大東亜戦争時代の特攻隊についての疑問

このQ&Aのポイント
  • 大東亜戦争時代に特攻隊に志願した若者たちは、その時代の日本が戦争をする理由や目的をどの程度まで知っていたのか疑問に思います。
  • 当時の日本が石油資源を求めて戦争をしたり、大東亜共栄圏構想を持っていたことを知っていたのかという点についても興味があります。
  • 戦争の理由や目的を知らずに命を落としてしまった若者たちの姿について考えると、理解しがたい気持ちになります。
回答を見る
  • ベストアンサー

初めての投稿です。

初めての投稿です。 先ほど、TVのドキュメンタリー番組で、大東亜戦争・神風特攻隊についての番組を視聴していて、以前から疑問に思っていた事を質問をしてみようと思い投稿いたしました。 大東亜戦争時代に多くの私(24歳)と同世代あるいは少し年下くらいの人が特攻隊に志願(建前上でも)し、命を落とされたと言う事は学生時代に教わりました。 その頃から思っていたのですが、当時、その青年達は日本と言う国が戦争をする理由…… 例えば、「石油資源を求めて」や「大東亜共栄圏構想」などといった事を知っていたのか? という疑問を持っていました。 こういう事をどの程度まで彼らは知っていたのでしょうか……? 正直、私には想像が付きませんし、そういった理想の為に命を投げ出すと言う感覚も正直分からないです。 もちろん、当時戦っていた方々はそれぞれの理由を持って戦っていたのだとは思いますが……何も知らないまま逝ったので有れば、やはり浮かばれない様な気がしてなりません。 とりとめもない質問で恐縮ですが、ご教授頂きたく投稿をさせて頂きます。

  • 歴史
  • 回答数5
  • ありがとう数7

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.5

>「石油資源を求めて」や「大東亜共栄圏構想」などといった事を知っていたのか? まず、大東亜共栄圏構想に関しては、新聞報道や学校の授業でも指導されていたことなので、多くの学徒が周知していたはずです。  それが志願する動機とは限らないようですが・・・・・・ 、 私の曽祖父の話では、地域コミュニティ全体で志願兵を送り出さなければならない空気(雰囲気)があったそうで、動機云々の問題ではなく、その社会え家族と一緒に生きるためには、志願する必要性に迫られたようです。 なお、曽祖父はインテリで海外生活の経験があった人だったので、「アメリカと戦争する」ことの無謀さを訴えたそうですが、村八分になったそうです。  まぁ、兵役拒否して「非国民」扱いされた曽祖父ですが、戦時ヒステリックに陥った連中よりは賢かったとは思います  それでも、曽祖父はこんな風に言ってます 「それでも戦争を止められなかったんだから、ワシはもっと罪人だ」 とのことです。 戦時に冷静な判断力があった人間ほど悲惨な境遇だったあの時代を曽祖父は決して卑下していませんでしたが、兵役逃れに対する罪の意識はあったようです。  まぁ、兵役逃れるために、北海道を放浪してた曽祖父ですから、色々戦時に辛い思いをしたでしょう 戦時というのは、人間を狂気に誘うもので仕方ないとは思いますが、 ”仕方ない”で済ませるのも狂気かもしれません。 

その他の回答 (4)

