なぜ世界は平和・穏健と程遠いのか?

このQ&Aのポイント
  • 現代社会はなぜ殺伐としたり厳しいことが多いのか?ローマ帝国の影響があるのか?
  • 世界中の文明が殺伐とした歴史を持つのはなぜ?ヨーロッパの強さの原因は何か?
  • 国際政治や資本主義には殺伐とした側面があり、その起源は何か?バランスの取れた生き方を探求したい
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世界が平和・穏健と程遠いのはなぜでしょうか?

私は左翼的な考え方をして、草食系の人間、と自分では思っているのですが、できればたいていの人が平等で、世の中全体が穏健であってくれればいいな~と、ついつい平和ボケ的な妄想を時々してしまうのですが、 そもそも現代社会、というか文明社会というか、この社会はなぜこんなに殺伐としたり厳しいことが多いのでしょうか? ポリネシア系とか、南の島の部族の生活を描いたテレビだとか文章を見ると、別にみんなこれで良いんじゃないの~と思うことがあります。 先日も、昔カリブ海の島にタイノ族という人々が暮らす島があり、そこでは農業も豊かで、人々は音楽や踊り、物語を楽しんで生活しており、性行為もオープンで、不要なタブーがない…しかしコロンブスがその島を植民地化してから100年でその部族は全滅してしまった…という記述を本で読み、心が痛みました。 一方、その本には、欧米の軍隊はおそらくローマ帝国の軍隊をモデルにしている、と書かれており、完全管理の組織はものすごく強くなる、だから欧米は長く世界に覇権を敷くことができたのだろう…とも書かれていました。 そこで一つの答えが見つかった気がしたのですが、そういうローマ帝国が世界史の根本にあるからこそ、今のような、欧米の原理が幅を利かす世界になっているのでしょうか?だとするとなぜヨーロッパ文明はそういう風に始まったのでしょうか?でも先に述べた南の島的な世界は本当にそこだけの話で、別にヨーロッパじゃなくても世界中の文明が、殺伐とした歴史を持っているわけで、ヨーロッパが特に強かったということですよね… また今日、南米の現代史についての本を読んでいたら、アメリカがどれほど南米諸国に対して傲慢な振る舞い方をしてきたか、ということが、(以前から大雑把には知ってはいましたが)伝わってきて、イラン・コントラ事件を起こしたレーガンとか、ちょっと利権を確保したい、戦争の予行演習的なことがしたいがためにパナマに侵攻して数千人の市民を殺戮したブッシュ(父)だとか、なんでこういうやつがトップに立てる世の中なんだ?ということが、世の中はそういうもんだと納得するにはあまりにも私には難しいのです。 国際政治にも資本主義にも何かと殺伐とした側面が多々あり、そういうのをヒエラルキーの原理と言うのか欲望助長の原理と言うのか、どう表現して良いのかよく分かりませんが、そういうのの起源って何なんですかね?あまり考えて社会に反感を持ちすぎてオウム真理教みたいになると良くないので、うまくバランスの取れた生き方ができるといいなあ、と思いますけど。

質問者が選んだベストアンサー

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  • rurubonpp
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回答No.5

