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他律する人間は「退化」しているのでしょうか?

崇拝というのは、宗教に限ったコトではなく、政治思想にも崇拝があります。 かつて、中国の文化大革命では、毛沢東思想に洗脳された紅衛兵が、財閥のみならず、商店主や商売人、小さな土地持ちなどですら、「お前たちはブルジョワ資本主義だ!」というこで、吊るし上げて弾圧・虐待を行ないました。 結局、階級闘争は人間の持つ妬み・嫉みが大モトなのでしょうか? 今でも、当時紅衛兵だった中国人は、過去の自分のことは正当化しています。 毛沢東思想による洗脳と「自分を守る為」に、他人を理不尽に虐待することで自己正当化する大陸のお国柄なのかもしれません。 それは中国の歴史が支配階級による思想洗脳による恐怖政治支配だったからと言えます。 「毛沢東思想が正しい!」 「毛沢東が言ったら全て正しい!」とする辺りが、つまり「崇拝」であり宗教と変わらない。 どの神様がどうのとか、この教えが最高とか、この教祖の教えが一番とか、そういうのも「崇拝」になってしまう。 つまり、毛沢東は人の自律という「一灯」を、宗教や政治思想に染めて吹き消すことで、中国民衆を支配したのですね。 それがこれまでの中国の歴史です。 「自律」は責任が伴います。 「他律」は、その何か絶対のものに責任を転嫁するコトを言います。 他律は、自分の中心の理解からで出た答えではない。 毛沢東語録だとか、スターリンだとか、マルクスだとか、色々な思想家の言った事をバックに、、自らがその理(ことわり)を解説できない。 にも関わらず、正当性を主張する。 自分で咀嚼した説明・言葉が無い。 只、「御威光」を盾にする、それを自分の拠り所としている。 それが他律です。 自分で決められないから、何かに依存する。他律する。 何か外のものに常に頼ることに自分の「拠り所」「後ろ盾」を求めてしまう。 それは人類としては「退化」の方向に向かっているのでしょうか?

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回答No.3

ヨーロッパ中心主義にせよマルクス主義にせよ、そして日本の天皇制(これも日本共産党員が作った言葉ではありますが)にせよ、あなたの定義する他律であると私は思います。 となるとまぁ、近代思想並びに宗教を語る人は皆がよくわかっていない"他律"であるわけで、退化にしてしまうのはどうなのでしょうか。過ちは誰にせよ認めたくないものです。 1万円だまし取られたら、自分で認められるのですが、1000万円だまし取られたら、人は最後の最後まで「自分はだまされたんじゃない!!」と思索するものです。 >何か外のものに常に頼ることに >自分の「拠り所」「後ろ盾」を求めてしまう。 これが現代の特徴「アイデンティティの喪失」であり、仕方がないのでしょう。退化ではなくて所属やを求めたり孤独を恐れるのは、人間の本質です。人は自分自身の生や行動に何らかの理由が欲しいのです。

Heartmine9
質問者

お礼

ありがとうございました。

Heartmine9
質問者

補足

自分は何者なんだろう?と思考する内に、何かに依存する。他律する。 何か外のものに自分の「拠り所」「後ろ盾」を求めてしまうのですね。 そんなこと考えないでもいい幸福な時代が江戸時代以前だったのでしょうか?

その他の回答 (2)

noname#82286
noname#82286
回答No.2

退化ですね。防衛機制に頼りすぎています。

Heartmine9
質問者

お礼

>防衛機制に頼りすぎ 意味深な言葉ですね。 やはり退化ですか。 ありがとうございます。

  • maxmixmax
  • ベストアンサー率10% (91/908)
回答No.1

自分を律する事が出来ない人間の集団が、 自由を得ても、碌な社会は作れないでしょう。 無難な思想・宗教にルールやモラルを作ってもらい、 それに従う事は、人間としては退化していると思いますが、 ある程度秩序が保たれた社会を作るには必要なのだと思います。

Heartmine9
質問者

お礼

ありがとうございました。

Heartmine9
質問者

補足

ある程度の秩序を作るためには、どの程度の思想・宗教が必要なのでしょうか? カトリック、プロテスタントなどは許容範囲だが、原理主義は洗脳の部類に入りますか?

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