• ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:早く悟りたい。死の恐怖に脅えてます。)

死の恐怖に脅える日々、早く悟りたい

このQ&Aのポイント
  • 私は健康体で恵まれた生活を送っていますが、ここ3年間毎日死の恐怖に脅えています。
  • 友達からの誘いにも後悔の念がよぎり、図書館で目にするのは死や葬式に関する本ばかりです。
  • 私は一日も早く悟りたいと思っています。どのように考え方を改善すれば良いでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
noname#132831
noname#132831
回答No.6

 釈迦の出したひとつの答えが一切皆苦です。    http://www.tees.ne.jp/~shouen/ohanasi/osie/ku.html    http://www.h5.dion.ne.jp/~takata/07/0.html  恐怖と不安の違いはなんでしょう?    http://www5a.biglobe.ne.jp/~yukimaru/shinkeishitushou/fuan.html  人間は顛倒した世界で生きている。    (例)欲求に反比例して不安が強くなる。    http://www.h5.dion.ne.jp/~takata/02/9.html    http://www.h5.dion.ne.jp/~takata/03/5.html     生きていて当然と思っている、だから死が必要以上に怖いのでは?  脳科学を少しかじると、いかに思考がオートマティックかが判ります。    心理学レベルでもそうです。    http://www.katotaizo.com/lecture/index.html     「行動を変えれば自分は変わる」     死の不安を払拭しようと何かをする、すると     死への恐怖は強まり、死は恐ろしいものだという世界観が強化される。    http://jiyu-ni-ikiru.seesaa.net/article/155217220.html  動画サイトで検索 「宇宙-星の大きさ比較」 「地球~宇宙の果てまで 」    ひとりの人間の一生など、宇宙の永い歴史に較べれば、ほんの一瞬の、ちりほどの値打ちもないものです。  結論;あなたの人生は今まで、不安から逃れるために行動してきたのでしょう。「他人から嫌われないために」「よく思われるために」など。不安から(不安を動機として)行動すれば、不安は大きくなるばかりです。自らの意思で、自らの希望のために行動すれば、おのずと光は見えてくるでしょう。         

参考URL:
http://www.ykren02.com/chap-b_08.html
noname#125424
質問者

お礼

url有難うございました。全て閲覧しました。 面白かったのが諸行無常の話です。 今までなんとなく仏教には敬遠していましたが、接してみると面白いですね。 加藤諦三先生の本も好きなので、講演も聴けて良かったです。

その他の回答 (9)

  • ks5518
  • ベストアンサー率27% (469/1678)
回答No.10

創価学会 壮年部の者です。 「死」というものは、「生」を受けた瞬間に定められる、次に必ず おとずれる「理(ことわり)」です。これは、誰でものがれる事は出来ません。 ですから貴方の仰るように、「死」とは生きているものにとって最大のテーマ なのかも知れません。ですから、簡単に解決できるものではないと思います し、過去にこの問題については多くの人たちが対峙した事でしょう。 仏法では、生命の永遠性を説き、その生命に宿る業を解き明かしています。 「死の恐怖に脅える」ということは、それと同時に「どう生きるか」を真剣に考え る事で、自身の生命状態を把握し、未来においてどういった因果が現われる のかを確信できるものだと考えます。 そこで一番重要なのが、「正しい信仰に生きること」です。それにより、自身の 生命が開花し、価値ある生活行動を生み出すのだと思います。 先ずは、少しずつでも良いと思います。この機会に、仏法を学んでいかれる事を お勧めしたいと思います。

