浅野さんにお小遣い程度の賄賂をせびるのはそれほどひどいこと ではなかったと考えられます。 賄賂を要求のくだりは実は暗に当時の最高権力者柳沢吉保を 批判したものという説があります。 映画などでよく出てくる吉良さんによる浅野さんへのイジメは ほとんど創作と言われていますし、そもそも浅野さんは 勅旨接待をするのは2回目だし、直接の采配は江戸で採用された 家臣たちがしたはずなので、あからさまな邪魔はできなかったでしょう。 まだ若手の大名である浅野さんから見れば年寄りの旗本である 吉良さんのことを見下していた可能性があるし、その目下の旗本から 嫌味や小言を言われれば武士の面目が!と怒った可能性もあります。 大名なんてお坊ちゃん育ちですから短気でしょうし、浅野長矩は 神経症的な症状があったという説もあります。まぁカーとなっちゃったんでしょう。 どちらが理不尽なのかは分からないし、分かったとしても現代人の感覚では 理解できないでしょう。ただ第3者が「遺恨あり」と聞いたんだから、 大名の浅野さんをめちゃくちゃ怒らせてしまう何かを吉良さんは やっちゃったんだでしょう。なお浅野長矩は江戸生まれですんで 「田舎大名」じゃない、そのことは吉良さんも分かってますんで 「田舎大名」と罵ったというのも創作でしょうね。

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