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才能
皆さんは何の才能もない人間に生まれてきたことをどう思っていらっしゃいますか?
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どうも。 そもそも、最初から才能がないって、決めつけるのは間違っている気がします。というより、人間の中には才能的に何かがものすごく出来るって人がいますが、裏事情では、考えられない程の努力をしていたり、実はその才能で出来ること以外の事は、普通の人間以下だったりします。よって、自分の才能の有無なんて分かりません。 才能は発掘するためのものです。自分に才能がもともと有るということは有り得ません。ほって置いたら勝手に才能がわかるってことも有りません。よって、自分の才能は自分で努力して発掘するしか有りません。この時、「自分には、才能を発掘する才能が無いから。」って考えることも有るかも知れませんが、それは有り得ません。自分に才能を発掘する力が無ければ、今のように携帯やパソコンなんて一生使用出来るようになりませんし、もっと言えば、いつになっても、言葉も話せないでしょう。 才能が無いってのを前提に生きていくのではなく、才能は発掘していくもの前提で生きていくべきなのです。
- TANUHACHI
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唐の詩人韓愈の雑説にこんな言葉があります。曰く「千里の馬は常にあれども、伯楽は常にはあらず。」(原文)「千里馬常有、而伯楽不常有」。 自らに才能があるかどうかは自らが気付くことではありません。本人ではなく本人を客観的に観ることの出来る人の目で観て他と比ぶることで識ることができる資質ではないでしょうか。 例えば辻井伸行さんのピアノの才に気が付いたのは彼自身ではなく彼の御母堂と彼にピアノを教授した人だったことも知られています。 余り好きな言葉ではありませんが「発達障害」との表現で、一芸には秀でた能力を有していても平均的な学力や生活能力で未成熟だと判断されて「埋もれてしまった」才能がどれほどあるか、との問題を考えるならば、金太郎飴の様に平々凡々としたツマラナイ人間ばかりで溢れかえるよりは少し変わっているけれどオモシロイ能力を持った人がいる方が僕は自然だと思います。 人はそれぞれに何らかの形で「他の人よりも優れた資質」を持っていて、ただその資質を開花させることができる人や環境に出会うことができるか否かでその資質も実を結ばずに埋もれてしまうことが殆どだと思います。 悲しいかな、現代の日本でにはじっくりと時間を掛けて一つの才能を開花させる程度の余裕すらも喪失してしまっているのが現状です。『ふぞろいの林檎たち』も『どんぐりと山猫』も『世界に一つだけの花』も多くの個性(=才能)が集まることで社会の豊かさを示すことができるとの古くて新しい言葉を紡いでいると僕は感じています。 「私にはこれだけの才能があります」と広言して憚らない人がいたとして、もし自分よりも能力が上回る人に出会ったらどうでしょうか?。たちどころにその人の才能は否定されてしまうものでしょうか?。「自分に才能がある」と思い込んでいる根拠がテストの点数であるならば、これほどツマラナイものも他には見あたらないと僕は思います。付け焼き刃で詰め込んだ知識ならば何れは化けの皮も剥がれます。けれど「自分で気付かない才能」は「才能がない」ことと同義ではありません。ただ単に自分では知っていないだけで傍から見れば「羨ましい才能の持ち主」かもしれない。だから「等身大」を知るだけでもスゴイ!と最近は思ってしまいます。
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- uiill0001
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私は様々な才能がある。 しかし、何の才能もない人間の考えている事の分かる才能はない。 したがって、何の才能もない人間に生まれてきた質問者が、どう考えているかを教えてくれればお答えできると思う。
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- dddmmgrru
- ベストアンサー率64% (24/37)
恐ろしい文ですね。 >何の才能もない人間に生まれてきたこと この文に震撼しない人が羨ましいです(個人的に)。 さて、ではどうやって人は自分が「才能のない人間である」ことが分かるのか。 かつてある評論家の文を読んでいたときのこと、「10年間一つのことをやり続けていれば君はその分野の専門家になれる」とあって、そんなものかと思ったものです(その文言の真偽の程は措くとして)。 それをもじって言えば、「10年間一つのことをやり続けてモノにならなかったら、君にはその分野の才能がない」と言えるのかな、と思っています(あるいは言ってよい、と)。 10年間も一つのことを追い続けていく根気のない人間は、実は、才能があるかないかも分からない人間ということになるでしょう。 で、殆どの方は、この「自分に才能があるかないか分からない」状態で毎日を生きているのが現実ではないでしょうか。憧れや夢といったやっかいなものを背負っている場合も。 斯く申す小生も、この「分かっていない人間」の一人ですから、質問者さんの、「才能のない人間に生まれた」と他者のことを言う、冷徹でシニカルな立ち位置に軽い嫉妬心すら覚えます。 だから、 >何の才能もない人間に生まれてきたこと をどう思っているか、と問われれば 「才能がない」と分かることが羨ましく 「才能がない」と分かってしまったことが可哀そう ということになりますね。
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素晴らしい回答が並んでいますね。 学生の頃は才能とは自らの中から湧き出でて来る物だと勘違いしていました。自身の内部のみを照らす能力は才能では無いと薄々感じるようになり、他者の中に才能を見出す価値観へと転換しつつあります。 他者にも才の片鱗を感じれば素直に感動し、更に奮起できること この状態は自分にとって良いコンディションの証しです。 現在自分の才能を感じられなくても、生きて行くことは本当に自分の無知との遭遇......