回答No.4

直接の回答にはなりませんが、私の父の話をします。 私の父は昭和2年に東北の中くらいの田舎に生まれました。小学校の高学年の頃、クラスの友達がときどきいなくなるんだそうです。そうすると、別の友達が「東京に売られたんだと」と噂話をしたそうです。うちの父は10人兄弟の6番目ですが、当時はそのくらいの家族はざらだったそうで、貧乏なものが多く、口減らしはよくあったようです。父の家も貧乏でしたが、長兄が兵隊に行っていたので、従軍家族の子供は学費が無料だったので、高等小学校まで行けたそうです。 高等小学校(今の中学)のころ、学校で国策として進められた、満蒙開拓義勇軍(満州や蒙古地域の未開地の開拓を主任務とした屯田兵のようなもの)の募集が行われ、誰も応募しなかったところ校長がブチ切れして生徒たちを罵ったことを今も思い出すと話していました。 高等小学校をでると、父は職業戦士(国家総動員法のもとずく強制労働政策の別称)としてグンゼに派遣され、全寮制できつく、何度か逃げ出したと言ってました。 太平洋戦争が始まったとき、ニュースを聞きながら漠然と「アメリカになんか勝てるんだろうか」と思ったなあと言ってました。 参考になるかどうかしれませんが、終戦の時に18歳だった一般人の一人の感覚です。そんな時代です。今とは大分違います。

marukin_lite
質問者

お礼

成る程。 一般の人の感覚と言うのは、得てしてそういうモノで、開戦当初から、それを発言することもままならない状態にあるのかもしれませんね。 状況が混迷するにつれ、そういう、建前や本音が浸透していき、民衆の本音と言うもの、国の本音や本当の状況と言うものは治安維持の為に押さえつけ、隠匿される。 そういった時代だったのかも知れません。想像に過ぎませんが……。 今、平和は過去を生きた人達の『人柱』の上に成り立っているのかも知れません。 貴重なご意見ありがとうございました。

  • jkpawapuro
  • ベストアンサー率26% (811/3029)
回答No.3

そういったお題目があることは大半の人間は知っていたでしょう。 それが建前であることも、少なからざる人間が知っていたと思います。 ですが兵士の認識は、アメリカが攻めてくるから戦う・日本の植民地や租界で野蛮人が暴れてくるから戦う、これだけのことではないでしょうか? 国のために働かないと、家が白い目で見られる、爪弾きにあう、村八分にあう、文字通り家族が生きていけない時代だったんです。だから戦ったんです。

marukin_lite
質問者

お礼

>国のために働かないと、家が白い目で見られる、爪弾きにあう、村八分にあう、文字通り家族が生きていけない時代だったんです。だから戦ったんです。 端的かつ的確なご意見だと思います。 確かに、本音部分での出兵理由に占める割合は高そうです。 出兵理由に絞ってしまえば復讐心と言うモノも割合が高そうですが…… 飽くまで想像になりますが、きっと、ほとんどの兵員は出兵後、生きる為・戦友の為に必死で戦ったのでしょうね…… そう考えると大東亜戦争と言うモノのむなしさが際立ちますね。やむを得ない追い詰められた戦いだったとしても……逆にだったからこそでしょうか…… 愛国って一体何なんでしょうね。 貴重なご意見ありがとうございました。

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.2

私は若い頃には、世の中は常に進歩しているものだと思っており、まさか退化することはあり得ないと思っておりました。しかし、いろいろ経験を積んだ今振り返ってみると、退化もあり得る事も分るようになりました。私の若い頃は通勤通学電車のなかの30分ないし1時間の退屈な時間を過ごすために、多くの人達が文庫本を読んでいました。今では、たとえそんな人をたまに見掛けることはあっても、圧倒的に携帯電話を見ているか、マンガを読んでいるか、音楽を聴いている人達ばかりです。知的レベルで明らかに退化していますね。 その私達古い世代でも戦後でしたので、戦前に比べて、目は世界には向いていませんでした。戦前の人は満州や朝鮮、あるいはアジアの他の国に羽ばたいてみたいと言う人が幾らでもいましたが、私達の世代でそんなことを考えていた人は滅多にいたかったはずです。 現在の若者は自分の小さな世界を中心に生きておりますが、戦前の若者でアジアの世界を夢見ていた人は今の人には想像もできないくらい多かったはずです。そう言う点で、日本人の若者達は世界を見る目が、戦前の若者達と比べて、見るも無惨に退化してしまったと思います。