そもそもの原因は人間の脳にあると思います。 大脳辺縁系と言われる脳の一部は、戦争などの殺し合いやその他諸々の残虐行為を好む傾向にあり、その欲求に理性が負けてしまいがちです。 この大脳辺縁系は動物の生きるという本能に直結しているので、どうしても人間の理性では制御し難い傾向にあります。この大脳辺縁系を制御できるようになるか、さらに人類が進化してこの脳の一部が退化してしまうかしないと、永遠に戦争というものは無くならないと思います。 人類がさらに成長するまでの期間は、法律や機構を作ったり、お互いの軍備の均衡を維持して、将棋で言う千日手にして延々戦いが起きないような状況に持っていかないといけません。 このお互いの軍備の均衡のバランスが崩れると、元々戦争などを好む脳があるため、人間は戦争を始めかねません。日本のように平和憲法で軍備や法整備を怠っている方が戦争は起きやすいわけです。 動物の本能として、強い相手には喧嘩を売らないのは常識です。戦後日本の平和が保たれてきたのはアメリカという強大な軍事力があったからです。そのアメリカの軍事力が最近弱まって来ています。その途端に、中国やロシアが日本に侵略伺いに来ました。 戦争を好む脳がある以上、戦争がしたい国は相手の国がどんな憲法であろうとお構いなしに攻めて来ます。そのくらい人類は戦争に喜びを感じるわけです。 この平和な日本で、非常に多くの人が戦争を毎日楽しんでいる現実を見ればよくわかると思います。 どれだけ多くの人が、オンラインゲームや家庭用テレビゲームなどで戦争や殺戮を毎日楽しんでいることでしょうか!! 世界や各国々の権力者たちは、実際の戦争には一切参陣しません。安全なシェルターから命令したり、戦況を眺めているだけです。彼ら権力者にとっては、実際の戦争もゲームと同じなのです。 こういう大脳辺縁系の欲求に完全に飲まれてしまっている権力者が存在し続ける限りは戦争や殺戮は絶対になくなることがありません。こういう権力者たちは、寝ていても億兆の収入はあるし、社会的地位も頂点にいるので、社会に出て努力して何かを達成する必要が無い人たちです。 お金も地位も名誉も名声もすべて自分の自由に出来る人たちです。こういう人たちの楽しみは何か?もう死ぬまで遊ぶだけです。その遊びが世界を舞台にした国盗りゲームなわけです。その犠牲になっているのが我々普通の人間や地球に住む生き物たちです。

kgat0769
質問者

お礼

う~~ん、ビビッ!ときました。私は今でこそ人文科学系の本をよく読むのですが、学生時代は元々理系だったので、科学的な説明というものには反応しやすいのです。そうですよね~~そもそも脳だって感じはかなりありますよね~~一時期ニューロンだとかシナプスとか、脳の構造を科学的に語ることが流行っぽくなった時期があった気がするのですが、最近はそれほど聞かない気がしますね。私が知らないだけで脳の研究も相当進んでいると思うのですが、こういう、人間の性格的な問題をどこまで説明できるんでしょうね?大脳辺縁系ですか…まさか問題行動を起こしそうな人にロボトミーとかいう手術を片っ端に施すわけにもいかないだろうし…私も勉強になりました。ありがとうございます。

その他の回答 (13)

  • idonoyoko
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回答No.14

苦して楽を得る当たり前のことを、 楽して楽を得たい強欲高慢な者が、 それを自覚反省せず改まらないからです。

回答No.13

人間の欲求についての原理を知るためには、実は人間の文明や社会だけを見ていては観えません。実は、人間の欲求についての原理を知る為には、エネルギー・力・光・物質の4つを統合的に理解していなければならない領域でございます。 そして、この領域を話すには少々お時間や文字スペースが掛かりますので、それは別の機会に譲るとしまして、人と人はなぜ理解し合えないのか?という観点に絞ってお伝えしてみたいと思います。 タイトルにあります > 世界が平和・穏健と程遠いのはなぜでしょうか? の問いに対して、「僕は人と人は分かり合う事が出来ないから」と応えます。 なぜならば、人間には判断基準があって、そこに固定されているからです。判断基準の問題性は5つあります。その5つをご紹介したいと思います。 1.人間は、誰もが皆、判断基準を持っている。 2.その判断基準は一人ひとりみんな違う。 3.判断基準はみんな違うから人と人は分かり合えない。けれど、判断基準を1つにさせたらもっと問題。 4.人間の判断基準は不完全。完全な判断基準を持っている人はいない。 5.判断基準は不完全なのに、完全だと思っている。 この1~5の問題性を持っている判断基準に、誰もが皆、観点が固定しています。それが、人類が誕生してから今までずっと起こり続けてきた事で、未だにこの問題性をクリアする事が出来ていません。 農業革命・産業革命・IT革命が起きて、多様なモノ・商品が誕生してきました。ですが、その商品では上の1~5の問題性をクリアさせてくれるものではありません。 数千年に及ぶ知識・情報を初めとしまして、西洋から出発した学術の世界も同様です。学術によって、上記の判断基準の1~5の問題性をクリアさせてくれるものは一つとしてありませんでした。 文明は、確かに発展してきましたし、資本主義社会としても多様なモノ・商品を生み出し、学術も含めまして多様な宗教や思想・哲学がありましたが、それらは判断基準の問題性を何一つクリアする事が出来ず、むしろ判断基準がある事にすら気づいていない事が大半でございました。 判断基準の問題性がある事、そして問題性が未解決である事。 これが人と人が分かり合えないという理由でございますし、その先には当然にして「世界が平和・穏健と程遠い」現象が出来上がってしまいます。 如何でございましょうか?