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- Mokuzo100nenn
- ベストアンサー率18% (2123/11344)
何の才能もない人間に生まれてきた割には、人生の日々が楽しい。 神様仏様がなにか特別にワシの事を見ててくれるような気がする。 酒飲んだ時など、神様仏様が話しかけてくれるような気がする。 これもみな、何の才能もなく生まれてきたお蔭なのかもしれない。 才能を持って生まれた来た人は大変だと思う。 自分は才能がありながら、世の中が認めてくれないなどと悶々として、人生の日々が楽しくないのかも知れない。 何の才能もない人間に生まれてきたが、この人生の楽しい日々が永遠に続けば良いと願うこの頃である。
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「夢(欲)もなく 怖れもなく」 その問は、二千年前のローマの世から陳腐である。 昔から、欲ばかり深く、怖れるばかりで感謝を知らない者は多かったのでしょう。
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- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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こんにちは。 或る日 突然変異が起きると思っています。 T 大学の講義にもぐりで聴講したら 二三回で学生の質がどうも違うと感じました。これは たいへんだ。この格差はちょっとやそっとで埋められないなと。 その後 自分のやりたいことを目指して地道にいろんな勉強や調べ物をしていましたが 自分の力に応じてこのあたりで分かったとしようと思っていたところ その分かったとした中身――アウグスティヌスですが――は けっこう有効だとあとでざっとふり返ったりしながら関連する書物を読んでいたときに気づきおどろきました。 知識はまだとぼしかったのですが あるいはつまり狭い範囲の知識しかなかったのですが それがそうでもそれまで読んでいなかったものを読んでも 分かる 分かる 手に取るように分かるというどんでん返しが起きました。 と思っています。
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- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
「何の才能もない人間」などというのは、死人ぐらいだ。 人は優劣にこだわり、その結果を100か0かのように考えるが、 その実それは、100か60程度の違いに過ぎず、2倍頑張れば あっという間に逆転する。 頭が悪くて普通高校に行けなかったばかりか、工業高校も 行けずに、工芸高校という半分職業訓練所のような所しか 行けず、そこでさえクラスでビリから一桁の劣等生で、親を 呼ばれて退学届けを突きつけられ、「これ以上クラスを乱すなら やめてくれて結構」と脅された僕だからこそ、上記の言明は 確信を持っている。 世間一般で言う「何の才能もない」というのは、正確に言うと 「何のやる気もない」に過ぎない。 僕に反論し損なって荒れる人間は、たいがい自尊心ばかり 大きくて、自己主張のために自分の惰性を押し通そうとする =本当の意味の「やる気(非惰性)」のない人間だ。 やる気がない=やらなければ能力も身につかない、というのは 当然の事であって、それを「やる気を出せ」とこちらが言う事でも ないし、同情する余地もない(そうした存在は木石に近いと思え ばいい)。
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- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
ある運動生理学者が言っていました。 だいぶ昔の話ですが。 王貞治、て知っていますか。 統計学的に言って、彼と同じ才能を持っている人間は、 同世代に少なくとも200人はいるそうです。 王貞治以外の人は、野球に出会わなかった、荒川に出会わなかった ・・・・・・ などの理由で、王貞治になれなかった、というのです。 才能ってのはやってみないと解らないものが 殆どなんですね。 そして気がついたときには、手遅れになっている 訳です。 だから、才能がある若い人を見付けたら、教えて 挙げましょう。
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