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万葉集のこの和歌について教えてください。
万葉集の第4巻 668の、 朝に日に 色づく山の白雲の 思い過ぐべき 君にあらなくに の解釈〔意味〕を教えていただけませんでしょうか? どうぞよろしくお願いいたします。
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>>「日本古典文学大系版(校注?)」などというのは簡単に本屋さんで手に入るものなのでしょうか?・・・ 岩波書店の「日本古典文学大系」は1955年刊なので、現在では古書店めぐりをしないと手に入らないと思います。 しかし、同じく岩波から「新日本古典文学大系」という新しいシリーズでも万葉集は出ています。 こちらは1999年刊なので、新刊書店で入手可です。4,500円と割高ですが…。 万葉集は他にも以下の全集に収められています。 買うと高いですが、ちゃんとした図書館になら少なくともどれかのシリーズは入ってるはずです。 小学館・日本古典文学全集 小学館・新編日本古典文学全集 新潮社・日本古典集成 講談社学術文庫 一番お値段が手頃なのは講談社学術文庫ですね。 でもこれ、品切れ・再版予定なしで、意外と入手は困難です。
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- Alias
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大意はsesameさんのおっしゃるとおりでしょう。「朝に日に」は「あさに『け』に」と読みますね。「朝に日に色づく山の白雲の」までの全体が,「忘れすぐべき」を引き出す一種の喩え(序詞)ですが,同時に「だんだん色づいていく山」や「白い雲」という色彩表現によって「君」の美しさのイメージを喚起する働きもしています。 この時代に二人称の「君」といえば女性が男性に呼びかける場合がふつうですから,男性である厚見王が詠んだこの歌は,王が戯れに女性のふりをしたか,冗談半分に女性に詠みかけたか,そんなところのようです。
お礼
どうもありがとうございました。(どうしてそんなことまで知ってらっしゃるの?)・・・というのがわたしの率直な感想…。 丁寧なご説明どうもありがとうございました。
- sesame
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「朝々、日々に色づいて行く山の白雲のすぎ去るように、思い過ぎ去り忘れ果ててしまうような君ではないのに」 (日本古典文学大系版校注) とあります。若干補足すると、 「朝に日に」は朝ごと、日ごとに、という意味。 「白雲の」は「~ように」という直喩がこめられた表現で、和歌ではよく使われます。 万葉末期の歌人、厚見王の歌です。
お礼
いつも早速のお返事恐れ入ります。ありがとうございました。 ところで重ね重ね申し訳ありませんが、「日本古典文学大系版(校注?)」などというのは簡単に本屋さんで手に入るものなのでしょうか?・・・
お礼
詳しくて丁寧なご回答、本当にありがとうございました。 まずはじっくり読んでみます。 今後ともよろしくお願いいたします。