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死が怖い、について
他サイトで同様案件は拝見はしていたのですが、すみません、改めて皆様のご意見や解決方法がもしあれば伺いたく思い質問させていただきました。お恥ずかしい変な質問で申し訳ございません。 単純に書くと、死について、というよりは、そもそもの生について考えると異常に怖くなります。 人生でこの衝動は何回かあり、最初は中学生の頃でした。なので、もしかしてこれも中二病の一種なのかな、なんて先日思ってしまいました。 話がそれましたが、軽度な時は死について考え軽く青ざめる、もう少々重い時は加えて何故か宇宙を想像する(恐らく宇宙空間の黒がイメージに連動しているのと、後述しますが私の死への考えが無なので宇宙の塵になる、と思っているからなのかな、と何となく自己分析しています。)ようになったり、何かしら訃報を目にしやすくなり、それを議題に重く考えたり、などなど、ともかく死について、脳内で出ない答えを見つけてループになり、段々怖くなっていきます。 実はお恥ずかしいついでで、もう一段階あるのですが、もっとまずい時は、そもそも生とは、というところまで考えてしまうようになり、精神状態も、この上なく恐怖と絶望感にみまわれてしまいます。 中学生の頃は、変な言い方ですが、まだ今からしたらピュアな、哲学っぽい事を考えて、布団にしがみつきながら耐え抜きました。恥ずかしい話ばかりですが、一度だけ、どうしても耐えられなくなり、母親に打ち明け、中学生にも関わらず抱きついて慰めてもらったこともありました。恐怖心的には強レベルに近いくらいのものでした。そして20代になるまでは殆ど忘れていたのが、20代前半になりいっとき軽度レベルを再発し、また20代後半のいっときまで忘れていましたが再発しました。 そして、29・30・31と、半年~1年のペースで中~やや強レベルで襲って来て、32歳後半からは、特にここ1~2ヶ月は、考え方は違うものの、中学の頃に負けない、人生最大かもしれない恐怖で押しつぶされそうになりました。 最近については、私自身生活習慣が悪いとかといって怖いとか言っておきながら普段健康面を気にしない感じになってしまっていて、それがきっかけで反省して改善できればいいものの、性格上早々出来ず、といった事から死を考えたり、今までの人生の時の早さを考え出して最近早くなった事で気付いたら死期になっていそうと考えたり、中学の頃とはまた違う哲学的な事を考え出したり、身内の将来を考えたり、有名人の訃報を重く考えたり、ともかく、そういう状態の時はとことん色々考えてしまい、直近はとあるプライベートの時に電車に乗っていたら、乗車時間がその時連続で2~3時間あったのですが、過去最長の思考時間および最大の恐怖心が出てしまい、その間ずっと普通列車で両隣に人が座ってる中で必死に耐え抜きました。途中発狂しそうになったほどでしたが、少しため息程度の声が漏れてしまった程度で収まりました。その時は最終的に本来の用事をキャンセルし、気分転換をし、少しは落ち着きました。 が、それがきっかけで、ここ一月ほどそれから今に至るまで、連日の時もあるものの毎日と迄はいきませんが、前述の出来事レベルまではいかないものの、怖い怖いが続いてしまっています。 先にどうでもいいお恥ずかしい赤裸々話を綴ってしまいましたが、私自身は、死後の世界とか前世などといった、変な言い方になってしまったら申し訳ございませんが、非科学的?な事はいまいち信用出来ず、科学的?物理的?に死=無という解釈をしてしまっています。まだ、死後の世界や輪廻など、続く方向のものが信じられていれば違うのでしょうが。あ、ちなみに、霊の存在とか、死後の世界とか、その様な説および教えられている、考えられている、信じられている方を否定したりしているわけではないので誤解なき様願います。私自身の性格上、どうしても頭では理解していても、深層心理が私自身でもどうなっているのかは分かりませんが、そちらが納得出来ていないと信じれない様で、現状私自身の考えに関しては、やはり死=無となってしまっている様です。