marukin_lite
質問者

お礼

確かに、知的好奇心や世界に対する目と言うモノは退化しているのかもしれませんね。 私自身もバブル以後を生きている人間ですので、ご回答者様の方がよりそういう感覚をお持ちなのだと思います。 下手な夢を持たず、無難に生きる方が楽ですものね。 日本と言う国の経済力低下などもご回答者様のご指摘が起因する所も少なからずあるのかも知れません。 反対に人が楽をするため(効率化や生産性向上の為の機械技術)、娯楽や刺激を求める為のモノと言うのは日々進化を続けている様にも思えます。 質問の意図とは離れてしまう部分もありますが、考えさせられる部分があります。 例えば古い職人の技術といったものであったり……私自身は門外漢なので聞き伝になりますが、建築などの技術は効率化でプラモデルを作る感覚の建物が多くなったとか…… 昔ながらの大黒柱を建てた家を造れる大工の頭領さんの様な人は年々減っていると聞きます。 と言う事はそれらの家を修繕する技術を持つ人も少なくなる一方だと言うわけで……数十年数百年先になると、もしかするとコレは由々しき事態であるのかもしれません。 話が脱線した上、長文申し訳ございませんでした。 ご意見参考にさせて頂きます。 更に関係無い話で申し訳ありませんが、写真凄いですね。 空に笑顔が浮かんでいる様に見えます。凄いです。(笑) 貴重なご意見ありがとうございました。

  • gamajah
  • ベストアンサー率18% (27/143)
回答No.1

想像ですが・・・。 >例えば、「石油資源を求めて」や「大東亜共栄圏構想」などといった事を知っていたのか? どの程度か量りかねますが、わりと知っていたと思います。 むしろ「世界に目を向ける意識」は、今よりもはるかに強かったかもしれません。 日清日露、台湾や朝鮮、満州、南洋群島・・・etc.当時日本・日本人は国内の人口増加・食糧事情・就職事情など諸々問題で、「内地は狭い、外地へ出ようじゃないか!」みたいな機運はあったような気がします。当時は家長制度でもあり、次男三男は嫌でも家を出なきゃならなかったわけだし・・・。 また欧米列強にいち早く追いついて「世界の一等国」になるべく日本全体に、個々には「なんとなく」とか「漠然と」とか「単に空気に流されて」とかはあるにせよ、現在の感覚と比べたら強烈な「上昇志向・拡大志向」があったんじゃないでしょうか。 もっとも、「情報」のスピード・正確さなどは今の方がはるかに上なんでしょうが、 雑多な情報が溢れて、かえって何して良いか解らなくなっている現代よりも、 むしろ当時の方が情報量が少ない分だけ「純真な情報」を得ていたかも・・・。 「勉強熱心」な人は多かったと思います。

marukin_lite
質問者

お礼

早速のご回答ありがとうございます。 なるほど……現代の方が確かに情報が多くて取捨選択を強いられる事が多いかも知れません。 情報量が少ない、あるいは限定をされている方が、真実に近い情報に行き当たりやすいかも……というのは一理ありますね。 逆に誤った解釈やデマ・ガセ・噂レベルの情報について判断が正確でなくなってしまう可能生も十分に含んでいるとも思いますが。 参考にさせて頂きます。

関連するQ&A

  • 神風特攻隊は全部で何機くらい飛んだのか? 生存者は?

    大東亜戦争?だと思うのですが、日本が神風特攻隊を使って攻撃をしましたよね。あれは250キロの爆弾を載せて相手の空母へ突っ込むということが書いてありましたが、この件に関して質問です。 1.全機体(神風特攻隊の)そうだったのですが? あと、全部で何機くらい突っ込み、初めてこの戦争で神風特攻隊を出動させてから何日くらい飛ばし続けたのですか? 2. この戦争自体はとても短かったのですよね?? 特攻隊で突っ込んでも生存者はいたのですか? 3.神風特攻隊の乗っていた機体は軽かったから重い爆弾を積んでも飛べたというようなことを知りましたが、この機体は零せんとは関係ないんですか?

