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洗礼を受けないと天国に行けないのでしょうか?

キリスト教では洗礼を受けていない人は天国に行けないと考えますか? ふと、疑問に思ったので質問です。キリスト教では洗礼を受けていない人間は天国に行けないと考えているのでしょうか? よろしくお願いします。

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  • riehana
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回答No.19

こんにちは* 天国に行けるかどうかの基準。難しい問ですよね。 『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを得るためである。』(ヨハネの福音書3章16節) ひとり子=イエス様 永遠の命=天の国に入ること です。 ここには『信じる者』が永遠のいのちを持つと書かれています。 洗礼を受けるかどうかではなく(本当に信じていなくても、洗礼は受けられますもんね・・・) 『信じる』かどうか。 つまり自分の意思でイエス様を信じる事を選び、イエス様と共に生きるということだと思います。 よく『クリスチャンはイエス様の花嫁』などと表現されますが、 洗礼=披露宴 イエス様を信じる(受け入れる)=婚姻届の提出 に近いのではないでしょうか? 披露宴をあげても夫婦にはなりませんよね? 婚姻届を出して、初めて夫婦と認められます。 ただし、夫婦(クリスチャン)でい続けるには、一瞬だけイエス様を信じるのではなく、 信じ続けるということが何よりも大切です** 洗礼を受ける受けないが基準ではなく、信じるか信じないかの一点のみです。 神様は、信じない人を救わないのではなく、私たち一人一人に選ぶ権利(選択)を与えてくださったのだと思います。 イエス様は全ての方の心のドアをコンコンっと叩いています。 イエス様側のドアにはドアノブはありません。 私達の側にしかドアノブはないんです。 もちろん、無理やりドアを蹴破ることもできます。 しかし、イエス様はそうはされません。 私達がドアを開け、共にお茶を飲みながら、顔と顔を合わせて話をするその日を ドアの外でいつまでも待っていて下さいます。 誰かを救って、誰かを救わないのではありません。 全ての方を救いたいのです。 全ての方のドアを叩いているのです。 その選択肢は私達の手にゆだねられている。 ただそれだけです。 無理強いすることなく、愛を強制しないこともイエス様の愛ゆえです。 自分にはドアはない。 イエス様は自分のドアは素通りしていると思われる方もいるかもしれません。 そんな時は、イエス様に聞いてみて下さい。 居るか居ないか分からない人に向かって質問することは、本当に馬鹿げて見えるかもしれませんが、家族や友達に言う必要はありません。 寝る前や、お風呂の中でそっと、「イエス様。あなたは本当に居るのですか?私のドアも叩いているのですか?」と小声でいいので(難しければ心の中で)聞いてみて下さい。 あなたのその小さな祈りを、一言も漏らさず、全て聞いていてくださいます。 hallelujah

noname#142902
質問者

お礼

こんにちは。 確かに信じていなくても信じた『フリ』をして洗礼は受けられますね……。『クリスチャンはイエス様の花嫁』というのは言いえて妙と感じました。洗礼が披露宴でイエス様を受け入れるのが婚姻届の提出。このたとえは素晴らしいです。これですんなりと納得できました。 そしてイエス様を信じ続けるのが非常に難しいと感じています。信仰は脆いので、離れてしまいがちです。愛を強制しない愛、いい響きです。 駆け足のお礼でしたが、本当に素晴らしい回答でした。ありがとうございました。

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その他の回答 (18)

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.8

キリスト教では洗礼を受けていない人は天国に行けないと考えますか? ○「思いと行い」それだけですね。天国地獄をわけるのは善因善果、悪因悪果です。 これだけのことなんですが、問題は「善因善果、悪因悪果」の意味が判らないのですね。 「思いと行い」とは心の問題なのですね。形式や儀式のことではありません。 キリスト教、仏教、イスラム教、神道、どの宗教であれ「思いと行い」とは心の問題であることが判らなければ大抵地獄にいってますね。儀式や形式が宗教だと思ってみたり、あの世は無いといってみたり、間違ったものを信じてみたり、地位や名誉を信じてみたりまあそういうことです。 それで宗教家や牧師、坊主もたくさん地獄にいってますね。 つまり、「思いと行い」が正しければ洗礼を受けようが受けまいが天国に行きますし、逆に「思いと行い」が正しくなければ洗礼を受けようが受けまいが地獄に行きます。カソリックにはやくざ家業のマフィアもたくさん入っていますが死後はみんな地獄で遊んでいますね。これは仏教、イスラム教、神道のやくざ家業も同じですよ。 正しい思いと行いとは一番簡単に言えば感謝できることです。人に優しく、愛を与えて生きればいいだけですね。それさえ心がけて生き抜けば間違いなく天国にいけますよ。簡単でしょ。