ただ、その衝動の時に、死=?という議題になる時もあって、その時には?を埋められず無限ループし精神状態が落ちていく時もあります。 考えてもしょうがないこと、避けられないこと、といった事はわかっているし、何でもない時は冷静に考えられるのですが、衝動時にはどうしようもなくて、ただ過ぎるのを待つしかない、で済む話なら問題はないのですが、前述の通り、長い時間抜け出せず、しかも公衆の面前で、といったときに、前述の時は何とかなりましたが、この先また同じ様な時があった時にどうしよう、と思っています。 長々となりまして、本題ですが ・他にも同様の若い方がいらっしゃる、というのは他のサイトを拝見して分かりましたが、私の歳でこの様な事になっているのは、ちょっとおかしいでしょうか。他にもいらっしゃいますでしょうか。 ・恐らく、どうしようもない事、だとは思いますが、何かしら緩和するための改善策はありますでしょうか。 ・上記はそもそも死の恐怖そのものに関してですが、そこまで行かなくとも、前述しましたような緊急時に何とかする手段はあったりしますでしょうか。 あとは、どう質問していいかわからない状態ではありますが、変な質問で申し訳ございませんが、同じような感じの方や、既に克服された方など、また御指摘など、色々とよろしければご回答頂戴出来ましたら幸いです。本当に変な質問で申し訳ございませんがよろしくお願いします。
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- tetsuo602
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とてもおつらいご様子に心が痛みます。 でも、安心して下さい。きっと解決できますよ! 私の場合は坐禅によって死の問題は解決しました。
- kanemoto_s
- ベストアンサー率45% (112/244)
#3です。 まずい回答になって申し訳ないです。m(_ _)m 死を受け入れることに関してカウンセリングの記事などを見ると、多くに精神科医のキューブラ・ロスによる末期ガン患者のインタビューが書かれています。 その一つが↓です。 http://www.counseling-school.jp/index.php?QBlog-20100401-1 多くの人が死を受け入れた手順が書かれていて、一般的に不安を受け入れることに拡張して書いてあるので参考にしてみるとよいかもしれません。 不安に対するカウンセリングをもっと詳しくというなら、「コラム法」をネットで調べて実践してみるとよいです。 要は無限ループを回避すればよいのです。 DeathNoteは最初の部分で見るのを止めているので感想ですが、月の死に様については残念です。 私は自分と他人が同じ土俵で戦っていると思っているので、他人にない絶対的能力など物語がつまらなくなると思っているんですよね。個人的には武士的な「一所懸命」や千利休の「一期一会」あるいは、Hunter×Hunterの念使いのような、「こんなものか」が死に台詞になるような最期に共感してしまいますね。 最期が発狂というのは、死ぬ覚悟がないのに、相手と死を懸けて戦っていたということですよね。死ぬかもしれない戦いはしたくないのですが、そのような発狂が最期というのは相手に対して礼を欠いていると考えてしまいます。 人間、寿命は長くても130年というのが、ルールのようなものではないですか? 自分は所詮他人と同じで、人間として特別な人間ではないが、特別な何かをしてみたいと考えています。
- doraneko66
- ベストアンサー率11% (535/4742)