noname#125424
質問者

お礼

死を学ぶ事で生の意味も深められる(?)のでしょうか。 ここで質問していて仏教や宗教の面白さを感じました。 有難うございました。

noname#134608
noname#134608
回答No.9

こんばんは。 >早く悟りたい。 >死の恐怖に脅えてます。 この2点の共通点に気がつきますでしょうか…? もう一つ加えて『悟り』、『死』、『死後の自己』3つに別けてみましょう。 kimomonomiさんはこの3点何れも『知らない為に恐怖』を感じている… そのようの思うのですが如何ですか? 『未知』は『期待、希望、恐怖』を全て含有しています。 『知る、知っている事は安心』なのです。 そこでこれら3点を『じっくり考察してみる』と宜しいかと思います。 様々な書物や迷信、伝説、言い伝えなどは『一切考慮しない』で考察する事、 それが大切ではないかと思います。 なぜ、『書物・・・等を無視するか』、それはそれらに『疑問が生じた時』、 やはり『不安に陥り、負のスパイラルになってしまう』からです。 私のこの書き込みも『読み流す程度』でかまいません。 ついては考察するに当たり『可能な事、不可能な事』を挙げてみます。 『悟り』…ある側面、『自己満足』でその『(悟った)つもりになる』、 この点だけは注意してください。 『悟りの定義』として明確なものは存在しませんからね・・・^^。 『死後の世界』…これは『考察』で導く事は『不可能』です。 何故なら、『考察、思考は全てが過去の体験経験に基ずく』からです。 そうすると、知る事ができる唯一のモノは『死』です。 『死は身近に幾らでも存在しているモノ』ですから、 じっくり考察、洞察されたら宜しいかと思います。 簡単には『死=肉体の消滅』ですよね…。 では『kimomonomiさんの肉体が消滅する時』、 何が起こるのでしょうか? 身近な方、近親者の方で既に他界されている方がいらっしゃると思います。 おそらく参考になると思います。 余談になりますが、『生有るもの、必ず死は訪れる宿命』です。 例えばこうして、これを書き込んでいる私、お読みになっている方、 そして勿論、kimomonomiさんも例外なく、『肉体細胞は今、死んで行っている細胞』があります。 脳細胞とて例外ではありません。 ですから『脳で思考する』のですから、その『細胞のある一部づつ』は、 正に、『今、死んでいる、死んだ』のです。 それが思考回路に影響を及ぼすと『死に対する不安や恐怖』が、 自然と湧いて来ても無理はありません。 最後に『死に逝く者と残された者』の感情や記憶という部分を、 付加してみると、『死』がより明確になってくると思います。 それでは、失礼いたします。

noname#125424
質問者

お礼

有難うございました。お話が難しくて理解出来ない所もあるのですが、また時間が経ったらこの回答を見て考えてみようと思います。 「死後の世界は『考察』で導く事は『不可能』。何故なら、『考察、思考は全てが過去の体験経験に基ずく』から」という文を初めて知りました。 私には一生悟ることは出来そうにないです。諦めます。 その代わり大したことじゃないかもしれないけど、どんなモノも純粋な目で見ていたいです。

  • vsm42952
  • ベストアンサー率27% (111/398)
回答No.8

こんばんは とてもよいことです。 別に鬱とかではなくとも、「死」自体に関して理解を深めることは、逆に生の意味を知ることになります。 死やそれに関する書物に目が行くなら、躊躇わず手にとって見ることをお薦めします。 必ず役に立つでしょう。 現代人はあまりにも死をタブー視しすぎています。「葬」るという字は、死体が草むらに転がっている情景を表しています。昔は「死」は身近なもので、直視しないで生きることは出来ませんでした。そういう意味でも現代人は、死に対する精神的理解が古人に比べて退化しています。それは「生」に対しての理解が欠けていることを示します。 各個人に対して今生での「死」は一度しか与えられないもの、その機会を如何に有意義なものにするかという問題は、すなわち如何に生を有意義なものにするかという問題に置き換わります。 是非この機会に、あなたなりの「死」に対する理解を深めて下さい。それは、あなたが今後どう生きるかという問題に対する答えにもなるからです。

noname#125424
質問者

お礼

「現代人はあまりにも死をタブー視しすぎている」という意見に賛成です。 「死ぬことってどう思う?」と聞いたら「なんだ、お前死にたいのか」と答える人の多さ。 私は純粋に死とは?を知りたいです。死の話題は一見暗いかもしれないけど、ゲームセンターでプリクラを撮り、ファッションを楽しみ、それをしない地味な学生を批判する学生よりは、人生を楽しんでいる自信があります。回答有難うございました。