noname#142902
質問者

お礼

確かに『心』が大事そうですね。洗礼を受ける受けないではなく、自分がどの様に生き、どの様な人であるか。改めてそのことに気付かせてくださってありがとうございました。

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  • alwen25
  • ベストアンサー率21% (272/1253)
回答No.7

これは、カトリックの神父の発言です。 「洗礼を受けなくても、仏教徒でも天国にいける」 これに対しシスターは「天国にいけるかどうか分からない」 と言っていました。

noname#142902
質問者

お礼

神父様ご自身が洗礼を受けていない人間でも天国へ行けると仰っていたのは新鮮です。

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  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.6

ギリシャ哲学でイデアってのがあるんです。 イデア界は普遍の属性を持っていると設定されています。 普遍とは変化が無いということです。 条件によってAだったりBだったり変わらないってことです。 変わらないので生まれることも死ぬこともない完全停止した世界。 そして完全に善の世界だとされています。 あくまで、そういうのをイデア界だと想定しての話です。 そして古代の人はこう想定していました。 「人間はもともとイデア界の住民で完全なるものだった。が、肉体という有限に入ったことで、完璧な存在ではなく不完全な存在になった。イデア界の善というものがわからなくなった。が、まったく穢れがなくなれば(不完全さが無くなれば)、イデア界に戻れる(入ることができる)」としたんです。 イデア界は不完全なものは入れず、完璧な属性のものだけが存在できるとしたので、不完全なものは入りたくても属性が違うので入れないってしたんです。 で、限りがあるということは、完璧ではないので、悪がある、罪がある となったんです。 完璧からみたら、有限の肉体に宿っているものは、不完全で、その不完全さを 罪 と考えたわけです。 で、キリスト教は洗礼をすることで、穢れが取り除かれ、100% いつでもイデア界に行ける存在となったとしたわけです。 だから洗礼を受けた直後であれば、イデア界の住民だとなるわけです。 ところが、穢れの世界に存在していたら、また穢れに接触して穢れてしまう。 自分は穢れたくない・罪を犯したくなくても、穢れと接触している以上穢れが付着してしまうとしたので、自覚が無くても絶対にみんな罪があるってしたんです。 「覚えが無いなぁ」と言う人も 穢れまみれだってキリスト教はしたんです。 有限の世界に属している以上、完璧ではない 穢れた存在である としたんです。 で、古代の人は生活の知恵で、水はいろいろなものを溶かす性質を持っているので、沐浴をして体についた汚れや細菌をはらっていたわけです。 ですから 沐浴ならぬ洗礼をすることで、精神的な意味での罪を洗い落とすという 意味で、洗礼の儀式をしていたわけです。 まあ 要するに 正月は めで鯛 とか よろコブとか で正月のおせち料理みたいに縁起をかつぐことを洗礼の儀式を通してやっていたってわけですね。 通過儀礼なわけで、例えば赤道は目では見えませんが、あると過程して通過したとするし、日付変更線も地球上のロープなんて張ってありませんが、日付がここで変わると設定しているので、変わったってしてますよね。 七五三や成人式も、目では見えない境目をまたぐ儀式としてやっていますよね。 これを通過儀礼と呼びます。 目では見えないもの、空想上で存在するものを、儀式をすることでまたぐってことを古代から人間はしていたわけです。 そのとき、いつもと違う服装をすることで、境目をまたぐ ということをしていたわけです。 だから、儀式のときは いつもとは違う格好をするわけです。 洗礼もそうで、空想上というか 仮定して 境界線があるとして、いつもと違う行動 ふるまい 服装をしてまたぐ儀式に参加することで、またいだ ってしていたわけです。 ですが、実際成人式を迎えたからといって、突然人格が変わるわけじゃありません。 本人が「もう成人になったから、大人の振る舞いをしなければ」と考える機会が成人式に異装で参加することで思うようになることもあるわけです。 本人が大人になったと自分をひきしめたら、大人としての仲間入りをしたわけです。 法律上は成人となりますが、それでも「てやんでー」と成人式に来賓に向かって罵声を浴びせる人やからかう人もいますが、、、、、 参加する人の心持次第で、またいだから今日から自分は新しい自分になったとするか、てやんでー変わるものか と考えるかは本人次第。 自覚次第。 洗礼を受けて、自分の穢れは清めれ 生まれ変わったのだから、誠実に生きて行こう と決心したら、それ以降は自分が満足する清い生き方になるでしょうし、あほらしい ただの水道水じゃん と思ったら、生き方は変わらないわけです。 こんな感じですね。 ギリシャ哲学のイデア、通過儀礼、 これらがキーワード。