noname#123390
noname#123390
回答No.12

最近書かれた文明論では「銃、病原菌、鉄」というJ.ダイアモンド氏の書いたものが丁寧にわかりやすく現在に至るまでの人間の闘争事情が解説されてありますのでお勧めです。ま、とっくに読まれてあるかもしれませんが。 また、国際政治の暗部を描いておられる広瀬隆氏の多くの著作も合わせて読まれると視野が広くなるのではないでしょうか。氏に寄れば、現在の巨悪の源はアメリカの超大金持ち(複数)だということです。かれらはどんな不況でもそれをむしろチャンスにして太るばかりだといいますからやり切れません。 たしかに世の中は万能になった金(かね)によって動いていることは確かです。 >国際政治にも資本主義にも何かと殺伐とした側面が多々あり、そういうのをヒエラルキーの原理と言うのか欲望助長の原理と言うのか、どう表現して良いのかよく分かりませんが、そういうのの起源って何なんですかね? 結局大文明を持ってしまった人間が必然的に強いものと弱い者に固定されて、強いものはその力を行使してますます強くなるし、それを羨望するものとのあいだにいさかいが続くのもまた成り行きなのでしょう。 現代において超大金持ちなどの既成権益を下部のものが突き崩すのは基本的に不可能だと思います。

kgat0769
質問者

お礼

「銃・病原菌・鉄」は確かに、大変興味があるのですがまだ読んでいません。ネット上で格安で販売されるようになったら取り寄せようかと思っています。 広瀬氏の本も確かにもっと読んでみたいです。ほんの少しは読んだことがあるのですが… 確かに、あまりお金のない庶民が資本主義にもいろいろ問題があると思ったところで、資本主義自体は非常に強力なシステムだと思うので、多くの人にとって優しい社会システムにはなかなか変わらないかもしれませんね。

  • idonoyoko
  • ベストアンサー率14% (109/736)
回答No.11

結局、手っ取り早く、自分の一生さえ助かってしまえば安心するという方向へ走ってしまって、 そのためには他者も人として見ずに、利用し、騙し、搾取し、植民化し、それを作り上げるといった間違いを資本主義は犯したのだと思います。 もっといえば、そういったものを上手く隠すために出来上がった体裁の良い状態を表す言葉が資本主義というものであったのかもしれませんし、創めた人は知っていたとも今となり思えるのです。 今日でもそれは、名前こそ露骨にそれとはわからないようにうまく隠されておりますが、追行している目的はそこに動機の源泉を持ってして、そうして日々寝起きしている人間の多いことやらといったら、暇が無いくらいです。 結局、汚い手を使ってでもしても、それを成し遂げようとする、高学歴者の一部や、自らの非人道に子供の頃から慣れて成長した者達の日々冗長するカモ騙しの毎日に、賢く成長できなかった人々が命を担保にそそのかされて生きている有様がこの社会や世の実態です。 賢い非人道者ののさばりが、この世を暗くし、腐敗させています。 その人たちにとっては、全てを明るくすることはしなくても良く、身辺のちょっと先まで明るければ、他人が困ろうが、死のうが、悲しもうが、どうでも良いという輩なのです。 更には自分の安心のために利用価値があるとまで思っているでしょうし、当然最後は、何も与えず路頭に向かわせその先の究極は行き詰まりや死への接近のみこそが共通しているやり方です。 その頃は既に、知らない不利や無関係は計画に基づき行われ、忘れてゆく目論見です。 人類の恥です。 そしてそれを彼ら自身がちゃんと知っているのです。 いますよそんな人が。政界にも職場にも。きっとあなたも目にしています。しかし騙すのもうまい彼らは、そうでない振りも一際上手い。今日すれ違った人の中にも必ず居ることでしょう。 そんな人としての非常識は何が常識か解らないくらい蔓延してしまいました。