  • zosterops
  • ベストアンサー率38% (220/570)
回答No.7

本物の恐怖ならば、立ち向かうものなのでは? あなたの場合、 ここ数年ですか、死という事に大変興味を持っておられる、 それはそれで、素晴らしい情熱だとまず自己評価を高く持ってもいいと感じました、 が、 そして、何故か、自分が人と遊んで時間をつぶすことを想定した時の罪悪感にこだわっておられる、 あなたの文面からは、不慮の事故にでも遭わなければ、 「自分はあと数年、数十年は生きるはず」だと確信に近く認識されておられますね、 あなたの本当の恐怖は、 実は「もう毎日もっともっと遊びたくて遊びたくてたまらない、 でも、やめたくてもやめられない~」と意志の力がかなわないという事実、 そして、そんなご自分へ「怠慢」というレッテルを貼り、 悪者?扱いしてしまう、あなた自身の「罪悪感」、 そんな顔をしたその罪悪感が怖くて怖くてたまらないのでは? ほかの方のご回答にもあるように、 あなたには時間も余裕もおありだからこそ、 おぼろげながら迫って来るような罪悪感に苛まれるだけなのでは? 私の場合ですが、 実は、死ぬことにほとんど恐怖を感じませんし、 おおげさな表現かもしれませんが、 いつ死んでも後悔はない!と信じ生きています。 だからこそ、たとえば道を歩いていて自動車と接触しそうな瞬間が起こったら、 「いやだ、今はまだ死にたくない!」と心の底から思います。 矛盾しているようですが、 本当のこと、本心なのです。 どうしてかというと、 今までに様々な経験を経て今の自分が居るという在り難さがわかっていますし、 人様に恥ずかしくない確固とした自己評価と満足があるからですし、 <だからこそ>これからまだまだやりたいこと、やり遂げていないことが山ほどあるからですし、 また、だからこそ後悔はひとつもない、そして、 毎日が尊く、かけがえなくいとおしい日々であり、 一分一秒がもったいないくらい精一杯打ち込める仕事や趣味などがあるからです。 当たり前のことなのですが、 人は誰でも、この人生を終える時を迎えます。 死について、それこそ情熱を傾けて、考え尽くすことが、 今現在のあなたの中心興味であるならば、 それもひとつの試練であり経験となると思えば、 楽になりませんか? 怖いことは、悪いことですか? 恐怖に執着することが、悪いことですか? 自分から引き起こすこと、自分の意志ではどうにもならないこと、 どっちにしても、生きていて起こること、 人生には、 無駄なことはひとつもありません、 断言できますよ。 生きている可能性と次の瞬間に死ぬ可能性とを、 天秤にかけて揺れているのが、 あなたの姿のように思います。 生きていることに熱心になるか、 次の瞬間に死ぬかどうか心配することに熱心になるかは、 あなた次第です。 生きていられる可能性の素晴らしさといったら!

noname#125424
質問者

お礼

「人生に無駄なことはない」という言葉が印象に残りました。 私は何がしたいのか分からないけど、だからこそ取り敢えず忙しい状況に身を置こうと思います。 それでも死について考えるならば、きっとそれは私が純粋に知りたいことなのだと捉え、納得いくまで考えようと思います。有難うございました。

  • songbook
  • ベストアンサー率36% (334/910)
回答No.5

死について考えてしまうのは、考えないよりはましかもしれませんよ。 死の恐怖に怯えてしまうのが苦痛なわけですね? 正直申し上げて、一番良い方法は、「生活が忙しくなること」です。よくも悪しくも、ほとんどの人は、そんなこと考えている余裕がない。怯えている暇がないのです。 それでも、ふとした瞬間にその恐怖がやってきてしまうのならば。(そういう気分になってしまうことを避けることはできませんが、かなり軽減はできます。) 「生きて何をするか」を一生懸命考えてほしいのです。自分は生きて何をしようとしているのか、です。 もしも、「死の恐怖」しか考えられないのならば、 どうして自分は必要以上に死の恐怖におびえるのか むしろ攻撃的に、一生懸命自己分析してみてください。そのおかげで、他の誰か、死におびえている人を救ってあげられるかもしれませんよ。それ以上に、あなたが救われるかもしれない。 まあでも一般的には、カウンセラーと一緒に話をすることが一番ですね。 悩みをいっぱい、話してみてください。こういう書面ではなく、面と向かって人間同士。 それだけで、不思議なほど心は軽くなるものです。時間はかかりますけどね。

noname#125424
質問者

お礼

痛い所を突かれました。私は全然忙しくありません。 どうして暇な時に限って人生で一番大事な事(?)を考えてしまうのだろう。命とは何か?理屈じゃ分からないのでしょうか。感じるんでしょうか。 そういえば忙しい時は今やることに一生懸命で3分後の心配をするのさえ余計な事に思えたかもです。一生懸命生きてるからわざわざ命とは何かと考えなくても本能が感じているのかな…。 とにかく自分は暇なんだろうなと思いました。アルバイト頑張ります。