いや、世界初とは大げさですが、こんな車に乗りたいとか こんな家を持ちたいとか、こんな女性と付き合いたいとか 〇〇に旅行してみたい。世界文化遺産を回ってみたい 世界一周して見たい、宇宙に行ってみたい。とかでも良いし それにはいくら必要だとかあり、現実的には、どんなことをして どうやれば実現出来るかを考え、それに伴いたくさん働くのか たくさん勉強しなけばならないとか 後は、ちょっとした目の前のことでも、趣味的なことでも ボランティア的なことでも、なんでもあると思います。 ギター弾いて見たいとか 食べ歩きしたいとか 街を綺麗にするとか そういったことがめんどくさくて、なんにもしていないと 何もやる気が起きないわけです。 特撮好きなら 〇〇を集めたいとか 撮影現場に行ってみたいとか エキストラで出てみたいとか 現場で働いてみたい 自分で撮ってみたいとか 他の特撮を探してみたりとか そこまでやるのは、めんどくさいで終わったとき 結局、それが放送するまで暇なんですよ。 そうすると混沌としてて、それをみながら人生を過ごしていき 何もめんどくさいから興味がないために混沌と生や死を 考えるわけです。 それならそれで哲学的なことを極めて、本を出して世の中にうったえたいでも良いけど、そこまで考えたわけでもなく怖いって言っているだけです。 じゃあ、その逃れられない怖さを受け入れて行くにはどうするか? とかは、考えてないわけです。 死に辿り着くまでのこの生の時間をどう過ごすことが 良いのかも考えれないのでしょう。 それはなんとなく色々な本やニュースやテレビとか見て 人生を知ったかして、悟ったつもりなのか? 何もかも暇なのにめんどくさくなっているだけなのか? そういったことは、行動していないのにわからないはずなのに 分かっているつもりなことが多いのでは? よは、実感はしてないのに分かった気持ちで 普段を過ごしているだけだと思います。
- kanemoto_s
- ベストアンサー率45% (112/244)
#3です。回答を閲覧して頂きありがとうございます。 書き忘れていたことがあったので。 私も死=無だと思ってはいますが、あまり恐怖は感じません。 無というのは時間すら感じずないと思っているからです。 最近の脳科学によると、時間を含む感覚や記憶というのは脳の機能なので、脳がなくなると意識の統合ができずに全てを感じなくなるはずですので、当然苦しいと感じることがないと言うことで、心配していません。 子供のころ疲れている日がありまして、寝た瞬間に気づけば朝になっていました。 死んだ後もそれ同様に考えることもなく、時間を感じなくなるのかなと思っています。 宇宙の終わりがあれば一瞬で宇宙の終焉を迎えるかもしれませんが、それを感じることすらできないのは残念ですね。 もしかしたら、転生でもして違う命になるかもしれないですが、記憶もなくなっているので自分と感じることもないなんて思っていますが、これは蛇足ですかね。 生意気ですみません。参考になれば。
- doraneko66
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おかしくはないけど、衝動的に考えていると言うことは そんなことを考えている暇、時間、余裕がある気がします。 今をどう生きて行くのか考える方が、難しく困難だと思います。 その先を考えることに意味はありません。それと無駄です。 それを考える熱量と言うか、集中力を違うものに 使いたいものです。 よは、もっと目の前の困難に向き合っていないのかも知れません。 困難がないのかも知れません。 それと言うのは、他にやりたいこと目指すこと 目標もないのでしょう。 どうせ叶わないとか思っていて、他のことを考えることから 向き合わないのでしょう。 それを考えていると何にでも無気力になってしまい 最終的には、目の前のにある生とこれからくる死にしか 集中出来ないのかも知れません。 と言うのもあなたが考えている望みが高いのかも知れません。 それだけのハードルを目の前にするとどうしたら良いのか 考える前に諦めていることが多いのではないでしょうか。 そうすると結局、無気力な思考になるのではないでしょうか。 よは、楽して生きていきたいとか、やりたいことやりたいと 考えたとして、どうしたら良いのか?を考えるのが面倒くさいし 調べる気力もないのでしょう。 現実と向き合えないので、現実ではない先の未来や そう言う妄想に衝動的に襲われたり、取り憑かれている 気がします。
お礼
