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貶すだけでは 前へすすまない。
よしあしの二項対立を立てる思考から自由になろう。という問いです。 1. 悪は 存在しない。もしそうとすれば善を損傷させる・もともとは善なる意志からの――わが心にさからう心としての――思惟と想像とその実行のことを・つまり負の善を 悪と呼ぶだけである。 2. 聖と俗とは 人間とその思想や意志行為のあいだには 相い対立するふたつの事柄としてはありえない。これを互いに隔たりのある二項として捉えるなら そのときの《俗》であるしかない。 3. 自律と他律というのは それぞれが一面を捉えて言ったものであるに過ぎない。 親が決めた仕事をするのは 他律か? もしそれに従ったなら けっきょく大きく広くおのれを取り巻く情況を捉えて みづからの意志としてそれをえらんだに過ぎない。 自律と言っていても 社会の要請にこたえたり歴史の中からその要請のような流れを捉えてそれにこたえたりするに過ぎない。自他一体であるはずだ。 4. だから その世の中にあってさえ 自律を説く側に回るのは けっきょく《憂き世》を《浮き世》と言いかえているに過ぎない。 世の中は他律人間ばかりぢゃないかとうそぶく思想は 憂き世を乗り越えて出世したときには その身の保守のためにむしろ上にへつらう他律人間になるか それともあいにく成功しなかった場合には 浮き世ぢゃ浮き世ぢゃと騒ぎながら やはりこのわれこそが宇宙なんだとさらに嘯くことになるかだ。 これを問います。
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お礼
そうですか。まづはご回答をありがとうございます。 ★ 障害者本人の「意思」で、自律的に旅行(たとえ、それが何人の付き添いを必要としても)なんです。 ☆ 付き添いの人も 本人の意志で自律して行動しています。 そのとき 障害者は 介護という援助を必要としており 付き添いは 仕事として行動するというかたちになり 報酬を得ることをもその行動につけているなら その仕事をすることを必要としていると言っていいでしょう。 つまり それぞれの人は 自律しつつ 互いに社会的に依存関係にある。相互自律ではないでしょうか? 自立・他立は 経済的な基盤を言うと思います。 障害者や失業者や生活保護を受けている人らは 他立という側面がありますが 社会的な共生という見方からすれば 社会全体をつうじての再分配の制度は 相互自立といったかたちになるのだろうと見られます。 ただし 親に扶養されている子どもといった人たちは 一般に他立の状態にある。と言えるのではないでしょうか。 ★ 「生活の経済的な基盤」のみならず・・・例えば、人によっては「痰の吸引」といったことが、まさに必要不可欠であったりする。それを自分で出来ない場合、「他立」することになりますね。(「他律」までとはならない) ☆ 痰の吸引を助けてもらうことは 助け合いではないのですか? カップラーメンがどうしても食べたい人の場合 しかも自分ではそれを材料からを調達して料理する過程としてはできない。つまりその製品をつくれないというとき ならば くりなるさんの論理で行けば それは《他立》ということになります。 そうではなく 社会的な分業〔としての協業〕つまり助け合いということではないでしょうか?