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努力できることが才能であるならば・・・

努力できることが才能であるならば努力をしない人間は生まれつき「努力できる」という才能を持たない人間ということになりますよね? そういう人達に「何の努力もせずに・・・」と叱責するのは間違ってると思いませんか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • saki380
  • ベストアンサー率37% (3/8)
回答No.10

努力できることは才能のひとつと言ってよい。 だが、努力しないことに才能は関係ない。 単なる怠け者。 怠けるから叱責される。 叱責というより、叱咤激励という方が正しい。 どうでもいい相手ならほっとくだろう。 励まして努力を促すのは叱責とは言わない。 激励という。心配していればこそ。

その他の回答 (9)

  • bari_saku
  • ベストアンサー率17% (1827/10269)
回答No.9

>努力できることが才能であるならば 才能だと思います。 正確には「並の人間よりも努力できること」が才能なのです。 並以下の努力しかしないのなら、叱責されることもあるでしょう。

noname#217200
noname#217200
回答No.8

 確かに、足の悪い人間に「早く走れ。」というのと同じだね。俺も努力って才能だと思っているのが、だからというわけでもないが、人を叱責したことなんてない。他人がどう転ぼうが、どう躓こうが、俺には関係ないことだ。下手に叱責なんかするから貴方みたいのにそう言われるんだね。「遠くから暖かく見守る」というのが現代的で良いんじゃないの。君子危うきに近寄らずだね。

  • tpg0
  • ベストアンサー率31% (3785/11964)
回答No.7

まず、努力の意味を理解しましょう。 努力とは「力を尽くして励むこと」です。 励むの意味は「一生懸命努力すること」です。 頑張るの意味は「困難に負けずに一生懸命に努力すること」です。 従って、頑張ることが努力ですから、誰にでも「やる気」があれば努力できます。 やる気は誰にでも平等に与えられてますから才能ではありません。 頑張った結果が才能を伸ばしたり、才能を開花させることができるのです。 発明王エジソンの有名な言葉に「発明は1%の閃きと99%の努力」があります。 1%の閃きは才能と言えますが、残り99%は努力です。

noname#152554
noname#152554
回答No.6

「努力できる」ことは、「才能」では無い。 「才能」を得る為の一手段が「努力」です。 質問の最初が間違ってますよ。

  • ciel_bleu
  • ベストアンサー率41% (66/160)
回答No.5

う~ん,違うと思います. たとえば,ウサイン・ボルト選手ですが,彼は走る才能があります. でも,彼のような才能のないわれわれでも走れないことはないですよね. 平凡な我々と彼を分けているものは,人並み外れた速さで走る,というところですね. それが才能です. それと一緒で,努力できるかどうかが才能なのではありません. 「人並み外れた努力」をできるかどうかが,才能なのです. だから,何の努力もしない人は,上のたとえになぞらえるなら, 急いでいるのに走りもしないで,「『才能がないから』電車に乗り遅れた」といっている のと一緒です. ボルトのような才能がないからといって,電車に乗り損ねて会社に遅れても,授業に遅れても,叱責されずに済むでしょうか. (体に問題がなければ)だれでも走れるのと同じように,誰でも努力はできるのです.だから,「何の努力もせずに」という非難は,正しいです.

  • marksouzu
  • ベストアンサー率21% (57/264)
回答No.4

自分も努力をできるのは才能だと思います。 やればできると言っている人がいますが結局そういう人は最後までできません。 能力はあっても努力する才能を持たないがためにくすぶっている人はたくさんいます。 もちろん能力が無くて努力してもどうにもならない人もいますが・・・ まぁ世間一般ではそういう考え方はあまり認められてないですね。 ただの怠け者だと思われて終わりでしょう。 自分と同じ考えの人がいることに親近感がわきましたw

  • mojitto
  • ベストアンサー率21% (945/4353)
回答No.3

整理していきましょう。 まず“努力できることが才能である”について。 例えば、ユニホームとヘルメットをかぶり、バットを持ってバッターボックスに入って、ただ立っていれば野球はできます。 しかしそれを野球の才能とは認められることはありません。 つまり才能と言えるほどの努力ができる人が、“努力できることが才能”を認められるのです。 (努力自体は誰にでもできる) 次に“努力をしない人間は生まれつき「努力できる」という才能を持たない人間ということに…”について いいえ。 他に“努力はできるが、努力をしない人”もいます。 そして >「何の努力もせずに・・・」と叱責 されるのは、“努力はできるが、努力をしない人”が言われるものです。 ですから間違ってはいません。

noname#246942
noname#246942
回答No.2

うん。間違ってました。ごめんなさい。 「屁理屈をこねる才能だけは人一倍」に訂正します。

noname#154769
noname#154769
回答No.1

>>努力できることが才能であるならば努力をしない人間は生まれつき >>「努力できる」という才能を持たない人間ということになりますよね? そもそもその前提からして私は違うと思いますよ。 努力に才能も何も無いです。 努力というのは才能を開花させるのに必要な行動であり、 努力しなければ才能の種を持っていようがいまいが、意味なんてありません。 >>そういう人達に「何の努力もせずに・・・」と叱責するのは間違ってると思いませんか? ただの甘えですね。

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