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宗教ってなんのためにあるんですか?

宗教ってなんのためにあるんですか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • fujitapari
  • ベストアンサー率20% (240/1199)
回答No.9

宗教について勉強したことはないのですが、小説や映画などを見ると、元々は死の恐怖や、不治の病にかかった人の、心の不安を和らげる為だったと思います。 私の祖母は、息子が神風特攻隊に入隊したとき、生きて帰れるようにと毎日仏壇に手を合わせていたけれども、結局レイテ海戦で戦死してしまい、その後手を合わせるのをやめたと聞きました。 その息子は、私の父の弟で、若干18歳でゼロ戦で敵艦に突っ込んでいったそうです。 たまにですが実家に帰ると、祖父母と一緒に入っている仏壇に手を合わせます。 そして幸せだったころの祖父母を思い出すと、「死んでも天国でまた会える」と、死の恐怖が和らぎます。

kokogp
質問者

お礼

私も回答者さんの言うように死の恐怖などの心の不安と深く関係しているような気がします。 回答ありがとうございます。

その他の回答 (8)

noname#134608
noname#134608
回答No.8

こんにちは。 宗教とは救済を求める者が 何かを信仰し、それがやがて体系化されたモノ ではないでしょうか? どちらにせよ、体系化の段階で『人為的な意図、思考』が 必ず含有されてしまいます。 従って『宗教=思考の産物』となるでしょう。 そしてまた『思考とは、個人、集団の観念、概念』でしかありませんから、 『神様、仏様と言う単語』はあくまで『概念の域あるモノ』で 『神、仏の実際とは異なるはず』です。 しかし、それらが『ある人にとって何らかの意味を成すモノ』であれば、 また、救いや癒しを供するであれば、 その方にとってはかけがえの無いモノになるのではないでしょうか? しかしながら、『人為的に体系化されたモノはやがて腐敗、崩壊』します。 それが今の宗教の実態かもしれませんね。 それでは。

kokogp
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

回答No.7

私は宗教が嫌いなので… 此方を参考にして下さい。 ttp://labaq.com/archives/50944400.html しかし、先祖への感謝の気持ちや供養は忘れるべきでは ないと考えます。 私は宗教は嫌いですが、信仰心は否定はしません。

kokogp
質問者

お礼

回答ありがとうございます。偉人達も色々な意見を残しているんですね。参考になりました。

  • 3kaze
  • ベストアンサー率43% (397/912)
回答No.6

人はナニかに依存していないと精神がマイナスに傾きます。 つまり[生きる為にナニかに頼りたい]んですな。 そこに救いの手を差し伸べるのが宗教であり。 信じる者と書いて 儲かる という文字の意味があるのでしょう。。

kokogp
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

  • kyo-mogu
  • ベストアンサー率22% (3398/15358)
回答No.5

 原始的な宗教は自然の神秘などを理解する為、また法律的な役割もあったと思って居ます。  学問という事も有り、色んな技術なども含まれていました。  現代はそれぞれ独立して、残っているのは精神的な部分、心の部分が残されています。  基本的には幸せを追求することなんですが、思想やら人間が勝手決めた事を神の言葉などと良いながら、人間をコントロールしようとしているのが今の宗教かもしれませんね。  私自身は神や仏を信じるが宗教は信じない。宗教は人間が作り上げた人を支配する仕組みだと思って居ます。

kokogp
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

  • otaku37564
  • ベストアンサー率38% (1158/3005)
回答No.4

自分の手際の悪さや都合の悪さを 石ころや金属人形や紙切れのせいにして 痛いとこ金払ってさすってもらって喜んでるる集団でしょ。

kokogp
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

  • RTO
  • ベストアンサー率21% (1650/7787)
回答No.3

現代日本ではもう役目を終えていますので、教主様とやらの金集めの手段です。 まだ国家社会が未発達だった時代では、教育やモラルの向上に一定の効果はありました。 宗教に頼るようでは国も人間もおしまいです。

kokogp
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

noname#123877
noname#123877
回答No.2

精神的に何かに縋りたい時のためにあるんだと思います。 生きる意味を求めたり、自分ではどうしようも出来ない事に遭遇してしまった時の拠り所。 困った時の神頼みですね。 流行りのパワースポットも同じですね。

kokogp
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

  • pasocom
  • ベストアンサー率41% (3584/8637)
回答No.1

「現実から逃避するため」です。 現実が豊かで平和で幸せなら、誰も宗教などに頼りません。 現実世界が不安定で、望みもなく、期待もなく、平穏な人生が望めないと思ったら、人は「現実ではない別の世界」にいくことに望みを掛けるしかないのです。 現実が厳しすぎることが「神の罰である」と無理に納得しようとします。そして「悔い改める」ことによって、この苦しい世界(神の罰)から逃避出来ることを願うのです。 つまり、「神」に「救いを求める」ことになります。 そのためには、まず「神」を作らなければなりません。厳しい現実世界を作り、試練を与えているのが単なる「運命」では耐えられない(救いがない)からです。 その運命が人為的(ていうか神の仕業)と考えれば、そこから逃避するすべも見つかるかもしれませんから。

kokogp
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

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