noname#142902
質問者

お礼

最初は回答の長さに驚きましたが、読んでいて思わず引き込まれました。洗礼について丁寧に丁寧に噛み砕いて説明してくださって読み進めていくうちに面白くなってきました。今、読み終わって「もう終わったの!?」と悲しみと寂しさに襲われています。あなたの回答を色々なところで見ていますが、どの回答も本当に素晴らしいです。こう書くとあなたの機嫌取りみたいで申し訳ありませんが、私も勉強を進めてあなたのように人に教えられる人になりたいです。このたびは回答、誠に有難うございました。

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  • kappa1zoku
  • ベストアンサー率29% (334/1137)
回答No.5

日本仏教のおおらかさ=いい加減さと比べたら、キリスト教が主張する神との契約と言うのは 堅苦しいと感じると思います。 天国へと導いてくれるかは、神様との契約なんです。 親鸞が起こした<浄土真宗>は、信じれば誰でも即阿弥陀様が「浄土」へと導いてくれるし、 そんなことを信じれない者がいても、それは娑婆世界での迷いそのものだから、なおのこと 哀れと思って下さるんですからね。 どちらがいいかはよく分かりません。

noname#142902
質問者

お礼

確かにキリスト教は厳密とも言えます。特にカトリックの方が厳密だとも感じています。 私自身、いい加減が良いか堅苦しいのが良いのかは良く分かりません。と、いうより宗教が良いものか悪いものかも分かりません。 あと、この質問はキリスト教を批判しようというものではありません。ただ単純に好奇心が起こって聞いてみただけです。勘違いさせてしまったら申し訳ありませんでした。

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回答No.4

ちょっと話ずれるけど宗教自体基本的にウソまやかしなのではないでしょうか? まぁこれは僕個人の意見ですし完全に正しいかは分かりませんがただの推測です。 別に宗教信じてる人が特別嫌な訳じゃなく、例えばキリスト教信じてる人で性格いい人って結構多いですし。 宗教信じる自体はその人の価値観ですしそっちのが自分を保てるならよいと思います。 でも経典そのものをまるっきり全部信じたら人間性の崩壊につながるのではないでしょうか。 自分で判断しないで何かを信じ込むってのは危険です。 だから宗教を信じるにしても経典すべてを信じずうまく利用するってのが正しいやり方だと思います。

noname#142902
質問者

お礼

なるほど。確かに宗教自体が嘘である、と言う考え方は新鮮です。 経典を全て信じることは危ない、というのは覚えておきます。キリスト教では『聖書は全て正しい』との前提で教えている人もいるので安心しました。

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回答No.3

それがほんとなら、キリスト教以外天国に行けないことになりますね いかに信者を増やそうか考えた、宣伝文句です その前に天国と言う物が存在するかどうか分かりませんが(^0^)

noname#142902
質問者

お礼

そうなのですか……。仰るとおり、天国は証明されていないので死後が不安でもあります。

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  • 6750-sa
  • ベストアンサー率26% (438/1656)
回答No.2

そう、考えているのです。 でも、神がそう考えているのではなく信者が考えているだけなので洗礼を受けたり宗教組織に属する必要はないと思う。

noname#142902
質問者

お礼

そうなのですか。しかし神様ではなく、信者の考え、と聞いて少し安心しました。

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noname#130606
noname#130606
回答No.1

神は信じる者しか救わないらしいよ。 セコいね。

noname#142902
質問者

お礼

そうなのですか……。寂しい気もします……。

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