  • 大東亜戦争について

    大東亜戦争についてご質問があるので宜しくお願い致します。 終戦の1週間ほど前から日本は降伏するとわかっていたと本で読みました。 それなら何故、神風特攻隊など必ず死ぬと分かっているのに、終戦日の8月15日まで特攻はあったのでしょうか?(やらせたのでしょうか?)

  • 女性は何にだったら命を懸けますか?

    以前から疑問があり、叩かれるの覚悟で聞きたいです。 女性は自分の子供以外に命を懸けられるものってありますか? 男性は戦争時代から国のため、妻の為、友の為、家族の為、 命を懸けてきました。 女性は国の為に特攻隊として志願できますか? また夫の為に命懸けられますか?ホンネをお願いします。 男性からのご回答もお待ちしております<(_ _)>

  • 旧日本軍について!?

    とあるテレビ番組(旅番組!?)を見ていて気になったことがありました。 その番組ではパラオという国が紹介されていたのですが、そのパラオは大東亜戦争(?)第二次世界大戦(?)以前に30年近く日本が統治していた時代があったそうです。 その国(パラオ)には、現在でもいくつかの日本語が日常の会話の中に使われていて、パラオの人たちは日本のことが大好きだとパラオのご老人が言っていました。 そこで、いくつか質問があります。 1。韓国や中国は現在においても日本に対して敵意をむきだしにして、日本の過去の過ちについて執拗に日本人を責めますが、パラオや台湾の方が統治の期間は長かった気がしますがなぜ親日的なのでしょうか? 2。大東亜共栄圏とは、アジア国々を当時の欧米列強による支配から守るとういうのが当初の目的であるようですが、実際のところはどうだったのでしょうか? パラオや台湾は大大東亜共栄圏構想に対して理解があったのですか?

  • 知りたいです!

    私は日本史について深く興味を持ち、調べています。特に戦争について興味を持ち、日々調べて、学んでいます。 そこで、どんなにグロテスクでも構いません、邦画で戦争映画なら何でもいいので、是非皆さんのお勧め映画を教えてください(*^-^*) 特に最近、遠い親戚に特攻隊に志願して亡くなられた方がいたと知り、特攻隊について調べています。なので特攻隊についての映画だとありがたいです。(もちろん特攻隊ものだけにこだわりません。) 夏休み中に鑑賞したいので『すぐに回答を!』で投稿させていただきました。 たくさんの回答をお待ちしておりますm(__)mよろしくお願いします。

  • 特攻隊

    大東亜戦争 の特攻隊についてです。 わたしが無知なだけかもしれませんが、 特攻隊でお亡くなりになった隊員は 関東の大学(慶応、明治、中央など) を卒業されたエリートが多いように思うのですが、 これには何が理由があるのですか? よろしくお願いいたします。

  • 「大東亜共栄圏」ってあくまでも、建前だったんでしょうか?

    日本のように欧米に立ち向かう国がなかったら、アジアの人々は、かつての黒人のように奴隷のような扱いを受けたでしょうか? 又、当時の政治 軍部に関わってた日本人は、本気で「大東亜共栄圏」を思って戦争をはじめたんでしょうか?

  • 特攻隊について

    連続ですみません 太平洋戦争末期に神風の様な特攻隊が必要だったのですか? 本土決戦と言っていたのなら、本土に戦闘機を残して、戦艦に少しの護衛をさせれば良いはずです。 燃料がすくなかった当時なら、自分ならなおさらそれを取ります その辺のことを詳しく教えてください。

  • 日本は強かったの? 他国から歴史をみたら日本なんてなんてことない国だったの?

