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皆さんは何のために働きますか?

島崎 信也(@zakky74)の回答

回答No.16

zakky74でございます。 >固体ではなく「個体」です。 大変、失礼致しました。意味としては個体としての意味として受け取っておりましたが、意味を取り違える誤字となってしまっていますね。すみません。 ところで同じところをグルグル繰り返している様な気がしますが(原因・仕組みとして明確に理解できる科学的根拠を未だにご提示頂けず、目に見える結果現象を【原因・仕組みのないところで】言葉で書き綴っている状況の事)。 >(生物カテで質問されることをオススメします。私の力ではあなたに伝えきれないから) これは、OtamaFJWRさんご自身が自分は科学的根拠を持たないんだと認識し、その様に判断したという意味でございましょうか?故に、科学的根拠があるのは生物カテなので、そこを訪ねて頂きたいという意味でございましょうか? 僕は、OtamaFJWRさんご自身が科学的根拠を持って僕の回答に対して更なる質問・意見を仰っていると受け止めているので、科学的根拠をお持ちのOtamaFJWRさんからお伺いしたいと思っておりますよ。 また、もしOtamaFJWRさんご自身が科学的根拠が実は無かったんだと再認識した上で、自分では根拠の提示が出来なかったから生物カテへ尋ねて下さいという意味であったとしましても、僕の目的は科学的根拠を知る事そのものではなくて、OtamaFJWRさんご自身が理解されている事に興味がありましたので、それは僕の目的からしまして筋違いという事になります。 僕が興味があるのは、個体には意識があるかもしれませんですのに、「個体には意識がない」と何度も断言されているOtamaFJWRさんに、違うかもしれないのに一体なぜそこまで断言するのだろう?との興味でございます。それを科学的根拠に基づいて語っているというOtamaFJWRさんでしたので、「え?今の科学全般にそれが可能なの?」と頭を捻る自分はいましたがOtamaFJWRさんご自身が科学的根拠と仰る点を受け取りまして、僕自身の観点は一旦横に置いたままにしている状態でございます。 故に、OtamaFJWRさんがどういう意味で、「個体には意識がない」と断言されているのかについて、ぜひ科学的に根拠をご提示頂けませんでしょうか? >「個体のは意識がない」=「部分には意識がない」 >「意識がない」とは、認識体ではなく宇宙を持たないという意味です。 >(宇宙が認識体との相対によって派生しているのは量子論でご存知と思います) 量子論では、そこまでは言っておりませんよ。 量子論は、「宇宙が認識体との相対によって派生している」とまでは言いません。量子論が言っているのは、観測する対象物が非常にミクロであった場合、観測する際に誤差が生じるというものです。そして、その科学的根拠として、光は電子と波動の二重性があるですとか、位置と運動量を同時に正確に観測できないですとか、そうしたものが挙げられます。 ただ科学の領域でない方たちが、量子論を用いて科学的根拠は無いのですが科学っぽく言う事はある様です。 それで、再度お尋ね致します。 1.意識とは何なのか? 2.意識とは何によって生じるのか? 3.意識をどの様に検出するのか? せめてこれくらいは科学的に根拠をご提示頂けないと、「個体に意識がある」とは言い切れないのではないでしょうか?余り質問を多くするのは大変かもしれませんので今回は、この3点のみで構いません。意識について、科学的根拠をご提示下さいませ。 >アリやハチの個体に意識がないのはなぜか? 言うまでもなく現段階では、これは科学的根拠ではございません。現象を、人間が、その様に判定しただけでございます。現象を、ただパッとみて、そこに名前を付けただけでは、仕組みの理解でもありませんし、原因の究明でもございませんし、従いまして科学的根拠ではございません。 原因によって、現象をご説明下さいませ。その方法は、1~3で構いません。 そろそろ次のステージへと行けるかもしれません。楽しみです。 どうか宜しくお願い致します。

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