ありがとうございます。もう色々と言い返す言葉も無い限りです。まあ要約すると、怠け者で現実逃避型の人は、死の恐怖を考えやすい、みたいな感じなのですかね。だとすると、先のご回答にあったような、幸福の科学を信仰されている方は、そのような方々、ということなのでしょうか。いずれにしてもよくわかってないのですが、そうとも限らないような気が個人的にはしていたので、だとすると、余裕があるのは羨ましいです。 先にもお伝えしたとおり、言い返す言葉はないものの、多少色々と整理すると、まず楽したい、のは、それはその通りです。楽できるなら楽したいです。困難に立ち向かう、については、確かに、妙な現実主義で、あまり夢見たり無理難題に挑もうとはしないですかね。書いていて思いましたが、確かに妙な現実主義だからこそ、変な話、死後の世界を想像する、とかが出来ないので、駄目なのかも知れませんね。時間の余裕、については、先にも書きましたが、半分正解で、お恥ずかしながら独り身で、一人でふと時間が空いたときや寝る前に発症するので。逆に普段から時間に余裕があると言ったら、それは逆かな、と思いますが、ただまあ、世界初の◯◯に挑もう!とか、まあそんな困難には挑んでないような忙しさ、だから、確かに、俺はなにやってるんだろう、こんな淡々と、と思うことだから駄目なのでしょうね。また書いていて思い出しましたが、ここ数年で、某日曜日朝の特撮にはまっていて、関根勤さんの出演していた作品で、想像する力は大人になっても必要、と言っていましたが、今ならわかる、と改めて思いました。 ズバッと仰って頂いたお陰で、かなりグサッとくることがいっぱいありましたが、おかげさまでなんか強くなれた気がします。他サイトで拝見していたものと趣の違うご意見を頂戴できて有意義だし力になりました。ありがとうございました。
- kanemoto_s
- ベストアンサー率45% (112/244)
苦しいでしょうが、よく考え直して見てください。 >私の歳でこの様な事になっているのは、ちょっとおかしいでしょうか。他にもいらっしゃいますでしょうか。 他にも多くのかたがいます。 普通ではないですが、おかしくはありません。 そもそも、普通の人などいないと考えないと悩みの問題というのは解決しません。 >恐らく、どうしようもない事、だとは思いますが 死後の世界を経験した人がいない以上、それ以上考えることが無意味なのです。意味のないことに労力を使っていることを自覚しましょう。 無から生まれて無に戻るのだから、恐れる必要はありません。 生死に不可解はあっても、恐怖とは本来無関係なのです。 普通であれば死の不安は無意味と悟って、具体的に死を連想する場面を避ける行動が何かを考えるようになるのです。 >何かしら緩和するための改善策はありますでしょうか >緊急時に何とかする手段はあったりしますでしょうか。 認知行動療法を実践するのが手っ取り早いです。 自分で本を読むか、対応している心療内科に通うか、対応しているカウンセラーに相談するとよいです。 死について考えるのは精神的・時間的に余裕がある証拠とも考えられます。 死の哲学的考察と不安の解消をある程度分けて考えるようにしましょう。 電車のなかで不安になるのは、パーソナルスペース(個人的な空間)が狭くなっていることが主因なことが多いので、すぐに電車を降りて人との距離を取ることを試してみてください。 質問があれば補足をください。
お礼
>死について考えるのは精神的・時間的に余裕がある証拠とも考えられます。 半分は、確かに、と思います。半分は、反論ではありませんが、思い返してみて、ちょっと違うかな、と思う節もありました。差し当たり、半分は仰有る通りで、言い返す言葉もございません。 他、いろいろと情報ありがとうございます。調べたり試したりしてみます。ありがとうございました。
- kaitara1
- ベストアンサー率12% (1158/9169)