回答No.10

人類史はまだまだ続く訳で進歩の途中の今現在なわけです。何人かの方が書かれた通り争いの中で文明は発達し便利な世の中にはなりましたが、それが人間の幸せに直結するものではないと気付きだしているのが今ではないでしょうか。そうしますと今度は人間の精神の重要性を理解し進歩が始まるわけです。最終的には物資的にも精神的にも成熟した世界にそこで初めてなるわけです。それはあなたの言う世界平和などという世界を遥かに超越した世界です。ですので過去を見て悲観する必要はなく世界平和を望むなら未来に向かってそういう生き方をすればいいと思います。理由や根拠を省いた乱暴な文章になってしまいすみません。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7194/21844)
回答No.9

人間が生存競争をしていくように造られて いるからではないですかね。 だから争いが無くならない。 争いが無くなったら、人類はどうなるでしょうか。 科学技術も発達せず、哲学も、倫理も、文化も 停滞するんじゃないか、と思っています。 争いがあったから、今日の人類の繁栄がある んじゃなかろうか。 欧米白人が世界を席巻しているのは、 欧州で互いに争いを繰り返した来た 歴史の成果でしょう。 争いが無かったら、人類は滅んでいた と思います。

noname#202494
noname#202494
回答No.8

ご質問の趣旨とはずれるかもしれませんが、 イラン・コントラ事件では、一応、レーガン内閣でレーガン大統領、シュルツ内務大臣を除いた閣僚達が全員かかわっていたということで、レーガン大統領は一応セーフということになっています。 パナマの侵攻については、その当時のマニュエル・ノリエガという、パナマ軍の独裁者と政治的な摩擦があり、侵攻した形になっています。(イラク戦争と同じですね。)ノリエガは麻薬輸出、税法違反、国際法違反でアメリカで裁判を受け、2007年まで服役していましたが、その後フランスから要請があり身柄を移され、今はフランスで服役中です。 私は長らくアメリカ在住ですが、9・11が起きた時は、お散歩にでる時も空を見上げて、不審な飛行機が飛んでいないか、確認したものです。不安でたまらなかった民心を抑えるためと、もちろん戦後の石油開発の利益のために、イラク戦争を始めたらしいブッシュ大統領でした。 でも泥沼化したイラク、アフガニスタン戦争を一般のアメリカ人がどう思っているかというと、”外征よりは内政を”望んでいます。もう戦争は真っ平で、10パーセント近い失業率を低下させるのが最重要課題です。それでオバマ大統領が選ばれたのですが。そこから先は質問とは関係ないので割愛します。 いつの時代にも、戦争が起こるにはそれなりの理由がありますよね。政治的な理由(9・11)が経済的な理由(油田開発)と絡まりあって、開戦になるのだと思います。 アメリカの南米への不公平な政策は間違いだったでしょう。これは正されてゆかなくてはいけません。ヨーロッパの植民地政策も間違いだった。(当事者達は、他に方法を知らなかったのだと推察できますが。)ですから是正を余儀なくされてました。 歴史を振り返ってみると、自国を守れなかった国民には悲惨な運命が待っています。(この辺が質問者さんにとってがまんできないことなんでしょう。私も悲しくなります。) しかしながら、”これは間違っているのではないか”と声をあげて言う人が現れ、その主張が認められて広まってゆき、まさか、と思うような結果がもたらされることがあります。 旧ソ連の瓦解、ベルリンウォールの崩壊、バルカン半島のちいさな国々の独立、などなど。若者達の声が反映されたのではないでしょうか。私は、あきらめきっている中高年ではなく、若い人たちが社会構造の改革のキーになると信じています。 最後に、歴史を学ぶ時には、感情移入しないで、そこからいかに未来に向けての知恵を汲み取ることが出来るか。。。歴史を客観視してゆくと、オウム真理教のようにならないと思うのですが、いかがでしょう。

