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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:「きことわ」のどこが素晴らしいのでしょうか。)

「きことわ」の素晴らしさとは?

rkd4050の回答

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  • rkd4050
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回答No.5

 そもそも「古語復興」という言い回しが、どういう文脈で使われているかわからないと話にならないので、実際に調べて、番組を観て確認しました。ついでに対談も読みました。  ……最初に確認すべきだったような気もしますが。  それではっきりしたのですが、朝吹真理子は、現代文に古語を復興させたいという願望がある、と言っているだけで、『きことわ』で復興させたと言ってるわけでも、誰かがそういう評価をしているわけでもない、ということです。  富岡幸一郎も、『きことわ』には「古語の響きが混じっている」としか言っていません。具体的にどこがどう古語らしいという話ではなく、雰囲気的にそんな感じがする、という程度の話。しかも、それがいいとも悪いとも言っていない。ただ、若い作家がそういう野心的な試みをしていることを評価しているだけです。  つまり、「将来が楽しみだ」という形での評価はされていますが、誰も「『きことわ』は傑作だ」とは言ってないし、「『きことわ』は古語を復興させた」とも言ってないのです。ただ、「『きことわ』の作者は古語を復興させる野望がある」というだけの話です。  いい加減長くなりすぎたので、ざっとまとめましょうか。 Q1.この作品のどこが古語復興なのか。 A1.朝吹真理子に古語復興の願望がある、というだけで、この作品で古語を復興させたわけではない。 Q2.どの辺に「古語の響きが混じっている」のか。 A2.主に無駄なひらがなの多用。あとは、妙に一文が長いなあとか、いつになったら主語が出てくるんだとか、変な読みにくさを感じたら、それが「古語の響き」。 Q3.それがどういいのか。 A3.ただ読みにくいだけで、いいことは何も無い。ただ「古語復興への野望」の一環ではあるから、失敗してはいるけど将来性を買う要因のひとつにはなっている。 Q4.この作品のどこが評価されて芥川賞を取ったのか。 A4.かなり難易度の高い技術を使って作品を構成している点(これは日本の古典ではなく、フランスの実験小説に近い)。難しい技術を使ったからといっていい作品が書けるわけではなく、実際、この作品では露骨に技術を使いすぎて、肝心の雰囲気を壊している。しかし、芥川賞は新人の将来性を買う賞なので、新人が高度な技に挑戦していたら、出来不出来はともかくチャレンジ精神は買う。  古語復興への野望がどの程度評価されたかは不明。ただ、読みにくい文章が、ただ下手なのではなく、野望への挑戦の一環として行われた結果である、ということで、マイナス評価を免れた可能性はある。 Q5.芥川賞を取ったのだから、この作品は傑作ではないのか。 A5.芥川賞は新人賞であり、作品の完成度ではなく、作家の将来性を重視する賞である。芥川賞受賞作=傑作なわけではない。 『きことわ』は、作者が最近の新人の中では高度な技術への知識があり、古語復興という大それた野望を持っていて、将来が楽しみだから選ばれただけで、あれそのものが文学史上に残る傑作だ、というわけではない。 Q6.なぜ、たかが新人賞をあんなに大々的に宣伝するのか。 A6.もともと芥川賞はほとんど注目されていなかったが、石原慎太郎が『太陽の季節』で、学生でありながら受賞し、しかも内容がアレだったため大評判となり、以来、マスコミが無駄に大きく取り上げて過剰に持て囃すようになった(特に学生作家が選ばれると、決まって「石原の再来」とか言って、それだけで大きく取り上げる。どうせ連中はろくに作品を読んでないし、文学のことなんてまるでわかってない。ただ「若き天才」と言って騒ぎたいだけ)。そしてその彼は今では、古くさい文学センスを活かして審査員をしている。つまり、芥川賞にまつわる問題の元凶は全て石原慎太郎なので、文句は彼に言って欲しい(笑)  これで、疑問の数々は解決したのではないでしょうか。

thegenus
質問者

お礼

きれいにまとめていただきまして恐縮しております。 手とり足取りのご指導で、文芸に関する常識をご教授していただきました。感謝の気持ちを表現しきれません。おかげ様で一皮向けたような気がします。 賞の選考員もスター誕生にかかわりたいのでしょうね。 「きことわ」の読書はまだ途中ですが、だいぶ読めるようになってきました。凝った構成にしているためか、慣れぬ読者にとっては前半部が取っ付きにくい小説なのかもしれません。文章と読解のテンポが合ってくるとそれなりの魅力も感じて参りました。 これからまたこのような質問をするかもしれません。宜しければまた、面倒見てやってください。 私は本の楽しみ方を初めて知り得たのだと思います。ご友人様にも宜しく。 大変ありがとうございました。

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