根本は(自我)意識とは何かでしょう。これはキリストはもとよりお釈迦様でもわからなかったことなのでは。増して有名な哲学者でもアインシュタインにもわからなかったことでは。それでは凡人はどうしたらよいか。わからないことがあってもしようがないというのが私の結論です。もちろんだからといって番いいかげんでよいということではなく、逆にわかることについては誠心誠意努力をするほうがよいと思っています。
お礼
仰有る通り、(自我)意識とは何か、ですね。 そうですよね。分かってれば既に出回ってるでしょうしね。私の場合、恐らく、わからないから怖いけど考えて、の無限ループで、考えれば考えるほど精神攻撃されてるみたいに恐怖心が増加していってる感じになってしまいます。 むしろ、考えるのはやめた!なんて某キャラの台詞みたいな感じが、今の私の解決方法ですが、本来は思考能力を鍛えるとか、恐怖を少しでも乗り越えるために必要なことかもしれないですね。 ありがとうございます。参考になりました。
- catpow
- ベストアンサー率24% (620/2527)
>>私の歳でこの様な事になっているのは、ちょっとおかしいでしょうか。他にもいらっしゃいますでしょうか。 幸福の科学の雑誌や書籍などみると、悩み相談があったりします。 その中には、質問者さんと同じような「死への恐怖」ていうのがあったような気もします。 別に若いから恐怖心があるってことではなく、年をとって死期を意識すればするほど強くなる方もいますので、中二病じゃあなく、年齢に関係なく、人間にとっての永遠の悩み・恐怖なんでしょう。 たとえば、失業とか飢餓の悩みなら、金持ちになり、一生暮らせる額の貯金があれば消え去るでしょうが、「死」の恐怖だけは、なかなか逃れられないのが普通だと思いますよ。 「数学の試験で良い点をとりたい、でも数学は嫌いで、数学の勉強はしたくない」 となれば、その数学への悩みは無くなることないでしょう。 同じように、「死」への恐怖は、現代科学では何も教えてくれません。また、キリスト教もダメですし、イスラム教もユダヤ教もダメ。 また、最近の仏教大学では「死後の世界」や「魂の存在」を否定していたりしますから、同じようにダメです。 死後のことをきちんと教えてくれる宗教は、幸福の科学だけだです。 ここで学ばない限り、「死の恐怖」から逃れることはできないと思います。
お礼
ありがとうございます。 結論としては、教えを乞いながら信じて生きていくか、恐怖も受け入れながら生きていくか、の二択になる感じでしょうか。信仰されている方には失礼な発言かもしれませんが、本当の意味で宗教の存在の必要さを初めて理解した気がします。 差し当たり、もうこの歳でわずらうのはおかしい事、でない、というところは安心しました。ありがとうございます。
お礼
ありがとうございます。 いえいえ、度々ありがとうございます。 私も、脳内で予測している事の一つは同じ考えです。そんな感じだろうな、と。ただし、私の場合は、それは恐怖になってしまいます。 それこそ、マニアック?な話かもしれませんが、DEATH NOTEという漫画の、原作のラストに、主人公の夜神月が、死の間際に取る行動と考え、また漫画の最終の死についてのオチ、が、結構共感できまして。ドラマや映画は見ていないのですが、週刊少年ジャンプを毎週読んでいたので、それで見ていました。もしかしたら忘れているとか自己解釈で相違があるかもしれませんが、死=無(死神はいるが、死神のいる世界=死後の世界ではない。)、無になることを予想し知ってはいた夜神月が死神にDEATH NOTEに名前を書かれ死期を悟った瞬間に死=無になることへの恐怖で最大限に取り乱し死ぬ、ということがあり、この作品のこの回を見たときは冷静に、わかる!多分ほぼ間違いなくそうなんだよなぁ、と思っていたのですが、今は見たらまた怖い怖い病が発症する自信があります。何より、今現在お恥ずかしいですが、ご回答を拝見しただけなのに発症してるので。前回のお礼の時は平気だったんですけどね。私がこのサイトをチェックしたタイミングが今回は悪かったのでしょうね。 せめて、転生説があると、また違うのでしょうけどね。すみません、また書き直せばいいのですが、恐怖への泥濘にはまってしまっていってるので、この辺りにさせていただきます。ありがとうございました。