    第一次、第二次世界大戦の時代 私は今まで、日本はアメリカに負けたけど、日本は戦争に強かった。と思っていました。零戦とか戦艦大和とか聞くし、神風特攻隊を出撃させたのは、作戦には疑問を持ちますが、とにかく日本は強かったんだと思っていました。でも、実際そうなんでしょうか?戦争に関して知識は豊富ではないですが、昔のVTRなどをみていると、簡単に言うと、ずるい方法をとったりしていたようにいわれてました。(約束破り?) 私は日本で日本の歴史を勉強するので日本は負けたけど、すごかった、強かった、というような感じを受けるものが多いですが、ほかの国から歴史を見たら、日本なんてなんてことなかった かのような存在だったのでしょうか?教えてください

  • 平和作文の訂正をお願いします

    毎年、夏になると8月6日の広島への原爆投下、 9日長崎への原爆投下、15日の終戦記念日等により、 テレビや新聞等でよく平和や戦争について取り上げられる。 そんなテレビを見ていると、飛行場の周りに咲いているある花の事を思い出す。 その花の名前は、天人菊、別名「特攻花。」という花だ。その花は主に赤色で花びらの先が黄色く赤ちゃんの手位の小さい花だ。 特攻花というのはその名の通りあの神風特攻隊と深い関係のある花だ。 僕が住んでいる喜界島は、きれいな海を持つ隆起サンゴ礁で出来た島で人口は八千人ほどの穏やかな島だ。 何故この小さい島が特攻隊と深い関係があるのか…。 それは喜界島が本土と沖縄を結ぶ重要な中継基地だったからである。 喜界島は沖縄と鹿児島のちょうど真ん中に位置している。そのため本土から飛び立った兵隊達は喜界島へ立ち寄り、再び激戦地沖縄へ向かって行っていた。 その際に、女学生から贈られた花を「花も一緒に沖縄の海に散って行くのは申し訳ない…。」という思いからか、滑走路の隅に置いて旅立った、との事だ。 その花が戦後67年過ぎた今でも滑走路周辺に咲いている。 この花を島の人々は「特攻花」と名付け、僕達の世代まで語り継がれてきた。 僕はその特攻花の歴史を知って以来、テレビや新聞等で特攻隊の事が取り上げられると、他人事ではない、何か親近感に似た感情を持って観ていた。 選は恐い、絶対に起こしてはならない。 そんな事は分かっていた。しかし、花の存在を知った当時、まだ小学生だった僕は、 もし戦時中に生きていたとしても、疎開すれば爆弾で命を落とす事はないだろうし、 特攻隊にならなくても済むから大丈夫だろう…。と、心の何処かで、自分には起こり得ない、歴史上の出来事に過ぎないと思っていた。 だが、今年で僕は17歳になった。17歳という年齢は、特攻隊の中で最年少の隊員の年齢だ。 自分と同じ17歳で、国の為に命を落として行った人がいるのか…。 産まれた時代が少し違うだけで、 もし僕が戦時中、17歳を迎えていたら…。 そんな事を改めて考えていると、今までの気持ちとは打って変わり、全身に鳥肌が立ち、呼吸が少し速まり、じんわりと汗をかいていた。 もし明日、自分に出撃命令が出たら 死に行く飛行機に乗り込む事ができるだろうか…。 僕には到底無理な話である。 しかし、彼らはやらざるを得なかったのだ。 平和な時代に行きたいと思っていながらも、夢半ばで、お国の為、平和な未来をつくる為に散って逝った方々の死を無駄にしてはいけない。 平和な今を生きる僕達に出来ること。 それは、戦争の歴史を風化させず、次へ語り継いでいくことではないか。 戦争を体験したことのない僕が言うと軽い意見になるかもしれない。 しかし、これから先は戦争体験者がいなくなる時代がやって来る。 その時が来るまで、本当の戦争を知っている方から直接お話を聞き、戦争を歴史上の出来事にするのではなく、 生の声でリアルな体験談で語り継いでいく事が大切だと思う。 特攻隊の方が、僕達に残してくれた 平和を願う花「特攻花。」 これからもこの花とともに、平和や戦争について考え伝えていきたい。 END 読んで頂き有り難うございます。 アドレス等あれば何でもかまいませんので宜しくお願いします。