  • freulein
  • ベストアンサー率39% (94/237)
回答No.7

私は少し異なった観点で述べてみます。  人が願いや欲望をしっかりと追求するようになったからだと考えます。私たちは「もっとガンバラナクッチャ」という衝動を持つとき、その衝動の穏当な(?)節度以上の努力をするときに揉め事が発生するのです。「もっと進歩を」「もっと平和を」「もっと豊かさを」と要求する衝動こそが(他者との折衝を介して)揉め事となるのです。  ご趣旨の中の「南の島での古くからの生活」とは「もっとガンバル」を止めている生活でしょう。「ガンバルをしてはいけない」とは古くからの大きな知恵であったはずです。これこそが平和の基礎であったのでしょう。近代人が南の人々と交流を開始した当初は彼らは「ガンバラない人たち」だったと聞いております。商品経済を持ち込んだとたんに、もっと欲しがる「ガンバル人」に変化したのだそうです。  私たちの願いを節度あるものにして見ましょうか?「だけどもうちょっとガンバッテみよう」と考えてしまうのが「近代人」の「ガンバリズム」でありましょう。節度は困難です。全力を挙げて「ガンバル」のが近代人の生活様式あるいは努力目標ですよね。  「進歩なんかなくっていい」と強く主張するのが一つの知恵です。停滞と不便がワンセットにやってきます。停滞と不便なんかどうでもいい、堪えればいいのです・・・・・・?

  • o-sai
  • ベストアンサー率19% (199/1001)
回答No.6

文明を発展させるのは「貧富の差」です。 マヤやエジプトの時代から、平城京や紫禁城すら、名も無い民の犠牲の上の文明です。 資本主義者はそれを熟知しているし、共産主義という欺瞞で民を導く中国の幹部もしかりです。 世界が平和になってしまったら兵器が売れません。 アメリカの経済を支えるのは小麦と兵器だけですから、紛争地域は無くなる筈もなく、 今世紀に入ってはテロという悪を定義して先進国を維持しようとしています。 どの国の歴史においても、「敵」がいなければ国がまとまりません。 大敗後の日本ですら、朝鮮特需で経済を再生させました。 うまくバランスの取れた政治、ということであるなら、 貧民をそこそこ豊かに(生かさず殺さず)利用することです。 幸せに生きたいなら・・・ そんな世界の革命を目指すか諦めるかでしょう・・・

  • HANANOKEIJ
  • ベストアンサー率32% (578/1805)
回答No.4

NHKドラマ「坂の上の雲」を見てください。 NHK大河ドラマ「竜馬伝」、幕末の少し前、シーボルトの来日とシーボルトの弟子たち、 蘭学者たちから、西洋の情報は伝わっていました。 明治維新、富国強兵、殖産興行、条約改正と日清戦争、日露戦争、韓国併合など、 日本の150年の歴史をふりかえると、ほとんど戦争ばかりしていたようです。 動物愛護を訴える欧米の人々は、人類の一部を劣等と考えて、地上から抹殺してきました。 戦争は、そんなにもうけるのか?勝ったら、何でもてにはいるのか? 頭を冷やして、考えるときではないでしょうか? 「憎しみからは、なにも生まれない」「核兵器の廃絶をいうなら、きちんと謝罪しなさい」 本当のことを世界に知らせよう。 ウィきりークスにやってほしいこと。2001年9月11日に、本当は何がおきたのか? あそこから、21世紀は、おかしくなった。

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