回答No.4

 んー・・・死んだ後には何もありませんよ(酔汗) 強いて言うのなら、その後に残された生者に受け継がれる 「思い出」くらいです。 多分、質問者さんの感じておられる「恐怖」は 「自分が無になる」=「生きている人にとって無意味になる」だと 想像しているのですが・・・それならば、 「何らかの意味」を残せる様、何事であれ精一杯やってみるのが 良いかと思われます(´_`;b もしかしたら何かを悟れて本でも書けるかも・・・

noname#125424
質問者

お礼

(´_`;bの顔文字に見覚えがあります。私の出した質問に回答下さり有難うございます。 正直今の人生が楽しくありません。 親は離婚するし、学校にも行ってない…そんな状況で死にたくないと思いました。 自分の力でどうにかなりそうな事に力を入れようと思いました。 今まで過去の事ばかり頭にあったけど、未来の事を真剣に考えようと思いました。

  • shu-ko123
  • ベストアンサー率9% (22/236)
回答No.3

わたしはガンでオペをしました。 残りの寿命を考えたとき、ただ、必死に生きることだけを考えました。 死の恐怖におびえる。 わたしからみれば、生きられる余裕があるからと思いますね。 世の中にはいきたくても生きられない人がいることをもっと考えてほしいです。 あなたはただあまえているだけのように思います。

noname#125424
質問者

お礼

お身体大丈夫ですか?淡い想像しか出来ないのですが、大変だったと思います。 私は母に今回gooで質問した事とほぼ同様の事を問いかけましたが、母には「世の中には生きたくても生きれない人がいる。あなたは贅沢だ」と言われました。 それなら死とは何かを真剣に考えようと、私はホスピスといわれるところにボランティアに行こうかと思いました。しかし死を間近にしている方の相手をするのがこわくて(何か気に障る事を言ってしまわないか・患者さんの気が立っていて怒鳴られる事もあるのではないか)結局出来ませんでした。 そういう自分の言動を考えると、確かに私は死について考える事に切羽詰まっていない状況だと言えるかもしれません。 しかし勘違いして頂きたくないのは、回答者様には回答者様なりのお考え・経験をお持ちであるように、私も人間ですので、私なりの考え・価値観を持っているという事です。 世の中には病気を持っている人、食べていくのも精一杯な人もいると知識の上では分かります。 しかしそれを考える事で健康体の私が「死とは」と発言する事が果たして無駄な事でしょうか。 今回の私の質問で回答者様のお気に障ったのかもしれないと推測しておりますが、私も人間、明日には死ぬかもしれません。病気で無くても、死ぬかもしれない。確率的には低くてもこれは事実です。 なので誰もが死について語る権利は持っていると思います。 回答者さんのおっしゃる通り、甘えている人間も堕落している人間も。 そういう人間には(私も含めますが)、所詮知識としての理屈しか分からないと思います。 それを承知の上で質問させて頂いたのです。

  • shizumo
  • ベストアンサー率12% (159/1285)
回答No.2

>>もし明日死んだら今日遊んだ事に後悔するんじゃないか。友達と呑気に遊んでいて良いのか?」など考え込んで 」 後悔するのでしょう? だったら遊ぼうが考え込んで答えがなかろうが後悔するのは同じだから、死ぬときに「楽しい人生だった」と思う生き方をしたほうがよかろうて。

noname#125424
質問者

お礼

生きるのにつまらないのは、私が受け身の態度だからだと思いました。 なので自分から友達に「遊ぼう」と誘おうと思います。 そうすれば楽しい人生になれる気がしました。回答感謝します。

noname#140925
noname#140925
回答No.1

大丈夫、死んだら何も残りませんから。 そもそも死んだ後に後悔なんて出来ません。 後悔なんてものは、生きてるから出来るんです。 それでも割り切れないなら、出家でもすれば良いのでは?

noname#125424
質問者

お礼

なんとなく思ったのですが、最近墓参りに行ってないから墓にいる祖父が私に墓参りをしに来いと呼んでいるのかもしれません。 出家は色々条件があり出来ませんが、墓参りなら出来そうなので近々墓参りに行ってこようと思います。 有難うございました。

関連するQ&A

専門家に質問してみよう