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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:「きことわ」のどこが素晴らしいのでしょうか。)

「きことわ」の素晴らしさとは?

rkd4050の回答

  • rkd4050
  • ベストアンサー率60% (112/184)
回答No.1

 この質問をきっかけに読んでみました。  古語がどうこうというのは、古語そのものを使っているというよりは、文章のリズムやひらがなの使い方が、たとえば『方丈記』あたりと近い、という意味合いだろうと思います。  この作品自体、現在と過去の回想(夢)との境界を曖昧にして、眩惑的な効果を作り出しているのですが、現代文でありながら古典のリズムを利用しているのが、そういった作品の構造ともマッチしていると言えばそうなのでしょう。私は古典の研究をしたことがないので、そのことに魅力を感じはしませんでしたが、気にもなりませんでした。  この作品は、夢という装置を利用して、複数の時間軸と視点を自由に行き来する技術を使っています。その上、取り立ててストーリー展開がありません。筋が追えないのではなくて、追うべき筋がないのです。  こういう作品は普通の小説の読み方が通用しないので、たまたまこの文体と波長の合う人か、もしくはこの手の変な小説を読み慣れている読者でないと読むのが辛いと思います。カフカの『城』を楽しく読めるような、変な趣味の人でないとついていけない。  文学をやっていて、変な小説を読める者としては、この小説を技術的に貶めることはできません。時間軸と視点移動の技術をここまで使いこなせる作家はそうはいません。  指摘されている文章も下手なのではなくて、特に冒頭の部分は、現実と夢、現在と過去の境界で微睡んでいる雰囲気を出すために、わざと無茶苦茶な書き方をしているわけです。その部分だけ抽出すると下手なように見えるかもしれませんが、構成から考えれば必然のある書き方です。  夢であることを強調しすぎて雰囲気を壊している箇所など、欠陥はいくつか指摘できますが、致命的ではないし、むしろ、そういったわかりやすい符丁を入れておかないと、ますますわけのわからない小説になって、読者層を大幅に狭めてしまうことになるでしょう。デビュー作の『潮流』のように。  ただ、個人的な評価で言うなら、つまらないです。私の趣味ではない。このタイプの作品なら『アフリカの印象』という、めちゃくちゃ面白い小説がありますし(これを面白がるのは、やはり変な趣味がないとダメでしょうけど)、いっそ『城』を読んだ方がまだ楽しいです。  なお、この小説の本質を簡単に理解できる方法がひとつあります。作中に出てくる"E2-E4"というアルバムを聴いてみてください。私の文章や専門家の解説なんかを読むよりも、『きことわ』がどういう小説であるかを明瞭に知ることができるでしょう。  まあ"E2-E4"と比べると、『きことわ』にはグルーヴが足りないような気がしますし、気の利いたフレーズを時折挿入するなどの工夫にも欠けていると思いますけどね。読者に余計なことを一切考えさせないで、ぼーっと読めるくらいどっぷり嵌らせてくれるような、サイケデリックな工夫が欲しい。また、この作風でやっていくためには、それを会得するのが絶対条件だと思います。  理論的に正しいだけの音楽なんて、つまらないに決まってますから。専門家(誰が絶賛しているかは知りませんが)にウケて一般読者に受けない要因もそこでしょう。

thegenus
質問者

お礼

回答No.2を頂いてからこちらに書いています。 参考というのではお礼としては弱いように思われるかもしれませんが、違います。本当に参考になります。単なる答え以上の収穫があるという意味です。 私は、回答者さんとの出会いを通じて、文学という物に初めて対面したのかもしれません。対話型質問サイトでなければ伝達不可能な事です。有難うございます。 "E2-E4"はジャンルは分かりませんが(ハウス?)、インスツルメンタルのですよね。 倒錯感を味わうための文字列だったのですか。作家のイメージや古語などのキーワードは新しい読者をミスリードしていますね。いわゆるマニアックなのですかね。そもそも芥川賞は大なり小なりそういう性質を評価する文学賞なのかもしれませんね。元来はそういうものではなかったと思うのですが、大衆小説と溝を開けんがために、努めてマニアック路線になったのでしょうね。それならばマニアック賞にした方がいいです。芥川龍之介は当時としてはそうだったのでしょうか。無関係な名前を冠した文学賞は日本語としても問題ですね。 乳と卵に対する過去投稿も拝見しました。まったく思いもしていなかった内容でした。これまた強烈に参考になりました。回答者さんの書評がサイケということはないのですよね。 私の思考回路は、えらいこっちゃですわ。久々に衝撃を受けました。この衝撃を芸術というのかもしれません。 本のご紹介にも感謝しております。読もうと思います。 私にはすぐに返す言葉もありません。少し時間を頂いてまたお礼等させて下さい。

thegenus
質問者

補足

回答ありがとうございます。最初から答える気のない回答者がいて、質問して後悔する事も少なくありませんが、今回、質問して良かったです。 わざわざ読んでみてくださりありがとうございます。回答者さんは専門家の方なのでしょうか。 ★視点移動の技術に優れているのですか。とても関心がありますので、ぜひ教えて下さい。 具体例になる部分がありますでしょうか。 どうやら、その筋がない小説というのは、本好きでなければ、とても読めないということを実感する結果になったのですかね。変な現代クラシックを聞いていると脳みそがバラバラになりそうで耐えられませんが、そういう露骨さがないので、私にとって何が問題なのかも決められずに困っていました。 でも何だか分からなくていいわけですか。作家が伝えたい事実はない。いうなれば芸術のための文学ですかね。気分物ですかね。 おっしゃられるようにリズムが古典的という話なら(私にはピンときませんが)感じ方次第で済ませる事ができます。 ただ、それだけの事を古語復興とまで膨らませる連中はまるで参考にならない狂言者ですね。いい加減にしてもらいです。軽口にあきれて、評判の新書を読む気がうせます。 私には、一文一文がチャーハンのようにパラパラした関係に感じるのですが。つなぎのないそばをすすってもごもご状態です。 わざと破壊的な文体を選ぶというのはなんだかんだで結局、回避した件について、表現する能力がないからだと思います。作品全体をイリュージョンにしてしまえば……完全犯罪ですよ。 ちなみに芥川賞作品「乳と卵」でしたかああいうのはどう思われます。あれは俗っぽいせいか一応最後まで読めました。 変な作品が嫌いじゃないという回答者さんの口ぶりは面白いのですが、その変な作品を好む人の意見というのは客観的にどんなもんなんでしょう。そういう意見をどう思われますか。この作品はさらに面白くもない物を面白いという人向けなのではないですかね。個人的にはそういう方向で読書をすすめたくないです。自然とそうなってくるのでしょうか。 爽やかなご解説はでとても参考になりました。 ほんとうにわざわざありがとうございました。文面から真摯な人柄がつたわってきます。

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